ページは言葉を祝福できるか

最近、あらゆるデザインは、たとえ文字が登場しなくとも、究極的にはことばのデザインであるという見方に密かに到達しました。というか昔からそう薄々感じていました。そして、あからさまに文字が使われているデザインはことばのハレの舞台なのだ、と。

本に限って言うと、本を開いたときに目に入る舞台はことばにとってはこの上ない舞台のひとつなわけで、ですから、私はそこでどんな書体の文字がどうレイアウトされて印刷されているかなどをまずチェックしてしまいます。そしてそれは体験から言うと、本全体から来る印象と深く結びついています。ブック・デザインといわれる仕事の奥深さを感じます。

そんなわけで、ごく最近、鈴木一誌著『ページと力』を読んで、なんだ私の本の見方を作り手の視点で少し理論武装すると「ページネーション」になるわけかと思ったのでした。

ページと力―手わざ、そしてデジタル・デザイン

ページと力―手わざ、そしてデジタル・デザイン

その『ページと力』の帯に掲載された紹介文にはこのデジタル時代に「文字は言葉とのズレと不安にふるえている」という印象的なフレーズがありました。私の理解では昨今私たちが目にするデザインでは文字はことばを裏切っている、ことばの生命をきちんと運んでいない、というような意味だと思います。

そして、じゃあ、ことばの生命とは一体何かというと、それは一言で言えば「声」だと思っています*1。

その点について鈴木一誌は『ページと力』の冒頭の「1 文字」のなかで、有名な中上健次の集計用紙に書かれたもの凄いパワーを発散している原稿とそれが単行本になった時のページの姿とさらに文庫になったときのページの姿を比較検討しながら、手書きの原稿にあって、印刷されたページから抜け落ちたものは「書かれた時間」あるいは「書くことの孤独」であると興味深い分析をしています。そして、そのような分析は作家の私的な体験や時間をくぐり抜けて生まれてきた言葉なんだから、それを出来る限り祝福するような深い配慮に基づいたページネーションが遂行されなければならないはずであるという主張へとつながります。ところが、現実にはまったくそうではないことの方が多いので、困ったもんだというわけです。ちなみに、「文字は言葉とのズレと不安にふるえている」というフレーズはデザイナーではない私にとっては「言葉は文字とのズレと不安にふるえている」の方がしっくりきます。


『ページと力』の見開きレイアウトの姿。24–25頁


同書25頁に掲載された「図8 中上健次『奇蹟』手稿。岩波書店『よむ』1994年7月号より」部分

それで、当然のことですが、当の鈴木一誌自身がデザインを統括した『ページと力』という本のページはことばのハレの舞台としてどうなのか気になります。私の印象では、『ページと力』はおそらく普通に「綺麗」とか「美しい」と見られることははなから断念した上でデザインされています。でも、「文字の不安」そしてデザインの不安(私の視点からは「ことばの不安」)という主題が暗示されるようなデザインとして成功していると思います。本の主題と連動する形で本の構造を露にするようなレイアウトが随所に試みられてもいます。まるで再生を願い、本のページが自ら解体してゆくような気配すら感じられます。

私は、この二週間ほど『ページと力』という本と毎日色んな角度から接しながら、実は自分はページと文字に祝福されるに値する言葉を紡ぎ出せているか、と逆に自問し始めていました。それと同時に、「文字」が「言葉とのズレと不安にふるえている」かいないか、あるいはページが言葉を祝福しているかどうかという基準をもって出会う本、デザインを見るようになりました。

そしてこれももう何週間も接しつづけている本ですが、鈴木一誌が尊敬しつつも、ある点で離反した杉浦康平が作った本の一冊、自編著の『アジアの本・文字・デザイン』に、文字が喜んでいる、ページが言葉を祝福している一例を見ていました。


『アジアの本・文字・デザイン』286–287頁


同書290–291頁

これは、少なくとも私にとっては一分の隙もないと感じられるデザインです。定型からはほど遠いレイアウトですが、単に平面的ではない奥に向かうような、あるいはページの上を彷徨う視線の運動を非常に繊細に導くような見事なレイアウトです。そしてそういう奥行感と運動感が本全体を包み込んでいる印象を受けます。見方によっては、外部から遮断された閉鎖した一個の宇宙を形成しているかのように見えるかもしれませんが、私にはむしろ、変な言い方ですが、内側に向かって開かれていって、思いも寄らぬ外部へとつながるような印象を受けます。


ページのレイアウトひとつとってみても、実際に体験してみなければ分からないことは沢山あると思い、執筆中の原稿の一部を組版ソフトに流し込んでみた。が、膨大な選択肢を前に呆然とした。それでも、しばらくページを眺めているうちに、タイトルだけ手を入れてみる気が起こった。

*1:詳細はいずれ書くつもりです。