雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

「日本への執着」が日本のソフトを弱くする

宋文洲氏は日本のソフトウェア技術者の卑屈な「日本人特殊論」こそ日本に於けるパッケージソフトが流行らない理由と論じているが,これはミスリードも甚だしい.IBMが独禁法の排除勧告を受けてハード・ソフト分離を行って以来30年有余年の歴史を持つソフトウェア産業振興の議論を蒸し返し,ちょっとした補助金を受け取ろうという魂胆なら却って芳ばしい時代錯誤かも知れないけど.
確かにパッケージソフトウェアが入りにくいことは日本のエンタープライズ市場の際だった特徴だが,これは宋氏の論ずるパッケージソフト・ベンダの怠慢より,長らく閉鎖的だった資本市場やユーザー企業の問題である.土地や機械といった実物資産を担保にしか資金を借りられず,株式会社をつくるのに一千万円もの資本が必要だったから,多くの零細ソフトハウスがリスクを取れず人月商売に精を出した.80年代,90年代を通じて生まれたなんちゃってパッケージ業務ソフトの多くは,受託で値引きの引き替えに知財を手元に残しておいたものを,化粧し直してパッケージ化したものが大半なのだ.だって元手がないし借りることもできなかったのだから.通産省がそのことに気づき官製VCを設えて会社法を改正した頃には,パッケージソフト自体が時代遅れになりつつあって,表層的なベンチャー振興の結果として,TV局に色気を示した某社のようなIT企業の仮面を被った金融・小売業ばかり焼け太ったことは記憶に新しいところ.
もともと大企業にはとっくに汎用機やオフコンが入って,情シス部門や系列のSI業者が時代遅れのJCLオペレータやCobolプログラマを抱えていたので,どこの誰がつくったとも知れないパッケージ業務ソフトに入り込む余地はなかったのである.この問題は団塊の世代が引退することで解決するので,政策を打とうが打つまいが,パッケージソフトはこれから普及するのだろう.そういった意味では政策評価の厳しい今日,かなり都合のいい政策対象ではある.
ところで宋氏が気づいているかどうか分からないが,彼の批判する日本人による「日本特殊論」の多くが実際のところ「欧米コンプレックス」の裏返しである.特に戦後は「対米コンプレックス」と言い換えてもいい.「パッケージソフトウェア振興論」の背景にあるのも,とどのつまりは「なぜ日本にはマイクロソフトも,オラクルもないのか」という点に尽きる.けれども実のところ世界に通用するパッケージソフトなんて米国以外では非常に少なく,有名どころでドイツのSAPやフランスのダッソーくらい.これら欧州系国際的パッケージベンダでさえ,国際展開の過程で米国法人の役割が増している.論ずべきは日本特殊論より米国特殊論であって,「対米コンプレックス」の裏返しとしての「日本特殊論」だからこそ「パッケージソフトを使わないユーザー企業はおかしい」という合理的な議論が,知らず知らずのうちに「世界に通用するパッケージソフトをつくれない日本はおかしい」となり,気がつけば防空訓練で「気合いでB29を打ち落とせるに違いない」と竹槍を振り回した時代と変わらぬ「前向きなオープンマインドと気概を持ってほしい」という末端の精神論へと置き換わってしまうのではないか.
実のところ国際的に通用する日本発の汎用ソフトは増えている.組込系Java VMをつくるアプリックスの最大の顧客はモトローラだし,まつもとゆきひろ氏のRubyはRuby on RailsとしてWebアプリ開発の最先端を支え,次期Mac OSにも載るという.実は国際化できていないのは,政府べったりの大手ベンダや,彼らにぶら下がっている無数の下請企業ばかりだ.確かに国産メインフレーマ3社はポータルでもミドルウェアでもハードウェアでも米国トップ企業の後塵を拝しているが,米国でさえ図体の大きなメインフレーマがポータルやミドルウェアでは成功していない.ぶっちゃけGoogleも,Oracleも,MicrosoftもIntelも,IBMと比べれば後発の専業新興ベンダだ.一時は旬の市場を独占し,世界を支配したと目されたところで,AT&TだってXeroxだってIBMだって,残酷な時の動きを止めることなどできなかったのだ.これは米国の独占禁止政策が機能していたと同時に,政府や独占企業がミスリードしてもイノベーションが止まらない仕掛けが出来上がっていたということだ.
日本でもここ30年近くIT絡みの振興政策に関しては外し続けた訳だが,発想の外し方ほどには深刻な状況に陥らなかったのはボトムアップのオルタナティブがあったからである.例えば,第五世代コンピュータに俊英を集めたことが汎用機指向でダウンサイジングを遅らせたという指摘があるが,ちゃんとNECは1970年代からTK-80を嚆矢に日本のマイコン・シーンをリードしていった.シグマプロジェクトの最中にも,SONYはNEWSを完成させた.郵政省がINS構想,通産省がOSIを推進した時も,村井純先生が心ある民間企業から寄付金を募ってInternetの研究を続け技術者を育てた.NTTが光化の阻害を懸念しADSLを潰そうとした時も,Softbankが押し切って日本を世界に冠たるブロードバンド大国にした.数年前には既存3社で1GHzを山分けするという報告書が出た携帯電話についても,ちゃんと非IMT系技術に2.5GHz帯を割り当て新規参入も認める方向に梶を切った.我が国の政策過程を眺めて驚嘆するのは個々の議論,個々の施策を技術者として眺めていても眠たくなるし茶番としかみえないようでいて,10年単位の大局で眺めてみると案外どうにかなっていることだ.
昨今も情報大航海について第五世代やシグマから学んでいないのではないかという議論があるが,これらから学ぶと結局のところ数十億円の予算を何に使っても大局に影響はないということに尽きるのではないか.泣いても笑っても未踏のスーパークリエイターとか検索関係で有名どころの技術者のめぼしいところの何割かはGoogleに流れていて,残りも対抗してYahooに流れるか,独立自営でやっていくのだろう.どんな優秀な技術者が好き好んで重層的な下請け構造の末端に行こうとするだろうか.船頭ばかり多く現場を持たないプロジェクトが,腕に覚えのあるプログラマーにとって面白いはずがないではないか.
第五世代コンピュータの時代なら天才プログラマーが政府の失策で誤った方向に寄ってしまったが,今や政府にそれほどの力はないし技術者には豊富な選択肢が与えられている.きっと誰も困りやしない.突っ込む税金が勿体ないとか,もっといい使い途があるのではないかという議論もあるが,いまどきmixiの上場益が数十億円という時代に検索とかの分野に事業機会があれば,とっくに張っているのではないか.彼らなら図体の大きな政府プロジェクトと違って,腕利きのプログラマを揃えられる可能性が高い.だって面白そうで活気があって儲かるかも知れないから.
わたしは日本にも世界に通用するプログラマが少なからずいると信じる.問題があるとすれば前向きなオープンマインドと気概を持った技術者がいないことではなく,彼らの働きに報い,幸せにできる場を持っているのが,主な振興政策の対象である日本の大企業ではなく,元気のいいベンチャーや外資系グローバル企業,オープンソース・コミュニティだったということだ.未踏のスーパークリエイターが独立したり,オープンソース・プログラマーとして国際的に活躍するのは見込み通りとして,相次いでGoogleに入社したのは予想外だったかも知れない.税金でGoogle技術者を育てた矢先にGoogleと戦うというのでは端から眺めて自作自演だが,憲法は職業選択の自由を保障している.社費留学のように外資に転職するならカネを返せという理屈も立つだろうし,そのうち応募条件がそうなるかも知れないが,問題は彼らがGoogleに転職したことではなく,彼らにとって最も居心地のいい場がGoogleだったことの方だ.
閑話休題.日本でパッケージソフト利用を推進し,閉鎖的な取引慣行に風穴を開けることは意義深い.ただ独自システムと比べパッケージソフトの割合が低いことを技術者の精神論に矮小化し,国産パッケージソフトベンダで閉じたアライアンスを組むという方法論は,役所から補助金を受けるにはいいスキームかも知れないけれども,そこから国際的なパッケージソフトが生まれる機運ははっきりいって感じない.僕の目には大企業の中小企業に対する偏見を克服すべく,米国で起業し日本への逆輸入を果たした多くの技術者たちの方が,現実的に世界を見据えているように映る.*1
末端にいるソフトウェア技術者の気概を云々する前に,閉鎖的な取引慣行と重層的な下請け構造による歪みを粛々と糺す,具体的には労働基準法違反の摘発強化,偽装請負の撲滅,下請法の改善などを地道にやっていけば,少なくともSI業界が今とは違うかたちにならざるを得ないだろう.これで業界全体が好転するかは保証しかねるけど.
技術ベンチャーが生まれなかった理由を「技術者の卑屈な『日本人特殊論』」に帰すことは,世界に通用する志と技術を持ちながら閉鎖的な資本市場と取引慣行故に世界で羽ばたけなかった多くの技術者からも,排他的な取引慣行を放置するどころか無駄な税金を垂れ流し続けることで業界構造を温存した過去の失政からも目を背けることになりはしないか.国破れて山河あり.いくら産業政策が失敗し続けたところで,気概あるエンジニアは世を憂う前に自分の居場所をみつけるのだろうけど.

いわゆる汎用性の高いソフトウエアパッケージ分野においては、世界に通用する日本のソフトウエアはありません。世界に通用しないだけでなく、国内市場においてもトップシェアをとることができていません。
この状況は先進国に限らず、途上国を含む各国の中でも珍しいケースです。
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傲慢の「日本人特殊論」も卑屈の「日本人特殊論」も世界に通用する大型パッケージソフトの開発を阻害してきました。「私が特殊だからグローバルスタンダードは要らない」といって自分の殻に逃げるのではなく、「私の設計こそグローバルスタンダードにふさわしい」という前向きなオープンマインドと気概を持ってほしいものです。

*1:業界もユーザー企業も不思議なモノで,米国の新技術というと地雷だろうが屑だろうが何でもありがたがって気前よく高いカネを払うのに,日本の零細企業を相手にした途端,門前払いか人月で買い叩こうとする.日本人経営者・技術者であっても米国で起業して商社などを通じて日本に逆輸入した方が,大企業と対等な関係を築きやすいのは不思議なことã