1969年「ビッチェス・ブリュー」によって、ジャズとロックを見事に融合させ、新しいジャズのスタイルを構築したマイルスは、その手法をもって、前人未到の1970年前半を突っ走ります。そして、その長く熱いジャズインプロビゼーションの音楽の旅の果てに、マイルスは遂に、トランペットを吹けなくなりました。
『俺が音楽をやめたのは、健康上の理由からだったが、精神的な疲れもあった。本当に長い間音楽だけに生きてきて、芸術的に全てを出し切った気がして、音楽的にももうこれ以上言うことがないような気がしていた。』とマイルスは言っています。具体的には、臀部の疾患があって、それが足に影響を及ぼし、足を引きずるようになっていたことや、その痛みを和らげるためにドラッグ中毒になり、鎮静剤も多用し、その影響で交通事故による両足首骨折、心臓麻痺などを引き起こしたことなどがあげられると思います。薬物の大量摂取は潰瘍を引き起こし、出血し、吐血しているようなこともありました。
マイルスは、70年代活動休止前には、身体疾患の上、潰瘍を持ち、血を吐きながら、大量の薬物摂取をし、心身ともに極限の状態で可能な限り演奏をし続けていたといえると思います。しかも、マイルスは、「全て出し尽くした」と言っていることから、そのまま燃え尽きる覚悟で音楽活動を続けていたのかもしれないとも思うのです。心臓麻痺を起こした時期、マイルスは「音楽をやめることを真剣に考えはじめた。」と言っています。
さらに、「1975年の夏にニューヨークに帰ってきた時には、音楽をやめることを真剣に考えていた。」と言っています。ハービー・ハンコックの「ヘッド・ハンターズ」のアメリカ・ツアーで不本意ながらマイルス・バンドは前座をやり、その後、ニューポートジャズフェステバルに出演(マイルス・バンドのパワーは衰えていないものの、絞り出すようなマイルスのトランペットの音は、音程を外し、リズムにのりきらないところもあって、精彩をかいているように思われます)、ニューヨークのセントラル・パークでのシェーファー・ミュージック・フェスティバルに出演したのを最後に予定していたマイアミでのコンサートをキャンセルして活動を止めます。
音楽活動を休止するのには、十分過ぎるくらいの健康上の理由です。もうひとつの考えられる理由は、瀕死の状態であったジャズを蘇らせ、ニュースタイルのジャズで音楽活動を続けるうちに、70年代にマイルスバンドの一員でもあった若いジャズミュージシャンによるフュージョン、クロスオーバーミュージックの台頭もあり、マイルス自身の体調不良の手伝って、新スタイルによる演奏がマンネリズムに陥ったとしても、怒涛のように押し寄せるツアーとライブの繰り返しの中で、次の手を打ち出すことはマイルスには不可能であったと思われます。それでも少しづつ音楽を変化させ進化させ、身体と精神を壊すまで追求した状態をマイルスは「全てを出し切った」と言っているのだと思います。同じスタイルでは、もはや聴衆を酔わせ熱狂させることができなくなった、つまり露骨な言い方をすれば、そのスタイルではもう金儲けができなくなってきたということがあると思うのです。逆に言えば、全てを出し切ったマイルスのスタイルが通用する限り体力の限界まで吹き続けたということになると思います。更に「音楽的にはもうこれ以上言うことがない気がしていた。」と言っています。それは、先にも述べましたが、これで一切の自分の音楽活動を永久に終わりにしてもよい覚悟で、その時期には音楽活動を続けていたということになるのかと思います。しかし、前進するという思いと意志、ミュージシャンの魂のみが音楽活動に向かわせていましたが、その時、疲弊し、疲れ切った心身がそう思わせたとも言えると思うのです。
『音楽を全てが良くなるまで、立ち直れるまで、やめることにした。たぶん半年くらい休めばいいだろうと考えていたが、長く休めば休むほど、カムバックできるかどうか、はっきりしなくなった。休んでいればいるほど、ジャンキーの時にどっぷり漬かっていた真っ暗な、暗い世界にどんどん沈んでいくばかりだった。』とマイルスは言っています。
ジャズから離れ、トランペットを待たない6年間のブランクは、マイルスにとってとてつもない苦痛であったと思われます。ドラッグに溺れ、酒びたりになり、女と戯れるという音楽活動の無い生活は、精神的な苦痛を伴う屈辱的な日々であったと思うのです。何故かと言って、ジャズを牽引し、さらに、音楽を牽引する使命を持った男、謂わばジャズの申し子がその命である音楽活動ができないどころか、6年間もの間、トランペットも吹けないのですから。それは、休息と苦痛のあいだ、というより、かなり苦痛よりであったと思います。しかし、マイルスにはもうこのまま音楽活動を終わろうかという思いの一方で、心の奥底にカムバックの機会を待つ、確かで強い意志があったに違いないと思います。その機会は自分の内から、世界から、訪れる時のなかから、必ずやって来ると信じて疑わないというような。それゆえに、時期、好機を窺うというような。そんなしたたかなマイルスのミュージシャンとしての野生の炎が燃え続けていたに違いないと思うのです。
そして、「マイルスはもうだめだ。」「廃人になったらしい。」再起不能だというような噂が日本でも聞かれるようになりました。
前書きが長くなりすぎました。「The Man With The Horn」について述べましょう。
しかし、「The Man With The Horn」を理解する上でも、75年のマイルスの音楽活動休止とその後の6年のブランクを知ることは大切なことだと思います。
マイルスは恋人であるシシリーの献身的に健康を気遣う思いや、コロンビア・レコードのジョージ・バトラーのオファー、マイルスにトランペットを吹かせようとする甥のビンセントに支えられ、心身の健康を取り戻す努力をします。そして、マイルスは『何をやり残したかが、はっきりして、音楽に戻っていく準備ができた。俺の中の音楽は生きていたし、自分の能力と前進しようという意志には自信があった。』と言っています。
1981年「The Man With The Horn」のリリース。再起不能だという世の噂の渦中、真っ只中、或いはその噂も止んで、本当にマイルスはだめになったんだと思い始めた頃にマイルスは戻って来ます。
1. Fat Time:マイルスの曲である。緩やかに歩を進めるようなアル・フォスターとマーカス・ミラーの3・7拍めにアクセントを置いた前のめりぎみロック8ビートで始まる。マイルスの鮮やかなトランペットのミュートプレイの音色がそのロックリズムにのり綺麗な高音で奏でられ心地よく歌う。メロディアスかつポップでブルーを孕む綺麗で素晴らしいソロだ。ビル・エバンスのソロが同じラインで綺麗に奏でられていく。マイク・スターンのギターもまたマイルスのソロのラインにのりソロをとる。マイルスのソロに戻り、後半マイルスのソロは盛り上がりをみせる。テーマがはっきりしているという曲ではなく、同一ラインで各々のソロが展開し、曲全体の曲想が統一された展開である。相互のインプロビゼーションで進める70年代式ではあるが、メロディラインを極力揃えて展開しているので、同一ムードをもった長いひとつの曲のように聴くことができる。マイルスは歩を進めるようなロックビートで時の流れを刻み、長い6年のブランクをファット・タイムと呼び、表現しているのかもしれない。振り返ってみればということであるかもしれないが、これがその6年だとしたら、その時の流れはあまりに美しい。
2. Back Seat Betty:マイルスの曲である。全く派手なハードロック調のオープニングで始まる。マイルスが恋人のべティを乗せて、キャデラックで颯爽と登場するような。と、意に反して非常に物静かにマイルスのソロが始まる。話しかけるような囁きかけるような綺麗なミュートプレイである。再び、オープニングを繰り返すと、シンバルが目立つ派手で軽やかなアフリカンタッチのビートが刻まれ、マイルスの力の入ったソロが展開する。続いてビルの熱いソロ。ラインは統一されている。再再度、オープニングを繰り返すと、再び当初の物静かなマイルスのソロに戻る。後半、高音に入り、跳ねるように終わっていく。ファンキーかつポップな曲である。70年代式だが、テーマ的なオープニングがアクセントとして構成されている。マイルスはべティを乗せてご機嫌だといいたいところだが、なんだか幾分ナーバスなようだ。また、暗に、べティとは、エリザベス。マイルスは、バックシートにはブリティッシュ・ロック(シンセサイザーを駆使したハード・ロック)も乗せている(控えている)んだぜと言っているような気もしてくるのだ。
3. Shout:ランディ・ホールとロバート・アービングの曲。ビンセントのドラムのリズム、ランディの歯切れのいいギターのリズミカルなストロークで演奏されるイントロで始まり、そのリズムに合わせてマイルスとビルのユニゾンでノリのいい開放的で明るいポップなテーマが演奏される。続くマイルスのソロもテーマに合わせて明るく開放的だ。ビルのソロがマイルスの同一ラインで続く。そしてテーマに戻って終わる。
4. Aida:マイルスの曲である。アル・フォスター、マーカスに、サミーのアフリカンタッチのパーカッションを加えたロック・ビートで始り、バリー・フィナティのゆるりとしたギターストロークが絡んでいく印象的なイントロだ。70年代式のインプロビゼーション主体の楽曲であるが、頭にシンプルだがこれまた一度聴いたら忘れられないようなインプレッションの強い大空を鷲が舞うようなイメージをもったアイーダのテーマが繰り返され始まる。マイルスのソロも小気味いいロック・ビートにのり、高音、低音と自由に行き来し、吠え、リズミカルで心地よい。最後にテーマに戻ったところで、フェイドアウトぎみに終わる。アイーダとはジャズとロックを兼ね備えた双頭の鷲を意味しているのかもしれない。マイルスはまさにそのアイーダになって、雄叫びを挙げているのだ。
5. The Man With The Horn:ランディ・ホール、ロバート・アービングの曲。歌はランディが歌い、甥のビンセントがメリハリのあるリズムを刻み、フェルトンがなめらかなベースラインを作り、マイルスのワオワオを効かせたリリカルなミュートプレイがボーカルに絡むように奏でられる。美しいバラード。マイルスの長いソロは聴きどころだ。歌詞は「なめらかで、上品、かつ晴れやかな極上のワインのような、年齢とともに甘美さを湛え、円熟みを増す。その男はホーンを片手にやってくる。音楽で先導し、肩を並べるものはなく、その宿命から逃れる術はない。その男はホーンを片手にやってくる。」というような内容だ。マイルスを思い浮かべるとつい噴き出してしまうような豊穣なワインの描写ではあるが、実際にステージを離れたマイルスは、ジェントルマンかつフェミニストでそういう人であったのかもしれない。また、それはマイルスの音楽を形容したものでもあるのだろう。そして、ジャズを牽引しなければならないマイルスの宿命をも歌っている。
6. Ursula:マイルスの曲である。「アーシュラ」とされているが、鬼神、阿修羅のことであろう。マイルスは復活を遂げたこのアルバムの最後にこの曲を収めたのである。阿修羅が釈尊の親衛隊であったということよりも、帝釈天と戦う運命にあったということをとるべきであろうと思う。謂わば、マイルス的破天荒、ここから訪れるであろうマイルスの音楽活動の未来を暗示しているようにも思える。
軽やかなアル・フォスターのリズムとマーカス・ミラーのベースランニングにのり、マイルスは、70年代式ではあるが、極メロディアスでブルーな美しいソロをとる。それゆえ、重厚感があり、秘めた思いや情熱を湛えるような曲想になっている。ビル・エバンスのソロでその思いが静かに爆発するイメージだ。後半のマイルスのソロに入るころ、サミーのパーカッションが加わり、軽やかになり、高音域を試し、低音で終わっていく。阿修羅を物語る曲想であるとも言える。
70年代において、マイルスの規制のもと、一流のミュージシャンが互いの相互作用によって繰り広げるインプロビゼーションの極致はあまりに熱く刺激的で予測を許さないプレイの展開は興奮と熱狂を呼び、長期に渡って聴衆の支持をえることとなりました。
その70年代に一流の若いミュージシャンたちによって成された一回性の音の実験、試行錯誤とインプロビゼーションの極みを礎とし、80年代のポスト・コンテンポラリー・ジャズを目指し、そこにジャズの帝王として君臨し得る新たなスタイルの探求(それはあらゆる音の流れと組み合わせ、相互作用を経験したマイルスのみが選べる新たなジャズにとって望ましい音の流れと組み合わせとリズムとアトマスファー。出している音は単純に聴こえるかもしれないが、そんな単純なものでもない。)よって生まれた新たなジャズとロックの融合ジャズの幕開けがこの「The Man With The Horn」なのです。それはクールと呼ばれたマイルスを呼び覚まし、メロディアスであって、抒情に流されないリリシズム、ジャジー、ブルージーかつファンキードでドライ&ポップなサウンドとして生まれ変わり、やはりマイルスの音の規制によって構成され、マイルスバンドしか出せない音を生むことになります。マイルスが書いた4つの楽曲は、長いインプロビゼーションによって成り立った組曲のようで、70年代を想起させるものがありますが、刺激を呼ぶ思うままの即興ではなく、より規制された即興の展開となり、曲が同じムード、ラインの上に構成されています。キーワードは言わば、『ニュー・マイルス・ブルー』とでも言いましょうか。ロックやフォーク、歌ものにありがちなメジャーに行かず、あくまでジャズの伝統に従い、故意に誇張するようなジャズ独特のマイナー(ブルースやジャズ発祥に遡ることになるが)を守るというような、しかもバップフレーズにないフレーズの展開です。そこが、ジャズのムードと威厳を保つ鍵となっていると思われます。とともにマイルス・ブルーは特殊なリズムとシンコペーションによる間によって演奏されなければなりません。それによって生まれるソロ・プレイです。規制はマイルス・ブルー(メロディ)とマイルス・シンコペイテット・ビートです。マイルス・ブルー&シンコペイションはロックビートにマイルスがジャズのソロを自分流にうまく乗せるためのテクニックであると言えると思います。それによってマイルスはまず、各ソロのラインを合わせ、そして、自分のバンドの音と他の音楽との区別化(差別化)をはかったのです。マイルスは見事にそれに成功し、おそらく誰もが、あぁ、これはマイルスの音だというようにはっきりと他の音楽と区別して、マイルスバンドの音楽をとらえるようになったと思いませんか。聴けばすぐマイルスだとわかるくらい、マイルスバンドの音は明らかに他とは違うのです。マイルスの書いた曲ではない2曲は、マイルスの甥であるビンセントが連れてきたメンバーとマイルスとがレコーディングして作った曲です。マイルスはこの2曲を『一枚のレコードを構成するのには、何か別の種類の音楽が必要だということがわかった。』と言っています。
ということで、「The Man With The Horn」は、マイルスバンドが80年代、ポスト・コンテンポラリー・ジャズを欲しい侭にし、マイルスがそこに再び君臨するために、70年代を礎に、マイルス・ブルー&シンコペイトの技術によって構成された新たなるジャズの幕開けを位置づけるアルバムであると思います。
最後にアルバムジャケットに触れると。「The Man With The Horn」のこのアルバムジャケットはなんとも合点がいかない、マイルスが、なんでこんなアルバムジャケットにしたのかと悩んでしまうくらいです。しかし、じーっと見つめていると、見えてくるものがあります。
メタル製のマネキンの頭部の前にトランペットが置かれ、ミラーが置かれていることにより、そのマネキンは三方向に向いているという絵です。最初に置かれたフェイスがジャズを表す現在のマイルスで、その横に鏡に映ったロックのマイルスで双頭を成し、後方に70年代以前のマイルスが後方を向いている(もはやその顔は見えない)という風にとらえることができます。
よく見ると(他の二面は鏡に映された像ということで)、よくよく興味深いジャケットです。
誰も簡単には気づかないと思いますが、それは阿修羅のようにも見えてくるのです(6年のブランクの中で、6.のタイトルといい、マイルスは明らかに、仏教的なものに触れたのではないでしょうか?)。メタルのマスクの表情はどうでしょう?