iPhone4購入から1ヶ月|失ったもの、そして得たもの
これまで12年間、セルラー→auという流れでずーっとガラパゴス携帯を愛用していたのですが、つい一ヶ月前に、iPhone4が我が家に届きました。
まぁ持っている人は持っている人でいいのですが、個人的に私がこのアイテムを持った事で、「大切な何かをなくしてしまい、そして得たものはなんだったのか」と言う事を深く考えて見ました。
そもそもなぜそんな事を考える必要があるのか
『なぜそんな事を考える必要があるのか』というのは、正直なところ、何を言ってるんだ??という気持ちになる人も多いかもしれない。
私がここでこれらを宣言するのには実は一つの理由がある。
と言うのも、私はこの1ヶ月を振り返ると、実は『深く考察する』という行為を一切行なわなくなったと感じています。
そしてそれは、TwitterとiPhoneの組み合わせによって、より感じるようになったのです。
だからあえて今回は、考えるテーマは何でもいいので、とにかく一つの事についてもう一度考え、それを文章にする事から始めようという想いに至ったのです。正直、Twitterをしばらく辞めようかとも考えたりしてます。
今、読者の皆様が読んでいるこの部分。
私が書いているこの文章は、『今』頭の中で作られ、そして走り書きしています。
先はどのような構成になり、どのような落ちになるのかと言うところまでは一切考えていません。
文章と一緒に考えて、何を失い、何を得たのかを整理したいと思います。
iPhoneによって得たもの
これまで使っていたごく一般的な携帯電話と比較すると、そのエンターテイメント性は比較になりません。
もはやこれほどまでに違うものなのかというのを痛感する事になりました。
みな、なぜiPhoneがいいねと言うのか。そこにはそれなりの理由があったのです。
1)何処でもネットが出来る、では無くブラウジングの圧倒的なまでの操作性にビビル
iPhone持っている主婦の人に、なにがそんなにいいの?って聞いた事がありました。
それに対する回答が、何処でもネットが出来るの!っていう回答だった。
それはauのパケット定額にしている私からしてみると、別にどうでもいい事だと思っていました。
通常は、モバイルサイトへと誘導されるガラパゴス携帯ですが、PCサイトビューアを使えば、いつでもネット環境が手に入ります。
それと同様の事が出来るからなんなのだと私は思っていたのですが、実際にブラウジングをするとわかりました。
上記記事はこれ
例えばちょっと見づらいと思ったら、2本の指ですこしこするだけで見やすくなる。
というかおそらくAndroid携帯を含むスマートフォンを使っている人からして見たら、何をいまさらそんな事をわざわざ言うのかという人も入るかもしれないが、たったこれだけの操作が手軽というだけで、暇な時のブラウジングを行う回数が劇的に増えるのは間違いない事なのです。
たったこれだけの違いを取っても、暇をつぶせる力はガラパゴス携帯の比じゃありません。
2)便利で、それでいてユニークなアプリが大量にあり、生活の仕方そのものが変わる
例えば知らない街に出た時に、食べログというアプリをポンと起動。
半径500m以内のラーメン屋と検索すれば、口コミのあるラーメン屋が、マップ付でずらずら出てくる。しかも無料で。
スカイプも手の中に。facebookも手の中に。ニュース、RSSも全てこの中に納まってしまう。
写真を取ったらその場でevernoteにアップされたり、dropboxにアップされたり。
家でPCを起動したらそこからすぐに画像が手に入る。
Google検索ももはやアホみたいな領域に。
例えばGoogleアプリの音声検索。子供が昨日、「世界で一番高い山」とiPhoneに向かって話した。
Google検索結果をみるだけでエベレストとわかる。
また、地名をしゃべれば地図を検索するときも役に立つ。徐々にアップデートを繰り返し、音声はかなり誤差無く聞き取ってくれるレベルまで来ている。
これら便利なアプリとの出会い一つ一つが、地味に、そしてわずかながら生活を便利に変えていく力がある。
何よりも、カレンダー一つとってもガラパゴス携帯とのスピード感が違う。
よりスピーディーにGoogleカレンダーが開けるし、高速にGmailが閲覧出来るのもこのアプリの存在が大きい。これにより、同じ時間内で出来る事が増え、多くの時間を短縮する事が可能となる。
3)Twitterがより身近な存在となり、より見やすく、つぶやきやすく、探しやすくなる
もともと私は結構なTwitterユーザーです。
auでも使えましたが、iPhoneのTwitterとは大きな違いがあります。
それは、指先を上から下に画面をこするだけで大量のTLを高速に移動する事ができるという点。そして、一ページに200件というツイートを余裕で表示する事が出来るという点です。
要するに「次のページという概念」がありません。
また、リプライや、リツイートを送る場合も、普通の携帯電話だとページを移動する際にサーバーへの読み込みが発生し、TLからリプライページへ移動するのすら面倒でしたが、もちろんそんなものは一切なく、シームレスに返信が出来るようになります。
というか、たったこれだけでもiPhone買って良かったと思えるほどの操作性だったりします。
もはやちょっとした時間にはiPhoneさえあれば退屈する事など一切ありません。
そういう状態を手軽に作れてしまうツールがスマートフォンであり、iPadなのかなぁと感じました。
私はiPodTouchがあるので、音楽や映像コンテンツは別に持ち歩いていますが、iPhoneにも音楽や、映画などを入れる事が出来るため、とにかく何でもこの一つの端末に突っ込む事が出来、そして持ち運ぶ事が可能なのです。
iPhoneによって失ってしまった大切なもの
これまで、散々褒めちぎってきたiPhoneですが、やっぱりメリットの裏にはデメリットがありました。
それらをどうするかが今後の課題になるかと感じます。
1)考えたり、思い出したり、記憶したりする行為の欠落
なんせ、evernoteが指先一つで起動し、確認出来る。メモ帳がすぐに取れる。カメラもスキャナする事が可能なアプリがあるため、書類なんかも一瞬でiPhoneの中に入る。
そのため、頭の中に記憶する必要すら省けてしまう。便利で、検索も早い。だからiPhoneの中に記憶させて持ち運べば、情報の取り出しも高速。大量に記憶させる事で、大量の情報をさばききる事が出来るようになる。
しかしこれは危険な行為だった。
自分の頭を使って記憶すべきだし、それを思い出したりする事で頭を使うべきだと感じた。
なによりも、物事を記憶すると言うのは、例えば何かと紐付けして記憶したりする工夫を行ったりするんだけど、そういう工夫すら考えなくなってしまう。便利なものが目の前にあっても、それに手を出すのは少々リスクが大きすぎると言う風に私は感じた。
調べ物も、簡単に引き出しが開く。
そう、さっきのGoogle音声アプリに、聞けばいいだけ。それだけで良い。
自分で苦労して調べたわけではないから記憶にも残らない。結果、新しい情報が頭の中にインプットされなくなっていくのだ。
もちろんこれは、使い方の問題であって、誰もがiPhoneを持ったらそうなるわけじゃない。あくまで私の問題だ。
2)アプリによって時間が生まれたはずが、逆に失われていく
もはや一ヶ月アプリダウンロード本数100を超えてしまった。
先ほど記述した通り、たった一つのアプリが、大きな生活の変化をもたらす可能性を秘めている。
なので、新しいアプリや、これまでのアプリを色々と試してみたくなるのだ。
便利で快適、そしてiPhoneの恩恵によって時間が作られる。
しかしその時間をiPhoneによって浪費してしまっている自分がいる。
こうしたアプリを探してしまう楽しさもiPhoneの楽しさの一つだといえるが、はまりすぎには十分な注意が必要だなぁと感じました。
また、暇になったり、退屈という時間を一切「感じたくない」という衝動が生まれた。
なぜならiPhoneが手元にあり、3G回線さえ使えれば、何処でもネットが出来るし、何処でも調べ物や、ゲームが出来てしまう。漫画や、映画だって見れてしまう。
つまり、一切暇をしなくなったし、退屈な時間が無くなった。
が、それと同時に、退屈な時間を利用して頭の中でいろんな事を考察するという行為をしなくなってしまった。
(1)でも記述した通り、自分自身の頭を使うという事を少しずつしなくなってく。
そんな恐怖が芽生えてきたのです。(これらはGoogle検索を使うようになってからしばしば考えるようになった事ですが、それとは別の問題に感じます)
3)Twitterに、たいして深く考えた事でもない内容をアウトプットする事で、考えた気になってしまっているという事実
iPhoneによって、Twitterが身近な存在へと変化しました。これによって、よりツイートしやすくなりましたが、同時にアウトプットをしている気になりました。
考える事と言えば、どうやって140字に収めるかとか、RTされたときのために、100文字以内にした方がいいかなとか、そう言う事。
実際には、ブログに考えをアウトプットする時の考察と、わずか140字に吐き出すときの考察では、雲泥の差があります。
何をどう言われようと、140字ごとき言葉には「深み」はあっても「考え」までは書ききれません。
あまり深く考えなくても深みのある言葉は生まれるって事です。
そして、これらの行為は恐ろしい事に、ブログと同じようにアウトプットしている気にさせられてしまうのです。
今日はこんな海外のいいブログ記事があった、今日はこういう考えを書いた。今日はこれくらいRTされた。
こういうツイートをしているうちに、無意識に頭を使っている気がしてくるのです。
が、現実はまったく違います。
アウトプットする情報を、どのように相手に伝えるかという事を、考えなくなったのです。
工夫して、いかにしてわかりやすく伝えたら良いのかという事を、考えなくなったのです。
画像が必要かなんていう概念もありません。140字にする事だけを考えれば良いのですから。
まとめると
便利なものは上手く活用して生かす事が大切だと感じました。
何よりも便利だとわかっているものを放棄するのもおかしいですし。
ただ、暇を失い、退屈を失い、時間を失った気がします。
考える事を止め、記憶する事を止め、思い出す事を止めた気がします。
私は多分過剰なまでにiPhoneに依存した事が原因で、このような事が発生したのかなと思っています。
皆さんの使い方がもちろん私と同じなわけがありません。人それぞれの味が出るのがiPhoneです。
ですがもし、このような事を少しでも感じたなら、今一度ご自身の頭でちょっとだけ考えて見てください。
あなたの退屈な時間は、きっと無駄な時間ではなかったはずです。
得た物も大きく、失ったものも大きいです。
最終的に書いてみて、そして今至った結論としては、
もう少し上手くiPhoneと付き合っていけるように工夫していきたい
と思いました。
皆さんも、今一度振り返ってみては如何でしょうか。
それでは、また。