(『CUT』2004 年 12 月)
山形浩生
鏡をのぞきこんで「なぜ自分はもうちょっと見た目がよくないのか」とため息や涙を漏らしたことのあるあなた。なぜ神様は自分をもうちょっと頭良く作ってくれなかったのか、とお嘆きのあなた。それにはちゃんと、人類進化上の理由があったのです。それを説明する、悲しくもおもしろい本がでましたよ。ニコラス・ハンフリー『喪失と獲得』だ。
進化と遺伝と心の話というと、日本ではドーキンスが普及してきた直後に、竹内久美子がとてもいやな形で汚染して、下ネタおやじギャグで悪しきセクハラ現状維持の屁理屈をこねるトンデモ分野という印象を構築してしまった(新潮社の「進化論の現在」シリーズは、彼女の訳や解説であるが故に手を出さなかった人がかなりいると思う)。国内ではそれに対抗できる人材があまりなく、なんかいかがわしいなあという印象が続いていたのが、最近になって外国の援軍がどんどん出てきて、かなり状況は変わってきたように思う。マット・リドレーの本や、最近ではスティーブン・ピンカーの『心の仕組み』『人間の本性を考える』(NHKブックス)なんかも出たりして、だんだん一般向けのまともな本が増えてきた。本書もその一冊だ。
この分野のおもしろさは、ぼくたちが日常的に体験している人々の行動に、それなりの説明を与えてくれるところにある。もちろん、それが単にあれもこれも進化上の理由があったのだ、というだけの話になってしまう場合も多い。だからこそ現状追認のアドホックな思いつきでしかない竹内久美子みたいなのがのさばる余地も出てきてしまう。でもその一方で、社会の構成や知能の発達に関するまともな進化遺伝学の成果を読んだときに感じる、言い当てられた、という目の覚めるような感覚と、そして実はわれわれがとても単純な仕掛けの中にはまっているのだという、ちょっと悲しい感覚との共存はなかなか比類がない。そして本書が扱うのが、冒頭に述べたように、なぜブスやバカが多いのか、なぜ人は記憶力や美術能力を失ったのか、という話だ。
頭がいいから人類は栄えた、という。美男美女は子孫を残しやすい。だったら、なぜ世の中にバカやブス・醜男がこんなにいるのか? 淘汰されて、世の中超天才や絶世の美男美女ばっかになっててもいいんじゃないの? 頭のよさなら、考えるにはエネルギーが要るから上限があるかもしれない。でも顔や身体のきれいさは? 顔をきれいにするのに大したエネルギーはいらない。それなのにどうしてぼくやあなたみたいな、凡庸以下の外見的魅力に欠ける人々がいっぱいいるんだろう。
一つの答えは、リドレー的な赤の女王仮説だ。頭の善し悪しや美男美女は相対的なものなので、全体としての賢さや美の基準が上がってきたらそれが目立たなくなるんだ、と。でも、ハンフリーの議論はちょっとちがう。ブスや醜男のほうが、バカのほうが、実は生存に有利なんだ。何か一つのものを失うことで、もっと大きなものを得るという進化の働きがここに出ているんだ、と。
どうして? うん、頭のいい人は、他人に頼らずにいろんなことができてしまうことが多い。天才・秀才が孤独なのは、ねたみじゃなくて、かれらが他人を必要としないからだ。バカは他人に頼らざるを得ない。でもそうやって依存し合うことは逆に、集団行動や社会を結びつける。三人寄ればなんとやら。孤高の天才がポツポツと散らばっているよりも、バカがたくさん力をあわせるほうが有利なのかもしれない。
そして、ブスや醜男の存在理由も……もう見当がつくだろう。美男美女は待ってるだけでいいので、何も努力をしない。ブスや醜男は、なんとか子孫を残そうとあれこれ工夫して努力する。それが社会を進歩させ、結局は各個体にとしても子孫を残す確率が上がる。人は、何か(美しさや頭の良さ)を少し喪失することで、もっと大きなもの(社会や努力)を獲得している!
それだけじゃない。この本でいちばん衝撃的なのは、ラスコーなどの古代人による壁画と自閉症児の絵との類似を指摘した部分だ。通常、ああいう壁画は、古代人にも高度な芸術や文化があった証拠とされることが多い。でもハンフリーの説はちがう。そういう壁画は、たとえば複数の動物が重なり合って書かれている様子、動きや表情のとらえ方や人間の描かれかたが妙に下手な点など、自閉症児の絵とそっくりだ。そして自閉症児は、その後の治療で言語能力を発達させるにつれて、そうした絵画能力を失う。ラスコー洞窟の古代人たちも、たぶん言語を獲得していなかっただけなのだ。記憶力もそうだ。昔の人は、ものすごく記憶力がよかった。古事記は、もともと稗田阿礼が暗記していたものだった。でも、いまそんなことができる人はいない。人は、卓越した絵画能力を失い、記憶力を失うことで、人類は言語能力を得て、記録文化を手に入れた。当時の年寄りは「最近の若い者は」と文句を言ったろうけど、でもそのほうが長期的には有利だったのだ。他にも本書は他にも宗教やプラシーボ効果なんかについて、驚くような指摘を次々に行ってくれる。
ハンフリーの説(多少仮説を交えつつもかなり根拠のある議論ばかりだ)はある意味で、コンプレックスをばねに成功する、という話を言い換えただけとも言えるのだけれど、それが悪あがきではなく、生物学的にちゃんと意味があることだ、と言われるのは、何となく慰められるような気がしなくもない。その一方で、逆に重荷に感じる人もいるだろうけれど。あなたがルックス的に劣るのは、進化があなたの努力に期待しているからなのだ。ケネディじゃないけれど、進化がきみのために何をできるか問うのではなく、きみが進化のために何をできるか問え! というわけね。さて、その期待にわれわれは応えられますでしょうか?
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