『死国』も日経新聞も焼き捨てて、『ルーマニア日記』を読もうぜ! - 坂東眞砂子の子猫殺しについて(その2)

以下は、第一次世界大戦の際にカロッサが綴った従軍日記『ルーマニア日記』(岩波文庫)からの引用*1です。坂東眞砂子の小文「子猫殺し」より、こっちの方がよっぽど深い洞察があると思いませんか?

ケーズディ・アルマーシュ 一九一六年十一月二十五日 
(中略)
きょうのお昼、私は一つの場面を目撃した。それは、それだけのことと見れば、おそらくなんでもないことだが、しかもそれは私にも多くの他の人にもかかわりのあることのように思われた。数週間前この家でネコがたくさん生まれたが、今ではそれが厄介物になっていた。特に子ネコにやる乳がなかったので、この家に雇われている十五歳位の小僧が多すぎるネコをかたづけるように言われたらしい。部屋の中で書き物をしながら、私は、彼がネコを中庭の向こうに運んで行くのを見た。どうするつもりか考えつかずにいるうちに、彼はネコを一つ一つ恐ろしい速さで納屋の壁にたたきつけた。ネコはその前に倒れていた。小僧は口笛を吹き、いつもの調子で両腕を振りながら、台所にもどって来た。そこにちょうど食事の用意ができたので、他の者と一しょにすわって、気楽にたべ始めた。しかしお仕置きにあった子ネコのうち顔と胸と足とが白く、うなじに明かるい銀色の柔毛があって、他のとはまったく違った青灰色の一匹は気絶していただけで、次第に生き返って来た。よろけながら小刻みに数歩歩いてみてから立ち止まり、前足で耳の上を二三度こすった。そうすると一そう早く正気づきでもするかのように。それから庭を横切って家の中にはいもどった。その時やっと私は、ネコのあごから血が出ているのに気づいた。その他はどこもけがしていないらしかった。ためらいながらネコは台所の戸口からはいってきて、あたりを見回した。ごちそうをたべている人を見ると、ベンチの上に飛び上ろうとつとめ、数回身構えした後、成功した。それから暫くじっとすわっていた。ついに、ネコは気もちよさそうに口を動かしている自分の殺害者のひじに、親しげに嘆願しすがりついた。私の隠れた小机から小僧がよく見えた。一挙一動を見のがさなかった。彼はネコを認めると、初めはちょっとのあいだたべつづけていたが、突然吐き気と戦うような様子をした。それから一連のしゃっくりをすると、さじを投げだした。他の人たちが出ていってしまうと、彼はネコを恐れているのか、あるいはネコがほんとに生身のままそこにいるのを疑うような様子で、用心ぶかく子ネコにさわった。とうとうしまいに、できる限りの慎重さで、まるで瀬戸物かなんかのように、ネコを食卓の上にのせ、たべ残りの肉とパンをちぎってやった。ネコはそれを少したべた。小僧はそれを見て明きらかに喜んだ。主婦がはいって来ると、彼は非常に切実に説得し始めた。たびたびマチュカ*2ということばが聞こえた。そのたびごとに彼はネコを指さした。主婦は黙ってネコをながめていたが、また出て行った。小僧はそれから再び中庭で仕事にとりかかった。死んだ子ネコも生きていると同様に用心ぶかく拾い上げて運び去った。彼の性質がいくらか変わったように思われた。前より顔は緊張し、歩きぶりはしっかりして来た。それにその後は彼が口笛を吹くのを耳にしなかった。
(中略)
十一月二十八日
青灰色の子ネコはきょう死んだ。一時間の暇があるから、子ネコの苦しみの短い物語を記しておこう。これもまたやはり私の生活の一片だ。きょう早朝、私は低いうめき声とごろごろいう音に目をさました。大きな部屋で、ひどくおびえた顔をして、例の若いハンガリーの小僧が床にうずくまり、ネコのほうに水を入れた小さい鉢と乳を入れた鉢を交互に押しつけていた。ネコは夜、血を吐き、朝、胆汁を吐いた。乳には目もくれず、水をずっと見つめている。私が近づくと、ネコは、疲れ悲しんでいる人間のように、徐々に頭をあげた。顔はずっと小さくなり、金色に縁どられたコハクのような目はくもり、鼻はひどく熱かった。きっと熱があり、のどが焼きつくように渇いているのだ。
(中略)
そのあいだに百姓のおかみさんがはいってきた。子供たちや近所の女もやって来、好奇心と哀れみの円が、かわいそうな動物とその苦痛のまわりに描かれた。つい一昨日は、無頓着に投げ棄ててしまったのに、今はだれひとりとして、早く殺すことによって救ってやろうと考える者がなかった。みんな、かわいらしい子ネコだと思うだけだった。そしてなおすにはこうしたらいいとか、こういう薬がいいとか言った。
(中略)
(引用者注:子ネコが死んでしまった後で)例の若いハンガリー人は、死んだネコの前にぬかずいて、泣きながらなでている。粗野な人間が永遠なものにうたれるさまを見るのは、つねに美しいものだ。――一切の悟り、変化させる一切の驚きを尊ぼうではないか。――あの少年は二度と再び生物に対して手をあげることはない、と私は保証したい。――すべての人間に神が動物と罪過を下したまい、これによって人間を覚醒させたまわんことを!しかし、なおはるかに清い驚きから一つの行為が星のようにのぼって来る、というふうの別な悟りもあるに違いない。
『ルーマニア日記』(カロッサ、高橋健二訳、岩波文庫)pp99-106
人間ってこういうもんだろーがよ、と、あたしは思います。
というわけで、血に染まったわが手を直視できずに錯乱して屁理屈をこね出すアホ作家の駄文など捨てて、もっと良い文学作品*3をしっかり読もうぜ。そして人間について考えようぜ。……というのが、あたしの出した結論です。

*1:引用にあたり、旧字はすべて新字に置き換えました。なお、引用文中の中略はすべて引用者によるものです。

*2:子ネコの名前。ビューワー様からご指摘を頂いたので、修正します(2006-09-23)。「マチュカ」は「猫」を指す一般名詞とのことです。

*3:http://d.hatena.ne.jp/doller/20060823/1156325269で紹介されている石垣りんの詩「シジミ」もいいよ!

上半身

  • ダンベル・ベンチプレス
  • ベント・オーバー・ロウイング
  • プルオーバー
  • サイド・レイズ
  • シュラッグ
  • クランチ

高重量低セットで、上半身だけきっちり鍛えてみました。下半身は明日以降。

舞台裏

子猫殺し問題、ほんとは「その2」で書いた『ルーマニア日記』の話だけしようと思ってたんですよ。ところがこの本は絶版で、中古書店で探すしかなかったので、取り寄せてる間ヒマでヒマで。そんで、「それにしてもこの作家ってば狂気のマクベス夫人みたい、あははははー」と「その1」とかを書いてたのでした。以上、舞台裏でした。