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倫理的な食べ物はかえって有害かもしれない。

(The Economist Vol 381, No. 8507 (2006/12/09), "Good Food?" p. 10) Ciel mon samedi !

山形浩生訳 ([email protected])

賢いお買い物で世界がよくなると思ったら大間違い。かえって悪くするかもしれませんぞ。

  「政府が動くのを待つ必要はありません……フェアトレードがすばらしいのは、買い物できるということです!」とフェアトレード運動の代表者が今年、イギリスの新聞で語っていた。同じように、ニューヨーク大学の栄養学者マリオン・ネッスルは「有機食品を選ぶということは、農薬の少ない、土壌の豊かな、水のきれいな地球に投票すると言うことなのです」と論じている。

  買い物こそが新しい政治だという発想は、確かに魅力的だ。投票箱なんかどうでもいい。買い物かごで投票しようというわけだ。選挙はあまり頻繁には起こらないけれど、買い物なら一ヶ月に何度もでかけるから、意見を表明する機会もたっぷりある。環境が心配なら、有機食品を買おう。貧乏な農民を助けたければ、フェアトレード製品を買って自分の役割を果たそう。邪悪な多国籍企業やグローバリゼーションの猛威に対する不満を表現するには、地元製品しか買わなければいい。そしていちばんいいのは、お買い物は投票とちがって楽しいということだ。だから善行を積みながら楽しみも味わえることになる。

  残念ながら、話はそんなに簡単じゃない。「倫理的」食物の三大品種、有機食品、フェアトレード食品、地元食品 (地産地消) を疑問視するべきまっとうな理由がある。世界をよくしたい人々は、買い物を変えてもダメだ。世界を変えるには、もっと退屈な仕事が必要なのだ。たとえば政治とか。

有機食品は森林を破壊する

  有機食品は、人工農薬や人工肥料を使わずに育成されるので、一般には化学製品に大きく頼った通常の集約型農業より環境に優しいと思われている。でもそれは「環境に優しい」という意味にもよる。農業は根本的に環境に悪いのだ。人間が 1 万 1 千年前に農業を採用して以来、すさまじい森林破壊が展開された。でも 1960 年代の「緑の革命」の後で、化学肥料の多用によって、穀物の収量は三倍になったが耕地面積は大して増えずにすんだ。有機農法は、化学肥料のかわりに輪作や糞尿、堆肥に頼るので、集約度はずっと低い。だから世界のいまの農業生産を有機農法で生産しようとしたら、現在の数倍の農地が必要になり、森林はまったく残らないだろう。

  フェアトレードは貧乏な農民の所得を上げようとしている。フェアトレード食品は、通常の食品より値段が高い。追加の分は補助金として農民に戻されることになっている。でも、農産物の価格が低いのは、作りすぎのせいだ。フェアトレード食品は価格をつり上げるから、農民たちは作りすぎの製品から他の作物に転作せずに、かえってその作物を作り続けるようにしてしまい、その結果かえって価格は引き下げられることになる。だからほとんどの農民にとっては、当初の意図とは正反対の結果を招くことになる。そしてフェアトレード食品の上乗せ価格分のごく一部しか農民にはわたらないので――ほとんどは小売り商に行く――この方式は金持ち消費者に自分たちの気前のよさを過大に評価させ、貧困削減を簡単なものにみせてしまう。

  でも、地元食品を支持する主張 (地産地消)、つまり消費者になるべく近いところで生産された食品を食べようという主張は文句なしなんじゃないの? なるべく食物に移動させず、結果として炭酸ガスも少なくてすむのはまちがいないのでは? 驚くなかれ、これもダメなのだ。イギリスの食料を調査したところ、食料の移動距離のほぼ半分(つまり食料を運ぶ車の移動距離)は、買い物客が商店に行き来するときに生じる。ほとんどの人は、畑よりはスーパーマーケットの近くに住んでいるので、地元食品を重視すると、生産者に直接みんなが買い物にでかけてかえって移動距離は増える。食物を運ぶのに、スーパーマーケット式にぎっしり詰め込んだトラックを使うのが、食物輸送にいちばん効率がよい方式なのだ。

  さらに、輸送だけでなく生産に使われるエネルギーまで考慮すると、地元食品 (地産地消) はもっと環境に優しくないことがわかる。羊をニュージーランドで育ててイギリスに運ぶほうが、イギリスで羊を育てるよりも使うエネルギーが少ない。ニュージーランドの牧羊はあまりエネルギーを使わないからだ。そして地元食品 (地産地消) 運動は、金持ち国が貧乏国の産物を買うのを否定するので、フェアトレード食品と矛盾することになるのは言うまでもない。でも地元食品 (地産地消) 運動は、どう見ても古くさい保護主義が環境運動で偽装しているだけのようだし、たぶん貧乏国のことはどうでもいいのだろう。

変化をもたらすには

  倫理的食品運動のねらいの多く――環境を保護し、開発をうながして、グローバル貿易の歪みをただそうとすること――は立派なものだ。問題は目的ではなく手段だ。フェアトレードのコーヒーをいくら買ったところで貧困はなくならないし、有機アスパラガスをいくら食べても地球は救われない。倫理的と称して売られている食品の一部は、世界をかえって悪くしてしまうかもしれない。

  では倫理的な心根の消費者はどうするべきだろう。残念ながら、お買い物よりは楽しくないことをするしかない。本当の変化は、世界的な炭素税や世界貿易方式の改革、農産物関税や農業補助金の廃止といった形で政府の行動を必要とする。特にヨーロッパのとんでもない共通農業政策は、金持ち農民を甘やかし、貧乏国の産物をヨーロッパ市場から閉め出してしまう。正しい自由貿易こそが貧乏農民を助ける方法としては文句なしに最高だ。炭素税は炭酸ガス排出のコストを商品価格に組み込むし、それが省エネになるなら商店は近郊で仕入れるインセンティブができる。でもこうした変化はむずかしい国際的な政治取引によってのみ実現される。世界の政府はこれまでそれに成功していない。

  倫理的食品運動拡大のよい点は、希望の基盤がそこにはあるということだ。変化を求める声が大量にあり、政府が環境保護や貿易改革や開発促進に手を尽くしていないという不満が広がっているという信号をそれは送ることになる。つまり、政治家がそれを政治メニューにのせれば、支持が得られるかもしれないということだ。買い物かごで世界を変えるという発想は魅力的かもしれない。でも消費者が本当に変化を望むなら、投票はやっぱり投票箱でやらなくてはならないのだ。


解説

 いや特に追加はないです。おっしゃる通り。もっと詳しい記事はこちらにあるので興味ある方は参照のこと。(フェアトレードの部分だけこちらに訳しました。)

 ただ一つだけこの記事に疑問。有機食品の支持者たちは、「地球に優しい」なんていう理由で有機食品を支持しているんだっけ? 最近はそういう屁理屈も人気を得ているのかもしれないけれど、あれはもともとまぬけであるのみならず「自分さえ健康であればいい」「自分だけは先進的な意識を持っているから農薬被害にあわないですむ、ほかの連中はみんな農薬まみれで死んでいってご愁傷様」という選民意識で広まっている運動なんじゃないの? 少なくとも日本ではそういう印象だが。


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