キラプリおじさんと幼女先輩


※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。


第一章




「め、めちゃくちゃ、可愛い……!」

 田んぼと畑に取り囲まれた大型スーパー『マルワ』のゲームコーナー『わくわくらんど』に設置された女児向けゲーム『キラプリ』の筐体の前で、俺は戦慄している。

 ――誰だ、こいつ……!?

 プレイヤーがアイドルとなり、好きなコーディネートを身にまとってライブをするリズムゲーム、キラプリ。アニメも放送中で、女児の間で大ブレイクしている。

 半年前からわくわくらんどのハイスコア保持者として君臨し続けている俺は、放課後、筐体に流れる自身のハイスコアのデモムービーを見て、たっぷり愉悦に浸り、ゲームに興じるのが日課となっている。

 が、今日は違った。今デモムービーで歌い踊っているのは、俺のプレイヤーキャラである〈みゆ〉ではなく、〈ちづる〉という謎の少女だった。

 他人。

 つまり、俺のハイスコアを破った者がいる。

 しかも、

「なんなんだ、このコーデ、可愛すぎる……!」

 キラプリにはプレイヤーが作成したアイドルのセーブデータが封入された『マイカード』と、トップス、ボトムス、シューズ、アクセサリーといった服飾類が印刷された『アイテムカード』がある。アイドルを可愛くするには、同じブランドのアイテムカードでコーディネートを統一するのがベターとされている。

 しかしキラプリ上級者は、あえてブランドを統一せず、自分だけの組み合わせ――ミックスコーデと呼ばれる高等テクニックを好んで使用する。

 ただし、ミックスコーデはかなりのファッションセンスが問われる。

 が、画面の中で大量の観客の声援を浴びながらステージで歌い踊る少女は、そのミックスコーデを完璧にモノにしている。

 好きなコーデで最高のライブをする。

 それは、俺の理想とするアイドルの姿だった。

「こ、こんなことは……あってはならないっ……!」

 今すぐ、目の前で光り輝く他人の「可愛い」を、自分の「可愛い」で塗り潰さなければ……!

 憑かれたように財布から百年玉を取り出し筐体に投入する。飢えたように筐体のコントロールパネルにかぶりつき、赤いボタンを押す。いまわしきデモ動画が中断され、スタート画面へと移行される。

 焦りに指を震わせながらマイカードを筐体に挿入。プレイヤーキャラである〈みゆ〉が登場、コーデを施す。

「どこの誰かは知らないが……味な真似してくれるぜ」

 おそらく、地元の住人の仕業じゃない。ハイスコアを叩き出した〈ちづる〉が身に着けていたコーデは一朝一夕で手に入るものではない。キラプリは地元ではこの店でしか稼働してない。ど田舎ゆえにガチのプレイヤーはほとんどいなく、高ランク保持者は俺だけだったはずだ。

 おおかた、地元外のキラプリ廃人がふらっと立ち寄ってハイスコアをかっさらっていったのだろう。

「俺の庭を勝手に荒らしやがって……」

 今の自分の精神を落ち着かせるには、今すぐハイスコアを奪還し、この〈ちづる〉とやらを完膚なきまでに叩きのめすしかない。難易度選択画面で最高難度の『HARD』を選択。ライブがスタートする。積み重ねたプレイ回数の果てに目を閉じれば画面を流れる譜面を完全に網膜で再生できる俺は、楽曲に合わせて淀みなく赤、青、緑に振り分けられた三つのボタンを押していく。二分後、楽曲を完走し終えた俺の目の前に表示されたのは、もはや見慣れて久しい金色に輝く「FULL COMBO!」の文字。

 しかし、リザルト画面で表示されたスコアは、〈ちづる〉のハイスコアに届かなかった。

「くっ……!」

 コーデを変えてボーナスポイントを稼ぐか……!?

 いや、違う。

 〈ちづる〉のハイスコアを圧倒的に上回るには、『あれ』しかない……!

 筐体にすぐさま百円玉を投入する。

 普通じゃない奴に勝つには普通のことをやっても意味が無い。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。

 一つ深呼吸した。覚悟を決める。曲の難易度選択時に青色のボタンを素早く十回押す。『HARD』の右隣に、血文字で表示された『EXTRA HARD』が出現した。すぐにそれを選択。

 キラプリはアイドルのコーディネートを楽しむことが主目的のゲームだ。

 リズムゲーム要素はいたってヌルく、片手だけでも難なく曲を完走できる。

 しかし、『EXTRA HARD』は両手はおろか、人体の構造上ありえない運指を要求される、いわゆる『隠し難易度』だ。

 おそらくキラプリ制作者のたんなる遊びで作られた代物で、キラプリ廃人でもクリアできた者がほとんどいない。

 これを完走すればとんでもないスコアが叩き出されるはず……俺の勝ちだ!

 が、

「……やっぱり、だめか」

 勢いのままライブに突入したが、ミスタッチの許容量を超え終盤でゲームオーバー。曲を完走できなければ、スコアは筐体に反映されない。

 ただ、クリア目前まで到達できたのは、今日が初めてだ。

 譜面もほぼ暗記できた。

 あと数プレイやれば、クリアできる……!

 ハイスコアを破られた焦燥感と、エキストラハード完走の期待に心臓の鼓動が加速する。今まで味わったことのない高い集中力が漲る。針の先のように反射神経が研ぎ澄まされていく。アスリートでいうゾーンとはこういうことだろうか。

 二回目、失敗。三回目、失敗。繰り返されるトライ・アンド・エラー。瞬く間に筐体に吸われていく百円玉。関係ない。本日五枚目の百円玉を投入した。

 そのとき、トントン、と指先で軽く肩を叩かれた。

 迂闊だった。

 後ろで待ってる人がいたのか……。

「す、すみません」

 俺は血走った目で、画面を凝視しながら謝った。

 このわくわくらんどのキラプリで順番待ちが生じるなんてこれまでなかった。

 いつから並んでいたんだろう……。

 なんにせよ、悪いことをやってしまった。あらゆるアーケードゲームにおいて、順番待ちが発生している際の連コインは最も恥ずべき行為だ。プレイ中であろうとも、即刻席を立ち、順番を譲るべきだ。が、

「よし……! いける、今度こそいけるぞっ……!」

 俺は、どうしても、筐体のボタンから指を離すことができなかった。もうクリアは目前に迫っている。

 完走まであと十五秒。残りの体力ゲージは1。まるで両手の指がこのゲームをクリアするためだけに生えているかのような錯覚に陥る。一度でもボタン操作を誤ればゲームオーバー。拷問のようなノーツの弾雨を次々と撃破し、ついに未知の領域に突入。〈みゆ〉が舞い踊るステージが七色のカクテル光線で満ち溢れる。

 トントン、と肩を叩く力が強まった。

「あと十秒――いや、あと八秒だけ待ってくれ……!」

 曲の終わりが近づく。赤いボタンを連打する。〈みゆ〉が神秘的な光に包まれる。

 ――これはまさか……!? ……マジカルドリーミーチェンジだ!!

 百分の一の確率で訪れる、レアカード確定の激レア演出。興奮のあまり口から咆哮が迸る。ボタンを穿つ指先が歓喜の雄叫びを上げる。この世のものとは思えないきらびやかな演出に魂が涅槃へと導かれる。心が最高潮に高まった瞬間――

「痛ッてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 右側頭部に、鋭い衝撃が走った。

 衝撃は脳を揺らし、視界が左右にブレる。

 結果、最後の最後でボタン操作を誤り、曲を完走することができなかった。

 悲しげなBGMとともに画面上に表示される『GAME OVER』という大きな文字。

「あっ……あぁぁ……」

 ステージでは〈みゆ〉が残念そうに眉をハの字にする。

「くっ……! ちょっと待ってくれてもいいじゃないか!」 

 せっかくエキストラハードをクリアできると思ったのに……!

 ヒリヒリと痛む頭部に手を当て涙目で振り返りながら言うと、

 ひらりと舞うスカートの白い裏地が視界に映った。

 まるで高嶺に咲く一輪の花のように。

 綺麗だった。

 俺の側頭部を蹴ったであろう細く白い右脚が折り畳まれ、小さな身体へと引き戻される。

「……」

 少女の歳は小学校高学年くらい。赤いランドセルを背負っている。背も低く、全体的に容姿が幼い。しかし、そう遠くない未来、凄絶なまでに美しい女性に成長すると確信させる色気が目元をはじめ体の端々から萌芽している。  

 しばらく見惚れていると、

「――れんぞくプレイは、禁止」

 少女は冷たい声でそう言うと、筐体上部のポップに貼られている注意書きを指さした。


おともだちがうしろにならんでいるときは、じゅんばんをかわってあげてね!




 正直、俺は自分以外のキラプリプレイヤーを友達だと思ったことは一度もない。しかし、この注意書きは、キラプリに拘わらずあらゆるアーケードゲームにおける鉄の掟だ。とくに女児向けゲームにおいて――なにかとユーザー間でのトラブルの引き金となり社会問題化されかけている『キラプリおじさん』と呼ばれる俺のような男性プレイヤーは、本来の想定ユーザー層である女児――『幼女先輩』に、絶対に失礼があってはならない。

「……悪かったよ…………でもさ、なにもハイキックしなくてもよくない!?」

「どいて」

「……お、おう」

 幼い容姿に不釣り合いなほどの冷酷な視線に気圧され、俺の体は意思とは無関係に椅子から腰を上げた。

 なんだこいつ、女児のくせにすさまじい圧迫感だ……!

「……まったく、いつまでプレイしてるのよ」

 少女は筐体の椅子に腰を下ろすと、ぶつくさ言いながら財布から取り出した百円玉を筐体に投入する。

 画面に表示されたアイドルを見た瞬間――俺は驚愕した。

「ちょ、〈ちづる〉っておまえかよ!」

 スタート画面に出現したのは、俺のハイスコアをぶち破った――〈ちづる〉だった。

「しずかにして。気が散る」

 コーディネート選択画面で、少女は慣れた手つきで〈ちづる〉に、それはもう――目が覚めるほど可愛いコーデを施していく。

「あ、あわわ……」

 開いた口がふさがらない。〈ちづる〉が少女の手により施されたのは、プレイヤーである少女の雰囲気とは正反対の、ピンクやフリルをふんだんに取り入れた、甘々でガーリーなお姫様コーデだった。

 プリティ系コーデにあえてクール系アイテムの【せめせめチョーカー】を組み合わせるなんて……! 

 ともすれば甘すぎになりがちなピンク色中心のコーデが、首元の漆黒のチョーカーが差し色になることで全体が引き締まり、かつ〈ちづる〉の可愛さを引き立てている。

 こいつ、只者じゃねぇ……!

 目の前で構築された神々しいまでの可愛さは、完全に想像の埒外だった。

 それまでのコーデの常識を木っ端微塵に粉砕する斬新なコーデテクを目の当たりにして頭が混乱する俺に少女はさらに追い打ちをかける。

「なっ…んだと……?」

 少女は、あろうことか、曲の難易度選択時に青のボタンを十回押し――隠しモードである『EXTRA HARD』を選択したのだ。

 俺が絶句している間にライブはスタート、画面いっぱいに満ち溢れる悪意の権化のようなノーツの群れ。少女はそれら悪意の塊を無表情で、しかし小さな指先はそれが少女と解離した別の生き物のような高速機動で的確に処理していく。

「う、ウソだろ……!? すべて、パーフェクト判定……だと!?」

 キラプリは画面の端から流れてくる赤、青、緑の○(マル)――通称『ノーツ』に合わせて適応したボタンを押すゲームだ。タイミングによって『PERFECT!』、『GREAT』、『NICE』の三つの判定に分かれ、タイミングを完全に外すと『MISS』となる。

 キラプリは女児向けではあるが、なぜかタイミング判定が厳しい。

 高ランカーでも『PERFECT!』でコンボを繋ぐのは難しい。

 しかし、目の前の少女は――まるで精密機械のごとく、ライブスタートから漏らすことなく『PERFECT!』判定のコンボを継続しているのだ。

「ば、化け物か、こいつ……!?」

 280、290、300……積み上げていく『PERFECT!』のコンボ。超絶技巧曲を演奏するピアニストを想起させる華麗な指さばきによって生命を吹き込まれた〈ちづる〉は、大勢の観客の前で愛嬌を振りまき元気いっぱいに舞い踊る。

 凄すぎて、わけがわからねぇ……!

 オールパーフェクトコンボとまではいかなかったが、七色に輝くサイリウムの海を我が物顔で泳ぎまわる〈ちづる〉の創造主である少女は、二分間の悪夢ともいえるエキストラハードを、表情ひとつ変えることなく完走、そして、少女自身が打ち立てたハイスコアをさらに破った。

「くっ……!」

 リザルト画面にはエキストラハード完走のご褒美として、排出率の低い最上級レアリティであるSRの【こなゆきニーソックス】が表示されている。少女は眉ひとつ動かさずにそのアイテムを選択。筐体下部の排出口からプリントアウトされたアイテムカードには【こなゆきニーソックス】を着用した〈ちづる〉とそのランクが表示されている。少女は腰に下げた桜色のカードデッキのフタを開いて丁寧にそれを納めた。

 こんな凄まじいプレイを見せつけられては、居ても立ってもいられない。

 俺はおまえに、絶対に勝つ……!

 少女が席を立つのも待てず、手の熱で溶けるのではないかというくらいに握り締めた百円玉をポケットから取り出そうとした瞬間、

「ちょ、おまえなにしてんだよ」

 少女は席を立って俺に順番を譲るどころか――あろうことか、俺よりも早く百円玉を筐体に投入したではないか。

「見てわからないの。連続プレイよ」

 少女はさも当然のようにスタートボタンを押す。唖然としている俺を片目だけでチラリと見やり、

「あなただってやってたじゃない。私が見た範囲でも、あなたは計四回連続プレイを行ったわ」

「ぐぬぬ……っ」

 くそ、むかつく。むかつくが……少女の言うとおり、たしかに文句を言える立場ではない……。

 どうやらこの少女は、俺が最初に連コインした時点で、すでに後ろで順番待ちしていたようだ。おそらく四回目の連コインで我慢出来なくなり、肩を叩いてきたのだ。〈ちづる〉のハイスコアを抜くために我を失っていたとはいえ、完全に俺に非がある。

 非常に辛いが……ここは引こう。

 俺は固く目を閉じ、コイン投入口に伸ばしかけていた手を震わせながら引っ込めた。

「わかればいいのよ」

「くっ……!」

 少女は薔薇色の唇に不敵な笑みを浮かべると、再び画面に視線を戻した。そして、〈ちづる〉に先程とはまったく違うコーデを施していく。目の色やヘアスタイルなどの容姿面を変更し終えた〈ちづる〉は、今度は露出度の高い、色気たっぷりな小悪魔へと変貌を遂げた。

「あ、アゲハ系もいけるのか……!」

 少女の華麗なコーデテクに息を呑んでいる間に二回目のライブが終わり、三枚目の百円玉が小さな手により投入される。我慢だ。同じ回数の連コインは受け入れよう。三回目のライブを終え、さらに四枚目の硬貨投入。少女のコーデはカレイドスコープのように華やかに移ろい、かつ恐ろしいことにそれらすべてが「可愛い」に帰結している。

 俺の完走できなかったエキストラハードを、見たこともない可愛いコーデで、何度も何度も俺の目の前でクリアする年端もいかない少女。

 順番を待つ一秒がこんなに長いなんて知らなかった。

「早く……早く終われ……!」

 祈るような気持ちで、一刻も早く少女の「時間」が過ぎ去るのを待つ。こんな屈辱生まれて初めてだ。なんだか屈辱が一周してへんな性癖に目覚めそうだ。得体の知れない何かによって身体の震えが強まっていく。

 震えすぎてあわや失神するかと思われた頃、ようやく、少女は俺と同じ回数である五回のプレイを終えた。アイテムカードの排出が終了し、待ち受け画面に切り替わる。少女が席を立つのを今か今かと焦れていると――少女は、百円玉を投入した。

「は? おまえ待てよ」

「一週間ぶりのキラプリなの」

「だから?」

「もっとやりたい」

 え、じゃあ俺がさっき食らったハイキックってなんだったの?

「なにか文句ある?」

 こちらを振り返り、さも当然の行為だとでも言わんばかりにすました表情を浮かべて少女は画面に向き直った。

「いやあるだろ! 俺がやったのは四回の連コインだ。おまえは今五回目の連コインをした!」

「どうせヘタクソなのだから、後ろで私のプレイを見て勉強していなさい」

「お、おまえ……! 俺だってあと少しでクリアできたんだ! 今すぐそのハイスコア塗り替えてやる!」

「あなたなんかに塗り替えられるわけないでしょ。ほら、お勉強の時間よ。この赤いボタンを押すと、好きな楽曲を選べるの。次にこの緑のボタンを押すと、なんとコーデを選ぶことができるわ」

「そんな基礎的なことから教えようとすんな!」

「あら、ごめんなさい。てっきり『初心者』かと思ったから」

「くそっ、なめやがって……! いいからとっとと替われ!」

 幼女先輩には絶対に失礼があってはならない。それは当然だ。しかし、さすがに我慢できない。俺は少女に詰め寄る。これではまるで俺のほうが子どもだ。理性はそう叫んでいる。しかし、本能がその叫びを駆逐した。次は俺の〈みゆ〉でおまえの〈ちづる〉を震えさせる番だ。

「かわれ、はやく、席を、かわれ! さあ! さあ!」

「……」

 少女はコーデ選択の手を止め、振り返り、一瞬汚物を見るような目で俺を見上げた。そして、瞳を閉じ、小さくため息をつく。ランドセルの金具に引っ掛けていた『なにか』を取り外すと、俺の顔の前に突きつけた。

「なんだ、よ……」

 頭に血が上りすぎて一瞬それが何なのかわからなかった。が、その丸くて小さな黄色い物の持つ意味を汲んで、俺は青くなった。

「おまえ、それ、防犯ブザーじゃないか!」

 どんな男でも、社会的に抹殺することができるアイテム、防犯ブザー。

 少女は無表情のまま、長い睫毛に縁取られた瞳で俺の目をじっと見つめる。

「あなた、さっきから本当にうるさい。あと三秒以内に私の前から立ち去らなければ――放つ」

 放つ、て。

 放課後はわくわくらんどへ直行し女児向けゲームに興じている俺としてはこれ以上失うものもとくにないので平気っちゃ平気だ。が、社会的に死んでしまう。そうなると――俺は二度とキラプリができなくなってしまう!

「ま、待て! 考え直せ!」

「――ゼロ。時間切れ」


 ビヨビヨビヨビヨビヨビヨビヨビヨビヨビヨビヨビヨビヨビヨビヨビヨビヨ!


 うわっ!? 本当に鳴らしやがった!

 少女が手に持つ防犯ブザーから放たれるえげつない音に反応した買い物中の主婦達が、遠くの食品売り場からこちらをうかがってくる。

「!? やばい! 警備員きた!」

 スーパー内を巡回していた警備員が異変を察して、三十メートルほど離れた家電売り場からこちらに向かって走ってくる。

 捕まったら、確実に面倒臭いことになる……!

 俺は警備員がやって来る方角と反対側の出入り口へと走り出そうとした。

 が、

「しまった!」

 そのとき、フタを閉じ忘れたデッキケースからカードが飛び出してしまった。

「あぁあああぁ……!」

 ホログロム加工された色とりどりのアイテムカードが汚い床にばら撒かれる――これらはすべて、俺の血と汗と涙とバイト代が詰まった、宝物だ。

 慌ててカードを拾いながら警備員の動向を素早く確認する。

「おい! おまえ! そこを動くな!」

 怒声を上げる警備員が、すぐそこまで接近している!

「お、俺の、カード……!」

 悠長に拾っていたら、確実に捕まってしまう。

「ち、ちくしょう!」

 迷った末、俺は主力のカード数枚をポケットにねじこむと、目にいっぱい涙を浮かべながら、出口へと走り、わくわくらんどを脱出した。 


 年の瀬迫る十二月二十日。いまにも雪が降り出しそうな寒空の下、俺――黒崎翔吾の身に突然降りかかった、楽園追放だった。



   ***



 わくわくらんどから自宅に帰還した俺は、夕飯にもほとんど手をつけず、庭にある納屋に籠った。

 この納屋は庭にある小さな畑を耕すための農耕器具を格納する八畳のトタンづくりの小屋だ。

 しかし現在その内部は、キラプリを始めるようになって自分で改造を施した、キラプリ特訓ルームへと進化を遂げている。

 入り口付近には農耕器具を寄せ、部屋の奥半分は畳敷きの居住スペースとなっている。

 俺は室内の電気を消し、冷たい畳の上で、座禅を組んでいた。

 右耳に装着したイヤホンタイプのメトロノームが、無機質な電子音を刻む。

 使わなくなった耕耘機の操作パネルに改造を施した自作の練習パッドを手元に引き寄せる。

 パッドに取り付けた三発のボタンをメトロノームの音に合わせ四分、八分、十六分、三連符と順繰りに押していく。

 そして、目を閉じて、アイドルである〈みゆ〉が踊る姿を、強く強くイメージする。

 メトロノームの単調なリズムには、頭の中で、ドラム、ベース、ギター、シンセとあらゆる楽器の音が重なり合い、ひとつの楽曲へと昇華されていく。

 楽曲には〈みゆ〉の可憐な歌声が乗る。

 闇はしだいに青や黄色やピンク色が折り重なったサイリウムの海に満たされる。

 七色の海にはステージが出現し、周囲には〈みゆ〉のファンが星のように湧き上がる。

 ステージの中心でたった一人歌う〈みゆ〉。

 頭上からはありとあらゆる色彩の照明が浴びせられる。

 ステージの四方からは『EXTRA HARD』の譜面が洪水のように押し寄せる。

 彼女の歌とダンスに合わせて赤、青、緑の三色に振り分けられたノーツが〈みゆ〉の頭上のターゲットマークに重なる。その瞬間に合わせて適応した色のボタンを押す。

 ――いいぞ、この調子だ! このままクリアまでいける!

 バックスクリーンに表示されたコンボ数は途切れることなく上昇し、スコアは天井知らずに跳ね上がる。〈みゆ〉のコーデは周囲の光を圧するほどのまばゆい輝きを放っていき――

「翔吾ー! 剣道しよー!」

 スパーン! と勢い良く納屋の引き戸が開かれ、白い電灯がパッと灯された。

「うおっ、まぶし、目が、目がぁー!」

 俺は背後を振り返り、

「……って、なんだ、夏希か。ノックくらいしろよな」

 突然の来訪者をじっとりと見つめる。白い剣道着を身にまとった少女は弾けるような笑みを浮かべて部屋に上がり込む。素足だ。野生児かよ。

 隣の家に住む夏希はこうやって毎晩納屋に遊びに来るのが日課になっている。

「いいじゃんべつに、幼なじみなんだし、今さらなに恥ずかしがってんの? ……って、あれ? なんか翔吾、顔色悪いよ? なにかあった?」

「な、なんでもねーよ………いいから夜練戻れって」

 まさかゲームで女子小学生にボッコボコにされてヘコんでたとは恥ずかしくて言えない。ちなみに『夜練』とは毎日近所の剣道場に通う夏希が、帰宅後自宅の庭で素振りや打込台相手に竹刀を振るうことだ。

 てか寒い。戸の外から冬の冷気がガンガン流れこんできてるよ。せめて戸閉めさせて。

「んんん~? なんか悩みごと?」

 夏希は俺の顔をまじまじと見つめていたが、俺の腕をぎゅっとつかむとキラキラした瞳で、

「よしっ! なんだかよくわかんないけど、こういうときこそ外で剣道だ! 跳躍素振りで汗を流して心のモヤモヤをスッキリさせよう! ちょっと待ってて、いま翔吾の分の竹刀取ってきてあげるから!」

「だから、俺はもう剣道やんないんだって」

「えー!? ダメだって! もったいない! 翔吾剣道強いのに!」

「そんなのどうだっていいだろ。それにいくら剣道強くてもキラプリで全国一位にはなれないからな」

 小1のとき、夏希から「いっしょにやろー!」と誘われて俺は剣道を始めた。

 高学年になると試合に出ればまずまずの成績を収めるようになっていた。でも、いくら対戦相手に勝利しても、なにか物足りなかった。

 しだいに夏希を含め剣道に打ち込む周囲の人達と、自分との間にある温度差が大きくなって、中3の冬、なんとなく剣道から離れていった。

 俺が本当にやりたいことってなんだろう。

 高校に進学したら見つかるかも。

 そう思っていたけど、いざ高校生になったところで、気になる部活も見つからず、なんとなく学校に通い、放課後は家でゴロゴロするだけの一年を過ごした。

 そして、半年前。

 暇つぶしにたまたま立ち寄ったマルワのゲームコーナーで、とある筐体と出会う。

 衝撃を受けた。

 さびれた田舎のゲームコーナーにあって、その筐体だけはまばゆい光を放っていた。

 画面の中できらびやかな衣装に身を包み、舞い踊る少女の姿に、俺は完全に目を奪われた。まさか自分が、こういうものに興味を示すとは、自分自身でも信じられなかった。

 もちろん、当初はプレイすることに迷いと羞恥心はあった。明らかに女児向けのゲームだったし。

 来店する親子連れに気を遣いながら、わくわくらんどの隅から筐体を眺めた。子ども達は皆真剣にこのゲームに興じ、そしてプレイ後は、皆笑顔で帰っていく。

 興味は日増しに膨れ上がり、そして、一週間後、チャンスは巡って来た。ゲームコーナーに誰もいないタイミングを見計らって、筐体に百円玉を投入し、赤いボタンを押した。

 刺激的な、まったく新しい世界が広がっていた。

 これまでリズムゲームは何度かプレイしたことはあるが、自分だけのアイドルを生み出しコーデを施す未知の体験に得も言われぬ高揚感を覚えた。努力を重ねれば重ねるほど、アイドルはどんどん可愛くなっていく。自分のコーデセンスで新たな価値を創造することができる驚きと歓喜。魂が震えた。この感情は、剣道では味わえなかった。気づけば自分も、筐体の中のアイドルといっしょに笑顔になっていた。

 自分だけの『正解』を作り上げていく手応えが、たまらなく俺を魅了し、夢中にさせた。

 今では休日は朝起きてご飯食べてキラプリして寝るという修行僧のようにストイックな生活を送っている。ゲーム代を捻出するためバイトすら始めた。

 当面の目標は、来春開催される全国キラプリ大会の地区予選で優勝し、俺の〈みゆ〉に着せてあげるための激レアアイテムを手に入れることだ。

「まったく! こんなえっちな本ばっかり読んでるから翔吾はダメになるんだ!」

 夏希は畳の上にあった雑誌を拾い上げてぷんすかと怒る。

「おいおい、女性ファッション誌はそんな軟弱なものじゃねーぞ」

「十分えっちだよ! 雑誌なんて『剣道時代』だけあればいい!」

「む、無茶苦茶言うなぁ……」

 こんな軟弱雑誌あたしが検閲してやる! と夏希は雑誌のページをバッサバッサとめくる。

 キラプリのコーデ研究のため、俺はあらゆる女性ファッション誌をこの納屋に収集している。

 とくにティーン誌は男性向けのそれとは違い個性が細分化されているので非常に勉強になる。てか真剣に読み始めちゃったよこの子……体育座りして……リズムトレーニング再開できないんだけど……。

「……翔吾ぉー」

「んー?」

 開けっ放しになった戸をやれやれと閉めていた俺が振り返ると、

「……こ、こういうのどうかな? ……似合うかな? あたしに」

 夏希がおずおずと開いて俺に見せてきたページには、ちょっと大人めのコーデを身にまとった背の高いモデルが写っている。

「あー……似合わねぇんじゃねーの? おまえそういうガラじゃねーだろ」

 夏希には剣道着や体操着のほうがよっぽど似合う。良い意味でな。それぞれの女性に合ったコーデってものがある。

「そ、そっか……そだよね」

 夏希は「たはは」と照れくさそうに笑いながらそっと雑誌を閉じた。

「てかどうしてそんなこと俺に聞いてくんだ? なんか変なもんでも食ったか?」

 女子高生らしいお洒落に無頓着で、いつも動きやすさ重視の短パンにシャツみたいなラフな格好してるのに。いきなりどうしたんだ?

「べ、べつにっ! ……そうそう翔吾! あのメール、ちゃんと返信した?」

「あのメールって?」

「あーもー! 『クリスマスパーティーのお知らせ』だよ! クラスの! 磐田からのメール! 誰も翔吾の連絡先知らないからあたしが教えたの!」

「ああーアレな」

 磐田は俺のクラスの学級委員長を務める男だ。さすがに学級委員長の名前くらいは覚えてる。教室でいつも目立ってるしな。こないだ俺のスマホに、そいつの名前が件名に入ったメール受信したっけ。

「二十四日の終業式のあと、伊倉町の公民館でクリスマスパーティーやるって……翔吾、もちろん返信したよね? 参加するって」

「え、行かないけど」

 てか、メールすら開いてないけど。

「来、な、よ! あれクラスの全員参加するんだよっ!?」

「いやだよ。そもそもその日キラプリのイベント最終日だぞ?」

 明後日から開催予定の、全国のキラプリユーザー待望の一ヶ月に一度のイベント。

 どんな趣向を凝らしているのか。そしてどんな限定アイテムがゲットできるのか。

 今から楽しみでしょうがねぇぜ……!

「しょうごぉぉぉ~~……!」

 夏希はもう我慢ならんといった感じでわなわなと震えて、

「もうさ、やめなよ、あのゲーム! そんで教室でちゃんと友達つくろ? このままだとホントやばいって。クラスメイトの名前とか全然おぼえてないでしょ。こないだ調理実習で同じ班だった芽衣が名前間違えられたって言ってたよ?」

「友達作ってるヒマがあったら俺はキラプリするよ」

「あっちゃー……友達といたほうがいろいろ成長することが多いじゃん。なにより楽しいし!」

 友達の多い夏希らしい言葉だ。

「友達なんてそんなにいらないだろ。俺には夏希がいるし」

 夏希とは進学した高校も同じで、クラスまで同じだ。腐れ縁にもほどがある。

「なぁっ!? な、なに言ってんのっ!? あ、あたしはべつじゃんっ? その、お、幼なじみ、なんだし……」

 夏希は急にもじもじしだした。左手の竹刀ダコをいじりしつつ、言葉は尻すぼみに小さくなっていく。どうしたんだこいつ。

「それに……もうあたし達も高校二年生なんだよ……? いつまでも一緒にいられるって保証はないし……だから翔吾ももっとあたしと」

「?」

「あぁーっとそういうことじゃなくってー!」

 夏希はあたふたしながら袴についた埃をパンパン! と払うと、

「と、とにかくっ! 絶対連れてくからね! パーティー!」

 俺をビシリと指さして、スパーン! と勢い良く戸を開いて納屋から出て行った。

「……どうでもいいけど、戸閉めろっての」

 俺はため息をつき、天井を見上げて、

「友達、か……」

 ぼんやりしてると、戸の外から冷たい風が吹き込んできた。

「うおっ、寒っ……さて、そろそろ練習に戻るか」

 冷えた体をさすりながら、開きっぱなしになった戸を閉める。くそ、夏希がやって来ては勢い良く開閉するもんだからすっかりガタがきてしまったな……。

 隙間風の入らないように戸をきっちりと閉め終えると、電気を消した。

 静寂の中、耳の中でメトロノームの音が響く。

 目を閉じて座禅を組み、ライブのイメージ作りに集中する。

「……ううぅ」

 しかし、なかなかうまくいかない。

 理由はわかっている。

 今日の、あの、わくわくらんどに突然出現した少女のせいだ。

 あいつの衝撃が雑念になり、ライブのイメージ作りが阻害される。

 俺のハイスコアをぶち抜き、俺の庭をさんざんに荒らしまくったあの憎たらしい少女。


『――れんぞくプレイは、禁止』


 氷のように冷たい声と、神秘的な無表情が脳裏に蘇る。

 一体何者だったんだろう……。

 まあいい。どうせたまたま立ち寄ったのだろう。

 きっと、明日は、わくわくらんどはいつもどおり俺の庭に戻っている。

 メトロノームの音が静かにリズムを刻む暗闇の中で、俺は〈ちづる〉の残していった「可愛さ」を塗りつぶすように、〈みゆ〉の踊るステージを何度も強くイメージした。