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もう辞めさせてくれッ!『かぐや姫の物語』はこんなに凄まじい現場で作られていた

高畑勲監督の14年ぶりの新作として大々的に公開された『かぐや姫の物語』は、最終的に24億7000万円の興行収入を記録し、劇場アニメとしてはなかなかの好成績を収めました。

しかし、過去のジブリ作品と比較すると(『千と千尋の神隠し』は304億円で別格としても)、宮崎吾朗監督の『ゲド戦記』が76億円、『コクリコ坂から』が43億円、『耳をすませば』のスピンオフに当たる『猫の恩返し』が65億円など、いずれも40億円以上を記録しており、24億円が決して楽観できる数字ではないことが分かります。

さらに、高畑勲監督の過去作品としては、『火垂るの墓』が6億円、『おもひでぽろぽろ』が19億円、『平成狸合戦ぽんぽこ』が27億円、『ホーホケキョ となりの山田くん』が8億円となっており、今のところ『平成狸合戦ぽんぽこ』の実績にも届いていません(数字は配給収入で、『ぽんぽこ』の場合は興収54億円ぐらいになる)。

これが何を意味するかというと、「スタジオジブリがとてつもない大赤字を喰らってしまう」ということなのですよ。この件について鈴木敏夫プロデューサーは以下のように語っていました。

いつも行き当たりばったりなんです。映画を作っているときもね、これだけお金がかかったから宣伝を頑張ろうとか、常にそんな感じです。今回の『かぐや姫の物語』は製作期間8年、制作費50億円ですよ。本当は51.5億なんですけどね。みっともないから切り捨てて50億。アハハ、いやあ、よく使ってくれましたよ(笑)。『風立ちぬ』はおかげさまで120億くらいの大ヒットですけど、それでも赤字なんですよ(笑)。そこへ持ってきて制作費51.5億の『かぐや姫の物語』でしょ?今年はどこまで赤字が膨らむか、もう高みの見物ですよ、アハハハ(笑)。
(「女性自身」12月発売号掲載のインタビュー記事より)

あまりにも赤字の額が大きすぎて少し正気を失いかけている鈴木さんですが、「スタジオジブリが未曾有の大ピンチに陥っている」ということだけは紛れもない事実のようです。いったい、どうしてこんなことになってしまったのでしょう?

というわけで、本日は『かぐや姫の物語』のプロデューサーを務めた西村義明さんのお話ですよ。

2006年11月、鈴木敏夫プロデューサーのアシスタントとして働いていた西村さんは、突然「お前、明日から高畑さんの担当に就け」と命じられました。高畑勲監督は『となりの山田くん』(1999年)を作った後、様々な企画を立ち上げようとするものの全く進展せず、担当者が次々と辞めてしまっていたからです。

しかし、高畑監督は雑談レベルの日常会話ですら高尚すぎてまともに付いていける人が誰もいないぐらい、ジブリの中でも特別な存在でした。さらに言葉の使い方にもとても厳格な人で、「いつもお世話になっております」などと社交辞令を言おうものなら、「私はあなたのお世話なんかしていない!」と怒られる始末。映画を作ってもらうどころか、普通に会話をする時でさえ注意しなければならなかったのです。

そんな高畑監督の担当になった西村さんは、まず毎日自宅に通って世間話をするところから始めました。その日の新聞に出ている記事とかNHKのニュースみたいな本当の雑談から、歴史観や差別問題や文化比較論に至るまで、1日12時間、トータル500日以上ひたすら高畑さんの元へ通い続けましたが、雑談ばかりで一向に『かぐや姫』の話は進みません。映画公開後、この当時の様子を西村さんは次のように語っています。

土日も無し。「24時間高畑監督と一緒にいろ」って言われましたね。実際に一緒に過ごす時間は12時間ぐらいなんですけど、寝てる間も常に頭の中にいるんですよ、高畑さんが。もう、高畑さんが出てくる夢しか見なかった時期がありますからね。夢の中で高畑さんを説得するために、こういうことを話さなければいけないというのを順序立てて考えて、それを高畑さんに一生懸命説明して、ようやく「わかりました」と言われ、「よかったー!」と思ったら夢だったという(笑)。目覚めて、また同じことをしに行かなければならないんですよ。気持ちは完全にひと仕事終えてるのに(苦笑)。
(「美術手帖2014年01月号」より)

1年半かかってもこんな状態だったため、さすがの西村さんも心が折れそうになり、「これで引き受けてくれなかったら諦めよう」と決意し、高畑さんの自宅へ最後の説得に向かいました。

そして、「日本一のアニメーション作家は宮崎駿かもしれないけど、日本一のアニメーション映画監督は高畑勲です。他の監督に映画を作って欲しいなら違うところに行ってます。僕はあなたの映画が観たいんです!だから映画を作ってくださいッ!」と必死に懇願しました。

すると、ソファーに寝転がっていた高畑さんはゆっくり起き上がって、「ふぅー、分かりました、やりますよ」と面倒臭そうに一言。こうして西村さんは1年半がかりでようやく高畑監督を説得することに成功したのです。

しかし、大変なのはむしろここからで、高畑さんが企画を引き受けても状況は全く変わらず、「じゃあ脚本を書くか」と言っても書くフリをするだけで一切書かないのですよ。

いつまで経ってもシナリオが上がって来ないため、「どうなってるんですか?」と問い詰めると「毎日あなたが来るけど、あなたが来たら雑談ばかりして脚本が進まない」「あなたが来なかったら集中力が持たなくて書くことが出来ない」と小学生のような言い訳をする高畑さん。それを聞いて「つまり、僕が来ても来なくても書かないってことじゃないですか!」とキレる西村さん。

結局、半年掛かって9ページしか書けなかったため、「このままでは駄目だ。誰か脚本家に頼んだ方がいいかもしれない」と考え、高畑さんに相談すると「坂口理子さんがいいんじゃないですか?」と推薦されました。

坂口さんは以前『おシャシャのシャン!』というNHKドラマの脚本を書いていて、高畑さんはその番組が好きで良く見ていたらしい(ちなみに『かぐや姫』で女童を演じた田畑智子さんは『おシャシャのシャン!』の主演女優だった)。

しかし、高畑監督にとって坂口さんの第一印象は必ずしも良いというわけではありませんでした。「坂口さんはどんな脚本が好きなんですか?」と尋ねた時、「クスクス笑えてほんのり泣けて…みたいなのが好きです」と答えたら、それを聞いた高畑監督が「ちょっと違うんじゃないの?」と西村さんに文句を言ったのです。思わず「いや、あなたが推薦したんでしょ!」と心の中で突っ込む西村さん。

そこで「今回もまたダメなのだろうか…」と思いつつ坂口さんに企画内容を説明すると、「かぐや姫が歌を覚えているという設定はどうでしょう?」と提案されました。そのコンセプトを聞いて「なるほど。それは面白い!」と満足気な表情を浮かべる高畑監督。こうして坂口さんが脚本家に決まり、1ヵ月もしないうちに最初のプロットを書き上げてきたのです。

それを読んだ高畑監督は「ああ、これはこういう映画だったんですね」と嬉しそうに言いました。今まで自分の頭の中にあったイメージが、ようやくはっきりとした”物語”になったことを実感したのでしょう。そこから坂口さんは物凄いスピードで脚本を書きまくり、わずか3カ月で初稿を完成させたのです。

そして「絵」のメインスタッフとしては、アニメーターの田辺修さんと背景美術の男鹿和雄さんが参加しました。田辺さんは『となりの山田くん』で「天才だ!」と高畑監督から大絶賛され、高畑さんもそれ以来「もう彼としか仕事をしたくない。彼がやりたくないと言うならその映画は作らなくても構わない」というぐらい信頼していた人物です。

その類稀なる才能は、宮崎駿も一目置くほどの凄腕アニメーターとして業界中に知れ渡り、「実感のこもった芝居を描かせたら右に出る者なし」と言われていました。しかし、一つ重大な弱点があって、抽象的なものから具体的なものを作ることができなかったのです。

”実感がこもる”ということは、「具体的な実感を持って芝居を描く」ということですが、かぐや姫が山で暮らしているシーンを描こうとしたら、「僕は山暮らしをしたことがないので実感が湧かない。だから全然描けない」などと言い出したのです。

当然「平安時代の寝殿造りに実感なんて持ちようがないし、十二単を着ている女性がどういうふうに歩くのか、どんな笑い方をするのか、全く実感できません」と一向に筆が進まず、時間だけがどんどん過ぎていきました。なんと5年間でたった数ページ程度の絵コンテ(尺数で30分ぐらい)しか描けなかったらしい。

『崖の上のポニョ』や『ハウルの動く城』で原画を務めた小西賢一さんが作画監督として本作に参加した時も、いつまで経っても絵を描かない田辺さんを見て、「この人は映画を完成させる気があるのか?」という思いが充満していったそうです。そんな当時の田辺さんの様子を、西村さんは次のように語っていました。

1枚描いたら、1ヵ月待ってまた1枚。これが延々と続きました。1枚も絵を描かない時期もありましたよ。鉛筆と消しゴムを机の上に並べて、1日8時間、全く手を動かしている様子がない。けれど毎日定時に出社して、定時に帰っていく。その間も給料は支払ってますからね。最初は「面白い人だな」と思っていても、それが憎しみに変わる瞬間だってありましたよ(笑)。
(ロマンアルバムエクストラ『かぐや姫の物語』より)

もちろん、田辺さんも絵巻物などの資料を見て実感を掴もうと努力しましたが、ついにある時点で絵コンテの作業が完全にストップしてしまったのです。必然的にアニメーターや美術スタッフの仕事も滞り、現場は崩壊寸前!

すでに「2013年の夏に公開」と発表済みだったこともあり、プロデューサーの西村さんは大パニック。さらに現在の進捗状況から試算した結果、「完成予想日は2020年」という恐ろしい数字がはじき出されたため、「これはもうダメだ…」と震えながら鈴木敏夫さんに報告したところ、その数字を見た瞬間「吐き気がする」とトイレに駆け込んでしまいました。

そこで西村さんは腹を括り、「もうこうなったら無理やり夏に公開するか、それとも映画の製作を中止するか、二つに一つしかない。いざという時に”中止する”と言える覚悟が必要だから、申し訳ないけどこれまでに投資した数十億円をドブに捨てる権利を僕にください!」と鈴木氏に直訴。それを聞いた鈴木さんは「お前が始めた企画だし、お前がやめるって言うんだったらそれもありだろうな」と了承したそうです(鈴木さんカッケー!…ってムチャクチャだよw)。

そして西村さんは高畑監督や制作スタッフたちと、朝の11時から夜の11時まで12時間ぶっ通しで話し合いました。他のアニメーターに全部仕事を任せて無理やり完成させることもできたのですが、高畑監督の最後の作品になるかもしれないし、「田辺修でやりたい」という初志を貫徹させたいという思いもあって、結局公開日を延期することで決定。ただでさえ製作費がオーバーしているのに、さらに数億円の追加費用を捻出しなければならなくなったのです、トホホ。

そもそも『かぐや姫の物語』は、日本テレビ前会長の故・氏家齊一郎氏が「俺は高畑さんの作品が大好きだ。高畑さんの新作を見たい」「金はすべて俺が出す。大きな赤字を生んでも構わない。俺の死に土産にさせてくれ」と言ったことから制作が決まった映画でした。その氏家前会長が亡くなった後は、日テレ社内で「これ以上、企画を継続させる意味があるのか?」という意見が出始めていたらしい。

しかし、そんな中でも故・氏家前会長の遺志を受け継ぐ人の支えによって映画の制作は続けられ、公開延期が決まった際にも大作映画1本分に匹敵する追加予算の出資を快諾してくれたのです。この件について鈴木敏夫さんは次のようにコメントしていました。

超大作映画を作る条件は、パトロンの存在だと僕は思う。「作ってくれ」という、この一言が大きい。その一言を言ってくれる人、パトロンがいなければ、思い切った企画の実現は不可能だ。氏家さんは、亡くなった後も生き続け、この作品の重石になってくれた。そしてこの重石は、僕を動かし高畑さんを動かした他に、関係者の心配を無言で突っぱねる役割まで果たしてくれたのだ。
(『かぐや姫の物語』劇場用パンフレットより)

こうして公開日の延期が決まったものの、逆に言えば「もうこれ以上は絶対に延ばせない」ということであり、何があってもそれまでに映画を完成させなければなりません。するとスタッフから「事務所を土足禁止にして欲しい」という要望が出ました。「どうして?」と理由を聞くと、「今後はもっと熾烈な作業が待ち受けているはずだ。途中で力尽き、そのまま床で寝てしまうこともあるだろう。だからせめて綺麗な床で寝たい」とのこと(物凄い覚悟だなあ…)。

しかし、もともと普通のアニメに比べて『かぐや姫』の作業量は膨大なのに(たった3秒のシーンに300枚もの作画が必要)、その上2013年の公開日に間に合わせるというプレッシャーが加わったため、スタッフは信じられないほどの苦労を強いられることになりました。西村プロデューサー曰く、「現場は地獄だったと思います(苦笑)。ただでさえ作画枚数が50万枚を超えてて大変なのに時間が無いなんて、もはや狂気の沙汰ですよ」。

クライマックスの”雲に乗ってやって来る月の人々”を描いたアニメーターの西田達三さんは、「いやぁ、しんどかったです。いくつかのパートに分けて描いたのですが、セル重ねが凄まじいことになりました。Zセル(26枚重ね)を通り越してZ-1とかZ-2とか…。それでも足りなくてZ-A、Z-Bなんてレベルまでいきましたから。なんかもう、わけが分からないですよね(苦笑)」と当時の激務を振り返り、作画監督の小西賢一さんも、「気が付いたら半年も家に帰っていなかった」と追い込み作業の辛さを告白していました。

中でも、「かぐや姫が全力疾走するシーン」や「桜の木の下で舞うシーン」など、数々の印象的な場面を描いた主力アニメーターの橋本晋治さんは、あまりにも過酷な制作状況にとうとう「もうやってられない!」とブチ切れて、西村さんのところに「辞めさせてくれ」と言いに行ったそうです。

ところがちょうどその時、西村さんは役者さんの声をチェックするため、耳にイヤホンを入れていました。そこへ橋本さんがやって来て「ちょっと話があるんだけど…」と声をかけるものの、西村さんは全然聞こえなくて振り向かない。その後ろ姿を見て「これは天の思し召しだ。”途中で逃げずに最後までやり抜け”とこの背中は語っているのだ」と勝手に思ったらしい(笑)。

結局、橋本さんは歯を食いしばりながら作業を続け、最後まで『かぐや姫』のスタッフとして激務に耐え抜いたそうです。後日、この話を橋本さんから聞いた西村さんは、「もしもあの時僕が振り向いていたら、この映画は完全に終わってましたね(笑)」と告白。いや〜、危ないところだった!

なお、西村プロデューサーの元には連日のようにスタッフ達が辞職を申し出ていたものの、その都度「頼むから辞めないでくれ!」と必死に引き止めたおかげで、実際に辞めた人はほとんどいなかったそうです。

それにしても、当初の計算では「2020年完成予定」となっていた映画が、いくら死に物狂いで頑張ったとはいえ、本当に2013年に仕上がるものなのか?と疑問に思う人もいるでしょう。実はこの時、鈴木敏夫さんの指示で大量のアニメーターを動員し、外部のアニメ会社にも仕事を発注しまくるなど、徹底した”人海戦術”で乗り切る作戦に出たのです。

また、最初は宮崎駿監督の『風立ちぬ』と同時期公開の予定だったため、別々のスタッフが並行して作業を進めていましたが、『かぐや姫の物語』のスケジュールが大幅に遅れたことで『風立ちぬ』の作業が先に終了。そこで、手の空いたアニメーターがほぼ全員で『かぐや姫』の作画を手伝ったそうです。

だから、スタッフ一人当たりの作業量が何十倍にも膨れ上がったわけではないのですが、短期間で一気に膨大な仕事をこなしたことに変わりはありません。結局、多くの人が不眠不休の突貫作業を余儀なくされました。これを「やれば出来る」と取るか、「やらせちゃいかん」と取るかで大きく評価は変わってくるでしょう。

噂によると、あまりにも進捗が遅い『かぐや姫』に業を煮やした鈴木さんと西村さんが、勝手に「『風立ちぬ』と同時期公開」を発表したようですが、後からそれを知らされた高畑監督は「青天の霹靂だ!私は何も聞いてない!」と激怒したとか(笑)。

ちなみに、上記の”12時間ミーティング”が開かれたのは2012年の11月だそうです。ということは、映画が公開されるわずか1年前まで『かぐや姫』の作業はほとんど進展しておらず、スタジオジブリ内部では「もう制作を中止した方がいいのではないか?」という”進退に関わる究極の話し合い”が真剣に行われていたわけですね。

しかも、絵コンテが完成したのは更にそれから4カ月経った2013年の3月でした。そして初号試写が10月30日。つまり、”製作期間8年”となっているけど、実質的には8カ月ちょっとで作り上げたことになるのではないかと(主に仕上げの期間)。また、主要アニメーターの作画期間は平均2年半程度と言われていて、実際に『かぐや姫』の絵コンテ全集にも「制作期間:2011年1月17日〜2013年10月30日」としっかり書いてあるんですよ(つまり約2年10カ月ですね)。

じゃあ、それ以外のおよそ5年間はいったい何をやってたんだ?というと、要するに設定作りとか脚本の直しとか絵コンテの作成とか高畑監督の説得(ここだけで1年半も掛かってる)とか、そういう準備作業にお金と時間が費やされていたわけなんですねぇ(そりゃ、予算がいくらあっても足りないはずだよ…)。

なお、『かぐや姫の物語』の制作における苦労話は、作画だけではありません。通常、アニメの”声”は後から収録する「アフレコ方式(アフターレコーディング)」が主流なのですが、本作は先に声を録音する「プレスコ方式(プレスコアリング)」で制作されました。このため、翁役の地井武男さんは2011年の夏までに全パートを収録済みだったのです。

ところが、2012年6月に地井さんが亡くなった後、高畑監督が「内容を変更したい」と言い出したため、翁のセリフの一部が変わってしまいました。この変更でスタッフ一同大慌て!当初は、地井さんの過去の出演作から音声部分を抜き出して合成する方法なども検討したそうですが、なかなか上手くいきません。「一体どうすればいいんだ……」と頭を抱えるプロデューサー。

そんな時、高畑監督から「三宅裕司さんはどうでしょう?」との提案が。実は、高畑監督がユーチューブの動画を見ている時に、ぐうぜん三宅さんの声と地井さんの声が似ていることに気付いたそうです(意外と高畑さんはIT機器を活用しているらしい)。そこで三宅さんにアフレコをお願いすると、誰もが驚くほど地井さんの声にそっくりで、「違和感が全くない。地井武男さんそのものだ!」と高畑監督も大満足。どうにかピンチを乗り切ることができたそうです。

さて、このような様々なトラブルを乗り越え、一人一人のスタッフが血を吐くような努力を積み重ねた結果、永遠に続くかと思われた地獄のアニメ制作もようやく終わりが見えてきました。全ての工程が完了し、後は高畑監督の最終チェックを残すのみとなったのです。「これでやっとまともな生活に戻れる…」と安堵の表情を浮かべるスタッフ達。

ところが、皆ヘトヘトになりながら”完成の瞬間”を今か今かと待ちわびているまさにその時、高畑監督の口から信じられない一言が飛び出しました!以下、西村プロデューサーの証言より。

これは本当によく覚えてるんですけど、高畑さんが僕の方を振り向いて、「もう終わりなんですか?僕が今OKと言ったら映画は完成ですか?」って聞くんです。「ええ、完成です」って答えたら「まだやってたい」って(笑)。そこから延々2~3時間、大袈裟に言うと必要のない直し作業を続けるんですよ。終わらせたくないから。
(「SWITCH Vol.31」より)

高畑監督としては、いつまでもこの映画作りに関わっていたかったのでしょう(鈴木敏夫さんによると「放っておいたら永久に完成しないので強引に終わらせるしかなかった」とのこと)。

結局、映画が完成してしまうことを拒んだ高畑監督の”意図的な引き延ばし工作”のせいで、作業は最後の最後まで遅れ続けたという。周りの人も「はよ終われや!」ってイライラしてたでしょうねえ(笑)。

なお、西村プロデューサーは高畑監督の「まだやってたい発言」にかなりの衝撃を受けたらしく、最新作『思い出のマーニー』の特別番組に出演した際も、この発言に対して「”絶対に終わらせてやる”と思っていた」と当時の気持ちを激白!もはや忍耐の限界に達していたようです(苦笑)。


ともあれ、このような”壮絶な紆余曲折”を経て『かぐや姫の物語』はようやく完成の時を迎えました。一時は資金が凍結されるなど、制作続行が危ぶまれるほどの危機に何度も直面しましたが、全スタッフの献身的な頑張りによって奇跡的に劇場公開までこぎ着けたのです。あまりにもプロジェクトが長期間に及んだため、多くの関係者が「まさか本当に完成する日が来るとは思わなかった」と驚いていたらしい。

そして迎えた初号試写の日。完成した映画を観たスタッフたちは皆、感情の高ぶりを抑え切れず、号泣する人が続出したそうです。”赤ん坊のかぐや姫が初めて立ち上がるシーン”を担当したアニメーターの濱田高行さんは、「思い切り泣いてしまいました。長年の頑張りが報われたという思いや、この映画に参加できた幸せな思いが本当に強かったんです」とコメント。

作画監督の小西賢一さんも、「初号試写だけじゃなく、オールラッシュの時から泣いてました。初号の時は”涙をどうやってごまかそうか”と考えていたぐらいで。眼鏡の下に涙袋を作っておこうかとか、涙を吸収する綿を挟んでおこうかとか(笑)。泣いているところを見られるのは恥ずかしいので。それぐらい泣きましたね」と心境を告白。

こうして全ての作業が終了した後、打ち上げの席上であるスタッフが西村プロデューサーの全身を見て、「この爪先から頭までの4分の1は高畑監督なんですね」と言ったそうです。それを聞いて西村さんは、「そうか、8年だもんなあ……。俺の4分の1は高畑勲で出来ているのか」としみじみ。今までの苦労を思い返して感慨に耽っていたのでしょうか。本当にお疲れ様でした。

一方、こんなに一生懸命尽くしてくれた西村プロデューサーのことを、高畑監督はどのように評価しているのでしょうか?映画を作り終わった後、ドワンゴの川上量生さんが監督に尋ねたところ、「自分はプロデューサーとしての評価をする立場にはない。ただ、一人の映画監督として言えば、彼は最高のプロデューサーだ。こんなに自由に作品を作れたことは今までなかった」と答えたとか。自分の思い通りの映画が作れたことで、大いに満足できたのでしょう(でも「ちょっと自由にさせ過ぎでは?」という気がしなくもないw)。

さて、そんな高畑監督ですが、なんと『かぐや姫』が終わった直後に早くも次回作の話をしていたそうです。西村プロデューサー曰く、「ファイナルミックスという最後の作業が終わって、その帰りの車の中でいきなり『平家物語』の話を始めるんですよ。”次は『平家物語』を作るべきだ!”って。田辺くんや橋本くんを中心にやればいいんだ!って。もう、やる気満々なんですよね。78歳であのバイタリティは本当に凄いと思う。僕はもう絶対やらないけど(笑)」

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『かぐや姫』の制作現場に約2年半にわたって密着取材した貴重なドキュメンタリー!

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●参考書籍一覧(今回の記事執筆の際に以下の書籍を参照しました)