パワーポイントって何?

 私は、去年の今頃まで「パワーポイント」というのが何だか知らなかった。なんとなくペンライトのようなものを想像していて、「パワーポイントを使って発表」とか聞くと、図表か何かをペンライトで指示しながら発表したのかと思っていた。しかし、今では消えてしまった「偽パワポ」に関するブログ記事を読んで、どうも違うようだと思い、尋ねてみて分かったのだが、当初、いったいそれが、たとえばスライドを使った説明とどう違うのか分からなかった。どうやら、パソコンで作って準備できるというところが違うらしい。なんじゃい、それだけのことかい、と私は拍子抜けしたのだが、どうも見聞するところでは、大学あたりではこの「パワポを使ってのプレゼン」とやらが大流行らしい。といっても、流行させているのは教師のほうのようで、学生にさせたり、学会発表に使ったりするようだ。
 それでようやく、東大の英語の授業が数年前から「プレゼンテーション」を中心にするものになった理由が分かってきた。私はこのやり方には反対で、今の大学一年生の英語力からすれば、プレゼンテーションなどより地道な訳読のほうがいい、と主張し続けているのだが、どうやら世の中「プレゼン」流行りらしい。だいたいが、プレゼンというのは、広告代理店がコンペをやる際に使っていた用語である。パワポを使ってのプレゼンなどというのも、それに倣ったものだろう。そういえば、八年前になるが『自分「プレゼン」術』(藤原和博、ちくま新書)とかいう本が出ていた。しかし見ていると、単に普通に「AなのでBになる」と言えばすむところを「A→B」などと一枚の画面に書いてある類の「プレゼン」が少なくなく、実にあほらしいと思う。要するに「中味あってのプレゼン」なのに、碌な中味も持ち合わせていない大学生に「パワポ」を使っての発表などをさせたり、別段必要もないのに「パワポ」を使った学会発表をしていたりするのが実情なのである。パワポでなくても、パソコンの普及のせいで、レジュメに一から十まで書いてあって、ただそれを接続詞でつないでしゃべるだけというような学会発表も多い。「レジュメ」というのは、要約するというフランス語なのに、全然要約していなくて、論文そのもの、なのである(中味が論文と呼べるかどうかは別として)。
 なんだかこの光景は、かつての「一点豪華主義」、つまり四畳半ひと間とは言わないまでも、団地に住んでいるおばさんが豪華なコートを着たり、安月給のサラリーマンが高級乗用車に乗っていたりするような、そんな貧寒さを感じさせる。中味スカスカ、でも発表はパワポでやりました、という感じである。調べてみたら、「自分プレゼン」とかいう題の本はほかにも二冊出ているし、「プレゼン」という語を使わなくても、自己表現術の本というのはやたら多い。しかしそれだって、中味あってのプレゼンであって、大したことのない人間がプレゼン術やら表現術を身につけたって、それは要するに豪華なコートを着た団地おばさんである。
 ところで「ポイント」って言葉を濫用する奴は頭が悪い、と私は思っている。「この議論のポイントは」とかいうやつだ。ポイントという語は多義的であって、要点とか、肝心な点とかいう意味だが、頭が整理されていないから、多義的な語を使ってごまかすのだ。論には、付随的なもの、なくては論が成立しないもの、などがあるが、そういう区別がつけられないのだね。