旧世代ゲーム企画屋が、携帯ソーシャルゲーム遊ぶと何を思うか。
 なんちゃらロワイヤルとか、カードゲーとか。
 所謂、日本で稼いでる携帯ソシャゲ系を片っ端からプレイした。(ちょっと前の話)
 前にもやっていたが、今回は本腰入れたぜ。

 んで、いくつか理解できないものがあって困った。
・画面の遷移が理解できない。
・ゲームのモチベーションが理解出来ない。
・何が面白いのか理解できない。


 これでは俺がアホのようだ。そこは事実なので否定はしないが。


・画面の遷移が理解できない。
 これに関しては、いわゆる伝統的なソシャゲの操作、遷移にのっとっているものと思われる。
 思われるが、伝統を辿らずにいきなり触った身からするとすげぇツライしかったるい。
 すぐ慣れるかと思ったけど、結構慣れない。(流石に5日もやってたら慣れた)
 回線が重いから、ネイティブアプリじゃないから、旧ガラケの電話テンキー前提だから、と、色々理由があるのは分かるが、これは大変だ。ゲームをやめてしまう理由になり得るレベル。
 つーかブラウジングだからなー、ある種の限界もあるだろう。
 これは今後の進化の過程でもっと整理されていくと思うのだけど、既にわりと恐竜的進化してるので、このまま突っ走って、ユーザーが慣れるかもしれない。どっちだろ。


・ゲームのモチベーションが理解出来ない。
 これまた、俺がアホなのを宣言するようなものだが。
 なんかゲームを継続する意思があまりに湧かない。

 とりあえず比較の為に、他のゲームにおける自分のモチベーションをちょっと並べてみる。

 一時期格闘ゲームにアホほどハマった。いくら使ったかはあえて計算しない。なぜあんなにやり込んだのかは自分では理解出来ている。
 格闘ゲームが強い、上手い、ということは、(自分の中では)ある種の価値があった。上手く技を繋げる事で得れる快感があった。その快感を得る為にプレイしていた。
 また一時期、FPSをアホほどやっていた時期があった。何時間やったかはあえて計算しない。これも自分の中では理解が出来ている。
 FPSは戦術眼とプレイヤースキルが重要で、こういう位置からこう攻めて、成功させる、等がピタリとハマった時に快感がある。その快感の為にプレイしていた。
 いま2つあげた快感は「対人」「プレイヤースキル」に寄るもののだ。この快感は長持ちする。
 なぜなら対人は常に目新しい変化が発生しやすいし、プレイヤースキルの蓄積はせっかく積んだもの無為に出来ないからだ。
 プレイヤースキルによる優越感は、そんなゲームをやり込んでる奴はロクでも無いというマイナスもあるが、そのプレイヤー内ではそれなりに効果がある。

 他に対人で無いものを例にあげると、自分は横スクロールベルトアクションが好きだが、これも「プレイヤースキル」による快感だった。
 プレイヤースキルによる優越感は、そんなゲームをやり込んでる奴はロクでも無いというマイナスもあるが、そのプレイヤー内ではそれなりに効果がある。(大事なことなので2回)
 アーケードゲーム等は連コインしてプレイヤースキルなくともクリア出来るが、コンティニューした場合、普通のプレイでは増えないスコアの下1ケタが増えるという、嫌らしい区別できる仕様があって、これまたハイスコアランキングで、上手い奴か下手な奴かが解る構造であった。
 ちなみにハイスコアとってもランキングに名前を入れたりはしないんだけど、自分内ルールでコンティニュープレイよりは、1コインプレイだ、という思想だった。エンディングが見たいだけならそんな事にこだわるのは無意味なんだけど。

 また、自分はそれほど好まないが、RPGやADVが好きな人もいる。
 あれらは「プレイヤースキル」の関与が少ない分、物語の進行がモチベーションとなっている。ほか所有欲求とか、隠されたものは見たい、という欲求など。
 これらは「収集」の快感でもある。物語が進み、様々な物が集まり、最終的には全てのフラグが立ち、マスが埋まってエンディングを迎えるというのが、快感を提供するのは理解できる。

 パチンコが好きな人もいる。
 パチンコは、勝利者には現金(賭博法違反)が供給されるので、モチベーションとしては強烈だ。あとはその博打頻度をどう上げるかであり、電動で弾を連続発射、それ全てが当たりハズレのクジなわけだからすさまじい連続くじ引きであり、その上で当選確率が上下し、演出でそれが示されるわけだから、射幸心の煽り方としては、これ以上は無いレベルだ。モチベーションになるだろう。
 プレイヤースキルもほんの少しだが影響する。逆にほんの少しだからこそ誰でも遊べるゲームとなっている。
 ここまで、金使ったからもう今更やめれないという、掛け金釣り上げ過ぎてしまった「コンコルド錯誤」もあるだろう。

 さてガラケーソーシャルはどうだろうか。
 これらを遊ぶモチベーションがイマイチ理解出来ない。もちろん理屈では解る。
「ソーシャルな快感」「勝利の快感」「所有、収集の快感」であることは理解できる。あと「コンコルド錯誤」ね。

 極端に削ぎ落されたゲーム性は面倒な事が排除され、連続くじ引きとしてもパチンコと勝負できる構造となっている。
 プレイして数日は、とにかく勝ち続けるデザインが多いので、勝利の快感も得やすく、それゆえ中盤以降の敗北で熱くなれる仕組みも解る。
 所有の快感は、この手のゲームではもっとも生みだしやすい快感なので、そこに特化し進化して来ているのも解る。

 解るんだけど、感覚レベルで、全然ピンとこねぇ。(←この辺が昔のゲーマーだと思う)

 大金ブっ込んでしまって後戻りが効かない感じにれば「コンコルド錯誤」は発生するだろうけど、大金ブっこむハードルがわりと高い。(ネトゲに比べると電話料金から引っ張れるからハードルが低いが、ブっ込んでいいかなと思わせるコンテンツ的なリッチさが無い)

 ネトゲで装備を買う場合は、装備のモデリングコストや、パラメータの上昇によるゲーム進行などが、わりと解るので、まぁいくらまでは使うか、と自分の中で計算がつくのだが、2Dの止め絵アイコンに、よっしゃー大金ブっこむぜ!というところまでになかなか辿り着けない。
 自分が強くなった結果、その先に見えるものも、高が知れてそうに見える。
「新しい場所や、新しい敵に出会うとしても、そんなに大差ないだろゲームシステム的に。」
 等と考えてしまうのね。

 自分にとっては仕掛けが全部バレてるゲームブックで遊んでる気分になってしまうというか。
 仕掛けが全部バレていても、リッチな内容ならそれに浸って楽しめるのだが、マシンスペックや通信回線の問題もあって、なかなか苦しい勝負を展開していると思う。(いや大成功してるんだからまったく苦しくないんだろうけど)

 自分はピンボールが好きなのだが、あれは仕掛けが全部バレているゲームだけど、「物理条件で動いてる鉄球」というファクターがあるので楽しめる。
 鉄球は、コントロール出来そうでしきれない、乱数的な意味合いを持つが、手触りの快感も司っている。
 ここがただの乱数くじ引きでは面白くない。デジタルピンボールは物理をシミュレートしてるからまだ遊べる。(注:これは俺の心の話で人によって違う)
(ピンボール筺体がとても単価が張るものだから、リッチに楽しいというのもあるが、ちょっと話がヨレる)

 パチンコもそうだろう、なんだかんだいって鉄球の物理的動作は、コントロールできそうで出来ない、賭博の同元にもコントロールしきれない、まずそういう要素としてあり、その上で手触りの快感を与えている。

 翻ってガラケーソーシャルは、そのハードウェア的な制約から、手触りの快感も、リッチな快感も難しい。
 難しいから、それ以外の所で勝負し、現在多大な勝利を収めている。

 ただ自分みたいなオールドゲーマーは、手触りの快感かリッチな快感のどっちかがないと、何をモチベーションにしていいのか全然わからなかったりする。

 これを先に進めた所で何かいい事あるのかと。女子高生と仲良くなれるのかと。(なれる場合もあるようです)


・何が面白いのか理解できない。
 ということで、この表題に来る。

 しかし実は解っているのだ。

「一緒に遊ぶ友達いないと面白くねぇ。」

 という事に尽きる。
 散々、わかんねぇと書いてきたが、そりゃ一人で遊ぶゲームじゃねーもん。

 なぜ、ガラケーソーシャルが、ゲーマー層から目の敵にされるか。
 その答えがここにある。

 ゲーマーは友達が居ないんだよ。(恣意的表現&誇張)
 友達が居ないと面白くないんだよ!

 色々なゲームやってみたけど、大抵のソーシャルゲームは、友達と遊ぼう、もしくはゲームを介して友達を作ろう、それによってゲームを楽しめ。といった作りになっている。
 しかし強烈な非コミュの俺だと、無言フレンドすら躊躇する。

 ステージクリアの為だけの友達申請が飛び交う中、それでもなんかヤダナーと思ってしまう。
 ゲームの進行の為に無言友達を誘う壁が、ゲームを進行させて得れるものより明らかに負担になる。



■で、珍しく今回これは愚痴ではないんだ。
 そうよ。愚痴じゃないのよ。
 何かというと「まだまだ市場として開拓されつくして無いじゃんか。」という。
「やれる事一杯あるじゃねーか!」という。
(いっとくけど、ぼっちに特化したり、リッチ化しようってんじゃないよ)

 一時期「これからはソーシャルだ!」つって「今更昔みたいなゲームは無いわー!」みたいな話が結構でたけど、アイマスにせよドラコレにせよ、バンダイナムコとコナミじゃん。
 ソシャゲどっぷりの開発が見落としてるものは結構あるんじゃないか。(そういう事にして置いてください。俺がくじけるから)

 集客の面で、ポータル内広告には枠の限界があって、ソーシャルを利用せねばならない部分も大きいし、友達居ない奴、作れない奴をターゲットにしても効果少ないのは理解できる。
 ゲームにやかましい奴を満足させるのはコスト高いし、彼らは金を払わない。あえて切り捨てOKだったターゲットだったのも超解る。

 そう考えるといろいろと見えてきますな。

 なんか凄く悔しい思いして、勉強用にモバコイン買っただけのことは有ったような気がする。

2011/12/26(月) 23:44:28| 固定リンク|ゲーム| トラックバック:1 | このエントリーを含むはてなブックマーク|
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2011/12/27(火) 12:32:41 | オーサム・ホット
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