「覚悟をきめられたらコスプレの道は一本道にございます」、って高らかに宣言して本格的に現役復帰したシノさんはそちら(コスプレ)方面とあちら(歴史)方面とそっち(人形)方面で多忙を極め、最近はときどきメールをやりとりする程度の付き合いになっていて、僕の心の平穏、魂の安らぎ、静かな休日、快食快便は回復し、楽しくない一年ぶりのトイレ掃除でも、「空が青いのはなんで?なんで?ブルーレットの青が映っているからだよ〜♪」ってナイスな調子で鼻歌が飛び出してしまうほど。これが僕の望んでいた世界。今、僕は自由なんだ。とびきり自由なんだ。シノさんは僕のお見合い相手でスザンヌ似の六波羅短大出身の25歳、コスプレ時にはノッピー☆を名乗っている推定Dカップ、職業は謎。
シノさんと会わなくてもお見合いは僕にくっついてくる。母親からは顔を合わせるたびにうるさく言われていて、こないだも「あんた36才になるんだよね?」なんて言うので、鼻毛抜き抜き「年男だなー」って適当に返すと、突然、母親がブチ切れて絶叫、「いいかげん身をかためなさい!」。EDのことかー。「かたくならないのは病気だから仕方ないだろ!」「かたくならなくても相手があんたのことを錯覚しているうちに結婚すればいいの!」「いやいやかためるまえにかたくしたいのですよ。カッチカチやで!カッチカチやで!ってさ…」「そんなことを言っているからいつも…」僕は母親をなだめるように白目を剥いた。僕は勝負のときはいつも白目だ。それから「母さん…」、トーンを下げて語りかけた。「なによ…」「完璧なお見合いなどといったものは存在しないんだよ。完璧なEDが存在しないようにね」壊れかけの冷蔵庫がブンとうなり、親子の隙間を埋めた。
不思議なお城を観にいきましょう、とシノさんが言い出したのは一昨日の深夜。《不思議な城→シンデレラ城→ディズニーランド》と連想した僕は、意外と普通の女の子みたいなところもあるんだなあ、妙な感心をしていたのだけど、数刻後、お好み焼き屋で、僕は感心した自分の浅はかさを嘆いていた。車に乗せられて、西に向かい、あれあれネズミさんの国は鎌倉市の東側でございますよ、なるほど長い時間僕とドライブがしたいようだね、ははは、なんていじらしい、なんて笑っていたが、いつになっても東へ回頭しない。結局、そのまま西へ突進し、城に着き、城を見て、帰ってきて、お好み焼き屋に入って、おしぼりで顔を拭いて、ボーっとしているシノさんの顔を見て、感心した自分の浅はかさを嘆いていたのだ。とりあえず生ビール。
シノさんのいう不思議なお城は、石垣山一夜城だった。秀吉が小田原攻めの際に築城したあれ。夕方の駐車場。我々以外に人影はなかった。「石垣ですうー」薄暗い山道を登っていく途中に石垣があったらしい。「小田原ですうー」頂上からは小田原城が一望できたらしい。いかにも城っていう建築物がなく三秒で退屈した僕は終始シノさんの黒ニーソと太ももを後ろから眺めていて、石垣山一夜城、いっさい記憶にございません。いつまでもボーっとしているので、大丈夫ですか、声を掛けると、「私、幻視しちゃいました」とシノさん。幻視…。中ジョッキ追加。大至急!
「なんですかそれは…やはりホモ的なものですか?」「はい…」喉がカラカラになりビールを流し込んだ。「豊臣秀吉と白装束の伊達政宗のチョメチョメとかですか」「オヤカタサマ…もっと深いものを見ました。信長に憧れていた秀吉が、本能寺から生還した森蘭丸を侍らせて信長コスプレを楽しんでいるところに各地から戦国大名たちが謁見しに来るのですー」店内の空気が重くなった。「なんすかそれ…」「地元や家族の前では出来ない遠征先ならではの本格的な信長コスを邪魔された秀吉は激怒して戦国大名たちに甲冑を脱ぐよう命じます」「中ジョッキ追加!」「重要なのは甲冑を脱いでふんどし姿になっても、陣羽織だけは脱がせないところですうー」サラリーマンにおけるネクタイのようなものだろうか。
「それでホモ的なものになるのですか…ウケ、タチはどういうふうになるのですか?」「オヤカタサマー!いい質問ですうー。信長コスをしている権力者・秀吉は当時日本最強の武将で天下統一を目指してます。全国からやってきた戦国武将たちに弱みをみせるわけにはいかないのですうー」意味がわからない。「あのヴォリュームを落として…」「茶々を入れない!」こわいよ!「秀吉にはウケもタチもないんです。押し寄せるふんどし戦国大名の群れを前に、落ち着き払った様子で森蘭丸に言うのです。『弓を取れ。ウケてタツ』。オヤカタサマー。ウケてタチなのですよ秀吉は!憧れの信長コスをしながら本能寺を再現。涙なくして見れませんー」「大丈夫ですか?」「こんなの幻視して大丈夫なわけがないですうー。こんな素晴らしい夜があったからあのお城は一夜城って呼ばれているんですね。夢一夜。うっとりですうー」違うって。中ジョッキ追加。
もう無理。もう駄目。もう限界。みんな星になってしまえ。僕はずっと思っていたことをシノさんに訊いた。「どうしてシノさんは僕なんかとお見合いなんてするつもりになったのですか?」「お母様から話を伺って面白そうだと思ったからです」「面白そう…そんだけ?結婚とかどう考えているの?やっぱり結婚ていうのはさ、人生の一大事だからさ、面白そうとかじゃなくてさ、もっと真剣にさ、真摯にさ、考えるべきだと僕は思うんだよね。確かに面白そうから何かが始まるかもしれないけどさ、本当に好きな人とちゃんとするべきだと思うんだよ…」「キミは真面目な人なんですね…」「僕はクソ真面目だよ。インポの僕は一日一日が勝負だからね。さあ、お好み焼きを食べて終わりにしよう今日で」。言ってやった。ソースの焼ける音がファンファーレに思えた。中ジョッキ追加。
しばし沈黙。あまりにも気まずいので「シノさんは年末年始の予定はどうなっているの?」と訊くと「興味ありますか私のスケジュール」とか言うので「まったく興味ありませんが、間が持たないのでたずねました」なんて言ってやる。するとシノさんは興味ないといっているのに「元旦は空いているので初詣に行きましょう」「いやー参ったなあ初詣は寺社奉行の管轄だから許可とらないと僕はいけないなー」「意味わからないですうーあーあと三日も空いてます。二日は秘書課の同僚とお食事をする予定があるから…」!「ちょっと待って、今、秘書課って言ったけど、会社で秘書やっているの?コスプレじゃなくて?」「秘書やってますよ。興味ありますか」あるに決まっているじゃん。全然ある。超ある。だってよ、秘書なんだぜ…。
家に帰るとシノさんからメール。「オヤカタサマが真剣に結婚について真剣に考えていると両親に話したらものすごい喜んでくれました」だって。話が捻じ曲がっている。僕以外の連中は密に連絡をとっている。母親、シノママ、シノ。今、僕は心を落ち着けるために部屋で仏像をつくりながら、もうすぐ訪れるであろう母親からの電話にどう対処しようか思慮しているところだ。それにしても秘書っていいよね。秘書かー。それではみなさん、アテブレーベ、オブリガード。