ヴォイニッチ手稿雑感あるいは三次方程式の一般解について
仕事は山場を越えたのですが、ちと古巣のROの方でやることがあってCoHをプレイしていません。
来週あたりからParagonCityに復帰しようかと思っていますので、それまではここはチラシの裏。
で、唐突ですが、ヴォイニッチ手稿についてのお話なんぞをつらつらと書いてみようかと。
ヴォイニッチ手稿についての詳細はこことかここを参照のこと。
誰にも解読できない古文書として(マニアの間には)知られるヴォイニッチ手稿ですが,なんかX51.orgや日経サイエンスで紹介されている論文だと「カルダングリル」という暗号生成法によって作成されたデタラメ文書っぽいという主張が為されてます。
その真偽を論じる気はとりあえずなく,まず横道で「カルダノ」についてよしなしごとを。
「カルダングリル(cardano grilles)」の作者,ジロラモ・カルダーノ(Girolamo Cardano, 1501-1576)といえば三次方程式の一般解を世界で初めて著書のなかで公開した*1人じゃないですか。
ルネサンス当時のイタリアとかでは「数学者」ってのは互いに金賭けて問題出し合って勝負するというジャンプバトルマンガもびっくりのガチバトル職業でしてね。
当時はまだ三次方程式の一般解が発見されていなかったので,三次方程式の問題を出し合うのがナウなマスマティシャンたちのトレンドだった模様です。
三次方程式の一般解はこういったプロの「勝負師」たちにとってはさしずめ必勝必殺の奥義みたいなもので,一部のパターンにのみ通じる解法を発見したボローニャ大学のシピオーネ・デル・フェルロ(Scipione del Ferro 1465〜1526)教授なんかはそのワザを公開せずに弟子のフロドウスにのみ伝えました。
一子相伝のボローニャ流三次方程式解法ってわけです。 まじかっこいいな(愚鈍な顔つきで)。
で,その秘剣・流れ星のおかけでフロドウスは数学バトルに連戦連勝,「ボローニャ無双」と謳われました(シグルイナイズドされた表現)。
そんな秘伝継承者の前に現れた挑戦者,その名はニッコロ・フォンタナ(Nicolo Fontana,1499-1557),又の名を「ニッコロ・タルターリア(Nicolo Tartaglia ,どもりのニッコロの意)」。
幼少時に戦災で口に傷を負い吃音者となったものの数学には天才的なセンスを持つこの男は,デル・フェルロが編み出したという三次方程式の解法をさらに打ち破る解法,いうなれば流れ星に対する無明逆流れをついに編み出すことに成功しました -つまり,フロドウスよりも多くの形式に対応する解法を発見したのです。
この時の数学バトルは期間が数十日も設けられていましたが,タルターリアが解法を得たのは期限の8日前だったということです。(教訓 締め切り間際のほうが集中力がアップする)
その後タルターリアはこの解法にさらに磨きをかけていわゆる三次方程式の一般解を発見し,最強の三次方程式デュエリストとなったのでした。
フロドウスを破り真・三次方程式王となったタルターリアの周りにはその秘伝を求めて多くの数学者が群がったわけですがその中の一人がこのカルダーノ。
カルダーノは数学者として以外に医師・占星術師・賭博者といった職業をもつ極めてルネサンス的な知識人というかインテリヤクザみたいな人物で,金儲けのタネとして彼はなんとしても秘伝・三次方程式一般解を入手すべくあの手この手でタルターリアに取り入り,ついには「絶対に公表しないこと」を条件に秘剣伝授をしてもらうことに成功(とはいえ解法だけで証明部分は教えてもらえなかったらしい)。
しかしカルダーノは約束を破り,自著『Ars Magna(大いなる術)』*2(1545)の中でこの秘伝を公表してしまいました。
これを知ったタルターリアは「はかった喃 はかってくれた喃 カルダーノ」と鬼の面で激怒,カルダーノに真剣死合(むろん数学での)を申し込むもののカルダーノは逃走。
カルダーノの代わりにバトルを受けたのはその弟子,ルドヴィコ・フェラーリ(Ludovico Ferrari, 1522-1565)でした。
フェラーリは18歳にして四次方程式の一般解を発見したというカルダーノ門下きっての麒麟児で,ミラノで行なわれたタルターリアとの方程式頂上決戦は彼に凱歌があがります。
この敗北によりタルターリアは職を失い,フェラーリは後にボローニャ大学の教授にまで上り詰めますが実の姉に毒殺され,師カルダーノより早くこの世を去っています。 人生色々。 ちなみにカルダーノの最後は,自分の死期を予言した後にその予言を成就させるために自殺したという話が伝わっています。 ♪むーざん,むーざん。
とまぁ,三次方程式の一般解をめぐってはこんな残酷時代劇風人間ドラマが繰り広げられていたわけです(多分に誇張というかデフォルメして書いてあるので,興味のあるよい子の皆さんは自分で数学史の資料を読んで本当のところを確認しましょう)。
そんな数学史の記憶をふと思い出して「世の中,下らない知識がこうして突然リンクすることもある」としみじみしてしまいましたよ(私の専門は数学史ではないが)。
なんかヴォイニッチ手稿そのものの話に到達する前なのに長くなってしまったので次の稿に続く。
ヴォイニッチ手稿雑感本編
すうがくし ここまで。(「しけんはんい ここまで」風に)
さてさて,わけわかんねー文書であるヴォイニッチ手稿ですが暗号解読とかの見地とは異なる方面から眺めてみたいのです。
ヴォイニッチ手稿の来歴を見ているとジョン・ディーは出てくるはアタナシウス・キルヒャーは出てくるはルドルフ二世は出てくるわと,こりゃあコリン・ウィルソンが『賢者の石』の中で「ヴォイニッチ写本」としてネタとしただけのことはあるがいくらなんでもクトゥルフの魔道書扱いはねえだろよウィルソンと思うことしきり。
前出のラグ氏の論文での「ジョン・ディーとその悪友・エドワード・ケリーによるデッチ上げ文書」という主張は当時の状況の中での「本」というモノの位置から考えるとけっこう妥当性ありまくりんぐって希ガス(つまらない話をなんとか楽しんでもらおうと必死に書いてみるテスト)。
グーテンベルグによる活版印刷の発明以前は本なんて肉筆によるものしかなくえらく高価なものだったわけで(本一冊=家一軒の価値とかクオリティ高すぎwギガワロスwww),必然的に本というメディアになるべき情報というのは貴重で重要なものだったわけです。
ルドルフ二世がヴォイニッチ手稿を購入したのは活版印刷の発明後のことなんですが,歴史的な文脈として「肉筆本はクオリティ高い」という認識は形成されていたわけです。
ヴォイニッチ手稿はそういった「レアアイテム」としての肉筆本-しかも文は読めないものの挿画の天文図や植物などから判断するに秘教・錬金術方面のテキストらしい-としてルドルフ二世の前に提示された,と考えれば「デッチ上げだとしてわざわざこんなヘンな本書いてどうするの?」という突っ込みに対応できると思う。
答えは「うはwww金儲けwwwwオカルトスキーの皇帝様ならきっと高く買ってくれるwww」。
実際,ルドルフ二世は他にももっとクズっぽい偽物の(本物なんかありゃしませんが)錬金術関係の書物をバンバン買い漁ってたというのだからネギしょったカモですよカモ。
結局,前出の論文によるとルドルフ二世はこの手稿を現在の貨幣価値にして500万円くらい出して購入したとのこと。
きっとジョン・ディーはケリーに「おまえ まじで あたまいいな」って言ったと思うね。
読めない文章というのも逆に妄想を駆り立てるレア度アップ効果を狙ったものなんだろうなぁ。
「わかんねーがなんとんなくゴイスーな内容がッ 錬金術かはたまた不老不死か」とか思い出すともう止まらない。
実際,ヴォイニッチ手稿の内容についてはみんな好き勝手予想していて特にフィクションでとりあげられるとトビっぷりが激しく,ウィルソンの「クトゥルフ関係の魔道書」説やこのフラッシュアニメでの「人類の宝のありかを示す地図」説なんてのもあったりしておまえら夢がひろがりんぐ杉って感じです。
散漫な雑感を書き綴ってきたとりあえずのまとめは,ヴォイニッチ手稿にしても三次方程式の一般解にしても,「やっぱり,人間って面白っ!」(デスノのリューク面で)ってことです。
ヴォイニッチ手稿そのものの謎よりも,その周りに見えてくる「人間ドラマ」のほうが個人的には面白い。
手稿の名前の由来である古書収集家ウィルフリード・ヴォイニッチ氏にしたって,手稿を発見して「こいつは高く売れる!」と思って購入して研究者に紹介して,でも売れずに死後他の古書商の手に渡った手稿はやはり売れず結局イェール大学の図書館に寄贈されたという事情を知ると失礼ですが「この人おもすれー(^ω^) 」とか思ってしまいます。
私としては,暗号文書でもデッチ上げでもどっちでもいい,ということなのですね。ハハハ。
ちなみに実物のスキャンものはここで見れます。興味のある方はレッツ解読。 SAN値が下がっても当方は関知しませんのであしからず。