法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

死刑廃止論をフルボッコに論破するというコピペは誰の味方なのか

相手を「論破」できるというコピペをまとめたブログに、死刑廃止論者を論破対象に選んだものがあった。
相手をフルボッコに論破するコピペを貼っていけ BIPブログ
しかし一読して疑問点だらけと思った。コメント欄でも複数の批判がよせられ、「論破」ではないと指摘されている。
しかし同じコピペは下記まとめブログ等でも紹介されており、かなり広範に流布されているらしい。
http://hyukkyyyy.blog61.fc2.com/blog-entry-1588.html
それでは私も各項目ごとに批判することにしよう。

■冤罪の可能性がある
すべての刑罰に冤罪はあるので死刑に限って反対する理由にならない。
さらに現行犯も死刑にできなくなる矛盾。

他の刑罰がくわえられた冤罪被害者には補償できる可能性が残されるが、死刑執行された冤罪被害者は補償できる可能性は皆無といっていい。
また、現行犯で不要になるのは、あくまで逮捕するための令状である。裁判までが不要になるわけではない。四日市誤認逮捕事件のように、現行犯として逮捕されたが冤罪であり、しかも制圧の結果として死亡してしまった事例も存在する。今年9月に賠償をめぐる高裁判決がくだったばかりだ。
http://www.47news.jp/localnews/mie/2011/09/post_20110910105003.html

■命は取り戻せない
取り戻せないことを論点にするなら時間も取り戻せない。
ならば懲役も反対しなければダブルスタンダートである。

相手が主張していないスタンダードを持ち出してダブルスタンダードと主張するのでは自己満足でしかない。
先述したように、命を失った場合は本人へ補償することは不可能だ。時間ならば、ある程度までは取り戻せる可能性はある。
まとめブログのコメント欄でも同様の指摘がある。

※143 以下、VIPにかわりましてBIPがお送りします 2011年12月06日 17:50 ▼このコメントに返信
>>11 は流石に論破とは程遠い
確かにすべての刑罰に冤罪はあるが、
冤罪で命を奪われるのと時間を奪われるのでは次元が違う
一般的な価値観としてほぼ時間=お金だとすれば、
冤罪で奪った時間はお金で返せるが命は不可能
作り直し

さらに程度の差異もある。その差異を無視するならば、殺人事件と駄作アニメは取り戻せないものを奪うという同じ罪を犯し、同じ罰がくだされるべきという論理になる。

■死刑廃止は世界の潮流である
嘘。死刑廃止は90国、死刑存置は97国。
さらに、潮流とやらで内政を決定しなければならない理由は主権国家である以上まったく無く、
仮にそうならば真っ先にあなたは9条の廃止と軍隊を持つように主張しなければダブルスタンダートである。

事実上の死刑廃止を死刑存置にふくめるとしても、アムネスティの資料によれば95ヶ国が全面死刑廃止を行っている。しっかり情報源を示さないと論破どころか議論にならない。
http://homepage2.nifty.com/shihai/shiryou/death_penalty/abolitions&retentions.html
また、法律を死文化したことによる事実上の死刑廃止は、法律改正による死刑廃止をにらんだ過程と見なしてもいい。「潮流」とは移行を指す表現であって、現在の比率を提示しても反論にはなりえない。
また、主権国家だからといって、国際的な動向や批判を全て無視していいというわけではない。たとえば今の国際人権規約には死刑廃止も盛り込まれ、日本は批准をせまられている立場だ。2008年に日本が国連人権理事会で審査された時、とてつもない詭弁で死刑廃止論をしりぞけたこともある。
超絶論理国家日本 - 法華狼の日記

■抑止力が無い
嘘。非常に大きな抑止力があると証明されている。(一件執行されるたびに殺人が5件減少する)

情報源を示さずに数字だけ出しても論破にはならない。
数年前、死刑に抑止効果があるという研究が米国で発表され、「一人の殺人者を死刑にすることによって、3〜18人の命を助けることができたかもしれない」という情報が流布されたことはある。しかし実際には、死刑に明確な抑止効果は見られないという研究が有力であり、ほぼ通説であった。
問題の研究に対しても、同じ情報から逆の結論を導くことができたり、統計処理に問題があったのではという批判がくわえられていた。下記エントリにくわしい。
抑止効果という神話 - good2nd
まとめブログのコメント欄でも指摘されている。

※47 以下、VIPにかわりましてBIPがお送りします 2011年12月06日 13:22 ▼このコメントに返信
>>11
死刑が他の刑罰よりも有効に犯罪を抑止するという説得力ある証拠は、科学的研究によっては一貫して得られていない。1988年に国連(訳注:国連犯罪防止・犯罪統制委員会)のために行なわれ2002年に改訂された、死刑と殺人発生率の関係についての最新の調査結果報告書の出した結論は「死刑のもたらす脅威やその適用が、より軽いと思われる終身刑のもたらす脅威やその適用よりもわずかでも殺人に対する抑止力が大きいという仮説を受け入れるのは妥当ではない」というものだった。

(引用文献:ロジャー・フッド『世界の死刑』 オックスフォード・ユニバーシティ・プレス、第3版、2002年 230ページ)

少なくとも「証明されている」と断言するには早計である。

■国が殺人を容認するのはおかしい
刑罰は殺人では無い。正当な司法である。ならば懲役は監禁、罰金は恐喝になる。

死刑が批判される時の「殺人」は、法に定められた罪としての殺人罪という意味ではないだろう。人の命を奪うという一般的な言葉としての「殺人」を指していると解釈するべき。反論がずれている。

■犯罪者にも人権がある
自然権以外の人権は国が保障したものであり国の法に反した者の人権を制限することは何も矛盾が無い。

諸説あるが、自己の生命を維持することを自然権にふくめる考えが有力といっていいのではないかと思う。
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%A8%A9/
逆に、どの権利が自然権にふくまれると考えているのか質問してみたい。

■終身刑でいいだろ
日本の刑務所は"満員"を超えて116%の収容率になっている。場所が足りない。税金も無駄。
さらに、死刑になるような凶悪犯罪に対する罰がその程度では国民が納得しない。
国勢調査で8割の国民が死刑を望んでいると出ている。

収容施設が足りないからと死刑にして最終解決しようとは、どこの恐怖国家だ。「無駄」という主張も、根拠を出さないと論破にはならない。
また、「8割の国民が死刑を望んでいる」とあるが、おそらく「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」と「場合によっては死刑もやむを得ない」の2択で質問した世論調査の81.4%を引いたものだろう。「望んでいる」というよりは現状を容認していると表現するべきではないかと思う。
http://www8.cao.go.jp/survey/h16/h16-houseido/2-2.html
上記の世論調査をよく読めばわかるとおり、死刑容認派に「将来も死刑存置か」と質問すると、「状況が変われば,将来的には,死刑を廃止してもよい」が31.8%もいた。死刑容認の比率と掛け算すれば、終身刑の新設をふくむだろう状況の変化で死刑廃止を認める国民が2割は存在することになる。
さらに項目の細部を見ていくと、死刑容認派に理由を複数回答で求めたところ、多くの研究に反する「死刑を廃止すれば,凶悪な犯罪が増える」が53.3%、実態に必ずしも即していない「死刑を廃止すれば,被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない」が50.7%という高い数字を出していた*1。誤謬がふくまれていては、そのまま論拠に用いることはできない。
いずれにせよ、国民の納得と終身刑でいいという主張は別次元の話だ。ちなみにフランスが死刑を廃止した時も世論の6割は制度存続を望んでいたが、死刑廃止後の現在では制度復活しないことを過半数が望んでいる*2。

■自分がいつか殺人を犯すかもしれないだろ!
犯しません。普通は加害者になることよりも被害者になることを心配します。

なるほど、自分が過ちをおかす可能性を想定せず、しかもそれを普通と認識しているから、冤罪に対する補償を考慮しないわけか。自らが過ちをおかす可能性を考慮できない者によって維持される司法制度など信頼できない。
いずれにせよ、自己の想像力が欠落しているという告白は論破ではない。ひょっとして、議論ができないと相手に見なされて打ち切られただけのことを、論破できたとでも勘違いしているのだろうか。


■刑務官がかわいそう!
職業選択の自由が日本にはあります。

その主張が論破となりうるのは、刑務官個々人の希望が充分に通ってから初めて成り立つことだ。
刑務官は死刑とわかちがたく結びついた職業ではない。

■野蛮!
日本は世界のどの廃止国よりも犯罪率の低い国です。ちなみに廃止国は現場で射殺しています。
日本では正当防衛で撃っただけで問題になります。

犯罪率の高低と、死刑が野蛮であるという主張は別次元の話。別の場面で野蛮ではないという主張をしても反論にはならない。
ちなみに死刑廃止国であるスペインは2005年に日本よりも犯罪率が低くなっているようだ。
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日本でも現場で射殺することはあるし、死刑廃止国が凶悪犯罪者を全て現場で射殺しているわけでもない。ノルウェーではブレイビク容疑者を射殺せず裁判にかけている。これも別次元の話を混同しているだけだ。

■死んでいる被害者よりも生きている加害者を助けよう!そのほうがインテリ!
んなこと言ってるから支持が得られないんだよ、犯罪者の味方さん。

第二次世界大戦の歴史認識について議論していると、過去の出来事だから忘れようという論理で日本を擁護する人が少なからずいる。
他国へ与えた被害だけではない。自国の被害者に対する補償すら「受忍」を国家が要求してきた。
永遠センチメンタル - 法華狼の日記
最近の司法ですら、生きている被害者への国家補償を拒否するような判決が最近も出ている。
大阪空襲訴訟、きょう判決(追記あり) - Apeman’s diary
「死んでいる被害者よりも生きている加害者を助けよう」どころか、生きている被害者を助けることすら否定する態度を、いったい誰の「味方」と考えればいいのだろうか。コピペの作者に質問してみたい。

*1:制度廃止ではないが、オウム真理教被害者弁護団が一人を除いて死刑執行に反対する声明を出していた。被害者の心理は多様なものだ。http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E0E3E2E0E68DE0E3E3E3E0E2E3E39191E2E2E2E2

*2:当時の報道記事に対するはてなブックマークはこちら。http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/international/update/0917/011.html