
終戦の日の8/15、九段の靖国神社と千鳥ヶ淵の戦没者墓苑に足を運んできた。正午にテレビで「全国戦没者追悼式」が放送されるのを見届け、35℃の炎暑の中を駅まで歩き、酷暑とお盆のために乗客が減った電車に乗って九段下まで出かけた。靖国神社に出向くのは9年ぶりで、前回は、小泉純一郎が8/13に参拝して靖国が重大な政治問題となった2001年の8/15に訪れている。現場で取材をしていたNEWS23の草野満代が右翼の暴徒に襲われそうになり、「身の危険を感じた」と放送で語ったときだ。あの日も厳しい暑さだった。当時の記憶では、九段下駅に繋がる「
北の丸スクエア」の地下にスターバックスの店舗はなく、暑さ凌ぎにキャラメル・フラペチーノを緑のストローで啜る便利な環境はなかった。靖国についての報道と関心は、その当時をピークにして次第に下火になり、論壇やマスコミを賑わす機会も減っている。今年は特に閣僚の参拝がなかったため、靖国はテレビ報道が注目する話題とならず、お昼のニュースで放送されたのは武道館の式典の方だけだった。9年前の境内にはカメラとマイクを持った報道クルーが大勢いた。隊列を組んで行進闊歩する戦闘服姿の右翼集団も多かった。今年は報道車両は見なかったが、警察車両の方は相変わらず多く、靖国通りの路上に5台、大鳥居から大村益次郎像までの狭い参道上に6台が一列駐車し、やはり異様で不穏な雰囲気を醸し出していた。ここから先は右翼のイデオロギーの聖域で、危険だから一般市民は踏み込むなと立入禁止の警告を発するように。
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靖国に参拝した国会議員らも、街宣している右翼らも、実際に戦争が起こったらいの一番に安全な場所へ逃げる人たちでしょうね。
威勢良く主張しながら、いざとなったら憎し左翼と普通の国民を前線に出し盾にし、自らは逃げる。
「国家」「お国」という隠れ蓑があれば、他人の命は自分の意のままになると考えている。
そうでなければ、あの攻撃性と憎悪の空気は生まれない。
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いつの頃からこのような表現となったか分からないが「右翼暴力団」というような呼び方がある。
「右翼」と「暴力団」というコトバが並んでいるように「右翼」には市民権?がなく、侮蔑、軽蔑され、排撃される存在になっている。
最近、自分の身の回りでは、政治的、社会的に言い合うことが少なくなってしまっているが、それでもほんのたまに「その主張は右翼」って批難された瞬間、ひやっーと冷たい風が頬を殴る。
社会の大きな流れはどんどん「右傾化」が進んでいるのにもかかわらず、我々の日常には「右翼(化)の姿」を発見し、またそれを目撃する機会がほとんどない。
「右翼」の大立者と言うか理論家として我々が知っている「北一輝」だが『ウィキペデア』によると、
二・二六事件の理論的首謀者とされ、処刑された「北 一輝」は中国の革命運動に参加し、(松本清張によれば)『国体論及び純正社会主義』を書いたときは「社会民主主義者」だったが、『日本改造法案大綱』を書いたときは「国家主義者」へと変貌し、1930年以降は「革新」青年将校の動きを背景に三井財閥などに金を出させる「政治的強喝屋」であったと記述されている。
世の中の貧困状況に心を痛め革命家となりやがて「強喝=恐喝」へと精神と思考の劣化に陥ってしまったようだ。北一輝は戦前の「右翼活動家」だが、戦後右翼はこの流れの中にあるのだろうか。
日本のヤクザの思想・論理「任侠道」につながる話を聞いた記憶がある。裏覚えだが、かいつまんで言ってしまうと江戸時代、無頼旗本の乱暴狼藉があったり、お金を借りたのに返さない旗本がいたらしい。すると町衆と言うか商家としてますます力を有してきた大商人が自衛のため、貸した金を返してもらうため、「街のはぐれ者」を雇った。その彼らを小集団として組織して旗本屋敷に「金返せ」運動?を展開。しかし、その連中の多くは「はぐれ者」だから正規?の武士とは異なって大小の刀の帯刀は許されず、また剣術の心得もない者も多かったので長い刀(ながドス)で武家に対抗したようである。奇抜な衣服をまとった者もいたらしいからさぞや目立ったことだろう。
国定忠治、清水次郎長などヤクザ者の話が、浪曲、講談、芝居となって多くの人々の拍手と喝さいを受けてきた。困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、体を張って彼らを助けるために自己犠牲を発揮する「任侠」話は、日本人の義理人情に通じるものがあって、「ヤクザ映画」の全盛時代もあった程である。
ただ江戸時代後期に入って一部のヤクザ組織と十手・取り縄(警察)が国家の支配体制と一体となってからは「任侠道」は変節していたのではないのか。
「右翼」と言う日本語のコトバには「何か厭だな」「暴力と威圧」「受け入れることができない感情」などなど、きっとこれらの流れが我々の脳内に潜在的にインプットされているような気がする。
もし彼らのなかに「寛容さ」と「寛大さ」を包含することができたら「右翼」が市民権?を得ることもあり、かなとも思える。しかし残念ながらその可能性は皆無なのかも知れない。
数年前、小泉純一郎が首相在任中の1月1日に参拝したことがありましたね。私はその時、たまたま近くを通りがかったので境内に入ってみましたが、靖国通りに面した南門を入って直ぐのあたり(中門鳥居の左脇)に、数十人の暴力団構成員とおぼしき面々(黒のサングラス、黒のスーツ、角刈りないし坊主頭、凄みのある目つき・・・)がたむろしていたのに驚きました。入り口には確か、「集団的な示威行為等は禁ずる」旨の立て札があるのに、神社側も警察も、承認済みなのか黙認しているのか、全く規制する様子はありませんでした。
神社のホームページによると、「靖国」には「平和な国家を建設する」との願いが込められているそうですが、少なくとも事実認識として、現状がおよそ「平和」を祈念する場にふさわしくないことを、ここに参拝する政治家達もまず認めるべきではないでしょうか。(認めないというのなら、右翼や暴力団のオーバープレゼンスに対する考えを聞いてみたいものです。)
もはや観念論で靖国への賛否を議論できる限度は超えていると思います。ヨーロッパ的な言葉遣いで言えば、「ネオ・ナチの聖地」と化していると言えるかもしれません。
広島平和式典の格調高く美しいルポルタージュ。日本は捨てたもんじゃないと思いました。
広島市長や、宜野湾市長こそが、いまや真の意味で日本のリーダーだと思いました。
他方、戦慄の靖国右翼集団発狂のレポート。ああ、日本はやっぱりもう終わってるのか、少なくとも東京には住みたくないなあと感じ入りました。
どちらの記事も圧倒的です。このブログにジャーナリズムのプライズを授与すべきです。こんな筆力の凄いジャーナリストが日本に一人でもいればと思うこの頃です。
靖国神社はその法人の責任において、周辺地域で暴力沙汰を起こさないよう参拝者にきちんと徹底させるべきです。それを放置し、極右の騒擾を推進する触媒となるなら、日本の法秩序は制裁を加えるべきです。これではあきらかに「憲法の敵」ですから。日本国憲法の価値相対主義には限界があると思います。
靖国は、少なくとも歴史的事実としては、アジア人民大量虐殺のイデオロギー装置です。東京裁判で裁かれた八紘一宇思想に基づく戦争犯罪を、逆に崇高な英雄的行為として認定しなおすべきだという狂った歴史観を称揚する組織。それは神社自体が自認しています。これはあきらかに日本国憲法の精神と相容れることはありません。靖国が信教の自由の保障によって守られるとすれば、それは神社が憲法秩序に反抗しないという恭順の意を表する限りです。
もし、靖国周辺に集合する右翼が、日本国憲法を敵視する言説を撒き散らし、暴力の行使をほのめかして国家の秩序を壊乱しようとしていたとするなら、内乱罪が適用されるべきです。少なくともブログのルポルタージュにみられる極右集団は、九段下交差点に限って、国家の秩序を壊乱しているように見えます。
そして靖国を取り囲む極右セクトの暴力行動がエスカレートして、もし無関係の市民に無差別に危害を加えるなどして殺人未遂事件を起こすに至ったならば、極右セクトの犯罪行為は一体として靖国神社の犯罪として評価されるべきです。大量殺人団体規制法の適用――「無差別殺人」に該当するかどうかの難しさはありますが――も問題にしてもよいのではないでしょうか。
そこまでゆかずとも、一般市民の通行を妨害するようなら往来妨害罪、道路交通法違反、警察官の指示を無視するような場合には公務執行妨害で拘束・検挙できるはず。
では、どうして右翼側に誰も逮捕者が出ていないのでしょうか?都知事がファナティックな右翼の石原慎太郎であるということを忘れるべきではないと思います。東京都公安委員会は極右主義者の手に落ちているのです。東京は、既にマンガ右翼が巣食う、白痴の都と化しています。石原が知事で、参議院では「改憲慰安婦」丸川珠代や超新自由主義政党みんなの党の候補が当選するという有様です。
都知事がもっと理性的なリベラル派であれば、ノイズ右翼の集会を野放しにするような無責任な態度をとったでしょうか?道路使用許可の大盤振る舞いをしているのではないでしょうか。否むしろこの日を狙って都知事筋から働きかけて集会を「演出」しているのではないか。新興宗教的技法である、暴力と恫喝を開放する「磁場」を利用し、時には左翼のスケープゴートを襲撃するといったスペクタクルを使って、「引率」されてきた、共同体から切り離されてアトム化した知能の低いB層的市民の劇場的連帯感を強め、「洗脳」の手段にしているのではいでしょうか。
大多数の国民の目には、広島の日本人が正常で、靖国の暴力的狂躁が明らかに異常だと映っていることを信じていますし、またそうであってほしいと思います。
芸術・文芸ネタを書き込もうと思っていましたが、日本にとって、8月は闘争の月だということをすっかり忘れていました。自省しています。
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初めてコメントします。
靖国は以前からこういう基盤があり、イデオロギー的な気持ち悪さが漂っていましたが、それでも以前は、どこか(軍人のみであっても)戦死者との関係をうっすらでも感じられた雰囲気があったのは、今思えば、少なくなったと言われる高齢者の人たちが、普通の人間的な感情の発露から真面目に戦死者を弔う気持ちがあったからなのだなと、自分の体験とリンクしつつ、読ませて頂きながら感じました。
今日、このブログレポートを見て、こうなったら靖国はおしまいだな、ひいては”神道”と言う宗教自体が、崩壊しているのではないかと思いました。サンデルではないけれど、日本人は「宗教とはなにか」「死とはなにか」「信仰とはなにか」そう言う観念的なところから出発しないと、いつまでも現状の靖国のような暴力的幼児性から脱却できないのではないかと思ってしまったくらいです。いづれにせよ、靖国を現状のような喧騒の地にしてしまった、神官の責任は大きいと思います。
戦争、特定の国家や人種に対する差別意識、イデオロギーの違う人に対する暴力行為は、人間倫理の基本として、やってはいけない事であるし、文明を持った人間ならではの基本的な社会善としての大前提の概念であるけれど、それすら抜け落ちてしまった靖国は、もはや宗教ではないのではないかと思ってしまいます。
全盲のデモ参加者に「目が見えなくて生きてる価値があんのか~!」とマイクを使って罵倒する、これが靖国神社に集う右翼の本質。
ことしのNYCでの終戦記念日には、トラックバックさせていただいたように、日本の子どもたちによるミュージカル「葉っぱのフレディ」NY初公演を見に行きました。
http://nyckingyo.exblog.jp/11755748/ とても楽しみながら、いのちについて真摯に考えさせられました。日野原重明先生の講演会でも、戦争廃絶への強い思い入れと、平和憲法を守るための真摯な意見が胸を打ちました。
ことしからNHKの海外放送に加入したので、終戦記念日の特集番組をたくさん観ることができました。それらのほとんども、日本人の平和への強い思い(とくに若いひとびとの)が伝わってきて感動することも多かったのです。
そして、この世に倦む日日さんの靖国レポートを読んでびっくりしました。内臓の奥から虫酸が走りました。これは、あの軍国の時代をそっくり復活させようとする狂気としか思えません。もちろん僕が日本に住んでいた時代からあったひとつの風景にすぎないのですが、その勢いの強さに読んでいるだけでも「殺気」を感じます。これらの風景を見た他のおおぜいの日本人が、その異常な殺気を不審に思い、いのちを生かす方向、真に平和を願う方向に戻ることを信じてやみません。
NYCでの日本の平和の聖者の行進、日野原重明先生の活躍もぜひご覧ください。 金魚
以前、「元駐タイ大使」の岡崎久彦氏が、靖国神社の歴史資料館
の「遊就館」で、太平洋戦争時の反米的な展示を撤去させたと
書かれていました。もし神社が深く検討せず、撤去に応じたと
すれば、”神国日本”のため”鬼畜米英”にたたかった「英霊」は
何と思うでしょう。
また、台湾原住民の一部で、いわゆる高砂義勇兵の霊が
祀られていることに抗議し、”霊を取り戻す”儀礼をおこなおうと
したことがあります。事前に神社と、本殿からある程度はなれた
場所で行うことで合意していたのに、右翼団体が実力阻止
しました。神社なら、御随意に行うがいいぐらいの構えでいて
ほしかったところ、暴力行為を見過ごし、他の者に阻止させて
恥じないとは、いかなることでしょう。
こうした神社の姿勢には、思想的退廃を感じるものです。