ピンクウォッシング/ピンクウオッシング/pinkwashing というのは何かというと
■ 言葉の発端~乳がん啓発キャンペーンを批判する語として
ピンクリボンのシンボルやそこから派生してピンク色を象徴的に使い、企業のイメージ戦略をを優先したり、乳がん検診を推奨することに特化しがちな乳がん啓発キャンペーンを批判する際に使われ始めた言葉である。(参考:2014年9月のFLA によるカナダのドキュメンタリー映画"Pink Ribbon Inc.“上映会の案内)
■ イスラエルによるイメージ刷新プロパガンダを批判する語として
またイスラエル政府が、パレスチナ(人)やアラブやイスラム教やイスラエル以外の中東諸国を一括し混同した上でそれらと比較して、同国がまるで欧米のように自由で民主的で進歩的な国であるとアピールしている中で、特に欧米先進国のリベラル層をターゲットとし、同国の中心都市であるテルアビブはゲイ向けの観光都市であり、同国が(パレスチナ/アラブ/イスラムと比べて)LGBTに寛容である、というプロパガンダを行っていることに対し、批判的なラベルとして「ピンクウォッシング」という言葉は使われている。
イスラエルによるピンクウォッシングと批判される対外的なキャンペーンは、2005年から始まる「Brand Israel」の一環として(英語参考記事)、2006年頃から表立って北米や欧州のリベラル層をターゲットにイスラエル政府が行っている文化政策である(英語参考記事)。
在外イスラエル大使館や領事館をふくめ、イスラエル政府機関が各地のLGBTのための/によるプライド・イベントや映画祭といった文化的なイベントに資金提供したり、ゲイ男性を主な対象とした観光業界に対し何らかの助成を行ったり、国外からLGBTの/関連テーマで活動するアーティストらを招聘したり、そうした一見すると政治的には見えないかもしれないキャンペーンを通して、イメージ刷新の試みが行われてきたことに対し、多くの人たちが批判の声を上げている。
■ パレスチナからのBDS運動呼びかけ
「Brand Israel」キャンペーン開始と同じ時期、2005年からパレスチナの複数の市民団体は合同で国際的にイスラエルに対するBDS(ボイコット/資金撤退/制裁)運動を呼びかけている(英語呼びかけ文/日本語訳)。よって、各地のイスラエル大使館やイスラエル政府機関が実質的に資金提供するLGBT関連の活動に参加することは、同国による「ピンクウォッシング」に加担するだけでなく、パレスチナからのイスラエルに対するBDS運動の呼びかけにも対立する。(参考:文化面と学術面に関してイスラエルに対するボイコットの呼びかけをしているPACBIによるガイドラインの日本語仮訳)
■ なんとかウォッシング -washing という批判的ラベルの使用とその先
イスラエルのプロパガンダに対する批判としては、他にグリーンウォッシング(自然環境保護やエコロジーなどのイメージを利用したもの/英語関連記事)もあり、〔色の名前〕+〔washing〕(ウォッシング/洗う)という言い回しの意味は、イスラエルに対する批判に限らず、批判的なラベルとして比喩的に使われている。その場合の意味は、本来であれば正すべきこととして、場合によっては犯罪ともいえる事項の存在を認めた上でそうした事項に対し誠実な対応をするのではなく、そこにそうした批判されうる事項があることを知りつつあえてそうした事項を放置しそれらが注目されないよう、ある一色が象徴する善とされるものでそうした事項の存在自体を覆い隠してほぼ完全に見えなくしてしまう試みがなされているという批判である。
※-washing という一連の用語は、whitewash(ing) という一般的な言葉の比喩的な意味からきている。ランダムハウス英語辞典(ver. 1.5; CD-ROM)によれば、whitewashは他動詞としては次のような意味の言葉。「【1】のろを塗って白くする、水しっくいを塗る. 【2】…の欠点 [過失など] を糊塗する, うわべを飾る; 〈人を〉かばい立てする(以下略)」
もちろん、-washingという批判的ラベルが使われている時点で、そうした覆い隠された事項の存在は暴露されているが、-washingという批判的ラベルでそうした隠蔽の試みを名付けることだけでは批判として不十分といえる。批判されるべきは、その-washingのそのものにとどまらず、その色の下に隠されようとしている事項に向けられている。
LGBT当事者でもある人やLGBTというカテゴリーにすでに近しい人がイスラエルに対してピンクウォッシングという批判的ラベルを使う際には、イスラエルがどのLGBTの運動や活動をどのように利用しどういった活動にどの程度資金を投入しているかといった点に注目しがちかもしれない。けれどもピンクウォッシングが覆い隠しているものが何であるのかを ― 隠されているがゆえに ― あえて学ぶことはピンクウォッシングという批判的ラベルを使う上で重要である。ピンクウォッシングという批判的ラベルが使用される前からイスラエルは批判されてきた。そしてイスラエルが批判されBDS運動をはじめとしたパレスチナ連帯運動があえてパレスチナ/イスラエルの外に呼びかけられている背景には、イスラエルとパレスチナが対等な関係になく非対称であるという現実がある。
■ イスラエルとパレスチナの非対称性を見抜く
イスラエルとパレスチナの非対称性は、イスラエルが何を語っているかではなく何を語っていないのかに注目しなければ分からない。現在に続くイスラエル建国の歴史はヨーロッパによる中東の、イギリスによる歴史的パレスチナの、植民地主義の歴史であり、パレスチナにとってナクバ(アラビア語で「大破局」「大災厄」「大惨事」の意味)の歴史である。
現実にイスラエル国内外のパレスチナ難民の困窮というには深刻で悲惨な状況と実質的な帰還権の剥奪があり(参考:パレスチナ難民は全世界に1,000万人がいるとされ、中東に住む登録パレスチナ難民だけで480万人がいる)、2005年以来のガザ地区の封鎖とイスラエル軍による民間居住地等への攻撃や多数の子どもを含めた非戦闘員の殺害があり(参考:2014年7月以降ガザ地区へのイスラエル軍による攻撃で2014年10月時点までに2,205人が殺されている;詳しい被害状況はこのまとめが分かりやすい)、イスラエルの領土ではないはずのエルサレムへのイスラエル軍の進駐があり、パレスチナ人居住地を収奪するユダヤ人入植地の拡大があり、分離壁の建設と維持と多数の検問所の実際の運用を正当化する制度的に裏付けられたパレスチナ人に対する差別がある。
けれども、こうした上に挙げた事実は「進歩的で」「自由で民主的な」「LGBTフレンドリーな」イスラエルによって語られていないことの一部である。
■ ユダヤとイスラエルを区別すること
念のため書いておくと、イスラエル人とユダヤ人は同一ではないし、パレスチナ連帯運動が抵抗しているのはイスラエルの制度を支えているシオニズムというイデオロギーであってユダヤ教(ユダヤ主義)ではない。ユダヤ人の出自を持つ人/ユダヤ教徒であって、イスラエルのあり方に賛同しない/反対を表明している人は大勢いる。
20世紀初めから第二次大戦後にかけて、多くのユダヤ人がヨーロッパからその外に移住した大きな理由の一つは、ヨーロッパでユダヤ人やユダヤ人とみなされた人たちに対する迫害と虐殺があったからだが、移住先として米国の次に特にパレスチナが選ばれた理由は、シオニズムの思想と運動とその実績をよりどころに、すでにパレスチナの土地に住んでいた人たちの権利をないがしろにして、イスラエルが建国されたからである。
1948年のイスラエル建国は、ホロコーストの帰結として語られることが多いけれども、出来事を起こった順番に並べれば、イスラエルの公用語になっているヘブライ語の復興は第二次世界大戦前にシオニズムの運動の中で起こったことだし、ホロコーストの前からパレスチナへの入植は始まっていた。
たとえば、過去のヨーロッパでの差別と虐殺とそうした出来事の帰結といった事実を明らかにする一方で、そうした反ユダヤの歴史がイスラエルによって建国と現在の制度の正当性を担保するものとしてどのように語られどのように利用されているかを読むことは反ユダヤに加担しない。
イスラエルという国を建国し維持し続ける正統性を問いかねないがゆえに、たとえばユダヤ人でイスラエルに移住しないホロコースト・サバイバーや、ユダヤ人ではないホロコースト・サバイバーや、イスラエル国籍を持つ「(本当の)ユダヤ人」ではない人や、徴兵制度に抵抗するイスラエル人の語りすら(参考:アムネスティのページで紹介されている兵役を拒否する若者たちの話 (2012); 映画『沈黙を破る』土井敏邦監督、2009、ドキュメンタリー)、シオニズムへの対抗になりえる。
それは、イスラエルが、なぜ、どのように、「LGBTフレンドリー」であると語り、その語りをどのように利用しているのかを読むことや、イスラエルが、どのように「パレスチナ」を語り、どのようにその語りを利用しているかを読むことと繋がっている。
■ 歴史の修正と横領に抗うこと
ピンクウォッシングという批判的ラベルを使うならば、それが擦り切れるまで使いきらなければならない。ピンクウォッシングという批判的ラベルを使う人がなすべきことは、歴史の修正と横領に抗うことであり、何か確固とした「LGBTフレンドリー」のようなものを打ち立てそれを守りきることではない。(janis)
最終更新: 2019年4月29日