私事ですが、3ヶ月前、子どもが生まれました。
100日を過ぎ、お食い初めを終えました。
親になったという実感みたいなものはないのですが、
自分の子どものことは、かわいいと思います。
きっと、全国の親御さんはみんなそう思ってるんでしょうね!
名前
子どもを授かった、とわかって、一番考えたことは、
「DQNネームキラキラネームだけは、つけてはいけない!」
ということでした。
「人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。」
これを頭に焼き付けました。
そこで僕は、命名規則を考え始めました。
これは、あくまで個人的な考えです。
絶対に守る
- 名前を見て、読み方が1通りしかない名前にする。
- 漢字は辞書読みのみにする。当て字はしない。人名訓は許す。
- 漢字は、小中学校で習うものしか使わない。できれば小学校までにしたい。
- 苗字ではなく、名前で呼ばれるような、呼びやすい読みにする。
- 姓名判断(画数)は、凶がなければよい。
できれば守りたい
- 漢字の読み方を、音読みの組み合わせにしたい。
- 珍しい響きではなく、実存する読みにしたい。
- 姓名判断の、総画と地格は高くしたい(男の子だから)。
当然のことながら、妻とはかなりやり合いました。
ケンカになったことも、数度ありました。
女性の感じ方は、また違うのでしょうね。
僕がこうしていろいろな条件を出していたので、
妻が言う名前は、すべて「ノー」でした。
「じゃあ一体どんな名前があるんよ!」
という風に言われました。
けれど、こればっかりは、簡単に譲ってはいけない、と強く思っていました。
もし将来名前で苦労することになったら、不憫過ぎます。
図書館で、命名辞典を借りて、いろいろ提案して、2人で話し合いました。
1ヶ月はそうしていたでしょうか。
やっと2人とも、「いいね」「これでいこう」という名前が決まりました。
ちょっと今風らしいです。キラキラスレスレかも。
プロ野球選手にもいるので、大丈夫かな。
漢字は、中学生までおさまりました。
読みは、音読みのみです。
まあ、生まれて顔を見て、あまりに名前とあっていなければ、
変えるつもりでしたけど…
どこかのWebサイトで読んだのですが、
「どういう子どもでいてほしいか」で名前をつけるのではなく、
「人間としてどういう人になってほしいか」で名前をつけるのがいい、とありました。
すごく納得しました。
キラキラネームをつけてしまうのは、
子どもがかわいい子どものままでいる、
という誤った幻想を持っているからだそうです。
今は、赤ん坊ですが、いつかは大人になり、家族を持つ。
そのとき、自分の名前をどう思うか…
そう想像すれば、名前の付け方も変わってきますね。
何になってほしいか
子どもを育てる方針みたいなものを考え始めました。
ジャニーズに入ってほしいとか、プロスポーツ選手になってほしいとか、いい大学に入ってほしいとか、全然思っていません。
僕は、この考え方が好きです。クックパッド社長のインタビューにあった一文です。
「えっ、こんなことも知らないの?」と常識のようなものを問われない替わりに、好きなものを持っていないとカッコ悪いんですよ
クックパッドを作り上げた佐野陽光の事業哲学と技術論|【Tech総研】
日本は、同調性が高いからか、「これ知らないの?」みたいなのが多い。
でも、僕は、子どもに「熱中する何か」を持ってほしい。
何でもいいから熱中すればいいわけではなく、
「自分が何かを作り出す」側で、熱中してほしい。
「誰かによって作られたものに熱中する」というのは、搾取されるだけでしょう。
もちろん、人はすべからく誰かが作ったものの恩恵を預かるわけですが、
自分は何も作り出さず、作られたものを消費するだけというのは、むしり取られるだけです。
毎朝電車に乗って、学生たちが携帯でゲームをしていたりするのを見ると、すごく悲しい気分になります。
昔のゲームと違い、今の(ソーシャル)ゲームは、「お金を取る」というのが悪質になっている感じがするからです。
ケータイゲームに月何百円払うのと、
さくらでサーバを借りたいから千円払ってくれ、
では、意味が違いますよね。
幼児教育っている?
幼児教育って白熱しているんですか?
マスコミの報道からはそういう印象を受けます。
僕は、幼児教育はまったく考えていません。
アルバイトで塾講師を5年やっていた、というのが僕のIDの由来ですが、
保護者面談も、社員の人とクラスの半分ずつやっていました。
そこで知ったことがあります。
試験の点数という観点ではありますが、
上位の生徒の保護者は、家で本をよく読んでいたり、
仕事関連の勉強をしていたり、
子どもと一緒に漢検を受けてたりしていました。
別にいい大学に入ってほしいとかないとかいってたくせに、
と言われるかもしれませんが、
受験競争に熱心にならないという意味でとらえてください。
親が家で酒飲んで寝転びながらテレビしか見てないのに、
子どもが何かを学ぼうとしないのは、当然の結果なんだな、
と知ったわけです。
僕がソフトウェアエンジニアとしての学びを生涯続けていければ、
子どもも何かに熱中して学び続けてくれる、
と信じることにしています。
親のエゴとしては
親の願望というかエゴとしては、
- 本を読むのが好きになってほしい
- 世界のどこでも働く気でいてほしい
というところです。
僕が本を好きだから。
本からたくさん学びました。
自分が熱中する分野の専門書、これを読むのが一番楽しいです。
これを子どもにも知ってほしい。
そして、これからの世代、日本でしか働けない、というのは大きなリスクだと考えています。
僕らの世代でも、あと10年20年して今のような状況で働けるのかわからない状況ですよね。
だから、そもそも日本で働く、という前提ではなく、どこの国でもいいから仕事があるならそこに住む、
という考えてほしいわけです。
若いうちなら、飛び込めます。
そうしたほうが、人生として豊かかもしれない。
だからといって、英語を早く、とかは考えていません。
そういうのは、本人の本気度で全然身につく度合いが違うから。
本気で英語を習得したくて、留学するなら、
フィリピンが価格とサービスの観点から、優れているとは伝えます。
ただし、身銭を切れ。
身銭を切らないと、本気で勉強しない。
親の金で遊ぶ留学なんて、意味ないです。
親として、絶対に教えないといけないと
考えているのは、「食事のマナー」だけだな、と。
口を開けて食べたり、咀嚼音を鳴らしたり、犬食いしたり…
それだけは、やってほしくない。
なんやかんやで
やっぱり親の希望というかエゴは、たくさんあるもんですね。
息子よ、親父の戯言は無視して、健康で、犯罪を起こさず生きていけよ。
食事のマナーだけは身につけような!