【新日本プロレスワールド】管理人厳選試合 1999、2000年
新日本プロレスワールドの管理人厳選試合(思い出込み)、1999年、2000年の試合動画紹介です。
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■1999年11月1日 広島サンプラザ 真壁伸也vs棚橋弘至
若き日の"逸材"vs"暴走キングコング"の対決!棚橋のデビュー戦です。この2人がのちに新日本プロレスを大きく変えていくことになります。棚橋の自伝を読むと、真壁が「タナ、俺たちの世代で変えていこうぜ!」と言っていたことが明かされていますが、まさにいま、その光景が現実のものとなっています。
■1999年1月4日 東京ドーム 第5試合 特別試合(特別レフェリー 山本小鉄) 佐々木健介 vs 大仁田厚
新日本のリングに大仁田厚が上がった伝説のドーム決戦です。当時は大仁田が何をやってくれるんだろうという期待感と、本隊のエースとして活躍していた健介がどのように"邪道"を料理するんだろうというダブルワクワク感があり、メチャクチャ盛り上がった一戦です。金沢克彦氏の『子殺し』を読むと、このあたりの背景が描かれているのでおすすめです。
【プロレス】金沢克彦著「子殺し」読了 ~新日ファンは絶対読んでほしい一冊:AMGブログ
■1999 1999年4月10日 東京ドーム 有刺鉄線電流爆破デスマッチ 蝶野正洋 vs 大仁田厚
「ノーTVだ!ノーTV!」と蝶野がワールドプロレスリングに対してクレームをつけたりしながら盛り上げていった最高の第0試合です。このときにレフェリーをしていたのが、のちに新日のメインレフェリーとなる海野レフェリーでした。新日のリングで初めて電流爆破が行われた試合であり、動画ではカットされていますが、入場では蝶野がハマーで入場して来て、会場中が度肝を抜かれた試合でした。
■1999年5月3日 福岡国際センター IWGPヘビー級選手権試合 武藤敬司vs天龍源一郎
アメリカマットに渡米する前、IWGPチャンピオンとして新日のリングを脅威から守りつづけていた武藤と、ミスタープロレス・天龍源一郎の至高の闘いです。天龍さんが試合終盤、武藤に雪崩式フランケンシュタイナーを見舞ったスゴイ試合です。
このあとの試合後インタビューで武藤が「これは夢かもしれないけど、今日の試合、その先には三沢とか川田が見えたよ」と発言し、ワープロを見ていた僕は「もしかしたら、武藤と四天王が絡むのか!?」とものすごく期待したんですが、実現にはそこから数年かかってしまいました。
でも、NOAHのリングで武藤とタッグながら三沢と激突したのはいまでも良い思い出です。シングルは夢のまた夢になっちゃいましたけど、あのとき三沢と武藤が闘っていなかったら、もっと残念な気持ちになっていたでしょうから。
■1999年8月28日 神宮球場 ノーロープ有刺鉄線電流地雷爆破ダブルヘルデスマッチ グレート・ムタvsグレート・ニタ
この前のシリーズから何度かぶつかっていた武藤と大仁田。そして大仁田が「ニタを出す」と宣言し、武藤がムタを出してやると言い、入場でメカニックムタとなって現れて大歓声を浴びました。この試合の一番の見どころは入場で武藤がメカのマスクを取った瞬間のイケメンさ(動画ではカット)!
試合自体はまあ…これはこれで伝説となった試合です。
■2000年1月4日 東京ドーム 第4試合 IWGPジュニアヘビー級選手権 獣神サンダー・ライガー vs 金本 浩二
2000年、ミレニアムの年。ライガーが黒い獣神となった試合です。なにげにこの試合好きなんですよ。入場から黒いライガーになってきて、「ぬるま湯」発言をした金本浩二に対し、ライガーがこれでもかとばかり厳しい攻めを展開して一方的になりました。当時は全然見せ場ないなあと思っていたんですが、いま見ると非常に覇気があって怖いライガーが出ています。
■2000年1月4日 東京ドーム 第6試合 山崎一夫引退試合 山崎 一夫 vs 永田 裕志
わずか37歳という若さで引退した山ちゃん。肺に穴が開いてしまう「肺気胸」という病を患い、引退を決意された山崎さん
ですが、最近の若いファンの方にとっては、山崎さんというのは解説者としてのイメージが強いかもしれません。しかしこの引退試合では悔いを残すことない試合を展開されました。
■2000年7月30日 横浜アリーナ ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ 長州 力vs大仁田厚
ついにたどり着いた長州戦。大仁田厚が邪道魂をフルに発揮し、誰もが無理だと言っていた長州戦を実現させたのです。新日が横浜アリーナへ再進出するまでに、ここからじつに14年の時間を要しました。それだけに思い出深い試合です。
■2000年10月9日 東京ドーム 佐々木健介 vs 川田利明
まさか!という展開でした。ワープロをつけたら、いきなり渕さんが新日のリングに上がっていて、そこから一気に「新日vs全日」の全面抗争がスタートすることとなりました。最初は「蝶野vs渕」が全日のリングで行われ、その後タッグマッチなどを経て、ついに佐々木健介vs川田利明という、この時点の新日と全日のトップ同士がぶつかるという結果となりました。
この年、全日は三沢さんがNOAHを立ちあげた時期で、全日は渕と川田しかいないという状況のなか、新日との全面戦争をやってのけた老舗の意地を感じました。実際、いろいろなことがあっても、渕さんは未だに全日に残られていますし、この時期があったからこそ、全日はいまも生きているのだと思います。
当時はたしか夜10時か11時ぐらいからテレ朝中継が地上波で行われ、僕も弟もワクワクしながら見ていた記憶があります。
▶新日本プロレスワールド
若き日の"逸材"vs"暴走キングコング"の対決!棚橋のデビュー戦です。この2人がのちに新日本プロレスを大きく変えていくことになります。棚橋の自伝を読むと、真壁が「タナ、俺たちの世代で変えていこうぜ!」と言っていたことが明かされていますが、まさにいま、その光景が現実のものとなっています。
■1999年1月4日 東京ドーム 第5試合 特別試合(特別レフェリー 山本小鉄) 佐々木健介 vs 大仁田厚
新日本のリングに大仁田厚が上がった伝説のドーム決戦です。当時は大仁田が何をやってくれるんだろうという期待感と、本隊のエースとして活躍していた健介がどのように"邪道"を料理するんだろうというダブルワクワク感があり、メチャクチャ盛り上がった一戦です。金沢克彦氏の『子殺し』を読むと、このあたりの背景が描かれているのでおすすめです。
【プロレス】金沢克彦著「子殺し」読了 ~新日ファンは絶対読んでほしい一冊:AMGブログ
■1999 1999年4月10日 東京ドーム 有刺鉄線電流爆破デスマッチ 蝶野正洋 vs 大仁田厚
「ノーTVだ!ノーTV!」と蝶野がワールドプロレスリングに対してクレームをつけたりしながら盛り上げていった最高の第0試合です。このときにレフェリーをしていたのが、のちに新日のメインレフェリーとなる海野レフェリーでした。新日のリングで初めて電流爆破が行われた試合であり、動画ではカットされていますが、入場では蝶野がハマーで入場して来て、会場中が度肝を抜かれた試合でした。
■1999年5月3日 福岡国際センター IWGPヘビー級選手権試合 武藤敬司vs天龍源一郎
アメリカマットに渡米する前、IWGPチャンピオンとして新日のリングを脅威から守りつづけていた武藤と、ミスタープロレス・天龍源一郎の至高の闘いです。天龍さんが試合終盤、武藤に雪崩式フランケンシュタイナーを見舞ったスゴイ試合です。
このあとの試合後インタビューで武藤が「これは夢かもしれないけど、今日の試合、その先には三沢とか川田が見えたよ」と発言し、ワープロを見ていた僕は「もしかしたら、武藤と四天王が絡むのか!?」とものすごく期待したんですが、実現にはそこから数年かかってしまいました。
でも、NOAHのリングで武藤とタッグながら三沢と激突したのはいまでも良い思い出です。シングルは夢のまた夢になっちゃいましたけど、あのとき三沢と武藤が闘っていなかったら、もっと残念な気持ちになっていたでしょうから。
■1999年8月28日 神宮球場 ノーロープ有刺鉄線電流地雷爆破ダブルヘルデスマッチ グレート・ムタvsグレート・ニタ
この前のシリーズから何度かぶつかっていた武藤と大仁田。そして大仁田が「ニタを出す」と宣言し、武藤がムタを出してやると言い、入場でメカニックムタとなって現れて大歓声を浴びました。この試合の一番の見どころは入場で武藤がメカのマスクを取った瞬間のイケメンさ(動画ではカット)!
試合自体はまあ…これはこれで伝説となった試合です。
■2000年1月4日 東京ドーム 第4試合 IWGPジュニアヘビー級選手権 獣神サンダー・ライガー vs 金本 浩二
2000年、ミレニアムの年。ライガーが黒い獣神となった試合です。なにげにこの試合好きなんですよ。入場から黒いライガーになってきて、「ぬるま湯」発言をした金本浩二に対し、ライガーがこれでもかとばかり厳しい攻めを展開して一方的になりました。当時は全然見せ場ないなあと思っていたんですが、いま見ると非常に覇気があって怖いライガーが出ています。
■2000年1月4日 東京ドーム 第6試合 山崎一夫引退試合 山崎 一夫 vs 永田 裕志
わずか37歳という若さで引退した山ちゃん。肺に穴が開いてしまう「肺気胸」という病を患い、引退を決意された山崎さん
ですが、最近の若いファンの方にとっては、山崎さんというのは解説者としてのイメージが強いかもしれません。しかしこの引退試合では悔いを残すことない試合を展開されました。
■2000年7月30日 横浜アリーナ ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ 長州 力vs大仁田厚
ついにたどり着いた長州戦。大仁田厚が邪道魂をフルに発揮し、誰もが無理だと言っていた長州戦を実現させたのです。新日が横浜アリーナへ再進出するまでに、ここからじつに14年の時間を要しました。それだけに思い出深い試合です。
■2000年10月9日 東京ドーム 佐々木健介 vs 川田利明
まさか!という展開でした。ワープロをつけたら、いきなり渕さんが新日のリングに上がっていて、そこから一気に「新日vs全日」の全面抗争がスタートすることとなりました。最初は「蝶野vs渕」が全日のリングで行われ、その後タッグマッチなどを経て、ついに佐々木健介vs川田利明という、この時点の新日と全日のトップ同士がぶつかるという結果となりました。
この年、全日は三沢さんがNOAHを立ちあげた時期で、全日は渕と川田しかいないという状況のなか、新日との全面戦争をやってのけた老舗の意地を感じました。実際、いろいろなことがあっても、渕さんは未だに全日に残られていますし、この時期があったからこそ、全日はいまも生きているのだと思います。
当時はたしか夜10時か11時ぐらいからテレ朝中継が地上波で行われ、僕も弟もワクワクしながら見ていた記憶があります。
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