なされるべきであった事

天皇訪韓という事柄が、はじめてはっきり提起されたのは、金大中政権の時だったはずである。当時僕は、大統領がこれを提起したのは、日本との間に「現実的な」関係を作ろうとする選択をしたということだろうと思った。


つまり、植民地支配をもたらした天皇中心の日本の国のあり方は、その被害をまともに受けてきた韓国にとって決して望ましいものではないが、その体質を日本が自力で変えるということは、少なくとも当面は望み薄だから、それにこだわって交流を損うよりも、それにはいったん目をつぶって交流を進め、互いに利益を得ると共に、そのなかで日本の国の体質も自ずから好い方向に変わってくれれば良い、というような選択をしたのだと受け取ったのである。
つまりは、日本に対する「太陽政策」ということだ。


だとするとそれは、植民地支配や歴史認識に関わるような次元をいったんは棚上げにして、経済や文化や、また最近では軍事面の交流だけを進めていくということである。
元々、日韓基本条約もそういうものだったと言えなくもないが、金大中政権の決断には、両国の関係の良化に向けた、もっと前向きな思いがあったであろうと思う。
しかし、その後事態はどのように進んだか。
金大中政権以後の両国関係では、たしかにこれらの交流が大幅に進んだ。それを、「関係の発展」という風に言うことも出来る。
交流が進んだことは、表面的には両国の「国民感情」を良好にしたようにも見える。個人レベルでは、この関係の良化によって、恩恵を受けた人、幸せを得た人は、決して少なくないだろう。そのことの意義は否定しない。
そして、おそらく期待された方向としては、その関係の発展が深化ともなり、日本社会の朝鮮半島やアジアに対する捉え方にも大きな変化があらわれ、日本が植民地主義的な国の体質を根本からあらため、それが地域全体の安定にもつながり、という展望であったろうと思う。
だが、そうはならなかったのだ。


現実は、日本という国のあり方が、この間まったく変容しなかったどころか、右傾化、植民地主義的体質の再強化の一途を辿ったということである。
日本は、歴史や植民地支配に関わる問題が棚上げにされたことによって、平和的な国へと変貌を遂げるどころか、植民地主義的な体質の国であることには何ら非がないのだという信念を一層強固にし、右傾化を加速させていったように見える。自分たちに何の非もない(それを韓国側が確約してくれた)と思っているため、周辺国から植民地支配や侵略の清算への要求が突きつけられると、ごちゃごちゃと「文句」を言われているように受け止め、かえって不満を募らせる始末である。
韓国にとっては問題をいったん棚上げにすること自体は、たしかに一つの方策だったと思うが、その方策を両国にとって真に内実のあるもの(つまり、真の和解と正義を実現するようなもの)にするための努力を、まず何といっても日本の側が全く行わなかったのである。
せめて軍事力の削減とか、靖国神社への閣僚の参拝を全面的に禁じるとか、人種差別的な国内政策・入管制度などを全面的に変えるとか、排外主義的な行為を法的にも社会全体によっても厳しく非難し禁じるとか、何より「慰安婦」問題をはじめ侵略や植民地支配に関わる事柄の解決のために真摯に努力するとか、そういった考えうる最低限度のことさえ、まったくしてこなかったのだ。
このため、表面上でどれだけ友好ムードが深まっても、それが日本社会全体の差別意識や、相互の潜在的な対立感情を弱めるということにはならなかった。日本の朝鮮半島に対する植民地主義的な態度と眼差しは、実際は何ら変わることはなかったし、当然ながら韓国の人たちの中にも根本的なところでの不信感、納得できない不正義に対する感情も、消えることなくして残ったのである。
これが、事実の全てだと思う。


戦後、韓国に限らずアジアの多くの国の政権は、植民地主義の清算(日本の責任の追及)という事柄よりも、現実的な関係の強化、それによる安定と相互理解、また国力の強化といった方策をとることが常であった。
そのなかには、日韓基本条約のような、明らかに冷戦という状況の下で植民地支配の問題を消し去ってしまおうとするベクトルのものもあったが、たとえば日中間の条約や金大中政権の選択などは、少なくとも日本に対しての接し方の意図としては、それにとどまらない真に平和主義的な姿勢を含んだものもあったかと思う。
それはひとくちにいえば、まず地ならしを行うという態度である。そのことが、日本という国を植民地主義の桎梏から脱却させ、真の平和を地域にもたすことになる。日本人も含めて、そのように意図した人たちは、たしかに居たであろう。
しかし今あらためて確認せざるをえないのは、地ならしや交流だけが行われ、そのことが根本的に必要な歴史的不正義との向き合いの努力を行わないための口実のようになってしまえば、本当の和解や平和などは、いつになっても訪れないという事実である。


領土問題に関して、よく「グレーゾーン」ということが言われるが、これは元来、植民地支配などややこしい問題は問わないことにして、曖昧なものは曖昧なままにし、互いに経済の実利、国益だけを追求していきましょうなどという、浅薄な知恵ではあるまい。
もしそういう意味であるなら、つまりたんに植民地支配や侵略というような歴史的・倫理的な事柄を不問にしておくための方便としてだけ、それが言われているのであれば、その結果は互いの潜在的な不満や不和の芽の増大を招くだけだろうし、実際そうなっている。
「グレーゾーン」にしておくというような方策が、真に知恵として意味を持ちうるのは、いまただちに国家対国家という近代的枠組み(「領土問題」)で事柄を突き詰めず、いったん平和的な状態を作ることによって、植民地支配や侵略という歴史のなかの暴力にきちんと向き合えるようにしようというメッセージとして発せられ、また受けとられた場合だけだ。
それは、かつて日本がこの地域に行使したそのような暴力が、国家という枠組みを越えた、いわば普遍的な悪だからである。ゆえに、この悪と真摯に向き合うことは、日本のみならず、また全ての国家自身の、過去と現在の独善や暴力性をも自覚・反省させることにつながるのである。
逆に、この日本が行った巨大な暴力が反省されず、それが現在の国家体制においても温存されたままであるなら、国家主義と暴力の根は、いつまでもこの地域から取り除かれないままである。


だから問題の根本は、やはり歴史の不正義が問われなかった、とりわけ、自問されなかったことにある。
周囲の国々にも、国家の強大化への志向や、少数民族への圧迫や、ひたすらな経済的利益の追求といった悪が存在するにしても、だからこそなおさら、日本には日本自身としてなすべきことがあったのである。
日本の民衆が日本の権力者たちにそのことを強いるという正義が、遂行されなかったことこそ、われわれが恥じるべき第一のことなのだ。


「尖閣」や「竹島」の問題にしても、植民地支配という事柄を忘却するなら、そこにはただ領土の争いがあるとしか見えなくなる。
実際にあるのは、誰が植民地支配を行ったのかという一事である。そしてこれは、ナショナルな問題ではなく、より根本的な、ナショナリティ以前の不正義の問題である。
我々が他国の拡張主義や自国中心主義を隣人として諌めうるのも、われわれ自身が自分たちの行使してきたこの暴力性と真摯に向き合う限りでのことなのである。



では正義とはなにか。
それは、一言でいえば、「私はあなたと共に生きることをあきらめない」という呼びかけのようなものだと思う。
例えば、元「慰安婦」の人たちの告発は、そのような正義の叫びとして、われわれに向けられているのである。
植民地主義や軍国主義の継続という道が、それとはまったく相反するものであることは、言うまでもないだろう。
植民地主義の問題を棚上げにしたまま、その暴力性を清算し葬り去るという努力を自ら怠ったままに居直り続けようとする日本の態度は、真に他者と「共に生きる」ということを誰にとっても不可能にするものであり、もっとも深い意味での他者の拒絶、そして地域全体を覆う暴力の潮流への最悪の加担である。


いまわれわれがなすべきことは、自国の真の民主化(脱植民地主義化)の実現を通して、この国家的暴力の増大の巨大な流れに抵抗すること以外にないであろう。
それは、植民地支配に起因するあらゆる暴力と不正義の形態に抗議しようとする、アジアのすべての人たちの闘いの列に、最初で最大の責任を負う者として加わっていくことでもある。