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「★暁の煉獄」
・脱線(パラレル)1

02

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番外編です
パラレルも甚だしい話となりますので 苦手な方はお引き返しください




02 花のような笑顔



 彼女はぱちりと眼を開けた。
 視界いっぱいに映る天蓋に、寝台に寝かされているようだと理解するが、気を失う直前までで止まっている記憶とこの現状とが全く繋がらない。

「あ、あれ? ここ、どこ?」

 上体を起こし、きょろきょろと周囲を見回していると、下女と思しき中年の女が盥と手拭いを手に房室の入口に立った。起き上がった彼女の姿を見て頬を綻ばせる。

「ああ、お目覚めになりましたのね。どこか具合の悪いところはございませんか」

 誰だろうと思いながらも、素直に小さく頸(くび)を振る。
 女はもう一度微笑み、彼女の傍に来て盥を置いた。手拭いを水に浸(ひた)し、よく絞ってから彼女の顔や手を丁寧に拭う。清潔な白い布地があっという間に土色に汚れた。
 よくよく自身の恰好を振り返ってみると、見事に土埃塗(まみ)れなので驚く。

「お着替えはもう少し我慢なさってくださいな」

 ご主人さまを呼んで参ります――そう言い残し、女は房室を退(さが)って行った。
 次いで現れたのは、陶器の人形の如く端整な面立ちを持つ彼女の護衛官だった。

「ハッキ」

 良かった、知っている人間がいた。
 だが、ほっと安堵したのも束の間、白起は彼女の呼び掛けに対して無言のまま、形のよい眉を訝しげにピクリと動かしただけだった。

〈え?〉

 これまでにない反応に、彼女は言いようのない違和感と漠然とした不安を覚える。
 何だか、纏う雰囲気が違う。眼の前の青年のそれは、白起よりも更に硬質で怜悧だ。
 背格好から容貌から何から何まで白起そのものなのに、こうなるともう別人にしか見えなかった。

「…ハッキ、違う?」

 若干怯えながら身構える彼女を見下ろし、白起のようで白起ではない青年が告げる。

「そなたの言う『ハッキ』が誰かは知らないが、ここは咸陽にあるわたしの邸の一室だ。そなたが門前に倒れていたので、やむなくこうして保護した」
「ぇ、え?」

 何がどうなっているんだろう。
 彼女は一気に訳が判らなくなり、眼を白黒させた。
 確か、宮殿を取り囲む物見用の城塞から落下した筈だ。それが何故行(ゆ)き倒れ。

「そなた、名は何と申す」
「なまえ?」

 彼女は一度瞬(またた)き、ひと呼吸置いてから、教えてもいないのにいつの間にやら皆から正しく呼ばれている己の名――正しくは姓(かばね)を口にする。

「結城。結城巳代治。皆が呼ぶは、結城のほう」
「――そうか。幽姫、というのだな?」
「ん」

 誤った字に変換されていることを知らず、彼女はこくりと頷き、じっと返事を待つ。



「……」



 一方の青年――遜雄も、表情を変えずに彼女を見つめながら、暫(しば)し考え込んでいた。
 やがて、彼の脳裏にひとつの仮説が浮かび上がる。

 仮にも『姫』と付く程なのだ。彼女は此処咸陽に邸を構える、さる高位の官吏の側妾だったのではないか?
 それが、何らかの理由で邸から逃げ出して来たのかもしれない。侍女のような地味で質素な衣服も、逃げる為の偽装と考えれば辻褄が合う。
 妙に片言(かたこと)であることが気になると言えば気になるが、無害そうな面立ちと無邪気そのものの双眸を見る限り、密命を帯びた他国の間諜や刺客とは到底思えない。
 万が一そうだったとしても、自分がしっかりと監視していればいいだけの話だ――

 ものの数秒の内に素早く結論付け、遜雄は彼女に向き直った。

「幽姫。わたしの名は白遜雄という」
「はく……そん、ゆ?」
「そう、白遜雄、だ」
「はく、そん、ゆ……。ハク、ソンユ……。ハクソンユー……」

 発音を確かめるように、彼女は口の中で幾度も呟く。頸を傾げながらというのが何とも子どもっぽい。
 幼稚な仕草に、遜雄は自覚のないままに口元を緩めていた。

「…遜雄でいい」
「うん、判った、ソンユー」

 にこりと笑う。途端に、これといった特徴のない平凡な彼女の顔が愛らしく華やいだ。

「っ!」

 不覚にも、どきりと胸が高鳴る。この娘を囲っていた官吏はこの微笑みに落ちたのかもしれない――そんな愚にもつかないことを考え、遜雄は乱雑に頭(かぶり)を振る。

 何をぼうっと分析しているのだ。笑い顔が可憐だろうが何だろうが、どうでもいいことではないか。
 動揺する要素も狼狽(うろた)える理由もない筈だろう――!

 自らにそう言い聞かせながらも、遜雄の眼は終始花のような彼女の笑顔に釘付けだった。
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