シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

自滅する地方 焼津編

ども。焼津さかなセンターのオススメはイカスミソフト。シートンです。
今まで進められてきた地方衰退≒「ファスト風土化」について書いてきましたが、地元について少しビジュアル面で補強する形で述べていこうかと思います。
かつて、私、焼津の衰退ぶりを示すことで、「道路を拡げてはいけない」と主張致しました。その焼津はどのような状況なのか。まずは、駅周辺から見ていきますね。

焼津駅南口からバスターミナルを眺めたところです。右手の建物は立体駐車場。左手は駅前マンションです。ちなみに、朝の7時過ぎの写真ですが駅前に人の気配がありません。なぜかといえば、焼津では地方の常として自動車交通が発達しているからなんです。目の前には立派な歩道橋、これは最近駅前再開発において整備されたものです、がありますが、使う人も、使う必要もありません。
この歩道橋に上がってみましょう。


現在、静岡県に限らないかも知れませんが、駅前にマンションが大挙して建設されています。再集中に役立っているのか、といえば、その点は疑わしいところですね。

この建物、立体駐車場が駅前にそびえ立つ、つまり、焼津では駅前でさえ車中心の交通となっているわけです。その結果、駅前から続く商店街はどうなったか。

まったく人通りがありません。もちろん、この写真は朝撮ったものですから、買い物をする人々、というのはいませんが、そもそも駅近くにもかかわらず、駅との往来をする人さえまったくいないのです。では、日中の様子はどうか。

はい、これが焼津駅前商店街の日中の姿です。「再整備/再開発」された結果、一層、衰退が進んでしまったんですね。駅から旧国道150号線や焼津港へと繋がる道として、車が通行しやすくなった結果としてです。
では、焼津の人々はどこで買い物をするのか。もちろん地方の常識として、「AEON(イオン)」で買い物をするんですね。


国道150号線とその東、焼津で最も「ファスト風土化」が進んだ地域、祢宜島と与惣次。小川港へ続く地域を区画整理事業して通した広々とした道ゆえに、ロードショップの進出が相次ぎました。


車の往来が激しいでしょう。先ほどの商店街とほぼ同時刻に撮った写真です。カーマホームにかっぱ寿司、奥には紳士服のアオキ、でも、ロードショップの宿命か、次のようなところもあります。

手前の「ほっともっと」は元々コンビニでした。コンビニ遺跡は至る処にあります。奥の「100えんハウス レモン」も別の店です。

写真の道は以前のエントリーで取り上げた“建設途上の”道へ続いています。工場手前には少しばかり田んぼが残っています。道路を通し、区画整理を行い、分譲を進めているんですね。


このように、道を再整備している場所も多々あります。


小さな川の畔も例外じゃありません。ここももうすぐ道路が通されます。


上の写真は同じく焼津の八楠地区。ここも区画整理が行われ、分譲を進め、道路が造られるわけです。ちなみに、隣接する藤枝市の地域はこんな風景です。




こんな田園風景を潰してまで必要とする地域開発だったのか?現在は人口増加はほとんどありませんから、区画整理事業によって造成された土地に越してくる人々は、どこからか移ってくる人々ということになります。つまり、その地域が人口流出によって空洞化するわけですね。
それはつまり、こういうことです。

ここは、駅から500mほど南、市役所から歩いて1分のあたりです。建物は無くなり、月極駐車場となっています。でも、駐車場として利用されているだけマシです。







焼津の旧市街は櫛の歯が抜けるよう空洞化が進んでいるのです。それに対して焼津市は中心市街地再活性化事業を行っていますが、まったく的外れなものなのは以前説明しました。

この商店街も石畳にしたり、歩道を付けたりと再整備されたのですが、道の拡張までは行われませんでした。再開発事業として道が拡張された通りはどうなったでしょうか。

はい、見事に人通りが無い状態です。ここは市役所から1分ほど、駅からも1km無い、人口密集地なのですけどね。



空いた土地も目立ちます。明らかに再開発事業は失敗しているのですが、市はまだこんな夢絵図を描いているんですね。

自治体の再開発事業に付き物の「複合施設」。これもまったく失敗しました。
下のビルは結局地元スーパーと100円ショップが入った状態。

興味深いことに立派な駐車場が脇にありますが、集客の多くが自転車と徒歩の客、なのです。もう一つの複合施設も公共サービスと八百屋の組み合わせ。地域活性化という目的は達成出来ていません。どころか、目の前はこのような空き地です。

やはり、近くのマンションの1階の商業スペースは空きが目立ちます。

つまり、郊外開発は市中心地の衰退と人口流出を促し、中心市街地活性化事業はまったく功を奏さなかったのです。にもかかわらず、焼津市が郊外化事業を止める様子はありません。でも、その郊外化さえも最近ははかばかしく無いようです。

駅前駐輪場脇に出された広告。こう宣伝しなくては分譲地が捌けなくなってきているんですね。


中心市街地を潰滅に追い込んでも、市予算の多額の支出を伴っても進められてきた郊外化事業(道路事業・区画整理事業)。オーバーインフラによる経費支出増大、固定資産税の多くを納める中心市街からの人口流出、商店街から大規模商業施設への商業機会移行による労働需要の減少、公共交通機関の撤退、etc。それほどの犠牲を伴ってまで進めてきた事業自体が成り立たなくなってきているのです。今更、なぜ道路を建設するのか、なぜ郊外化を進めるのか、自分にはさっぱりわかりません。まさに、焼津市は自滅しようとしているのです。


さて、鞆の浦に広々とした道路を通して得られる利便性、未来とはこういう事です。たぶん、北関東の各地ではここよりヒドい状況でしょうし、大都市圏ではまだここまでの状況ではないのかもしれません。でも、道路を拡げ、延ばし、造って得られる地域とはこうしたものでしかないのです。


今後、静岡県内の各市の状況を述べていきます。では。