新しいTERRAZINE

The new TERRAZINE

「いただきます・ごちそうさま」こそ日本文化そのもの

「いただきます」「ごちそうさま」は日本文化の根幹であり心髄だ。これをおろそかにするやつは毛唐(ATOK NGワード)だ。何故なら英語には「いただきます」「ごちそうさま」の表現が存在しない。「Let's eat」なんて「さー、食うぞー」だし、「I'm finished」なんて「食った」って言ってるだけじゃないか。


ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と。
「食堂で『いただきます』『ごちそうさま』と言ったら、隣のおばさんに『何で』と言われた。『作っている人に感謝している』と答えたら『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と言われた」
…死ね
いただきます・ごちそうさまは、料理を作ってくれた人に感謝し、食材を生産した人に感謝し、食材そのものに感謝する、人が人として生きていく上で、全てのものに感謝するという、日本古来の美しい伝統で文化だ。礼儀がどうの躾がどうの言う前に、日本人として最低限の挨拶くらいしろ。
ちなみに英語には「行ってきます・行ってらっしゃい」「ただいま・お帰りなさい」もない。こういった日常への感謝や思いやりといった豊かな表現を持つ日本語を使っていることに、誇りを持つべきであり、大切にすべきだ。
逆に日本語には「I love you」が無いという。ここまで読んでくれたあなたにはわかっているはずだ。我々は直接的でなく、もっと豊かな表現で「I love you」と言っているのだ。

おべんと おべんと うれしいな
おてても きれいに なりました
みんな そろって ごあいさつ
(いただきます)
おべんと おべんと うれしいな
なんでも たべましょ よくかんで
みんな すんだら ごあいさつ
(ごちそうさま)

おまけ:日本のアニメの「いただきます」は英語でどう表現されているか

海外で評価の高い日本文化といえば「アニメ」。「名作アニメは食事もウマそう」と言われたりもするが、その中で「いただきます」といった日本語特有の表現はどのように置き換えられているのだろうか。手元のファイルから抜粋してみる。

『未来少年コナン』から、ハイハーバーにラナを連れ帰ったコナンとジムシーの歓迎会。
「いただきまーす!」と言っているのだが、字幕は「Thank you!」

『赤毛のアン』から、クイーン学園から久しぶりに帰ったアン。
「わぁ、おいしそう。いただきまーす!」と言っているが、「I'm eating.」に

『機動警察パトレイバー』より、待機中に抜け出してデート。
サボっているのを気にする野明に、「当然って顔してりゃ問題ない」と言う遊馬。「そうだね。じゃ、いっただっきまーす」

『新世紀エヴァンゲリオン』から、ギスギスした食卓。
「ごちそうさま」が「I'm finished.」に。これは正しい翻訳。お腹いっぱいになっての「ごちそうさま」ではなく、楽しくない食事を強制終了する「ごちそうさま」だからだ。んー、ニポンゴむずかしネ。

『彼氏彼女の事情』より、妹たちの帰宅と迎える姉。
「雪野ねぇちゃん、ただいまー!」「あっ、おっかえりー、月ちゃん花野ちゃーん。」

「いただきます」派閥樹形図

ボケないための覚書。 - 「いただきます」についてで、わかりやすく分類されていたので、某うんこスレ風にしてみた。

言うよ派 ─┬─ 常識的に考えて(習慣で)いただきますくらい言うよ派(常識派)
       │
       ├─ 感謝するよ派(感謝派)
       │    │ 
       │    ├─ 作ってくれた人に対する感謝をするよ派(お母さん、板前さん、お百姓さんありがとう派)
       │    │ 
       │    └─ 自然の恩恵や殺された生き物に対して感謝するよ派(命に感謝派)
       │
       ├─ 由来とか関係なく教育しろ派(躾派)
       │
       ├─ 「いただきますは宗教」に違和感を感じるよ派(宗教嫌い疑問派)
       │
       ├─ 各自が自由に言えばいいよ派(自由派)
       │
       └─ 金払ってるから云々ってどうよ派(アンチ拝金主義派)

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考:「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争

 TBSラジオ「永六輔その新世界」(土曜朝8時半〜、放送エリア・関東1都6県)で昨秋、「いただきます」を巡る話題が沸騰した。きっかけは「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という手紙だ。番組でのやり取りを参考に、改めて「いただきます」を考える。【文・遠藤和行、写真・米田堅持】

 ◇「私の場合」を募集

 手紙は東京都内の男性から寄せられ、永六輔さん(72)が「びっくりする手紙です」と、次のように紹介した。

 《ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》

 番組には数十通の反響があり、多くは申し入れに否定的だった。あるリスナーは「私は店で料理を持ってきてもらった時『いただきます』と言うし、支払いの時は『ごちそうさま』と言います。立ち食いそばなど作り手の顔が見える時は気持ちよく、よりおいしくなります」と寄せた。

 一方、母親のような考え方は必ずしも珍しくないことを示す経験談もあった。「食堂で『いただきます』『ごちそうさま』と言ったら、隣のおばさんに『何で』と言われた。『作っている人に感謝している』と答えたら『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と言われた」との内容だ。

 また、申し入れを支持する手紙も数通あった。学校で「いただきます」を言う際、手を合わせることに「宗教的行為だ」、と疑問を投げかける人もいるという。

 永さんは、中華料理店を営む友人の話を紹介した。その友人は「いただきます」と聞くとうれしいから、お客さんの「いただきます」の声が聞こえたら、デザートを無料で出すサービスをした。後日、永さんがサービスを後悔していないかと尋ねたところ「大丈夫です。そんなにいませんから」と言われたという。

     ◇

 ライフスタイルの変化で、家族がいても一人で食事をしたり、外食や市販弁当を食べる機会も増えています。その時「いただきます」と言っていますか。あなたやあなたの周囲の「いただきます」は変わりましたか。その理由は何でしょう。ラジオで紹介された申し入れへの是非でなく、皆さんの「いただきます考」をお寄せ下さい。後日、紙面で紹介します。

 郵便は〒100−8051(住所不要)毎日新聞生活家庭部「いただきます」係。メールは表題を「いただきます」とし、[email protected]へ。採用分には図書カードを差し上げます。

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 ◇「大切なのは食べ物を大事にできているか」−−永六輔さんに聞く

 番組のリスナーと共に考えた、永さんの「いただきます考」を聞いた。

 −−「給食費を払っている」という理由について、どう感じましたか。

 ◆学校給食で「いただきます」を言うことへの抵抗は、以前からありました。それは、両手を合わせる姿が特定の宗教行為、つまり仏教に結びつかないか、という懸念です。宗教的なことを押し付けるのは僕も良くないと思います。でも「いただきます」という言葉は、宗教に関係していません。自然の世界と人間のお付き合いの問題です。

 「お金を払っているから、いただきますと言わせないで」というのは、最近の話です。命でなく、お金に手を合わせちゃう。会社を売り買いするIT企業や投資ファンドにも共通点があると思います。話の発端になった母親は「いただきます」を言うかどうかを、物事を売る、買うという観点で決めているのでしょうね。売り買いはビジネスですから、そこに「ありがとう」という言葉は入ってきません。「ありがとう」に準ずる「いただきます」も入ってこない。ただ、そういう母親がいることも、認めないといけないと思います。

 −−永さんは、どういう意味合いで「いただきます」を。

 ◆「あなたの命を私の命にさせていただきます」の、いただきます。でも僕は普段、家では言ったり言わなかったり。ましてや、他人には強制しません。絶対言わなきゃいけないとは思いません。きちんと残さないで食べれば、「いただきます」と言って残すより、いいと思うんです。

 貧しい国には飢えて死んでいる人がいる。日本で残して捨てているご飯があれば、助かる子供たちがいっぱいいるわけでしょう。食べ物を大事にできているかどうか。言わないのが「ひどい」と反対することではない、と思います。

 −−言っても、言わなくてもいいと。

 ◆普通に会って「こんにちは」、別れるときに「さようなら」。何かの時に「ありがとうございます」「すみません」「ごめんなさい」という、普通の会話の中に「いただきます」は当然入ってくると思うんです。特別に「みんなで言おう」というのはおかしい気がします。言っても言わなくても、大声でも小声でつぶやくだけでも、思うだけでも、いいことにしましょう。

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 ◇「食を見直す問題提起に」−−宮崎では推進運動

 宮崎県では昨年11月から、食事の際に「いただきます」を言うことなどを呼びかける運動が展開されている。

 市町村やJAなど142団体でつくる「みやざきの食と農を考える県民会議」(会長・安藤忠恕知事)が、農産物の恵みに感謝するのに最も分かりやすい活動として取り上げた。「いただきますからはじめよう宣言」をし、「県民が食事の時にいただきますの言葉に乗せ、命の恵みを感謝する」などの方針を掲げた。

 事務局の同県営農支援課は「子どもが朝食を抜いたり、家族全員の食事の機会が減っている中、食を見直そうという問題提起の意味もあります」と説明する。県内の公立小学校では給食時に「いただきます」「ごちそうさま」を唱えている。

毎日新聞 2006年1月21日 東京朝刊