浅羽通明『右翼と左翼』


 簡潔に日本の近代(明治以降)から現代までの日本の右翼と左翼の展望を与えていると思う。この右翼と左翼の問題をざっと展望したい人にはおススメします。特にとりあえずの右翼と左翼の整理、第2章のフランス革命期にさかのぼっての両者の俯瞰は有益だと思います。

右翼と左翼 (幻冬舎新書)

右翼と左翼 (幻冬舎新書)

 しかし本当の本書の対立軸は、本書の著者も属すると思われる「理念」なくしては生きて行けない人たちvs現実で十分お腹一杯生きてける人たち との対立だと思う。この対立軸を全面に出していないために、例えば小泉政権のこーぞー改革の内実=現実の分析さえも、「平等」を犠牲にして「格差社会」を容認した、という紋切り型=「理念」の零落形態を採用するにとどまってしまっている*1。


 さらにいうと戦前の左翼陣営壊滅という神話をいまだに真にうけてしまって、戦時期では例えば昭和研究会でもみられるように、右翼左翼渾然一体となった、「理念」(その一部が戦時体制を利用した社会改造イデオロギー*2)のもとで「日本の現実」をみれなかった事態を浅羽氏は把握できていないのではないか(少なくともあやふや)。


 右翼左翼の対立軸ではない、「帝国」の分析が必要である、と浅羽氏は結論部で主張しているが、その「帝国」分析をいち早くこの時期に実行した町口哲生氏の『帝国の形而上学』(作品社)の方が、わたしには戦時期の渾然一体(その内実は「理念」派の圧倒的優位)をめぐる論点を考える上で有益だった。そこでは戦時期の三木清が当時の支那事変(日中戦争)についてその原因の究明という現実の検証よりも、歴史という理念で支那事変を解釈することが重要だと明言していることに注目している。このような三木清のスタンスはおそらくは坂本多加雄が『知識人』(読売新聞社)の中で指摘していたような、大正教養主義の「理念」優先イデオロギーの力強い残響もしくはその窯変なのであろう。これを別様な表現でいえば、文化相対主義とも拙著よりにいえば構造改革主義とも表現できるんじゃないかな。日本の右翼左翼の知識人の多くが過去だけでなく現在もこの三木清的態度からフリーじゃないと思う。


 その意味で、本書でも「理念」的な整理の難しさを指摘している小泉前政権のこーぞー改革路線の評価が結局は市場原理主義=「格差社会」の生み出し&放置 という「理念」レベルにとどまっていることはその証。というか、小泉前政権の経済政策の内実をこの政権の「理念」あるいは誤った「理念」である「市場原理主義」にこだわっちゃう論評はそれだけでいまの僕には興味薄か、見込みのまったくない議論にしかみえないんです*3。
 

*1:きわめて少数の例外をのぞいてほぼ思想系の本の常道であるが、本書も全くマクロ経済政策なんか歯牙にもかけず、また「格差社会」についても大竹文雄さんの議論などもどこかに吹っ飛び、その意味では浅羽氏の採用している立場はすでに指摘したけれども「理念」なくしては生きてない人&そんな人たちを主要読者層としているので、それになじみやすい?橘木先生や金子勝氏らのセカイ系のお話=小泉前政権の経済政策スタンスは市場原理主義、に事実上依拠している。僕は前政権の理念や間違った理念はさておき、事実としてそのような市場原理主義的評価は適切でないと理解してます。ここらへんはすでにこのブログの随所&拙著でも書いたので省略

*2:一例は当然に大東亜共栄圏構想。左翼もこれを共有していたことは、例えば拙著の『沈黙と抵抗』を参照されたい

*3:関連してるとおもうけどフリードマンの人格攻撃反批判エントリーも参照ください

 武士の一分


 偏頭痛はまだ続いてて若干軽くなったんですが、最近隣の家の鉄コン筋クリート建ての解体作業を今日も朝早くからやってまして、おかげでうるさくて寝坊もできず、揺れるので家で作業もできずの、できず仕舞い。ちなみにこの種の騒音や震動の規制は届出だけであとはなんにもないんじゃなかったかしら(違ったらスマソ。そんなわけで映画館(いつもいく近所のシネコン)に逃げました(半分ウソ

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 木村拓哉の演技がたまに「キムタク」の演技にしか思えないオレがいるわけですが、全体的にいままでの山田洋次監督の藤沢周平原作シリーズの質を見事にキープ。佳作だと思いますよ。評価☆☆☆☆ いままでの作品では松たか子が好演した『隠し剣 鬼の爪』が一番お気に入りですね。


 あ、檀れいには好印象をもちますた。いまいろいろネット検索したら宝塚時代はパッシングをうけたとか書いてあるところがありましたが、この映画ではコアのファンをゲットすることに成功したでしょう。