ネットの無料コンテンツを支える5%のファン

 今までこのブログで「ネットで無料で公開したコンテンツにお金を払う人がいる」ということを飽きられるほど繰り返し語ってきた。で、実際のところそのお金を払う人というのはどれくらい存在するの?ということでここしばらくいろいろな資料を当たっていたのだが、その結果、実際にコンテンツやサービスに興味を持って利用した人のうち5%くらいが積極的に対価を支払うアクションを取るのではないかという感触を得ている。あくまで仮説の域は出ないがいくつかの検証を元に、推論をしてみようと思う。

ソーシャルサービスの場合

 一つは、ニコニコ動画のプレミアムアカウントの増加率。ニコニコ動画は08年の9月まで、月50万人のペースで会員増加していたにもかかわらず、有料会員が20万人で頭打ちになるという苦境にあった。それが一転、赤字が話題になり運営自らが有料会員になって欲しいと呼びかけた途端、無料会員増は同じペースのまま、有料会員が月3万人ずつ増えるという状況となっている。08年9月末の会員数930万人中有料会員20万3千人だったのが、3月16日時点で1165万人中30万人まで増加。この期間の有料会員率は4%強。12月末からのデータで見れば165万人中8万5千人で5%を越えている。

 Mixiのケースを見てみると、07年6月の1000万会員突破時のプレミアム会員数は49万人。こちらはニコニコ動画とは逆にその後伸び悩んで、1500万人を突破した現在でも50万人程度に留まっているようだ。この手の無料会員+プレミアム会員というモデルはFreemiumと呼ばれ、採算分岐を5%程度に持ってくるのが理想という考察もあるようだ。

「何でも無料」時代のネットのビジネスモデル: 歌田明弘の『地球村の事件簿』

音楽コンテンツの場合

 また、昨年10月に、新作アルバムを任意の金額を支払えるという方法で売り出したRadioHeadの例で見ると、62%が無料でダウンロードしたものの、4%の人は一般的なアルバムCDの価格よりも高い12$以上を支払っている。彼らはこの無料でダウンロード可能な音楽に通常のCD以上の価値を見いだしたわけだ。
「価格はあなた次第」のレディオヘッド新作、幾らで売れた? - ITmedia NEWS

 初音ミクを用いた初のメジャーCDであり、当時75万再生の「Packaged」を含むLivetune「Re:package」は初動で2万本、最終的には7万本以上の実売を上げた。単純に販売数を再生数で割ったら10%近い数字になる。先日発売された400万再生の「メルト」を含む「Supercell」は初動5万本。Packagedに比べると少々物足りないが、最終10万本と考えても5%は越える。このあたりは価格設定の差もあり、また単純にコンテンツそのものに払っているわけではない(パッケージに価値を感じる層も含まれていると考えられる)のであくまで参考程度の数字である。

アニメコンテンツの場合

 さて、アニメはどうだろう。ニコニコ動画で平均15万再生を誇った「天体戦士サンレッド」でDVD各巻平均4000本強と言ったところ。販売数/再生数は2.5%ほど。ニコニコ発のオリジナルアニメとしてはペンギン娘が再生数平均10万前後で、実売1,000本ほど。1%ですな。これは酷い。CandyBoyは平均25万再生でDVDは3000本ほど。1.2%といったところか。この作品は第1話はDVD付CDという販売形式でも販売されており、こちらが5000本ほど。どちらにしろ少々物足りない数字になっている。

追記Twitterで指摘されたのですが、DVDの売上はおおよそ初動の2.5倍ほどになるそうです。そう考えるとサンレッドは6%強、CandyBoyは3%ほど、ペンギン娘が2.5%ということになりますね。いろいろと追加調査中なのですが、どうやら今のアニメビジネスにおいては各巻3000枚の出荷でなんとか回るような構造になっているようです。
 ちょっと脱線するが、ここ1年でアニメDVDの売上はますます厳しいことになっている。データとしてはこちらを参考にさせてもらいましたが、リリースされるソフトの大半が1000本以下の実売しか上げていない。これでどうやって成立しているのかというと、テレビ局がスポンサーを集めて充ててくれているわけでは勿論なくて、製作委員会に出資しているメーカーや制作会社が持ち出しして、一部のとてもよく売れている作品の売上で補填しているというのが実情なんですね。この問題についてはまたいずれ書きたいとは思っていますが、今回は別の話と言うことで。

映像コンテンツが脱テレビしなければならない理由

 さて、ネット上のソーシャルサービスや音楽関係のコンテンツに関しては5%という数字がそれなりにリアリティがあるように見える。それに比べてアニメ関係のコンテンツは残念ながら非常に厳しい数字となっている。この差はいったいどこから来るのか。

 一つは映像コンテンツの出口が長らくテレビによって独占されていたがために映像=タダで見るもの、制作費はスポンサーが支払うものという固定観念が染みついているから、ということがある。昨日の記事のトラックバックでも、当たり前のようにスポンサーが制作費を出していることを前提になっていたりするが、少なくともアニメに関しては10年前からその構図は崩れ去っている。マゲ・アニメ・サスペンスは視聴率が取れないからとゴールデンタイムから締め出され、暗中模索しながら製作委員会方式によって資金調達するという現在の主流のモデルが定着したにも関わらず、見る側の意識は10年前からほとんど変わっていない。更に言えば毎週何十本という新作アニメがオンエアされ、平均的なアニメファンがそれを追い切ることがほとんど不可能な事態になっている。結果、見向きもされないアニメが量産され、全体としては成長しているにも関わらずどこもかしこも青色吐息という倒錯した状況に陥っているのが今のアニメ業界なんですね。

 多作の弊害と結果として多作になってしまう業界構造の問題についてもまた改めて言及したいところですが、長くなるので今回は置いておいて。まず今現在作られているアニメの制作費の出所がどこなのかというのをもっと明確にする必要がある。その番組にお金を出しているのは広告効果を当て込んだスポンサーなのか、製作者の持ち出しなのか、あるいは見返りを求めないファンやパトロンによる出資なのか、だ。

 大手スポンサーがテレビ番組にお金を出すのは、規模の経済で数百万人、1000万人単位にアピールできる場合に限ってて、もはやそんな番組はアニメに限らずほとんど無くなってしまった。先日放映されて20%の視聴率をたたき出した「ルパンVSコナン」のような企画であれば喜んでお金を出すスポンサーは多数いるだろうが、あれは残念ながら例外と言わざるを得ない。
 あるいは東芝提供による「サザエさん」のような、直接的な広告効果を度外視したアニメもあるが、これもまた例外だろう。今流通しているアニメの90%以上は製作者の持ち出し(DVDが売れない作品)か、ファンによる購買活動(DVDが売れる作品)によって支えられているという事実はもっと広く知られるべきで、その意味でもテレビ以外の媒体を利用する意味は大きい。

お金を出すファンが本当に求めているもの

 冒頭でニコニコ動画のプレミアムが急増した件について触れましたが、このきっかけはニコニコ動画の赤字が広く周知されたのが大きいんじゃないかと思うんですね。逆にMixiのプレミアムが停滞しているのはMixiが経営的に安定しているという認識が広まったことが原因のひとつなんじゃないかななどと考えたりもします。あるコンテンツに触れて、それにお金を出しても良いとまで考えるファンがまず望むのは、制作者がちゃんと報われること。そして継続して作品を作ってくれること、それに尽きるんですよね。だから、いったいいくら投資すればちゃんと制作者が潤うのかというのが可視化されたほうが、より直接的な行動に結びつきやすい。そういったファンが実際の視聴者の5%くらいはいると見積もってみると、実はネットでの視聴だけでも十分に採算に届き得るということが見えてくる。

 例えば去年発売された「ねぎま!」の単行本限定DVD、これは予約が9万本を越えたらテレビアニメ化するかも?というあざとい煽りによってファンの拡販活動が活発化し、結果3巻累計で24万本(各巻平均8万本)というとんでもない数字を叩き出したりしたのですが、これなんかはファンの行動原理をよく理解して練られた見事な戦略ですよね。ちなみに「ネギま!」の掲載誌であるマガジンの発行部数が約170万部、8万本というのはきっちりその5%だったりします。

 「イヴの時間」のケースだと、各巻限定3000本のリリースということで、DVDが完売しても全然採算が取れるとは思えないんですが、おそらくはYahooが持ち出しして制作費を充てているのかなと。そのあたりの事情も含めて公表してしまったほうがいろいろと面白いんじゃないかなあなんて思いますが。

代替可能なものにはコストを払わない

 重要なのは、作り手に還元する意図でお金を払うという行動を取るのは、常に熱心なファンだけだ、ということ。特に娯楽に関しては、これだけ多様な選択肢がある現代においては、ほとんどの人にとってそれは代替可能な消費物であり、せいぜいがみんなが見ているから話の種としてみるよ、という程度の動機しかないんです。だからコストがかからないなら見ても良いよ、わざわざお金を払ってまで新しいものを探そうとは思わないよ、という話になる。フックのないものはタダでも見てもらえない。それくらい今はモノが溢れすぎている。結果としてテレビのゴールデンタイム、プライムタイムですらほとんどの番組が10%を切る、大手スポンサーにとってはまるで旨みのない媒体になってしまっているんですね。それはネットでも同様で、ただしテレビであれば数百万人に振り向いてもらわないとペイしないモノが、ネットであればせいぜい数十万人、上手くすれば10万人ちょっとくらいに振り向いてもらえれば採算が合う。だったらどちらのほうが現実味があるかという話です。

 テレビの世帯普及率の99%超という数字はやはり今でもとても大きくて、既にネットの世帯普及率は75%を越えているとはいえ、テレビを全く無視して商売するというのに躊躇する部分があるのは、仕方のないところではあります。とはいえネットの普及率は今後もまだ伸張することは確実で、加えてテレビはもし万が一地上波のデジタル移行が本当にスムーズに行われてしまったら、その普及率を一気に落とす可能性すらある。ネットとテレビの普及率が逆転してしまったら、あるいは逆転までしなくても拮抗する状態になった場合にどちらのほうがマス媒体として優れているのかというのは分からなくなってくる。

 もちろん電波は電波で優れた特性が多数あり、上手くそれを使い分けていくのが理想でしょう。しかし今のテレビ業界の構造は残念ながら電波の利点を上手く生かしているとは到底言い難い状況です。これが今後数年間で劇的に改善する可能性も勿論ありますが、少なくとも今のテレビにしがみつくことに大きな利点があるとはとても思えなかったりはしますね。何にせよ、大変化を起こすにしろそのまま沈没するにせよ、今のテレビの構造が維持されるのは長くてもあと2年くらいだと思っておいた方が良い。そう考えています。

5%のファンは遍在する

 また少し脱線してしまいましたが、私はこの5%のファンというのは決して特別な存在ではなく、ある程度の規模の支持を得られるモノであれば自然に発生する普遍的なものなのではないかと考えつつあります。それは、コンテンツやサービスだけではなくて、例えばゴルフや釣りのようなレジャースポーツ、車やファッション、あるいは恋人であるとか、誰しも損得抜きで惜しみなくコストをかける対象というのはなにがしか持っているもので。それはそれぞれが過ごしてきた体験によって自然に獲得されていくものなんじゃないかなと。それは一種の信仰にも似て、当人以外にとっては代替可能なものにしか見えなくても、当人にとっては唯一性を持った存在なんですよね。

 よくある議論で、5%がコストを負担して95%が無料だと不公平じゃあないかというものがあります。しかし当の5%にとってみれば、むしろ自分たちこそがその信仰の対象を支えているんだという自負心があるし、その対象をもっと多くの人に知って欲しい、好きになってもらいたい。その為には骨身は惜しまないとすら思ってるんですよね。それぞれがそれぞれの領域の5%になって、残りの95%のコストも負担することで世の中が回っていくとしたらそれは悪いことじゃあないんじゃないんですかね。

 これは、一種の理想論であって、世の中そんなに単純にはいかないよ、という意見はあるかとは思います。実際に、どこの領域の5%にもならずにすべてに対してタダ乗りして生きていこうとする人たちも一定数いるだろうとは思います。これも当てずっぽうですが全体の5%くらいなんじゃないかなーと考えるんですが。きっとその人たちは金銭や富そのものを信仰していて、あらゆるものよりも富を蓄積することが尊いと考えてるんじゃないかななんて妄想していたりもします。そういった勢力はきっと排除してもしきれないと割り切るしかないのかなと。せいぜい、そんな人生は詰らないだろうなーと思って哀れむくらいでちょうど良いんじゃないんですかね。