競争について子供に教えるべき3つのこと

マルクスにさよならをいう前ににインスパイアされて。
結論からいうと、3つとは

1. 世界は競争に満ちている

2. 決められたルールで競争するのは既に負けである

3. 競争すべき相手を誤るのもまた負けである

です。

1.世界は競争に満ちている

確かに、世の中いかなるところにも競争は存在します。子供の教育とはいえ、そのことを隠蔽するのは欺瞞というものでしょう。
しかしながら、競争について教えるべきことはそれだけではない。競争原理主義の皆さんも、実は「競争」というものについてかなりの部分を隠蔽しているのです。
それが、2.以降です。

2.決められたルールで競争するのは既に負けである

受験にしろ運動会にしろ、所詮は人の決めた一元的なルールや基準で「競争させられている」に過ぎません。しかし、グーグルや任天堂、あるいは「ホモ・サピエンス」をみれば分かるように、現実の社会、あるいは生態系においてすら、「勝者」の多くは「ルールを決める者」であったり、「ルールを無効化した者」なのです。
このことを教えずに、決められた枠の中でいくら「競争」させようと、それは大量の「敗者」を製造しているに過ぎないのです。

3.競争すべき相手を誤るのもまた負けである

学校での一元的競争とは違い、現実の世界は本来多様です。競争に満ちているとはいえ、そのルールや基準は一つではありません。
例えば、チーム単位での競争をしている時に仲間割れをしていては当然「負け」ますよね。また、ネコはライオンに「ガチンコ」を挑めば「負け」ますが、ネコの「生き方」がライオンに「負け」ている気は全くしません。
2.ともつながる話ですが、競争の相手を間違えるということは、その場におけるルールを把握できていないということです。ルールを把握できなくてはそれを無効化もできないし、自分のルールを築いていくこともできない。

自分が競争すべき相手は何なのか、誰なのか。どういう競争をすべきなのか。そのことを真剣に考えさせないようでは、とても「競争」について「教育」しているとはいえません。
「おててつないでみんなでゴール」という教育者がもしいたならば、確かに「お花畑」といわれても仕方ないかもしれません*1。
しかしながら、一方で「世の中全て百メートル走」という教育もまた、別種の「お花畑」であることには違いないと思うのです。

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*1:こんなことで隠蔽できるとは思えませんが。