どこもかしこも萌えファッショ。みんなで同じ釣堀に糸たらしてやんの。

課題:どこもかしこも萌えファッショ。みんなで同じ釣堀に糸たらしてやんの:真右衛門氏。の感想
着眼:萌え雑誌(まんがライフMOMO)から。
結論:踊るのも踊らないのもまた自由だと思います。長い目で見れば本当に片方へ傾きつづける事はめったにないと思います。
疑問:萌えの絶対的基準ってなんだろう?私は顔に対する目の大きさだと思うのです。
感想:無し(過程と同じ)



過程↓
さすが真右衛門氏です。萌え漫画雑誌(まんがライフMOMO)でこの言葉を出せることは素晴らしい。
ただ、カラスヤサトシ氏によるメイド喫茶を斜めから楽しむ漫画や、笑い飯(芸人)の人生相談等、
萌え漫画雑誌として「まんがライフMOMO」は明かにどこか間違っています。

さて、この言葉は応用例が非常に多いと思います。例として、


どこもかしこもニュースブログ。みんなで同じ釣堀に糸たらしてやんの。
どこもかしこも2chブログ。みんなで同じ釣堀に糸たらしてやんの。
どこもかしこもブックマーク。みんなで同じ釣堀に糸たらしてやんの。
どこもかしこもはてな論。みんなで同じ釣堀に糸たらしてやんの。


時流に乗れなかった者の悔しさの言葉として便利だと思います。ぜひ、使いましょう。
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊りゃな、損、損。


真右衛門氏の様な立場から時流を語れる人は素晴らしいと思います。
また、時流に対して時流とは違う意見をしっかりと提示できる人は素晴らしいと思います。


ただ、私は何も考えずに踊るのも大好きです。
若い人(私も若いよ)には何も考えずに踊る期間を過ごして欲しいです。
物事を斜めに見るようになると、それはそれでつまらないのです。
インターネットの普及で踊ることに対して批判的な動きも増えたように感じます。
でも、若い頃に阿呆になって・自分の踊った過去を見て批判するから良いと思うのです。


別にハルヒで踊り損ねたから、言っているわけじゃないです。

。   ∧_∧。゚
 ゚  (゚ ´Д`゚ )っ゚
   (つ   /
    |   (⌒)
    し⌒
    ...ウワァァァァン


このような話は今に始まった事ではなく、少なくとも15年ぐらい前には既に存在してました。
「三丁目の夕日」には、「太宰治に傾倒するのは、はしかのようなもの」なんてセリフがありました。
きっと同じ事を繰り返すことによって、バランスが保たれているのです。
心配しなくても重度のオタクになるような人は、その過程で色々な作品に触れるようになるものです。



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