池田信夫の公開質問状に対する公開お答え状

山形浩生

 レッシグ『コモンズ』の訳者あとがきで、ぼくはレッシグの見解を我田引水に濫用している例として、池田信夫がプライバシーを否定している、という話を挙げました。すると、池田信夫から公開質問状なるものがきました

私が「プライバシーはまちがっている」と発言した証拠、および「プライバシーを否定した」証拠を具体的に挙げよ。

 とのこと。


1. 証拠を出せとおっしゃるならば……

(sigh) では証拠です。あのあとがきでも触れている hotWired のコラムをごらんください。題名は……(ジャーン!)

池田信夫の「ドット・コミュニズム」第12回

「プライバシーという幻想:あなたのプライバシーは、あらかじめ失われている」

……I rest my case. まんまです。題名からしてプライバシーは幻想だと言い切っています。プライバシーはあらかじめ失われているのだそうです。見事にプライバシーを否定し、それが実質的に存在しないと断言しているではありませんか。

Q.E.D.

おしまい。

 が、これだけですませるのは不親切かもしれません。幻想と言ったからといって否定したことにはならない、と強弁することもできるでしょう。でも中身を見てみましょう。全編これ、プライバシーは存在しない、というのとプライバシーは概念としてもおかしい、ということを明確に主張しておられます。プライバシー概念そのものを認め、それに価値があることを肯定するような議論はほとんど見られません(そのうち要約をつけますが、とりあえずは自分で読んでくださいな)。

 この文章の中でレッシグについて言及しているところとして以下のような部分があります。

「10月に来日したローレンス・レッシグ(スタンフォード大学)は、『問題は必要以上の個人情報がもれないように本人がコントロールすることであって、個人情報の流通を全面禁止することではない』と述べ、W3C(World Wide Web Consortium)の提案しているP3P(個人情報の取得を確認するためのプライバシー規約)を推奨した。」(強調山形)

 これはレッシグの主張に賛成しているのだと判断されます(そうは明記されていませんが、そうでないとこの部分の意味はない)。ですからぼくはこの文章を「プライバシーなどというのは輸入物の無根拠な概念で、プライバシーは基本的にはまちがっていて、プライバシーなんてのはいらないが、でも自分で自分についての情報流通をコントロールすることは必要(つまり自己情報コントロール権は必要)」という主張だと理解しました。

 ところがなんと、次の論文では自己情報コントロール権は有害である、という議論を展開していますね。

池田信夫の「ドット・コミュニズム」最終回 情報は自由を求めている

 すると、池田さんの否定していないはずのプライバシーで、いったい何が残っているのでしょうか? ぼくは何もないと思う。

 以上をもとに、ぼくは池田信夫はプライバシーを否定している、と主張しています。

 ぼくはこれはとても素直な読み方だと考えています。我田引水や、極度の歪曲はないと信じています。もちろん、そういうつもりで書いたんじゃないのかもしれない。でもつもりがどうだろうと、実際に書かれたもので判断は下されるわけです。よく読むとそうじゃないことも言っているとか主張できるところもあるにはあります。「プライバシーは二次的な権利にすぎない」というところは、好意的に読めば、二次的とはいえそれが権利として存在することは認めている、という主張は不可能ではないでしょう。が、全体としての論調は「プライバシーはまちがっている」です。山形が決定的に読み違えている部分があれば、ご指摘いただければ幸いです。が、でたらめを書き散らしているわけではなく、それなりに根拠があることなのだ、というのは第三者にはご理解いただけるものと信じております。池田信夫の主張は、ご自身のおつもりはどうあれ、人にはプライバシー否定と読まれて仕方ないシロモノなのです。


2. とはいえ……

 ぼくも池田信夫の問題意識がわからないわけではない。プライバシーも、個人情報保護も、めちゃくちゃな極論をするといろんなものが動かなくなって困ります。それは事実。その意味で、ぼくと池田信夫は、実はそんなに遠いところにいるわけではないのでしょう。が、だからといって、プライバシーそのものがいけないとか、自己情報コントロール権そのものがいけないとか、そういう議論にはならないのです。あのあとがきにも書きましたが「バランス」が大事なのです。バランスというのはむずかしいですね。

 ですが、むずかしいからこそ、プライバシーとか自己決定権とか、ある程度の大枠としての概念があること、そしてそういう概念に価値があるということを前提にしないと、話が細部に入り込んでしまうのです。バランスを議論しようというときに、そもそもプライバシー自体が幻想とか、自己情報コントロール権自体が危険とか、そういう発言をレトリックとしてであれ行うことがいかに有害か、認識していただけないでしょうか。


3. メーリングリストの件

 メーリングリストの件は、池田さん、もし自分のおっしゃっていることに本当に自信があるなら、ご自分でわれわれのやりとりを公開してみてくださいな。他の人が見て、どういう感想を持つかぼくも興味があります。ぼくはあそこでの自分の発言を公開していただいても、何も問題はありませんし、そこでプライバシーに基づいたケチはつけません。ただ、もう一度あのやりとりを読み返してみてください。特に最後近くで、山形は礼儀を知らないとかなんとか言い出しているあたり。あるいは池田さんはレッシグのFuture of ideasを引き合いに出しているあたり。本当に、池田さんはご自分で思いこんでいるようなことを主張なさっていますか?

 さらに山形が「メーリングリストの圧倒的多数からも批判され」とおっしゃっていますが、「圧倒的多数」という認識はどこから出てきたのでしょうか? あのスレッドを読み返す限り、発言しているのは山形、池田、崎山、伊藤、福富、かなり下がって唐沢くらいです。山形批判の声はほとんど見られません。さらにこのやりとりが行われたスレッド「national id」の最後のほうではS氏による「フレフレ山形!」というぼくへの応援も出てますが……さらに、むしろいまの住基id性の問題を指摘する声のほうが多いようですよ。


4. そして最後に

 最後の段落については、たとえば常習というからには、事例が一つだけでは明らかに不足で、もう二三個挙げていただくと議論の説得力がまします。が、それ以前にあの程度の言論を裁判によって封殺する、というのは知的コモンズ的にはどうなんでしょうか? そういうことをお考えにならずに、無批判にテクスチャル・ハラスメントなどという恥ずかしいお題目をふりかざすのは、本当に賢明なことだとお考えなのでしょうか。上でリンクしたhotWiredの連載で、

「民主主義の社会では、表現の自由や知る権利が最優先されるべきで、プライバシーはそれを侵害しない範囲で認められる二次的な権利にすぎない。」

と主張なさっている池田信夫が、テクスチャルハラスメントは表現の自由を上回る重大な懸念事項であると考えていらっしゃるのでしょうか。さらに、ぼくが小谷真理をちゃかして賠償金を払ったら、なぜプライバシーについて語るのが笑止になるんでしょうか。

 が、まあそれはどうでもいいこと。以上がご要望の証拠とその説明です。ご満足いただけたことを祈ります。取り急ぎ。(つづく、かも)



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