「日本人のコンテンツ制作能力」が注目されるのは、単に特定のジャンルにおける「先行者利益」に過ぎないんじゃないかな。

気がついたら一月近く何も書いてなかった。やべやべ。

利権が無い文化を育てれば日本は生き残れる - アンカテ
ばばぁの繰言だけど、「ポケモンは自然に売れたんじゃない」という話 - michikaifu’s diary
アメリカ市場とアメリカ人のギャップと Uncategorizable な日本のコンテンツ - アンカテ

僕は海外に住んだこともないしコンテンツ産業の専門家でもないから今から書くことは単なる音楽好きの意見ね。

サブカルチャーとして、大人のオタクの間で好まれるものというのは私にはよくわからないが、いわゆる「普通のアメリカ人でも目にする、消費する」タイプのメジャー・コンテンツとしては、「one of them」程度だと思う。

ばばぁの繰言だけど、「ポケモンは自然に売れたんじゃない」という話 - michikaifu’s diary

さて、こうした時に持ち出される「日本発のコンテンツ」は、海部さんが指摘してるみたいに物凄く「偏っている」。せいぜいが、ゲーム、アニメ、漫画と言った程度だろう。でもって、実際の市場規模や需要する人々の数なんてたかが知れている。

でも、例えばアメリカやイギリス、フランスの「特定の人々」が「日本の文化」を受け入れることは「日本のコンテンツ産業の実力や将来性」の証左として扱われるのに、何故か日本人が普通に「24」みたいな海外ドラマを楽しんだり洋楽を聞いたりしても「海外のコンテンツ産業の驚異」を表す証左としては扱われずに、「消費者の嗜好の変化」もしくは「趣味」程度の問題として扱われるんだよね。

でさ。

アメリカで作られるコンテンツは、あまりにも目的指向で市場の中での評価に対して完璧に仕上がっていて、そんなものばかり見せられていたら疲れちゃうと思う。「オタク」は、nerd系の少年の居場所という意味では特有のセグメントを開拓したと見ることもできるが、それ以上に、クラスターとクラスターの間のスキマ、セグメントとセグメントから落ちこぼれた価値観として受容されているのではないだろうか

アメリカ市場とアメリカ人のギャップと Uncategorizable な日本のコンテンツ - アンカテ

これって、「オリコンチャートの商売臭さに馴染めず、でも日本のインディーバンドも安っぽくて好きになれないからUKロックを聞いている人(←俺)」とどう違うんだって話。

たったその程度の「市場」を押えることが「日本のコンテンツ産業の実力」だと言うならまあ分相応なんだろうけれど、それで本当に喰っていけるのかは微妙だと思う。

元記事の「Forza2」というゲームの件もそうだ。セカンドライフのように明確に市場を作りセグメントの特性を屹立させていけば、アメリカにだってあのレベルの職人はいくらでも現れると思う。でも、そういうカテゴライズを拒否して湧いて出てくる日本の職人たちの、技ではなくてその才能の無駄遣いを恐れない姿勢、才能を意図的に自爆させる一種の特攻精神に、アメリカ人たちは驚嘆したのではないか。

アメリカ市場とアメリカ人のギャップと Uncategorizable な日本のコンテンツ - アンカテ

これは、メチャクチャ有名だけど、デンジャー・マウスの「グレイ・アルバム」の例が分かりやすい。

http://notrax.jp/bands/detail/00000262.html
http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20040225202.html


『アメリカにだってあのレベルの職人はいくらでも現れる』のではなく既にいるのだ。僕の知る限り「音楽」という分野では大量に。しかも、この市場の凄いところは「この先がある」というところ。

http://notrax.jp/news/detail/0000002573.html

「イリーガル」から出発した彼らは、既にメジャーで大成功を収め、世界的な「売れっ子プロデューサー」になっている。他にもアンオフィシャルなマッシュアップやリミックスを発端にしてメジャーに上がったアーティストやプロデューサーはたくさんいる。HIPHOPなんかでは自分のmixテープ(もちろんイリーガル)をつくって、それをきっかけにメジャーデビューするケースも多い。一度中古レコード屋に行ってみるといいと思う。有名なアーティストが手掛けたmixテープやリミックスのブートレグなんかがアホみたいな値段で売られてるから。(ほら、日本の「同人市場」に似てるでしょ?)

しかも、彼らがそうした表現を行う目的が「メジャーになる為/成功する為」かというとそうでもなくて(もちろんその部分もあるだろうけれど)、「自分がDJする時に使いたいから」とか「友達にあげたかった」とか「面白そうだったから」とか、それこそ「Forza2」でとんでもない車をデザインしている人達と動機の部分では大して変わらない。

だから、

人口密度が高くて人間が煮詰まっているような所だからこそ、考えられない所に考えられないような集中力を投入して、いびつな文化がたくさん生まれている。それは技術や経済より、よほど世界に通用するもので、日本の国家戦略はここから考えていくべきじゃないかと思う。

利権が無い文化を育てれば日本は生き残れる - アンカテ

という「日本特殊論」をベースにするのは僕は間違いだと思う。「面白いコンテンツ」をつくれるのは日本人だけじゃない。ゲームやアニメやマンガで日本のコンテンツが評価されているのは、「日本人が特殊」だからではなくて、単に「そのジャンル」において先行しているってことに過ぎないんじゃないかな。

現に、音楽市場におけるアメリカのメジャーなHIPHOPやR&Bのコンテンツ収集能力と処理能力は凄まじく、例えば北欧のアンダーグラウンドな電子音楽や南米の一部の地域で流行ったビートが、3ヶ月後にはきれいに「メジャー仕様」にパッケージされてビルボードNO,1になってる、なんてことはざらにある。詳しい人なら分かってもらえると思うけれど、90年代後半から、アメリカ産HIPHOPやR&Bの雑食性やクリエイティビティの高さ、そして何より排出されるコンテンツの「量」は「圧倒的」だった。もちろん、「市場=セールス」もそれに比例する。

では、「手に入らないレコードはない」とまで言われ、世界中のレコードマニアから羨望の眼差しで見つめられる「東京」を首都とする日本から「それ」と正面から戦えるだけのコンテンツが生まれているかと言うと、僕はそうは思わない。快楽性、雑食性、新規性、そしてもちろんコンテンツのクオリティにおいて、アメリカのそれには遠く及ばない。

逆に、『アメリカ市場には受け入れられないが、それを待ち望んでいるアメリカ人』を対象にしているのがイギリスの音楽市場。言語も文化的な関係も深いアメリカ市場は、国内市場が小さいイギリスにとって最も重要視される。イギリスのアーティストの大半は、デビューするとアメリカにツアーに周り、足場を固める。逆に、アメリカでの評価が低いと契約を打ち切られてしまったり路線変更を迫られることとなる。もちろん、大ブレイクしてくれれば儲けものだが、市場そのものが広大かつ多様なアメリカ市場では、一部に受け入れられるだけで十分食べていけるからだ。

でもそれでは、いつまでたっても市場の主導権を握ることはできない。ちょっとした「おこぼれ」に預かっているだけだ。「世界に誇る日本のコンテンツ」がその程度でいいのだろうか。

日本のゲーム業界は「パラダイス鎖国」の真逆、「パラダイス開国」を貫いています。日本という娯楽天国の成果物を、自信をもって、全世界にあまねく届ける。それが日本の娯楽産業の進む王道です。

http://gamenokasabuta.blog86.fc2.com/blog-entry-221.html

僕はこの意見に激しく同意する。

本当に重要なことは、「戦場=市場の取捨選択」ではなく「武器=コンテンツの取捨選択」なんだと思う。

つまり、「コンテンツ産業」なんて曖昧な領域ではなく、「ゲーム」や「アニメ」や「マンガ」といった特定のジャンルに焦点を絞り、そこに徹底的にリソースを投入すること。そして、同じジャンルの海外の最新動向や手法をくまなくチェックし、「新しいもの」は徹底して取り入れ、自分のものとし、パッケージングして市場に流通させる「リサーチ力」と「パッケージ力」を強化することこそが重要なんだと思う。

つまり、「日本特殊論」を捨て、たくさんの「コンテンツ」の中から本当に海外に通用する、「シェアを獲得できるもの」だけを選び出す作業が必要なんじゃないかと思う。

そういう意味においては、「日本のコンテンツ」は確かに世界を席巻できるんじゃないだろうか