ジョジョにおける運命論

ややネタバレです。
ここ数回のスティール・ボール・ランSTEEL BALL RUN vol.8―ジョジョの奇妙な冒険Part7 (8) (ジャンプコミックス)の充実っぷりは素晴らしすぎますね。しかしこの作品、荒木氏の世界観、人生観が新たな局面に達しつつあることを如実に感じさせます。感銘を受けたので、ちょいと「ジョジョ」について書いてみます。
「ジョジョの奇妙な冒険」は荒木飛呂彦氏のライフワーク的作品で、緻密な絵と大胆な構図、魅力的なキャラクターと台詞回しで大きな支持を得ています。現在までに87巻が刊行されており、7つの部に分かれています。
まず1-2部においては肉体と鍛錬そして勇気と知性が主なテーマでした。身体的鍛錬と精神力、そして機知を用いて悪を倒す様が描かれます。
ところが3部において荒木氏は「スタンド」という革命的概念を考案し、「精神の具象化」に成功します。そして一方で、テーマに関しては抽象化が進み始めるのです。
3部終盤では「予言」そして「時間」という概念が初めて「立ち向かうべき相手」として表現されます。しかしこの時点ではまだアイデアの一つであり、勇気や機知によって打ち勝つことが出来る相手でした。
転機は4部終盤あたりではないかと思います。岸辺露伴とジャンケン小僧の戦い、そして何よりも殺人鬼吉良との戦い「バイツァ・ダスト」において、戦うべきは相手は「運命」そのものとなります。しかしやはりまだ、「運命」は「精神」や「覚悟」によって乗り越えられるものとして扱われています。ここで特筆すべきは、「敵」である吉良自身も「運命」と戦っており、強い感情移入を持って描かれていることです。彼は紛れも無い悪人ですが、自らの「悪」という「運命」を自覚し、それでも生きることを是とします。
しかし5部に至って少し状況が変わってきます。ここでは主人公達、そして敵たちも、予めそれぞれに重い「運命」を背負わされています。そして「運命」は立ち向かうべきものではあれ、必ずしも乗り越えられるものとは描かれていません。人間は「運命の奴隷」であるが、それでも立ち向かわねばならない、という「矛盾」と「迷い」が見て取れます。
そして問題作、6部です。5部ではアウトローとして描かれた主人公ですが、ここではついに「囚人」にされてしまいます。仲間も犯罪者や殺人者です。そしてラスボスは「究極の運命」、なんと「予定説」なのです! 
正確には、敵である「プッチ神父」は私利私欲ではなく、「天国の実現」を目指して行動します。驚くべきことに彼の目指す「天国」とは、「この世の全てが予め決定されており、そのことを皆が知っている世界」・・。
正に!「カルヴァンの予定説」の実現です。
しかもここで主人公たちは神父の阻止に失敗し、「天国」の到来にあと一歩というところまで来てしまいます。
しかし結局、「プッチ神父」は「己の運命」の前に敗北します。あたかもそれすら神に「決定」されていたかのように。彼の死によって一度世界は崩壊し、全ての「業」が洗い流された「救済された世界」が訪れるのです。
そして現在連載中のスティール・ボール・ランは、その新たな世界における新たな物語です。
荒木氏の、そして主人公たちの「運命」に対する戦いから目が離せないのも当然ではないでしょうか。
参照: http://www4.ocn.ne.jp/~sra/remix.kira.htm