被告を16日間不当拘置、検察官ら5人処分…長崎地検

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061218-00000205-yom-soci

被告は4月24日、二つの事件に問われ、拘置された事件について罰金刑、拘置されていない別の在宅事件について実刑判決を受けた。刑事訴訟法は、罰金刑が言い渡されると拘置状は効力を失うと定めており、本来は、この時点でいったん釈放し、懲役刑が確定した段階で収監すべきだった。しかし、判決に立ち会った検察官は、二つの事実とも拘置中と誤解して拘束を続けた。

イレギュラーな事情が重なっていたようですが、やはり、検察官としては、勾留状の基礎となっている犯罪事実は何か、ということを、きちんと把握した上で公判、判決に臨む必要がある、ということに尽きるでしょう。
吉永元検事総長が、総長在職時に、「基本に忠実に」ということを繰り返し言われていましたが、正にその通りで、基本に忠実であれば、過誤のほとんどは避けられると思います。

広島知事に辞職勧告決議 進退は明示せず

http://www.asahi.com/politics/update/1218/008.html

判決確定後の9月、97年知事選(2期目)で知事陣営から県議ら十数人に「50万円や30万円の対策費が配られた」などとする元秘書や元事務局長の供述調書が知事や県議会の請求で地検から公開され、新たな疑惑が浮上した。
知事は「元事務局長に任せきりで知らなかった」と関与を否定し、元事務局長らに供述内容の確認を求めたが、地検からの公開資料以上のことを聞くことができなかった。

側近のせいにして逃げる、というのは、政治家の常套手段ですが、逃げ切ることができず、逆に追い詰められつつあるようですね。>広島県知事
福島、和歌山、宮崎と、「知事ドミノ倒し」が進行中ですが、広島も次の候補の中に入っているのでしょうか?当分、混乱が続きそうな気配を感じます。

Winny京都地裁判決要旨を読んで(後)

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20061217#1166287607

の最後で、「判決要旨の論理を手掛かりに、どのような点に留意すれば、この種行為について違法視されることを回避できるか(回避しきれるかどうかはともかく)、について、やや手掛かりのようなものも見えてきたような気もします(おぼろげなものにしか過ぎませんが)。」と述べましたが、この点について、少し考えてみたいと思います。
判決が言う「価値中立的な技術」があった場合、それを最初に世に出す段階では、善用されるか悪用されるか不明と考えられますから、価値中立的なものである限り、最初に世に出す段階で幇助犯に問うのは困難、ということになるでしょう。ただ、技術自体は価値中立的であっても、それを世に出せば、かなりの確率で悪用される、という状況がある、という話になってしまうと、それを認識、認容して世に出すことは幇助である、という認定を受ける恐れが出てくるでしょう。そのあたりにつきまとう不気味な曖昧さは、京都地裁判決が本質的に内包するものです。
では、技術が世に出た後、不幸にして悪用されるようになり、その度合いが高まってきた場合はどうでしょうか。京都地裁判決に沿って言えば、悪用方向で「広く利用されている現状を十分認識しながら」「これを認容して」さらなる開発、公開を続ければ、幇助犯に問われる恐れというものが生じてきます。
「前」で指摘したように、「広く利用されている」の中の「広く」の程度は不明というしかありません。したがって、何をどの程度「認識」すれば幇助犯になってしまうかも不明です。
このような、曖昧かつ不安定な状況下で、できるのは、そういった状況を「認識」しないこと、認識した場合であっても「認容」しないこと、ということでしょう。
認識しない、というのは、単なる冗談ではなく、京都地裁判決が主観的態様に重きを置いている以上、下手な認識は持たないように注意する、というのは、幇助犯に問われないためには重要でしょう。あまり良い言葉ではありませんが、「見ざる、言わざる、聞かざる」という、一見、無責任な態度が、幇助犯に問われないためにはむしろ必要、という、悲しくも皮肉な事態が生じてしまうことになります。
後になって、認容していた、と指弾されないためには、認容しないように注意し、かつ、認容していない、ということを証拠としても残しておく必要があるでしょう。開発、公開を続けつつ、悪用に反対する姿勢をいろいろな形で示すとともに、そういった悪用防止の姿勢が、開発、公開の中に具体的に反映されるようにして、「認容していない」ということを実績で残しておく、ということが重要だと思います。
ただ、このような努力を行ったとしても、有罪、無罪の分水嶺が明確ではなく、決めるのは最終的に裁判所で、予測可能性が担保されていない、という状況が現に存在しますから、有罪になる、ならないは、その時々の捜査機関の思惑や裁判所の胸先三寸、ということは避けられないでしょう。
こういった状態で、ソフトウェア開発者等に、萎縮するな、と言うほうが無理だと思いますが、そこは、悪い国に生まれたと思ってあきらめるか、このような国ではやっていられない、と別の国へ脱出するかの、いずれかしかないでしょう。個人的には、現状では後者をお勧めしたいと思っています。

(一応、終わり)

さまよい続ける英霊…自衛隊員が語る「硫黄島」

http://www.zakzak.co.jp/top/2006_12/t2006121916.html

映画「硫黄島−」のなかで、栗林中将は最後の攻撃の直前、将兵を前に、後世の日本国民は自分たちが硫黄島で戦ったことを必ず思いだしてくれる、という内容の訓示をする。

上記のシーンも、映画の中では特に印象的でしたね。最近の、格差社会、ワーキング・プア、過労死、いじめ、高止まりする自殺者数、等々の問題を見るにつけ、後世の日本国民は先人の期待に応えているのだろうか、命を賭けるに値した国になっているのだろうか、という疑問を払拭できません。