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[教科書]不可解な検定意見こそ政治介入
政府は「沖縄県民の声を重く受け止める」としながら、検定意見の撤回は「政治的介入」だと回避していますが、日本会議・国会議員懇談会の事務局長(当時)だった下村 博文(Wikipedia)衆院議員は、安倍内閣成立直前の昨年8月29日に、日本政策研究センターのシンポジウムで

「安倍さんの教育改革は官邸機能を強化して行なわれる。」「自虐史観に基づいた歴史教科書も官邸のチェックで改めさせる。」

と発言し、同年9月26日に安倍内閣官房副長官に就任しています。
ソース:2006/9/4 産経 安倍政権でこうなる 首相主導で「教育再生」
(シンポジウムには他に、山谷えり子・内閣府政務官や稲田朋美が参加。)

軍の関与、強制を削除させた文科省の検定意見の原案が作られたのは、この一ヶ月後の10月26日のことで、安倍前首相時代の官邸サイドの動きと一致しています。

赤嶺政賢議員が示した、文科省作成の「調査意見書」の原案・平成18年10月26日付http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-10-12/2007101203_02_0.html
2007101203_02_0b.jpg



文科省の教科書調査官  採用ルート“闇の中”
(2007/10/14 赤旗)

高校日本史の教科書検定で、沖縄戦での「集団自決」に日本軍の強制があったとする記述が削除されたのは、文科省の教科書調査官が作成した調査意見書が発端だった―日本共産党の赤嶺政賢衆院議員の質問で判明したこの事実は、改めて制度そのものへの疑問を投げかけています。中立・公正とは到底言えない人物が、なぜ教科書調査官を務めているのか。

教科書調査官は文科省の常勤職員で、初等中等教育局に五十八人置かれることになっています。一般の国家公務員のような採用試験はなく、大学の助手や助教授などから文科相が任命します。

任免・採用ルートは“闇の中”です。文科省教科書課によると、「定年退職者が出たら、その分野の調査官OBや学会の関係者、教科書検定調査審議会の委員などから推薦をいただくような形になっている」とのこと。文科省とつながりのある個人の口利きだというわけです。

子どもと教科書全国ネット21の俵義文事務局長は「関係学会の推薦を義務付けるなど、最低限その程度の公開性、公平性を持たせるべきだ」と指摘します。

今回問題となった沖縄戦についての検定意見原案を作った調査官は、日本史担当の村瀬信一氏です。主任調査官は照沼康孝氏。いずれも伊藤隆東大名誉教授の教え子です。

伊藤氏は扶桑社版『新しい歴史教科書』の執筆・監修者です。現在は「新しい歴史教科書をつくる会」理事を降り、安倍晋三前首相のブレーンだった八木秀次氏らの「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有志の会」に参加しています。


伊藤門下生が歴史認識の問題で物議を醸した例は過去にもありました。一九九八年に高知大教授から主任教科書調査官に転身した福地惇氏(現「つくる会」副会長)です。福地氏は現職の調査官でありながら検定最中に雑誌に登場し、「教科書検定のときに近隣諸国条項というのがあって、日本は侵略戦争をして悪かったと書いていないとまずい。そういうがんじがらめの体制になっている」などと攻撃しました。マスコミが大きく報じ、批判の世論が高まる中、文部省は同氏を解任せざるを得ませんでした。



<今回の文科省の不可解な検定意見について、たいへん参考になるブログ>

「世界の片隅でニュースを読む」より
09-30教科書改竄の「黒幕」
10-03教科書検定の徹底検証を
10-07沖縄戦の「集団自決」に関する教科書検定問題の資料

【追記】

今や風前の灯にあるウヨ陣営が、「住民に手榴弾を渡して自決を勧めたのは地元出身の防衛隊員で、日本軍ではない」とデマを流してるようですが、曽野綾子さんは「ある神話の背景」p233の中で、沖縄の場合の防衛隊員というのは、召集された正規兵(日本兵)であることを立証しています。事実の確認だけはくれぐれもお忘れなく。

「防衛隊」を「日本軍」の統制下にあるというのはゴマカシか?

[沖縄戦]「教科書改善の会」に新しい動き
というほどのものでもないんですが……(^^;)
10月15日付で、「高校日本史教科書『沖縄戦集団自決』記述をめぐる検定意見撤回を求める動きに関する当会の見解」という文書を公表していて、まあ内容の方は、のっけから教科書にもともと記述のない「軍命令を復活させようとしている!」という、あいかわらずのデムパゆんゆん系なんですが、

後半部分に、「沖縄県民の思いは、一部勢力に煽動されたところはあるにせよ、真摯に受け止めなければならない。」と書かれていたので、

おっ、少しはマシになったのか?と思ったら、

(*1)「教科書改善の会」
http://kyoukashokaizen.blog114.fc2.com/blog-entry-7.html
高校日本史教科書「沖縄戦『集団自決』」記述をめぐる
検定意見撤回を求める動きに関する当会の見解
4.しかしながら、参加人数3万5千人とも4万数千人とも11万人とも言われる9月29日の集会に集った沖縄県民の思いは、一部勢力に煽動されたところはあるにせよ、真摯に受け止めなければならない。多くの沖縄県民の胸中には、自身やその家族が犠牲になった沖縄戦について、本土側の無理解があるとの不満が渦巻いている。
(中略)
陰惨を極めた沖縄戦における沖縄県民の尊い犠牲に対して果たして本土の側に「特別の御高配」があったかどうか、我々自身の問題として振り返ってみる必要がある。例えば、教科書記述においても、沖縄戦の犠牲について、感謝と共感を示す表現があったかどうか。中学校段階ではあるが、当会のメンバーもかつて執筆や採択に関わった扶桑社『改訂版 新しい歴史教科書』の沖縄戦の記述は「4月、米軍は沖縄本島に上陸し、日本軍の死者約9万4千人、一般住民の死者も約9万4千人を出す戦闘の末、2か月半のちに沖縄を占領した」にとどまっている。これでは沖縄県民の共感は得られないし、改善が必要であろう。






単に教科書の北朝鮮化、もしくは皇国化が進んでるだけでした。






だいたい、(*2)「軍命令は国から補償を受け取るためのウソだった」と住民を一方的にウソつき呼ばわりしている団体のつくる教科書など、誰からも共感が得られるわけないだろ。(一部の情報遮断型の人を除く)

それに、

ピクチャ 40

■(*1)「教科書改善の会」
教科書採択率0.3%の「つくる会」を追い出された「日本教育再生機構」のメンバーと実質的に一体化した組織。
http://www.kyoiku-saisei.jp/kaz/kaizen724.html
代表世話人・屋山太郎、歴史教科書の編集会議座長・伊藤隆(東京大学名誉教授)、公民教科書編集会議座長・川上和久(明治学院大学教授・法学部長)、事務局を八木秀次(高崎経済大学教授)が担当。


■沖縄戦「集団自決」への教科書検定
2007/10/12  林 博史教授
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper82.htm
(*2) 援護との関連
いわゆる「戦闘協力者」の援護申請は沖縄では1957年からおこなわれているが、渡嘉敷島や座間味島の「集団自決」遺族の申請に対して、当初から短期間で厚生省が援護対象として認定していたことが『沖縄タイムス』(2007年1月15日)報道の文書から判明した。当時の琉球政府援護課は1953年に設置されてからすぐに慶良間諸島の調査をおこない、「軍命」があったことは当時から聞いていたことを関係者は証言している。

もともと軍命について書いた『鉄の暴風』は援護法が制定される前の1950年に刊行されたものであり、住民の証言でも、当時、軍命が下ったということは広く語られていたことである。あとになって援護の金ほしさに軍命を作り上げたと攻撃するのは、悪質なウソと言うほかない。



【追記】

最近3Kウオッチしてなくて気づかなかったんですが、自民党右派ベッタリの阿比留瑠比が「教科書改善の会」の見解を教科書執筆者の話しとして電波飛ばしてたんですね。しかも、iza!ではなぜか同じ記事を2日連続で報じ、必死に宣伝してます。なんとも香ばしい連係プレーだこと。



検定撤回は将来禍根…米軍施政下「沖縄戦の真実」封印   
産経新聞
2007/10/15 23:03 トップ > 話題! > 話のタネ
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/91179/
2007/10/16 10:42 トップ > 話題! > 教育
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/91304/
(阿比留瑠比、小田博士)
教科書執筆者の一人は「沖縄戦の犠牲に対する共感や配慮は必要だが、検定とは分けて考えるべきだ。政府の介入は教育行政において『不当な支配』を禁じた教育基本法第16条に抵触するのではないか」と批判する。



この教科書執筆者の一人とは、おそらく「教科書改善の会」歴史教科書の編集会議座長・伊藤隆か、その弟子のことでしょう。
しかも後半部分では、『不当な支配』を禁じた教育基本法第16条を持ち出していますが、この人達、旧法が改正されるときに「宗教的情操」やら「愛国心の強制」を法定化しろ!と、国家による教育への介入を強めるよう要求していましたよね。もう忘れてしまったのでしょうか。

半年前の日本教育再生機構の提言でも



平成19年4月20日  教育再生会議御中
日本教育再生機構  教育再生への提言
http://www.kyoiku-saisei.jp/katud/katud-m.html
11.改正教育基本法第16条が求めている「国と地方公共団体との適切な役割分担」を行い、また「国民教育」の実質を確保する上で、地方教育行政法の改正で地方教育委員会への国の関与が一部復活することは歓迎すべきである。


と言ってます(笑)


「教科書改善の会」の存在を忘れなければ、またヲチしようかと思います。いつもクリックありがとうございます。
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[教科書検定問題]専門家がいないのに学術的観点?
■文科省のいう「専門的、学術的観点」どころか、専門家がいませんでした。
ありえねー(笑

沖縄戦集団自決「軍の強制」削除
文科省が検証なしに20年来の記述覆す
検定意見こそ政治介入(2007/10/12 赤旗)


赤嶺議員:「審議会や小委員会や部会のなかに、沖縄戦の専門家はいたのか。

金森局長:「沖縄戦を専門に研究している方はいなかった。が、審議会におきましては、専門的、学術的な調査審議が行われたと承知しております。」

赤嶺議員:「大臣、いなかったんですよね。沖縄戦の専門家はいなかったけれども、局長は学術的、専門的審議が行われた、こういう認識を持っていると言うんですよ。おかしいんじゃないですか。

赤嶺氏は日本史小委員会のメンバーが沖縄の地元紙のインタビューに、「沖縄戦の専門家がいない。(文科省の)調査官のほうがよく調べており、(審議会の)委員より知っている。説明を聞いて納得してしまう部分がある。沖縄戦の専門家がいれば結果はだいぶ違っただろう」と答えていることも紹介。

【追記】

このエントリーは(こちらのソース)をもとに後から若干の修正をしました。文科省は今まで「検定意見は専門家が決めた。」と言い、安倍モト首相も「これは(文科省の)審議会が学術的観点から検討している。」と言っていましたが、こういったことがデタラメであるということが、国会の公式な記録として残されたいうことは大きな意味があると思います。


■強制自決から軍の関与を削除する発端となった検定意見書の「原案」に、教科書調査官の四人の印鑑と、起案者の印があり、そして係長、専門官、企画官、課長、それから総合調整課長、そして審議官、局長の合計七人の印鑑が押されていることが判明。

「強制」削除 文科省ぐるみ
沖縄戦「集団自決」 の検定意見
専門的検討なし(2007/10/12 赤旗)

文科省の金森越哉初等中等教育局長は「(同意見書は)検定意見の原案」と述べ、発端であることを認めました。

【追記】

文科省の教科書調査官、計16人のうち4人が日本史を担当しているんですが、その中に中立性や正確性を逸脱した「つくる会」関係者がいたこともわすれてはいけませんね。(こちら)


みのもんた激高「沖縄の強制自決は否定できない事実だ!」

「集団自決」軍強制 文科次官、調査官関与を否定
文科次官、審議会に沖縄戦の専門家を入れることについても明言を避けた。

「集団自決」教科書検定審議に文科省調査官が介入していた



まえから集団自決の「自決」という、自分の意志で死んだと誤解される表現に違和感があったので、みのさんの「強制自決」イイと思います。
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渡嘉敷島の集団自決における赤松元戦隊長の認識と態度(2)
渡嘉敷島の集団自決における赤松元戦隊長の認識と態度の続編です。

1970年3月に渡嘉敷島の慰霊祭に赤松元戦隊長と元隊員が25年ぶりに参列しようとしたことがきっかけになって、赤松元戦隊長への糾弾と激しい渡島阻止行動が行なわれたことから、沖縄戦の記憶を呼び起こし大きな議論になった。

この事件とほとんど同時期に、那覇に滞在していた元海軍大尉・島尾敏雄が書いた「那覇に感ず」という文がある。約200名の海上挺進隊を指揮した赤松嘉次元戦隊長と同じ琉球列島の加計呂麻島で、約180名の海上特攻隊の指揮官だった元海軍大尉・島尾敏雄は戦時中の環境があまりにも似すぎているため、地元の新聞が報じた記事を目にしたとき、

「思わず身の凍りつく思いに襲われた」「ある理解が体を電撃のように通過したのは、沖縄の離れ島で起こった住民の集団自決の事実のことだ」

として、自分が彼と同じ状況に陥った時どんな事態が生まれるだろうか、と考え暗澹たる気持ちに襲われ、慄然としたことを告白している。そして、

彼とのかかわりあいでのなかで非戦闘員が三百人余りも自決したその場所にでかけて行こうとするのだろう。ふとそこに死にに行くのではないか、と先走って不吉な考えを私は起こしてしまった。

という。だが、島尾敏雄の「不吉な考え」は思い違いに終る。

でもいったい彼は本当になんの告発を受けることもなく、渡嘉敷島に渡れて、慰霊祭に参列できると考えていたのだろうか、本心からそう思っていたのだろうか。私はどんなふうにも理解することができずに、深く暗い裂け目に落ち込んでしまった。しかしなんとしてもへんてこな羞恥で体がほてり、自分への黒い嫌悪でぐじゃぐじゃになってくるのをどうにもできなかった。何かが醜くてやりきれない。彼の立場だったら、私にどんなことができるかと思うとよけい絶望的になるし、しかしまたこの状況は醜い、と思うことからものがれられなかったのだ。」と結ぶ。

(「世界」2007年7月号 P101.102)



この事件の翌年に赤松元戦隊長は月刊誌「青い海」に「私達を信じてほしい」というタイトルで寄稿しています。「集団自決の真相」とうたわれた手記にしては、凄惨を極めた集団自決とスパイ容疑での住民虐殺、そして朝鮮人軍夫や慰安婦のことは書かれていないそうです。この書かなかったというより書けなかった部分にこそ本当の真相があるのでは?と、思うのはオレだけか?


前回のエントリーで紹介した「裁かれた沖縄戦」のP68~71をテキスト化してもう1つのブログにアップしました。
■[沖縄戦][集団自決]「裁かれた沖縄戦」安仁屋政昭
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20071012



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渡嘉敷島の集団自決における赤松元戦隊長の認識と態度
■「裁かれた沖縄戦」安仁屋政昭(晩聲社・1989年)から該当箇所を抜き出してみました。本書は*第三次教科書訴訟で家永氏が取り上げた沖縄戦に関連する裁判記録が収められたものです。

*第三次教科書訴訟
1988年2月9日・10日に那覇地方裁判所で行なわれた原告・家永側(安仁屋政昭氏、金城重明氏など)の証人調べに対して、被告・国側(曽野綾子氏など)の証人調べは同年4月5日と5月13日に東京地裁にて行なわれた。


P118 曽野綾子証人調書より
曽野綾子「赤松さんは、村の人のことというのは、正直言って、あまり頭になかったとおっしゃっていました。こちらは戦闘部隊なのであって、特攻舟艇の出撃はだめになったのだけれども、いずれは死ぬけですから、だれかが村の人のことはやるだろうということ、それから、集団自決に関しては、本当にみんなよくわからなくて、赤松さんは、ふとんがずぶぬれになって、女の子の髪が泥の中に見えましたと、そして、自決した場所というのはどこでしょうか、どこでしょうねと、しきりに言っておられました。」


手榴弾が使われた集団自決に関して、よくわからなかったというのはありえないと思うんですがねぇ。


P297.298 金城重明証人調書より 
ーーー曽野さんが赤松隊長に取材して、赤松隊長は「恩納河原で三百何十人が自決を遂げて、累々と血が河原を染めていた、そういう状況は見てない。」ということを言ってますが、一体真実はどうなんですか。

金城重明「見てないとか見たとかについては、私は赤松さんと一緒にいたわけじゃありませんからわかりませんけれども、ただいえることは島は一部しか緑は残っていないんです。全部焼き払われて。日本軍は直接知ってますけれども、どの時点から一個中隊くらい上陸した、と。米軍がどこで何をしてるということを、全部日本軍は双眼鏡におさめているわけです。一挙手一投足、全部わかるんです。しかし、陣地のすぐ近くで300名以上の人がものすごいうめき声を挙げながら手榴弾を爆破させながら死んで行ったということを、全く知りませんでしたということは不思議でしょうがない。米軍ですら『恐ろしいうめき声。これは何かある。』と言って、その日の夕方からそこを調べに行こうとしたという状況の中で、日本軍が全く知らなかったということは、私は不思議でしょうがない。そいう思いが致します。」



当時、ニューヨーク・タイムズは、「渡嘉敷島の集団自決」という見出しで次のように報じている。


P344.345.346 集団自決の惨事より 
(NYタイムズ 1945年3月29日付け、ウオーレン・モスコウ記者の報告)
三月二十九日、昨夜、われわれ第七七師団の隊員は、慶良間最大の島、渡嘉敷の厳しい山道を島の北端まで登りつめ、一晩そこで野営することにした。その時、一マイル程離れた山地からおそろしいどよめきの声、悲鳴、うめき声が聞こえてきた。手榴弾が六発から八発爆発した。「一体何だろう」と偵察に出ようとすると、闇の中から狙い撃ちされた。仲間の兵士が射殺され、一人は傷を負った。われわれは朝まで待つことにした。その間人間とは思えない声と手榴弾が続いた。ようやく朝方になって、小川に近い狭い谷間に入った。すると「オーマイガッド」何ということだろう。そこは死者と死を急ぐもの達の修羅場だった。この世で目にした最も痛ましい光景だった。ただ聞こえてくるのは瀕死の子供達の泣き声だけであった。

そこには200人ほど、(註・G2リポートには250人とある)の人がいた。そのうちおよそ150人が死亡、死亡者の中には六人の日本兵がいた。死体は三つの小川の上に束になって転がっていた。われわれは死体を踏んで歩かざるを得ないほどだった。およそ40人は手榴弾で死んだのであろう。周囲には、不発弾が散乱し、胸に手榴弾を抱えて死んでいる者もいた。(中略)

小さな少年が後頭部をV字型にざっくり割られたまま歩いていた。軍医は「この子は助かる見込みはない。今にもショック死するだろう」と言った。まったく狂気の沙汰だ。軍医は助かる見込みのない者にモルヒネを与え、痛みを和らげてやった。全部で70人の生存者がいて、みんな負傷していた。その中に、二人の日本兵負傷者がいた。担架班が負傷者を海岸の救護施設まで移動させる途中、日本兵が洞窟から機関銃で撃ってきた。師団の歩兵がその日本兵を追い払い、救護が続いた。

生き残った人々は、アメリカ兵から食糧を施されたり、医療救護を受けたりすると驚きの目で感謝を示し、何度も何度も頭を下げ「鬼畜米英の手にかかるよりも自ら死を選べ」とする日本の思想が間違っていてことに今気がついたのであろう。それと同時に自殺行為を指揮した指揮者への怒りが生まれた。そして70人の生存者のうち、数人が一緒に食事をしている所に、日本兵が割り込んできた時、彼らはその日本兵に向って激しい罵声を浴びせ、殴りかかろうとしたので、アメリカ兵がその日本兵を保護してやらねばならぬほどだった。なんとも哀れだったのは、自分の子供を殺し、自らは生き残った父母である。彼らは後悔の念から泣き崩れた。(以下略)
(上原正稔訳編「沖縄アメリカ軍戦時記録」20.21頁)




うわぁ……、日本軍は負傷者を救護しないばかりか、救護していたアメリカ兵を機関銃で撃ってますね。住民を守るという姿勢はまったくなかったようです。
そして、アメリカ軍の救護施設で住民が日本兵に対しこれほど激しく怒ったということからも、みずからの意思でなく日本軍から死を強制され「集団自決」に追い込まれていたということが見えてきます。

ここでいう「強制」とは、なにも赤松元戦隊長が直接「軍命」を出したか出していないかという一部分の問題ではなく、例えば、それまで陣地構築と漁労班に従事していた16歳~45歳までの男子は防衛隊に編制され、女子青年団は炊事班などに配属され、漁船も軍の指揮下に置かれ渡航も許可制になり、村役場なども軍の施設となり、秘密基地ということことで住民は日本軍の厳しい統制下におかれていたこと。

こうした「軍官民共生共死」の一体化体制のもと、渡嘉敷島では住民に米軍への恐怖を植え付け、「軍事機密漏洩防止」のため、住民の敵への降伏を許さない方針をとり、住民虐殺も行なわれていること。住民に事前に「これで死になさい」と手榴弾が配られていること。こうした降伏しないで死を選ぶよう軍が関与し強制していたということです。


■次に、「死者たちは、いまだ眠れず」大田昌秀(新泉社・2006年)から赤松元戦隊長について書かれた箇所を抜き出してみます。

P68.69.70より
赤松元戦隊長は、1968年4月「琉球新報」の記者の質問に答え、住民は軍の任務を知らないから、「集団自決」を軍命によるものと考えたのだろう、と言い、自分は「絶対に命令したのではない」とこう反論しました。

「(集団)自決のあったあと報告を受けた。しかし、防衛隊員二人が発狂して目の前で自決したことはある。当時の住民感情から、死んで部隊の足手まといにならぬようにという気持ちだったと思う……。軍の壕といってもお粗末なもので住民が入れるような所ではなかった。同じようなケースの自決は沖縄にはいくらでもあったはずだが、なぜ渡嘉敷島だけ問題にするのか、私にはよくわからない。日本が勝っておれば、自決した人達も靖国に祀られたはずだ。」(琉球新報 1968年4月8日付)

また、スパイ容疑で殺された人たちについて彼は、「私が処刑したのは、大城訓導だけだ。三回も陣地を抜けて家族の元へ帰った。そのたびに注意したが、また離脱したので処刑した。私の知らないものもあるが、当時の状況からやむをえなかった」と一部は認めています。

彼自身が住民から悪評をかっていることについては、特攻隊のような花々しい戦闘を住民は期待したのだろうが第三挺進戦隊にはそれができなかったこと、それに(渡嘉敷島が)小さい共同体のことだから当時の隊長であった彼を悪人に仕立てた方が都合がよかったからではないか、とも述べています。

なお戦後の心境については「私のとった措置は、万全のものではないだろうが、あの時点では正しかったと思う。なにしろ戦闘なのだから、現在の感覚と尺度では、はかりようがない。週刊誌に若気のいたりとか不徳のいたすところなどと私が言ったとあるが、あれはいわば社交辞令だ」と言うとともに、「防衛庁の記録にも私の処置が正しかったことが書かれている」と開きなおる態度も見せたようです。

これに対し、戦争当時渡嘉敷島の村長をしていた米田惟好(よねだいこう)旧姓・古波倉は「……反省しているだろうと思い、いまさら彼一人を責めるのはよそうと思っていたのに、このシラを切った態度は、常識では考えられない。これでは自決を強いられて亡くなった人達の霊も浮かぶまい」と批判しています。
(山川「秘録 沖縄戦史」読売新聞社・1969年)
(琉球新報 1968年4月8日付)




<渡嘉敷島の集団自決関連ニュース>

■全員自決の訓示否定せず
大阪地裁 沖縄戦「集団自決」裁判 元軍人ら証言
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-07-28/2007072815_02_0.html
(2007/07/28 赤旗 一部抜粋)
皆本氏は原告代理人の主尋問にたいし、赤松戦隊長とは親しく、戦隊と島の住民とも良好な関係にあり、「集団自決」についても、切迫した戦況のもとで「軍命令など出す余裕はなかった」と全面否定しました。

しかし被告代理人の反対尋問では「『集団自決』の隊長命令は聞いてない」としながら、「米軍との戦闘が中心で赤松戦隊長とは別行動だった」と戦隊長の動向を知る立場になかったことを証言。太平洋戦争開戦を記念する「大詔奉載日」の儀式で「米軍が上陸したときには、全員が自決する」との訓示があったのではないかとの質問に「赤松戦隊長あるいは代理が参加し、(訓示は)あったと思う」と否定しませんでした。


<沖縄戦集団自決について参考になるサイトやブログ>

■沖縄戦で集団自決を巡る議論について
http://www.geocities.jp/forever_omegatribe/okinawa.html

■愛・蔵太の少し調べて書く日記
[沖縄戦]沖縄出張法廷での安仁屋政昭さんの証言を電子テキスト化する
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070622/aniya05
「裁かれた沖縄戦」安仁屋政昭編のP23~52までを5回シリーズでテキスト化してくれてます。

■15年戦争資料 @wiki 集団自決などをめぐって
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/62.html
目次:「ある神話の背景」論争
太田良博氏の曽野批判:1985年4月8日から10回連載
曽野綾子氏の反論1985年5月1日~6日
太田良博氏の曽野氏への再反論1985年5月11~17日

■[沖縄関係] 林 博史教授の論文
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/12paper.htm#%89%AB%93%EA


このエントリーは書きかけです。なんだかうまくまとまらなくなってきたので、別エントリーをあげようかと考えています。あと、「拍手」を付けてみました。クリックしてもらえると管理人が喜びます。)

続きです。渡嘉敷島の集団自決における赤松元戦隊長の認識と態度(2)

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[集団自決]教科書検定でどう書き換えられたか
前回のエントリー[沖縄戦集団自決]誤りだらけの産経【主張】で、「検定は、軍の関与や体験者の証言を否定するものではない。」というのはウソであると指摘したんですが、実際にどう書き換えられたか詳しく見てみましょう。
てか、ほとんど私的なメモです(^^;

※来年度から使用される高校日本史の教科書で検定意見を受けたのは、清水書院、三省堂、東京書籍、山川出版社、実教出版の5社が発行する7種類の教科書。(実教出版は日本史Bの教科書を2種類発行)

▽ 清水書院 日本史B

【検定前】なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた。

【検定後】なかには集団自決に追い込まれた人々もいた。

検定後には「日本軍」という主体と「強制」が削除され、住民が自発的に命を絶ったように読める。

▽三省堂 日本史A及びB

【検定前】日本軍に「集団自決」を強いられたり……

【検定後】追いつめられて「集団自決」した人や……

検定後には「日本軍」という主体と「強いられ」が削除され、住民が自発的に命を絶ったように読める。

▽東京書籍 日本史A

【検定前】日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民や、集団で「自決」を強いられたものもあった。

【検定後】「集団自決」に追い込まれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した住民もあった。

検定前の後半では誰によって「強いられたのか」は明確でないが、前半に「日本軍」が行為主体として出てくるので、当然、日本軍が強いたと推論できる文になっている。検定後は、順序を変えることで日本軍との関係が切れ、住民が自発的に命を絶ったように読める。

▽山川出版社 日本史A

【検定前】日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった。

【検定後】日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた


検定前の記述では、「日本軍によって」が後の「集団自決に追い込まれた」までかかるので、日本軍が追い込んだことがわかる。検定後は、一文中の前半と後半が並列されているので、日本軍との関係が切れ、住民が自発的に命を絶ったように読める。

▽実教出版 日本史B

【検定前】日本軍により、県民が戦闘の妨げになるなどで集団自決に追いやられたり、幼児を殺されたり、スパイ容疑などの理由で殺されたりする事件が多発した。

【検定後】……県民が日本軍の戦闘の妨げになるなどで集団自決に追いやられたり、日本軍により幼児を殺されたり、スパイ容疑などの理由で殺されたりする事件が多発した。

かなり微妙な表現だが、検定後は「日本軍により」が削除され、誰に「追いやられた」のかわかりづらくなっている。

▽実教出版 日本史B

【検定前】日本軍は、県民を壕から追い出し、スパイ容疑で殺害し、日本軍の配った手榴弾で集団自害と殺し合いをさせ……

【検定後】……日本軍の配った手榴弾で集団自害と殺し合いがおこった。

検定前の記述では、日本軍が「集団自害と殺し合い」を強要したことになっているが、検定後は軍による強要の要素は削除され、「日本軍の配った手榴弾で」住民が自発的に命を絶ったように読める。


<参考>
正論2007年9月号 P93.94。 世界2007年7月号 P93.94。
2007/04/01 赤旗 沖縄戦の記述の修正内容


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[沖縄戦集団自決]誤りだらけの産経【主張】
産経にとって虚偽、歪曲、偏向、捏造報道は麻薬みたいなもので、ヤメられないようです。

10/03産経 【主張】教科書検定 政治介入排し事実正確に
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/87957/

高校教科書の沖縄戦集団自決に関する記述に付けられた検定の撤回を求める動きが続いている。教科書検定は政治的な動きに左右されてはならない。正確な歴史の記述を求めたい。

同意です。中立性や正確性を逸脱した教科書を作っている「つくる会」関係者が文科省の教科書調査官という立場を利用し検定に関わり、教科書から日本軍の「関与」「強制」を削除させたうえで同省の内部決裁を経ていたということは、文科省が口出しできる仕組みそのものであり、安倍内閣が政治的に介入したことは明らかです。ですから、自分も元の正確な歴史の記述に戻すことを求めます。

教科書検定への批判には、大きな誤解や論点のすり替えがある。

論点を2人の隊長による「軍命」の有無にすり替えているのは産経です。

今回の検定前の教科書には「日本軍のくばった手榴弾(しゅりゅうだん)で集団自害と殺しあいをさせ」など、軍の命令で強制されたとする誤った記述があった。

手榴弾を配った日本兵に、これで「自決しなさい」「死になさい」と命じられたとする多くの住民の証言や、米軍が上陸直後にまとめた資料に、日本兵が住民に自決を命令したことを示す記述があり、誤った記述ではありません。間違ってるのは産経です。

検定意見は近年の研究や証言に基づき軍命令説の誤りを指摘したものだ。前述の記述は検定の結果、教科書会社側が「日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺し合いがおこった」との表現に修正した。

その記述では「日本軍のくばった手榴弾で住民が勝手に集団自決を行なった」と読めるので事実と違います。

検定は、軍の関与や体験者の証言を否定するものではない。

ウソはやめてください。
日本軍という主体まで削除された教科書があります。
(こちら)

集団自決は、米軍が沖縄本島西の渡嘉敷島、座間味島などに上陸したときに起き、渡嘉敷島では300人以上が亡くなった。その後の地上戦で12万人を超える沖縄県民が戦死した。この悲劇は決して忘れてはならない。軍命令説は、昭和25年発刊の沖縄タイムス社の『鉄の暴風』に記され、作家の大江健三郎氏の『沖縄ノート』などに孫引きされた。だが作家の曽野綾子氏が渡嘉敷島で取材した『ある神話の背景』をはじめ、調査や証言で軍命令説は信憑(しんぴょう)性を失っている。渡嘉敷、座間味での集団自決は両島の守備隊長の命令だったとされてきた。しかし遺族年金受給のために「軍命令だった」と関係者が偽っていたことなどが明らかになった。大江氏の『沖縄ノート』に対して元守備隊長や遺族らが誤った記述で名誉を傷つけられたとして訴訟も起きている。渡海紀三朗文部科学相は教科書会社から訂正申請があれば書き換えに応じる可能性を示した。検定意見の撤回を求め沖縄県で開かれた大規模集会などを受けたものだ。しかし、訂正申請は誤記・誤植や統計資料の更新など客観的事実の変更に限られるべきだ。検定の方針が変わることはあってはならない。民主党が検定の撤回や見直しを求めていることは教科書への政治介入である。教科書には実証に基づいた正確な記述が必要だ。政治的思惑で歴史事実を書き換えることは許されない。

これは前回のエントリーで書いた、軍の関与や強制を「軍命令説」にすり替え騙す手法「藁人形を叩く」というやつですね。


産経は読者をミスリードするために、ほとんど同じ内容の文章を定期的に掲載するので、次回からはこのエントリーを少し書き換えたものをiza!にTBしようと思います。


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11万人参加の沖縄県民大会、産経だけ報道せず
【読売新聞】
集団自決に軍関与、沖縄県民11万人余参加で決議採択
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070929it13.htm?from=navr
【朝日新聞】
沖縄、11万人が訴え 教科書検定「撤回を」
http://www.asahi.com/national/update/0929/SEB200709290015.html
【日本経済新聞】
沖縄で抗議集会、「集団自決」検定意見の撤回求める
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070929AT1G2901V29092007.html
【毎日新聞】
沖縄:集団自決で検定意見撤回求め県民大会 11万人参加
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20070930k0000m040064000c.html
【時事通信】
意見撤回求め11万人集会=知事「軍は関与」-集団自決の教科書検定問題・沖縄
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007092900236

【産経】スルー (10/01 18:30現在)

と思ってたら、紙面にて写真無しの二段記事で、お茶濁ししてるそうです。

全国紙、トップ報道/県民大会 1面・特集で
(2007/10/01 沖縄タイムス 一部抜粋)

全国紙各紙と有力ブロック紙は九月三十日付朝刊で、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の模様や同検定のこれまでの経緯などを一斉に報じた。

朝日新聞は一面トップで扱い、第二社会面で高校生代表がメッセージを読み上げた様子を紹介。二面(総合面)の特集記事では同検定のこれまでの経緯や記述訂正を求める執筆者らの動向などをまとめ、社説で「検定意見の撤回を急げ」と提言した。

毎日新聞も空撮した会場の写真付きで一面準トップ級で扱い、社会面では高校生代表を紹介。日本経済新聞は社会面で写真付きの五段記事で報道した。

東京新聞も写真付きで一面トップの扱い、社会面、第二社会面見開きで現場の様子や文部科学省の対応などを紹介。特集ページでは見開きで、当日大勢が参加した高校生ら「沖縄の子どもたち」の視点に立った記事も掲載した。

読売新聞は、第二社会面で写真付きの五段記事で報じた。

一方、産経新聞は第二社会面で写真無しの二段記事にとどめ、控えめに報じた。

APやAFP、ロイターなど海外通信社も県民大会の記事を配信し、台湾、米国やイギリス、トルコ、ロシアなどの新聞で掲載された。


(以下略)


沖縄戦の集団自決については、軍の関与、強制なしにはありえないということは前に書いているんで、沖縄戦集団自決関連のエントリーを貼っておきます。(こちら)

まぁ、はやい話しが教科書から軍の「関与」「強制」が削除され史実が歪曲された問題と、歴史修正主義者や産経が宣伝している2人の隊長による「軍命令」の有無の問題は関係ないということです。こういった、対立する主張を意図的にすり替えて騙す手法を「藁人形を攻撃する」とか「藁人形を叩く」と言うそうですね。(こちら)


いやぁ、それにしてもすごい愛国新聞ですね。産経って……。

いったいどこの国の新聞なんでしょうか(笑)

9/29沖縄県民大会



【追記】

コメ欄にてMeifumadohさんからグッとくる情報提供がありました。
自称右派論壇と一体化し軍の関与を削除した安倍晋三や、文科省とその調査官(つくる会関係者)は、この問題を甘く見ていたということでしょうね。歴史の捏造を正す「草の根運動」の勝利が目前です。∩( ゚∀゚)∩ワーイ

日本軍強制削除、修正も=官房長官が検討指示
(2007/10/01 時事通信 一部抜粋)

高校日本史の教科書検定意見で、沖縄戦の集団自決に日本軍の強制があったとする記述が削除された問題で、町村信孝官房長官は1日午後の記者会見で「修正できるのかどうか、関係者の工夫と努力と知恵があり得るかもしれない」と述べ、渡海紀三朗文部科学相に検討を指示したことを明らかにした。

教科書の沖縄戦「集団自決」修正問題、文科省が見直し検討
(2007/10/01 読売新聞 一部抜粋)

来年度から使用される高校日本史の教科書検定を巡り、沖縄戦の集団自決に「日本軍の強制があった」とする表現を文部科学省が検定意見をつけて修正させた問題で、同省は修正された記述の見直しが出来るかどうか検討に入った。先月29日に沖縄県で開かれた、検定意見撤回を求める沖縄県民大会に11万人が参加したことを受けた対応。教科書検定で修正された記述が見直されることになれば、極めて異例だ。渡海文部科学相は1日、報道陣に対し、「沖縄の人たちの気持ちも考え、何をするべきか、何をできるかを考える必要がある」と述べ、できるだけ早い時期に結論を出す考えを示した。

訂正申請、目指す動き=複数の教科書会社、今月中にも-執筆者交え会合
(2007/10/01 時事通信 一部抜粋)

教科書検定意見で沖縄戦の集団自決に日本軍の強制があったとする記述が削除された問題で、複数の教科書会社が訂正申請に向け、執筆者と調整を始めていることが1日、分かった。




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