犯罪統計より

先日、亀井大臣が「日本で家族間の殺人事件が増えているのは、(大企業が)日本型経営を捨てて、人間を人間として扱わなくなったからだ」という発言をされていて吹き出した。

このおじさんは本当に巧い。彼は元警察官僚で、殺人という罪の性格、その背景も含めよーくご存じのはずだ。それをああいう形で出してくる。ちょっくら経団連の雑魚どもにジャブでもかましとくか?って感じなんでしょう。

で、一ヶ月くらい前に河合幹雄さんという法社会学の学者さんのインタビュー番組を見たのを思い出した。実はちきりんは大学では法学部で刑法のゼミにいたので、犯罪学にはそこそこ関心があります。というわけで、その番組で取り上げられていた話から覚え書き的におもしろかった点をまとめておきます。



1.日本は欧米先進国と比べて極めて治安のよい社会である。
人口比の強盗や強姦などについて、米国は日本の100倍、欧州でも数十倍、という国が多い。日本は今でも圧倒的に凶悪犯罪が少ない社会である。



2.殺人も日本は欧米より少ないが、強盗や強姦ほど差は大きくない。

犯罪白書(2002年)によると、人口10万人あたりの殺人数は以下の通り。日本は欧米の数分の1程度。他の重大犯罪と比べると、欧米と日本の差はぐっと小さくなる。

日本 1.2 
フランス 4.1
ドイツ(嬰児殺のぞく) 3.2
英国(故殺未遂のぞく) 3.5
アメリカ(同時多発テロ、未遂のぞく) 5.6


殺人において他の犯罪よりは欧米との差が小さいのは、日本における「殺人は“身内の犯罪”だから」である。反対に、強盗や強姦は他人に対する犯罪である。日本は「他人に対する犯罪」が圧倒的に少ない、すなわち、社会の治安は欧米に比べて圧倒的によい。

一方の殺人は身内の犯罪だから、その多さは治安の善し悪しより寧ろ「身近な人間関係の濃さ」を表している。



3.日本の殺人は1970年代と比べても、大きく減っている。

1975年から2005年の30年で、殺人による死亡者数は約1200人→約500人に半減以上に減っている。(交通事故死を除く刑法犯による死亡者数。過失は除くが致死は含む。=故意をもって結果として殺された人の数)
しかもこの30年に殺人の認知率(特に子供殺しの認知率)は上がっていると思われ、実際にはこの数字以上に殺人は減っていると考えられる。



4.赤ん坊ごろしが劇的に減っている。昔は年間300人くらいだったが、今は年30人くらい。
=虐待で子供を殺す、というようなパターンは大幅に減っている、ということ。
このデータがすごい・・→ http://kangaeru.s59.xrea.com/G-baby.htm

・ちなみに堕胎件数も減っている。つまり避妊教育が行き届き始めた、ということかも。昔は「望まれない子供」が多く、しかも生まれてから殺されるケースが多かった?←ぶっちゃけて言えば、実は堕胎より自然に生まれた子供を殺す方が母体は傷まず、お金もかからない・・。

・なお、それだけで説明できる減り方ではないが、子殺しの絶対数が減っている背景にはそもそも子供の数が減っていることもある。昔は5人以上生んで、何らかの理由でひとりくらい自分の子供が死んだ経験がある親はたくさんいた。殺人でなくても「子供が死ぬ」ということは今よりよほど身近なことだった。

・昔は裁判での赤ん坊殺しの刑罰は非常に軽い傾向があった。多産多死の社会背景があったためか。・・・刑罰が軽いから殺されやすかったのかしらん??わかんないけど。



5.暴力事件はどんどん減っている。特に若者の犯罪が減っている。
・草食系が増えているから??
・若者の凶悪犯罪が減っているために、報道自体はどんどん大げさになる。“珍しいから、より大きく取り立てて報道している”とも言える。



6.犯罪統計は、犯罪者の数を表すのではなく、警察官がどれくらい“書類を書いたか”を表す。
・犯罪、警察の世界では、“重要”で“捕まえられそう”な犯罪のみを“認知する”(書類に残して記録する)というのが基本。この方針が変わると犯罪数は増減する。
・1998年頃から、できる限り丁寧に記録を取ろうということになった。(それなのに凶悪犯罪は減っている。=日本は本当に安全になっている。)
・なお、人がいなくなると普通は騒ぎになる。だから殺人は最も認知比率が高い犯罪。反対に認知率が一番低いのは強姦罪。



7.昔から殺されるのは大半が家族、身内、知り合い

1977年 故意犯による犯罪被害者の調査データ
「被害者は加害者の何にあたるか」
(件数、全体での割合。殺人の他、致死を含む。過失犯は含まない。)

関係 人数 割合
配偶者 159 11%
子供 505 35%
父母 87 6%
å­« 2 0.1%
祖父母 5 0.3%
兄弟姉妹 28 1.9%
その他の親族 42 2.9%
同居人 31 2.1%
知人友人 273 18.9%
顔見知り 155 10.7%
面識無し 161 11.1%
計 1448 100%
不明 70
合計 1527

今は配偶者殺しがトップになっているし、親殺しも桁が増えている。介護問題が背景にあるかもしれない。いずれにせよ、「殺人とは身内の犯罪」であるという点は昔から変わらない。

人はそんなにむやみに「知らない人」を殺したりしない。殺したいほどの激高した感情は「相当に近い人に対しておこる感情である」ということである。



8.“身内の犯罪”である殺人が減ってるのは、人間関係が薄くなっているから、と言える。

昔は飲み屋もぎゅうぎゅう詰めだし、すぐに隣の人と一緒に飲み始めていた。そしてそのうち口論になって喧嘩で殺してしまう、というのもあった。今は飲み屋やら電車の中やらで隣に座った人とやたらに話をしたりしない。

つまり、昔は家族以外の人とでも気軽に「近しい関係」になっていた。そうなると殺人が起る可能性がある。今は見知らぬ人と「近しい中」にならないので、殺したいほどの感情にもならない。他人と関わらない社会になり、殺人が減っている。

ご近所も同じ。以前はいろいろお節介をやく近所の人が存在した。他人なのに「あんたもそろそろまじめに働かないとダメだ」とか説教される。そうすると「殺したい対象」になりえる。今は親しかそんなことは言わない。


一方で面識のない人を殺す人は、家族と別居しているなど「近しい関係の人がいない人」とも言える。秋葉原の無差別殺人犯人だって、親と同居していたら親が毎日なんらかの小言を言う。そうするとまずは親を殺した可能性が高い。親から遠く離れて一人暮らしだったから、また、職場には殺せるほど濃い関係のある人(本気で対峙してくる人)がいなかったから、“街の誰か”を殺したのかも。

昔だって「殺すのは誰でもよかった」という人はいたであろう。しかし、人の行動・移動範囲が狭い昔は、目の前にいるのが家族である場合が多く、だから殺されるのが家族という形になっていたとも言える。



9.自殺の増加は殺人の減少と併せて考えられるかもしれない。
「誰かを殺したいほどの強烈な気持ち」にとりつかれ、かつ「殺すのは誰でもいい」という感覚が、「じゃあ、自分を殺す」という方向に進むと、それが殺人ではなく自殺となる、と考えられなくもない。殺人は急激に減っている。一方で自殺は近年急激に増えている。

他人に殺される人の数は年間500人だが、自分で自分を殺す人が3万人いるのが日本という国。

この視点はおもしろいと思った。人生に絶望した時に他人を殺すか自分を殺すか、という選択が、殺人か自殺かの分かれ道、というのは新しい視点だよね。たしかに「世の中に絶望した時」に、その絶望を他人に向ければ殺人になるし、自分を内省し絶望すると自殺になるとも考えられる。



10.裁判官が決めるなら量刑は広めの設定がよく、一般人が決めるなら殺人罪の細分化が適切

プロは量刑の幅が広い方が、状況や情状にあわせて使い分けられて便利。裁判員制度などで一般の人が刑罰を決めるなら、家族殺人、保険金殺人、強姦殺人、など、殺人罪を細分化し、それぞれに量刑を設定した方が、運用しやすい。(陪審員など一般人が参加する国では第一級殺人、第二級殺人などに分けて量刑の幅を狭くしている。)



11.高齢者の犯罪が恐ろしいペースで増加している。
・高齢者では、あらゆる犯罪が増えている。(高齢人口の増加以上に?)
・平成20年版の犯罪白書は、第二部にわざわざ「高齢犯罪者の実態と処遇」という特集をしたほど。
(参考:http://www.moj.go.jp/HOUSO/2008/index.html)
・日本だけの特徴かもしれない=日本は社会や人生に絶望する年齢が高いのではないか?欧米はもっと若い頃に“先が見えてしまう”ので、若者が犯罪に走る。日本は年を取ってはじめて“先が見える”のではないか?



以上です。いろいろ「なるほど」な点やおもしろい着眼点があるなあと思った。データが古いのが少し残念でしたが。またそのうち、「だからなんなのさ」ってのを考えてみたい。


そんじゃーね。





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河合幹雄さんの著書は下記。ちゃんと学びたい方はこちらをどうぞ。京大の理学部を卒業後、大学院から専門を変えて法社会学の学者になられています。ちなみにお父様も叔父さまも有名な学者さんです。

日本の殺人 (ちくま新書)

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安全神話崩壊のパラドックス―治安の法社会学

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