3.11のあとの心境

御無沙汰しております。

3月11日(金)午後に大きな地震があり(東北地方太平洋沖地震という名だそうです)、オレの住んでる東京はえらく揺れつつもおおむね無事だったのだが、しかし世の中の様相は一変してしまった。以後のわたくしときたらこの怠惰なブログを更新する気にもなかなかなれず、ただただ呆然と世の中を眺め、twitterでやくたいもないヨタを呟き、イヤイヤ働きながら、Tumblrでクソの役にも立たない画像をReblogし、はてなブックマークしたりして過ごしていた。なんだいつも通りじゃねえかと言われれば返す言葉もないのだが、これでもこの10日間ほど、わたくしなりに思うところはいろいろあって、そんなアレコレをとりとめもなくだらだらと書いてみようかという気に、ようやくなったのです。

まず何よりも、亡くなられた方々にお悔やみを。そして、被災地でご苦労されている方々には応援と、あとチンケな額ですが募金します。

ビルひとつ倒れたわけでもないのに、東京はすっかり雰囲気が変わってしまった。停電の影響、買占めによる品薄、放射能に対する盲目的な恐怖などで、みな神経をすり減らしている。人々はどこか焦燥感のうかがえる、疲れた顔になってきた。自分では判らないが、オレもあんな顔をしているのだろうか。当然これは被災地との比較ではなく(比較にもなるまいが)、地震以前の東京と比較してである。

東京で買い占めしてるやつはアホだ。今オレは花粉症で鼻水がものすごく出る時期なので普通にティッシュペーパーを多く使うのだが、いまだにティッシュとトイレットペーパーは品薄状態なので困る。とりあえず、手持ちのものをケチケチと使っている。「買いだめせにゃ!」と思っちゃう気持ちは判るのだが、しかしそこを知恵と理性で抑えるのがいかした現代人像ではないか。今回、人類の知性がオイルショックの頃から何も進歩してないことが露呈された。先日なんか近所の米屋で行列を見かけたから、もしかしたら米騒動から進歩してねえのかもしれない。いや或いは、どうしても高速道路で渋滞が発生してしまうように、人間がたくさんいる以上こういう問題は社会構造的に避けられないのかもしれない。アシモフの心理歴史学ならこういった群集心理を扱う公式がたくさんあるのだろうが、あいにくあれは架空の学問であった。

原発の事故。「死の灰が降ってくる!」とわめいて東京を逃げ出す人はさすがにオレの周りにはいなかったが、ネット上ではチラホラお見かけした。あんまりバカにして笑う気にもならず、お大事にと思う。黒澤明の「生きものの記録」を思い出す。感受性が鋭すぎるのも、なかなか生きにくかろうと思う。オレは独り身の愛煙家なので、いまさら多少の放射線でガンの確率が上がっても、まあ仕方がないかという心境だスパスパ。

感受性、これは今回オレにとって大きな問題だった。地震直後はビビってたのだが、1日2日と経過するとオレは何ごともあんまり感じなくなった。直後は災害映像を見て気が滅入るばかりだったのが、だんだん「たいへんだなあ」とよその国のできごと、まるでスマトラ沖地震を眺めるような気分になってきた。正直言って、これを我が身と地続きの我がこととして受け止め続けるのはしんどい、しんどすぎるのであります。それでも八戸など、つい最近仕事で行ってきたばかりの土地がひどいことになっている映像を見ると胸のうちがザワザワするのだが、だから心に蓋をして、小さな苦痛や引っかかりを無視してとりあえず日常を暮らしている。そして、街の夜が節電で普段より暗く、いつもと違う雰囲気なのを「SFのようだ」とか「パト2みたいだ」とか感じている。

我ながらこれは非常に冷たい態度で、ひでえ野郎だとケーベツされても仕方がない。しかし、言い訳にもならないが、この災害の前からオレはこういう感受性の鈍い、冷たい人間だったのだ。そういう意味では一貫した態度のつもりなのだ。そりゃあ、うしろめたいから支援の募金はした。これとて自分の心の問題をカネで解決しておるだけで正直アレなんだが、まあいいのだ、カネで解決なのだと思っている。そして今後も折にふれてはチンケな額を募金して、心の安定を買う了見だ。

原子力発電、いや広くエネルギー問題はこれからどうなるんだろうと思う。オレは原発の危険が叫ばれはじめた昔は反対派のつもりだった。しかし大人になると、だんだん興味をなくしてしまった。いかした対案はないものの原発はなんだか怖いという、消極的反対という立場だった。たぶんほとんどの人が消極的反対とか消極的賛成とかの立場だったのではないだろうか。積極的なのは電力会社だけで、だからずるずると、こうなるに至ったのだろう。しかし今回のこれは原発事故だけをとっても「国難」である。激痛を伴おうが、何十年かかろうが、原発を減らしていく以外に理性ある人類の道はないように思えるのだが…