デスマーチレポ2『完結編』そこで学んだ仕事に対する10の考え方
第一部を読んでいない方には、内容はさっぱりわからないものとなっていますのであらかじめご了承願います。
→web制作デスマーチレポ1はこちら
第一部はweb制作デスマレポでしたが、今回は、ほとんど人生のデスマレポになっていますので、私に興味の無い人はあまり面白くないかもしれません。
期待されていた方々を裏切るようなエントリかもしれないので、最初に謝らせていただきます。
また、一部目よりも長くなってしまいました。ほんとすいません。
天国と地獄
とりあえずクライアントに謝りに行く事に。
ここでクライアントから、思いもよらないアクションがありました。
いい話と悪い話があります。
まずは、いい話から。
ページ等はとりあえずOKが出ました。
商品ページにて足りないものは、公開後、順次追加するという方向で。
掲示板はボコボコにやられましたが、動作はきちんとするので、デザインもあとでという方向に収まりました。
ほっとしました。とりあえずほんとに一安心と言うか。
『まず寝よう』
そう思いました。
そしてここから、悪い話の方で事態が一変します。
確実に息の根を止められました
せっかくなので、折り込み広告を見せていただきました。
URLが掲載されていました。
見慣れないドメインでした。
・・・・・・・・あ、あれぇ?
まさか・・・・。
『あ、あの、URLが違うんですが・・・?』
『はぁ?お宅の営業に変更してくれと言っといたよ!URLは好きなように変更できるとも聞いたし!』
『ええええええええええええ』
やらかした!消えた営業やらかした!
公開は明日。補足説明
当時、自社サイトをいくつか運営していました。
それのURLは
http://【ドメイン】/【色々なサイト】
と言う感じになっており、営業はこれを見て、意気揚々と『URLは好きなように変更できます』などといったに違いないと確信したのでした。
何を、どこを、どうすれば、という状態ではなく、物理的にもう公開が100%不可能な状態だと悟った。
当時はソリットネットワークスという会社からレンタルサーバーしていたと思う。(借りたのはM氏で、私はよくわかっていないのでなんともいえないけど)
サーバーを借りるのに確か1週間掛かったと記憶していた。
現代であれば、とりあえずサーバーと回線さえ用意できれば、翌日か、翌々日にはドメインを新たに取る事ができると知っていますが、当時の私には、1週間かけなければ取れない状態にあったのです。
あまり自社用の書類等は作成してはいませんでしたが、ドメインの取得だけは契約書と利用規約にサインを頂いています。
ただ、うちの人間が『変更できる』などと言ったのであれば、それを見せて無理なんですなんて言えやしない・・・。
何もかも終わったと感じました。
第二の営業、神トークが始まる
しかし、ここで37歳の新営業が、力を発揮したおかげで、その場は収まりました。
あの人の説得力と言うか、芯の強さは、以降私の人生に大きな影響を及ぼしたといっても過言ではないです。
まず、ドメインの変更は出来ないという事をきっちりと説明。
これは契約書に書いてある通りですと断固説明。
顧客の怒り爆発。
普段普通の顧客だっただけに、余計怖い。
一人で震えてました。
さらに、折り込み広告のばら撒きをストップするよう力説。
『それは御社のイメージを悪くしては絶対にいけないからです』と説得する。
最後に、その折り込み広告と、もう一度刷る為の折り込み広告費用をこちらで全額負担すると表明。
なんかわからないまま、顧客の怒りがあさっての方向に向かい始める。
そしてこの場をきっちりと収めて、帰社。
この人ほんとすげぇーーー!と心の中で叫んでました。
荒れ狂う社内の空気
確かにその場は丸く収まったかのように見えました。
が、きっちり収まらないのがお金の問題だった。
印刷したものを使いまわすわけですが、ばら撒きに掛かる費用は、総額90万。
この中には折り込み広告のばら撒きキャンセル料も含まれていました。
100%借金しなければ払えない。
後に、100万を支払っていただけるとしても、その前に支払わなければならない。
また、このせいで、数ヶ月の間、全員が無給か、微々たるお金しか当たらない事になる。生活が成り立たなくなる為、アルバイトをしなければならない。そうなると、さらに会社としての売り上げは確実に落ちる。
殺伐とした空気の会社。
私はこんな状態の中、目の前の抱えていたクライアントの仕事をまず終わらせなければならないと思い、借金を繰り返しながら生活し、新たにドメインをとって、クライアントの要望通りのURLに変更し、作業を開始。
追加の2週間で全て片付ける事が出来ました。
ページも200ページ作り、そして掲示板もきっちり納品し終えた。
制作しながら聞いていた、セミの鳴き声は、今でも忘れられない思い出です。
私たちはほぼ無給だけど、アルバイトはきっちり給料を持って帰った。
目の前の生活費を稼ぐ為に、単発でも現金がいる為、物売り営業が開始される。
が、ここで人間関係に強烈なヒビが入る。
まず、第二の営業が、最も資本金を出しているため、手当ての半分はオレのものだと主張し始めた。
一人がバイトをはじめ、M氏はもうバイトに専念して殆ど会社に来なくなった。
第2の営業は、物販に専念するも一人分の売り上げがいいところで、K氏は黙々とFlashを勉強していた。
過去に作成したwebサイトは、半年で12サイト作ったため、20万近くの固定収入はあるけど、7人も居れば全く足りない。
私もバイトしなければならないのか・・・と、思った時に、全ての事柄にようやく疑問を抱くようになった。
何もかもがおかしい
- バイトして稼いでまで、社内のアルバイトに給料を支払った事。
- お金を持っていった人を警察に訴えない、なぁなぁな組織。
- 会社に来ないメンバーがいる事で、生産性が著しく低下している状態
- そもそも私がやりたかったweb制作の仕事はどこへ行ったのか
- そもそもバイトでこちら側の仕事をしていないのに、会社の配当を平等に得る人間もいる
19歳の私でもわかった。これは沈むと。
どんなに仲の良い夫婦でも、金銭のトラブルや、生活ができなくなる程のお金しかもっていなければ、ストレスはたまるのと同じで、ものすごい仲の良かった7人(正確には一人消えて6人)の絆はもう見る影もない。
この時、一人暮らしでしたが、2ヶ月で4万の収入でした。
家賃滞納、電気滞納、水道滞納、車のローン滞納、ガス滞納。
水道とガスが止まるとラーメンが食べられなくなるのでとりあえず収めました。
一日1食で、インスタントラーメンばかり食べていました。
最後のほうは、ネタだろうとか言われますけど、トイレットペーパーを鍋で暖めて、ソースをつけて食べた事もありました。(なんかテレビで食べれるってやってたのを運悪く見てしまった)
確かにおなかに入ったら溶けましたけど、食べながら泣いた。
なにが大事なのか
ひとまず頭を整理し、色々と考えるようにしました。
そして、私にとって大きな転機がやってきます。
ちょっとだけ過去の事を話すと、
私はほんとにバカで親不孝者でした。
高校卒業後、札幌ソフトウェア専門学校(現在は札幌情報未来専門学校)に通い始めて、3日で辞めました。
なんか自分で勉強すればできそうだなと、とにかくアホな人間だったのです。
私は、オヤジは16の時に死んでいるので、母一人で育ててくれていました。
母親に辞めると告げると、死ぬほど驚いていましたが、やりたい事があるならやんなさいと励ましてくれたのを、今でも忘れる事は無い。
誰がみても身勝手すぎる行動だったと今では思い、反省していますが、その2年間で私は非常に貴重な体験をする事が出来た為、後悔はしていません。
ただ、最初の1年の教材云々で100万近く親が私の為に借金をしてくれていました。
辞めてから営業職にすぐ就職し、そこのメンバーで売り上げの高い面子が起業という流れにいたったのです。
18歳から、なるべく知り合いをあたり、web制作を夜やり、昼に普通に働くという生活をしていました。
順調に仕送りをしていましたが、今回の一件で、全く送金できなくなりました。
私の全く無収入の数ヶ月間は、親が『無言で』そちらの支払をしてくれたのですが、そんなのはあとから知った事で、そのときの私は知ろうともしませんでした。
そして、無収入が2ヶ月続いてトイレットペーパーで涙をこぼした2日後に、母親は3万円を、遠く離れた私宛に送ってきたのです。
『何があったか知らないけど、』
手紙が同封されていたのですが、書いてある内容はたったこれだけでした。
でも、始めて親に対して感謝した日でした。
床をバンバン叩きながら、オレなにやってんだろとか叫びながら、泣いた日でした。
『けど、』のあとに、何かを書こうとしていたのだろうか。
帰って来い?頑張れ?手切れ金?
真相は今でも怖くて聞けませんが。
これまで、自由奔放に生きてきて、何の苦労も無く生きてきた私でしたが、社会の厳しさと、仕事とは何かを考える、いい機会でした。
これを機に、まずは現在の会社を去ることを決意しました。
『逃げるのか』といわれましたが、確かにその通りだと思います。
ここから2年間。
私のweb制作は完全にストップします。
なので、今回の1998年デスマレポは、いったんここで終了とさせていただきます。
その後
借金を見直すと、車のローンと入学金と教材費を入れて総額230万程。
私はまず、借金を清算してからでなければ、自分のしたい事などしてはいけないと思い、再度営業の道を選びました。
単純に売りさえすれば給料がいいからです。
また、夜もアルバイトを入れて働くことに。
ここからの二年間は、まぁ酷いものでしたが、これはまた別の話ですね。
とりあえず現在は、親にもある程度送れるようになり、孫の顔も見せる事が出来たし、今では貴重な体験をさせて頂いた事に感謝しているといえます。
みんなで起業した会社はその後、4年間存続していました。
メンバーは第2の営業とK氏と話には出てきませんでしたが、もう一人とで、切り盛りしていたようです。
最後には、12あった制作サイトも、3つになり、その更新作業・収入権利も含めて、売却したようです。
結局、売れないサイトで月々15000円取ってると、続かないんですよね。
この時に学んだ仕事に対する大切な10の事
1)仕事の報酬はお金じゃない
仕事の報酬の基本は、『仕事』です。
これは一番大きな収穫でした。
特に、web制作にしても、営業にしても、『いい仕事をすると、いい仕事を貰える』のです。
また、組織の会社にいるときでも、上司から仕事を貰わなければ最初は仕事ができません。
そんなときでも、仕事の報酬は仕事と思いながら行動する事で、より多くの仕事を任せてもらえるようになりました。
2)仕事は『和気藹々』でもいいけど、ルールはなぁなぁにしてはいけない
まず、組織で働く場合、何の為にルールがあるのかを考えても仕方が無い。
ルールは、何らかの事情があって追加されたものです。にもかかわらず、それをなぁなぁで破る人間は多い。
どんなに嫌われようとも、言わなければならない事は、言わなければならないという当たり前のことが、仕事をする上で非常に重要な役割を持っています。
これは、顧客に対しても全く同じ事が言えると断言できます。
3)社会保険を会社が払ってくれていると言う当たり前の事実を知る
もちろん正社員として働くと、当たり前のように付いてくるのが社会保険ですが、これはかなりの額です。これは経営者になってみない限り全く意識しないと思いますが、会社は一人を雇う事で、給料のほかに、色々と支払わなければならないコストが発生するのです。
自分の給料分だけ稼いでいては、会社は赤字になると言う事です。
4)蛇口をひねれば水が出るのが当たり前と思わない事
これもほんと当たり前の事なんですけどね。
実際水が止まるとヤバイですほんと。
払うものが無ければ水は出てこないのです。
小さい頃、公園の水でジャージャー流しながら遊んでましたけど、公園に水が出るのは、本気ですごい事なんだと思いました。
仕事をするというのは、人生の楽しみでもあり、苦しみでもあり、そして生命線でもあるのです。
5)頭を使っても、体を使ってもダメな時は、汗をかくしかない
体を使って技術を駆使したり、頭を使って収益を上げたりといった、仕事をする上でごく当たり前の事が、出来ない事も多々有ります。
特に営業は朝10時から夜8時くらいまで外回りを徒歩でした事もありますが、体力も居るし、頭も使います。
が、何をやっても上手くいかないというのは、日常生活でごく当たり前にあります。
そんな時はもう、何を考えてもだめなので、人より多くの汗をかくしかありません。
人の1.5倍くらいのペースでやれば、人より多くのチャンスだけは巡って来くるものです。
6)人と仲良くなる信頼関係を築く為に、お金をはさんではいけない
ほんとに人間という生き物は、お金が絡むと人が変わります。
もちろん、生活苦によって変わる人も居るし、急激な収入によって変わる人もいます。
どちらも見てきましたが、あんまりいい事はなかったです。
7)継続は力なりではなく、継続こそが力
どんな業種の仕事でも、毎日こつこつと努力し続けている人間が無敵でした。
そうなりたいと思っても、なかなかそうなるのは難しい事なんですよね。
そこで、短期的に集中し、ある事を毎日やろうと決め、意識的にやり続けてみる方法をとってみたところ、なかなかいい感じで自分のモチベーションをあげる事が出来るようになりました。
簡単な事でもいいのです。
朝、誰よりも早く出社しようとか、お客に今週は別のアイテムを全員に説明しようとか、お昼休みの10分に本を読もうとか。ちょっとした習慣でも、人生にほぼ確実にプラスになります。
8)技術と知識は、人間関係を築くツールとなる
技術ありきで、技術のない人間を誹謗中傷したりする人を、現実でも、ネットでも見かけたりもします。
ですが、対人関係において、技術と知識はコミュニケーションを円滑にし、仕事を増やす為のツールとなります。
営業が全く出来ない人間でも、技術さえあれば仕事が取れます。喜ばれればさらに仕事をもらえます。
webだけじゃ有りません。
物販でも、営業トークなんてマニュアルや、商品の知識は誰もが学ぶ事で、覚えるのはごく当たり前の事。
それよりも、より大きなカテゴリの知識を持つ事で、人間関係をスムーズに築く事が出来ます。
逆に、技術、知識に溺れて使い方を間違えば、仕事は来なくなります。
9)遊べない人間はもろい
とにかく、自分の時間を作る努力というのは、確実に仕事の能率を向上させてくれると私は感じています。
簡単な言葉で言えば、
仕事をきちっと、素早く終わらせるだけでいいのです。
そうすると、遊ぶ時間が増えるわけです。
逆に暇そうに見えるからという理由で仕事がやってくる事が多々有りますが・・・・。
10)人生とは、生まれてから死ぬまでが個人の営業時間
居酒屋で揉め事を起こした次の日に、そこから仕事がきて青ざめていた人が居ました。
子供が親に、お皿洗うからおやつ買ってと、見事な交渉をしていました。
結婚しようとプロポーズをする為に、高価な指輪を買うかどうか迷っている人が居ました。
こうして考えると、生きている時間全てが営業時間です。
仕事とは、人生の中の一つの収入手段であり、それらが無数に絡み合って成り立っています。
ただ、神や仏じゃないんだから、全ての人をもちろん愛せるほど人間できていません。嫌いな人もたくさん居ます。
そんな中でも、自分が本当に困った時に手を差し伸べてくれる人の存在だけは、しっかり感謝しなければいけない。
それすら出来ないと、いつまでたっても成長できないのです。
以上。
私の中ではかなり長い記事になってしまったと反省していますが、もっとweb制作デスマ編を細かく書いた方がよかったかなとか色々思うところがありますけど、なんか吐いてすっきりしました。
これらはあくまで、私の経験から行き着いた10の事であり、私はこれを、みなさんに正しい等とは言いません。
人それぞれ、いろんな考えがあるに違いないのです。
あくまでも『誰か』はこんな事を考えている人がいるくらいに思っていただければと思います。
それでは。
また。