遂に営業部補完計画は実行に移され、営業業務の大半が外部に委託された。営業部門の人員は異動となり、たった一人残った営業課長の僕の立場も風前の灯火。外部への引き継ぎ業務を終えた僕は、社内で居場所のない人たちと一緒に、社用車の窓拭きや割り箸を百膳ごとに仕分けして袋や箱に詰めるなどのクリエイティブな作業に従事していた。
営業外注化の理由は我ら営業部の能力不足。能力が足りないので引き継ぎも満足に出来ない。僕らは全身全霊をかけて引き継ぎの仕事をきちんとやったつもりだ。つもりというのは当事者の独りよがりで実に信用の出来ないものなんだが。不安的中。残念ながら僕らの引き継ぎは著しく不完全であったらしく、そのおかげで外注営業部隊は苦戦を強いられているらしい。ちくしょー。我ながら情けない。くっそー。申し訳ないなぁ。
営業外注化を推し進めた管理部門のトップ、総務部長からお叱りを受けた。なぜきちんとした仕事が出来ないのかと。僕は答えた。「我々営業部の能力がないからです。部長のご指摘のとおり我々に能力がないからこそ営業外注化になったのではないですか」「能力がないにしても…」苛立つ部長を遮るように「部長が想定なされた以上に我々には能力がないのです。外注化して良かったじゃないですか。外注万歳害虫万歳」と言い切った。もうヤケクソ。
営業部復活の望みがないわけではなかった。食品事業で一般向けの営業なら慣れてくればセールスを生業にしている外注部隊ならこなせるはず。ただ、特養をはじめとした福祉施設向けの食品の営業は、個人対応などの細かい注文や規格変更が頻繁にある上、その細かい仕事が利益に反映するわけでもないのではっきりいえば効率が悪く、数字だけを追求させられている外注部隊、それも食品を扱うのが初めての彼らはかなり苦戦すると僕は読んでいた。その上、能力不足の者による不完全な引き継ぎが重なるのだ。混乱必至。
一週間で相次ぐクレームクレームクレーム。早急に対応しないと解約すると通告してきたクライアントもいた。動きは早かった。社長の耳に入る前にと自己防衛能力に秀でた管理部門は、営業部補完計画を変更し、福祉施設向けの営業については営業部に任せるとした。悩んだ。この話を受けたらこいつらの延命に手を貸すだけなのではないか。ここは断固として断って、割り箸を袋に詰めながらこいつらが弱体化するのを待ち、それから営業部を再建したほうがいい…そう思ったが、結局、僕は奴らに手を貸してしまう。
福祉向けの仕事というのが大きかった。僕はこの仕事を始めたとき、研修でとある特別養護老人ホームの厨房に三ヶ月ほど入った。三ヶ月の間に何人かのお年寄りが亡くなっていくのを見た。亡くなっていくお年寄りが食べる生涯最後の食事を提供する仕事というのは、「やりがい」という言葉ではあらわせないほど僕には重く感じられた。そんな重いものを外注に任せてはいられないと考えて、僕は話に乗ったのだ。僕を追い詰めた奴を救うことになっても構わない。そんなちっぽけなことはどうでもよかった。
今、僕は、最後の食事を提供する仕事をするために各部署に散った元営業部員たちを集めるよう動きはじめたところだ。使命とか義務とかそんな大それたものは理由にならない。自分の仕事があるからやるだけ。大事なことは案外単純なのだ。全然利口じゃないし格好良さの欠片もないけど、まあ、いいさ。