パット・メセニーの音楽はまずアメリカ西部の広大な大地をイメージさせる。『アメリカン・ガレージ』や『ニュー・シャトークァ』のジャケットがイメージさせるように、広大な大地に伸びる道を自動車で旅するような雰囲気だ。強くアメリカをイメージさせるメセニーの音楽がヨーロッパ色の強いECMというレーベルからリリースされていたこともあって、パット・メセニーとアジアの繋がりはつかみにくい。もちろんまったく関係がなかったわけではない。Tokyo Daytrip “Nonsuch”はアルバム・タイトルに東京を謳い、ジャケットには日本語が乱れ飛んでいる。Inoriという日本語タイトルを与えられた曲もある。とはいえそれはアルバム・タイトル、曲名、ジャケットのイラストが日本に関連付けられているだけで、音楽は普段のパット・メセニー・トリオそのままであり、アジア的なものがパットの音楽のなかに持ち込まれているわけではない。4曲目のBack Arm & Blackchargeはノイズ・ギターを中心とした過激なフリー・ジャズであり、もはや東京とは何のかかわりもない。あまり数は多くないがパットは矢野顕子やフリー・ジャズ・トランぺッターのCuong Vuら、アジア出身のミュージシャンと共演したこともある。しかし矢野顕子の場合、彼女の個性が前面に現れ、アジア的な音楽とは言い難いし、フリー・ジャズの場合も、プレイヤーの出身地を感じさせられることはあまりない。(山下トリオに日本を感じることはあるが、セシル・テイラーにアメリカを感じますか?)あまりアジアを感じさせることがないパット・メセニーの作品のうちでボクが唯一強くアジアを感じるのがこのSecret Storyだ。
オープニングのAbove the Treetopsはカンボジアの伝統的な聖歌に依拠しているだけでなく、カンボジア王宮合唱隊の歌声で綴られる。カンボジアの合唱隊によるカンボジアの聖歌の印象があまりにも強く、この印象がアルバム全体を規定してしまう。カンボジアの歌を冒頭で聴いたために、音楽全体がインドシナ半島の密林の音楽的表現のように聞こえてくるのだ。もちろん実際の密林にはサソリやムカデ、毒蛇などがいて、身を委ねることはできそうにないが、パットの音楽的な密林には喜んで身を委ねたい。地を這うベース・ラインや木々の間を縫って飛び交うヴォーカルやギター、すべてが心地よい。カンボジア音楽によってアルバム全体が規定されているので、その他の曲もアジア的に聞こえてくる。4分の7拍子という奇怪な変拍子に乗ってエキゾチックなヴォーカルが躍動するFinding and Believingは、エキゾチックなイメージ一般ではなく、アジア的なイメージとしてインドシナ半島の内奥から響いてくるようだ。10曲目As a Flower blossomsには矢野顕子がヴォーカルで参加している。カンボジア・イメージが圧倒的なので、矢野顕子の個性的な声や日本語の歌詞をもってしても、全体のイメージを修正することは叶わない。