fc2ブログ
Welcome to my blog

「羅小黒戦記」無限と風息についての解釈まとめ

タイトルのとおり。

「羅小黒戦記」の2大イケメンたる無限と風息について、いつもTwitterで言っているようなことをまとめます(つぶやきと重複する部分がだいぶあります)。

「作品の魅力が正確に伝わってこないのでは?」と賛否両論ある、この黒ぷよぷよな日本版宣伝ポスターですが、実は背景にこっそり無限と風息がいるのが笑えます。
まじめに考えると、小黒を挟んで左右に立つこの2大イケメンは、その絵面通り、物語の中で対立するふたりなのだろうと思われます。

20191219092843a0d.jpeg
羅小黒戦記公式Twitterより)

ふたりは、なににおいて対立をしているのか。

また、対立する立場にあるふたりですが、作中で小黒に対してともに「对不起(すまない)」ということばを口にします。
なぜ、一見相反する立場にあるように見える両者が同じことを口にするのか?

結論を先に書いてしまいますと、ふたりは相容れない立場にあるけれども、「子どもである小黒を『人間 対 妖精』の争いのなかで傷つけた者どうし、同罪である」ということなのかな?と、思っています。

順を追って説明していきます。


■「風息=善」「無限=悪」という図式

わたしは「羅小黒戦記」というシリーズに触れたのが映画版で初でしたので、初見の時、この映画の結末(小黒が無限を師に選ぶ)を知りませんでした。
初見では小黒と同じように「風息、いいやつだな〜」と思いつつ見ていました(つまり彼は「善」の側に見えた)し、そこへ突然襲来した外敵である無限は、無慈悲なほど強く、明確に「悪」の側に見えました。

小黒は、旅の始まりの時点ではまだ善悪を知らない子どもです。寝る場所や食べものを与えてくれるから「良い人」と、即物的なものさしで世界を測るのがぜいせい。
ですからこの時点での小黒は「風息=善」「無限=悪」という図式のちょうどまん中、ニュートラルな立ち位置にいると言えます。ちょうど、あの黒ぷよぷよの告知ポスターのように。

そんな小黒と同じく、観客もまただんだんとこの作品の世界観を知り、無限の人柄を知るようになっていくと、「無限=悪」という等式は崩れていきます。
逆に風息が、味方をしているはずの妖精を襲い、能力を奪っていく場面を目の当たりにするにつれ、「風息=善」という図式にも「?」がつくようになる。

やがて、風息が小黒の領界を奪おうとしたことを境に、無限と風息が背負う「善悪」の図式が反転していく構成は、映画的にとてもうつくしいと感じます。

しかしながら、映画の最後で小黒が「風息は悪い人なの?」と尋ねる場面に見られるように、「風息=善」ではないからといって、こんどは「風息=悪」と言いきることがないのも、この映画の誠実な部分と言えます。
世界は広く、「善」「悪」で割り切れないものがたくさんあるという学び(そのなかで、彼にとって「信じるに足るもの」を見つけること)こそが、小黒が旅のなかで得たものでした。


■相容れない無限と風息

無限と風息に背負わされたものは、「善悪」の価値観だけではありません。

そもそも無限は自身で言っていた通り、今現在は既に妖精に近い存在になっているということです。
また若水(シュイ)曰く、「無限は妖精たちのために頑張ってきた」とのことですが、妖精の中には「人間なのに」強すぎるからという理由で、彼を疎んじる者もいるようです。ふつうの人でないことは明らかなのに、妖精たちの間ではどこまでも「人間」と言われる。

この無限の、どこまでいっても「人間」という立ち位置は、作品をメタ的視点で考えた時も同様と思われます。

たとえば、映画の興行収入がそれぞれ2億、3億人民元を数えた時の記念絵、そして公開日発表時のキービジュアル。

785894d3ly1g6z86124s8j23zk5n11l8_s.jpg

785894d3ly1g7f78pp9ifj21ww2pgkjm_s.jpg

785894d3ly1g5awk8zw6tj21xz31znpe_s.jpg
Weibo - 罗小黑CAT [09-14 18:31]
Weibo - 罗小黑CAT [09-28 14:08]
Weibo - 罗小黑CAT [07-24 09:00]

風息と森林の風景が常にセットであるように、無限もまたつねに鉄筋コンクリートの街並みとセットであり、両者は対照的な立ち位置として描かれています。

加えて、映画の感想でも書きましたが、無限の「金属を操る」という能力は、まさに科学技術を駆使して自然を破壊し、鉄筋の街を拡大してきた人類文明のメタファーのように思えます。
映画の冒頭、無限が島を襲撃した際に容赦なく樹を切り倒していくようすは、まさに小黒の森を壊したショベルカーを彷彿とさせます(なので、小黒が無限に対してあれだけ敵意を抱くのもよく分かります)。

この場面、一瞬なので見逃してしまいそうになるのですが、目を凝らして見ると、無限の攻撃から風息がちいさい木の芽を救い出しているようすが見て取れます。
ここから想像できるのは、たとえ樹を切り倒したりするような行為が、人間からすればなんてことなくても、風息にとってはもしかすれば耐えがたい「暴力」や、「殺戮」であったのかもしれないということです。

終盤、風息が小黒の領界を奪った後に、無限師匠が「なぜここまでする?」という台詞を吐きます。無限には本当に、踏みにじられてきた森の叫び声が分からなかったとも考えられます。
もしそうだとしたら、「妖精のために頑張ってきた」と言われる無限ですらそうなのですから、この無理解は人間が自然界の痛みを決して理解できないことを暗示しているのでしょう。

また、下記のように、風息は基本的に殺人をしてこなかったということですが、

这几十年来,风息屡有伤害人类的事件,但没有杀过人
(ここ数十年、風息は繰りかえし人間を傷つけたことはあっても、殺したことはなかった)

Weibo - MTJJ木头 [11月6日 13:07]

しかし、風息は龍游奪還の鍵となる小黒を連れ去るために、線路を爆破するという一線を超えました。一歩間違えれば数百人の命を犠牲にしかねない行為です。
これらの場面から、風息、無限双方にとってなにが大事で、そのためになにになら目を瞑れるのかということが、よく分かると思います※1

風息と無限の相容れなさは、究極には、戦いが終わった後でふたりがことばを交わすシーンにみられます。

無限:人間と妖精は共存の道を探すしかない。相手を滅ぼすなんてできない。
風息:“共存”……こそこそ暮らせというのか。
無限:まだ自分が正しいと思っているのか?

と、いちおう「会話」をしてはいますが……これ、互いに互いのことがまったく理解できてないまま終わってますよね。
無限は風息が言う「そんなの“共存”と言えねえだろ」という主張をまともに取り合っていないし、風息もまた、無限が人間でありながら妖精のために尽力してきたというバックグラウンドを(おそらく)よく知らない。
つまり、「無限(=人間) 対 風息(=自然界)」という争いの大局には、物語を通してまったく決着がついていない。

これは単に「そのように見える」だけでなく、両者の間には大きな溝が残ったままというのが、この映画の着地点ということだと解釈しました。

「羅小黒戦記」映画版はあくまで小黒の個人的な物語であり、小黒が自らの領界の主導権を取り戻し、彼にとっての「居場所」を見つけ出すところで結末を迎えます。
一方「『人間』対『自然』」のような、1時間40分で扱いきらないテーマについては、無理に結論を出さずに先延ばしにするというのは、賢明な判断ではないでしょうか。


■風息の罪

このように、風息と無限は「人間」と「自然」という相容れない立場を象徴する2大キャラクターでありながら、終盤、ふたりとも同じ「すまない」ということばを小黒に対して口にします。
これは一体どういう意味なのか。

前提として「羅小黒戦記」は、子どもを大事にすること、その意思や可能性を尊重することをとても丁寧に描いた作品であると、わたしは感じています。

感想文のなかでも書きましたが、小黒が地下鉄の中で誘拐されそうになった時、周囲の大人が彼を助けようとする場面は、この映画が描こうとしているものを考えるときに象徴的です。

子どもの小黒(6歳ないし8歳、どちらか不明)と並ぶ主要キャラクターである無限は、現在437歳という、神仙の域に達したような存在です。序盤から終盤に至るまで全編、ひょっとすれば主人公である小黒よりもヒロイックに活躍しています。
しかしながら、風息に小黒の領界を奪われた時、無限は無力です。他者の霊域の中にいる状態の無限には、小黒を抱きしめ、守ろうとするくらいしかできることがありません。
そこで彼は小黒に対し「ここはお前の領界だ」と繰りかえし語りかけます。“最強”たる彼に最後の最後で与えられる仕事が、「敵を倒す」ことではなく、「小黒を信じる」ことなのです。

このクライマックスの下り、物語の主人公があくまで子どもである小黒というのがいいですし、力ある者が単に未熟な子どもの代わりに戦ったり、障碍を取り除いてあげるのではなく、その可能性を伸ばすことがなにより大事なのだというメッセージが感じられて、すばらしいと思います。

加えて、映画が始まる前の「寒木春华」(アニメーションスタジオの名前)に、MTJJ監督のお子さんが声を当てているというのも、なかなかに示唆的です。
この映画が、まるで監督がお子さんのために捧げた作品のようにも思えてきます。

このように、子どもを大事にすることを熱心に描いている「羅小黒戦記」において、風息の罪とはなんなのか?と考えた時、おのずと答えは見えてくるような気がします。

風息が龍游を取り返し、たとえばあのまま人類に宣戦布告をしていたとしても、必ずしも罪悪とは呼べないでしょう。無限が小黒に「答えはもうお前の中にある」と示唆したように。
そもそも風息たち妖精は、人間に住処を追われた被害者なのですから。

もし風息が間違っていたことがあるとするなら、それは「子どもである小黒を裏切り、傷つけたこと」ではないでしょうか。
小黒の命を奪おうとしたのみならず、小黒に「あのやさしさには裏があった」と思わせ、心に傷を負わせたこと。
加えて想像ですが、小黒の帰る家を結局与えてやることができなかったことも、もしかすれば風息は負い目に感じていたかもしれません。


■無限のあやまちと贖罪

一方無限は、風息が領界を奪ったことに激怒しますが、このブチ切れっぷりは、風息に対する怒りと同時に、自分自身に対する怒りも含まれていたのではないかと個人的には思っています。
MTJJ監督曰く、風息は過去人を殺したことはなかったために、

无限都没有把风息当做危险人物
(無限は風息を危険人物とは見做していなかった)

Weibo - MTJJ木头 [11月6日 13:07]

とのこと。
劇中でも「風息が危険だとは思ってもみなかった」「私の失態だ」と口走っていた通り、風息の龍游奪還計画に気づかず、小黒を守ることができなかったことは無限に責任の一端があります。

これは想像ですが、小黒の命を危ぶめてしまった自分の失態に、無限はおそらく自責の念を感じてたのではないでしょうか。

無限は龍游に向かう途中、小黒に他人の霊域に踏み込むことの危険性を説いたあと、「もう入りたくなくなったか?」とわざわざ確認しています(ここの無限師匠、学校の先生っぽくて好きです)。
「領界=自らの霊域を外部に放出する能力」ということを理解してから見ると、小黒に「他人の霊域に入ることの危険性」を慎重に説いていた無限が、ああも思いきって風息の領界に飛び込んでしまうとは、いかに必死だったかということがよく伝わります。

そんな蛮勇を自らおかしたのも、単に小黒が心配な気もちだけでなく、自分がその原因をつくってしまった(もっと慎重に考えていれば阻止できた)という焦りがあったと考えるのが、おそらく自然です。

更に言えば、無限はもともと妖精側についている人間ですし、小黒の置かれたシビアな境遇にも同情の念を寄せているでしょう。小黒が能力を持っていたばかりに、風息との戦いに巻き込んでしまったことで、心を痛めていてもおかしくはありません。
たとえ風息たちが悪党の一派だったとしても、小黒にとっての「居場所」を破壊してしまったことは事実であるわけですし。

MTJJ監督は無限の心情について、以下のように言っています。

结局的他并无法原谅风息,哪怕风息也惩罚了自己,但不想把这个情绪给传递小黑。无限也在责怪自己
(風息が自らを罰したとしても、結局無限には風息をゆるすことができなかったが、その気もちを小黒に伝えたくはなかった。無限は自分自身のことも責めている)

Weibo - MTJJ木头 [11月6日 13:07]

無限の「すまない」や、彼が自分自身をも責めているといった監督の発言は、そうしたところからの小黒に対する申し訳なさだったのかな、とわたしは考えています。
つまり無限にもまた、戦いのなかで小黒を傷つけてしまったことへの責任があるということです。

上記のような心情を踏まえると、最後の桟橋を歩く時の無限が、うっすらと笑みを浮かべていることにも合点がいくと思います。
領界を展開した風息に対し、無限は小黒の命を守ろうと孤軍奮闘し、無事生還して小黒を館まで送り届けます。
そこで無限が見せる笑みは、おそらく「小黒の将来を守ることができて、彼を“居場所”まで送り届けることができてよかった」という安堵の笑みだろうと考えられます。

……ところで、「ラストシーンで小黒に背を向けた時の無限は、小黒に呼び止められることを期待していたのではないか?」というファンの疑問についてすこし触れます。
中国本国でも同様に思うファンがいるようで、MTJJ監督は中国での劇場公開時のティーチインで以下のように答えています。

[ファンの質問]
最后无限他是在套路小黑吗?
(最後の場面で無限は小黒を引っかけたのですか?)

[回答(抜粋)]
他们就是很单纯的感情,后面那个套路小黑,并不是,他的确是想让小黑找到个家
(彼らの感情はとてもシンプルで、[無限が]最後のあそこで小黒を引っ掛けたというのは、ちがう。無限が願っていたのは小黒に家を見つけさせてあげたいということ。)

他就希望小黑幸福就好了,所以小黑在叫他的时候他愣了挺久的
(無限は小黒が幸せであればいいとだけ願っていたので、呼び止められた時しばらく呆然としてしまった)

LOFTER - (更新郑州)罗小黑战记路演 导演问答环节提到无限的部分整理

どうやら小黒が呼び止めてくれるという可能性は、無限ははなから念頭になかったようです。
もしかすれば無限もまた、小黒との旅が思いのほか楽しく、「これからも彼の成長を手助けしたい」「そばで見守りたい」と心のどこかでは感じていたかもしれませんが、はっきりとした“望み”としては、表情にも、口にも出しませんでした。

決してすべての妖精から嫌われているわけではないのに、館に足を踏み入れることを自ら禁じているような無限のことですから、人間を嫌っていた小黒にとっての“居場所”が自分のそばになろうとは思ってもみなかったでしょう。

加えて、小黒は風息とのやり取りの中で、心に傷を負いました。風息のやさしさの裏に、龍游奪還という目的があったと知ってしまったからです。
子どもが誰かから優しくされた時、「なにか見返りを求められているのでは?」と疑わなければいけないことほど、不幸なことはありません。

ゆえに、無限から小黒への愛は、無償である(なんの見返りも求めない)ことに意味があると個人的には思っています。
きっと無限にとっては「小黒からなにが返ってくるか(こないか)」などはさして重要ではなく、ただひたすらに小黒の将来を案じる彼の心根こそが、小黒に無限を選ばせたのだという気がします。


■まとめ

以上のことをまとめると、以下のように言うことができます。

そもそも小黒が戦いに巻き込まれて心身に傷を負ってしまったのは、「風息(=妖精) 」と「無限(=人間)」の間の溝が原因
なんらかの対立から争いが生まれたとき、子どもが犠牲になるようなことはあってはならない。みんな、子どもを大事にしようね──ということなのかなと。

以上、だいぶ自己流の解釈が混じり、お見苦しく恐縮です。
劇中のセリフや和訳に誤りがありましたら、ご指摘ください。





※1
注釈としておきますと、MTJJ監督曰く、風息は人間の生き死にに特別頓着しているわけではなかったようです(人間を殺して復讐したいという動機ではない)。
事実、阿赫に人間を操らせ、小黒を襲わせた時も、傀儡にした人間たちを殺したりはしていませんでした。
かつては人間を助けてくれるものとして信仰され、人間を「友」としたこともあった風息が、ああした手段に頼ることしかできなくなった経緯は、想像するだに苦しいものがあります。
Weibo - MTJJ木头 [11月6日 13:07]

小黒から館の意向を聞かされる場面で、風息は「館はいまだに平和ボケな夢を見ている」と吐き捨てますが、風息がだいぶ追い詰められていることが分かる一言だと思います。

そしてこのセリフですが、わたしは極めて尤もだと思ってしまいました。
無限の「人間と妖精は、相手を滅ぼすことはできない」というセリフは、「まさにそれが『平和ボケ』だ」と言われたら、反論できないでしょう。
なぜなら、妖精(自然界の生きもの)が人間を滅ぼすことはできないけれども、逆に人間が妖精を滅ぼすことは可能であり、風息はまさにそのことを危惧していたわけなので。


0 Comments

There are no comments yet.