映画感想「心が叫びたがってるんだ。 」
TOHOシネマズ海老名で「心が叫びたがってるんだ。」を視聴。
<映画感想 「心が叫びたがってるんだ。」 >
主人公は自分のおしゃべりがきっかけで起きた出来事によって喋れなくなってしまった少女・成瀬順。「地域ふれあい交流会」でのミュージカルを通して彼女が成長していく物語なのですが、このミュージカル、脚本も順が考えたものとなっています。そしてこの脚本、途中で変更がある。作中の現実としては「2つの歌を同時に歌う」というアイディアを生み出すきっかけになるのですが、ここにはどんな意味があるのかな……というのが終わってみて考えたことでした。まずおおざっぱにまとめてみましょう
■ミュージカル「青春の向こう脛」大雑把なあらすじまとめ
1.貧しい少女はお城で毎夜行われる舞踏会に憧れるが、それは罪人達が踊りたくもないのに踊らされる罰だった
2.真実を知ってもなお、少女は舞踏会で踊りたいと願う
3.舞踏会に行きたいがどうしたら罰を受けられるのか分からない少女は、悪い妖精にそそのかされ街に火を放つ
4.自分が犯人だと信じてもらえない少女に、謎の玉子が「もっとも重い罪は言葉で誰かを傷つけることだ」とささやく
5.皆の悪口を言いまくった少女はそれでも罪に問われることはなかったが、皆に嫌われてしまう。ショックで少女は言葉を失ってしまう。それは玉子の策略だった
6.絶望していた少女は偶然、王子に出会う。王子は喋れない彼女に優しく声をかけ、その言葉は少女の胸に染み入っていく
7.王子を愛するようになった少女は、それを言葉にできないことをもどかしく思う。ある日事件が起き、喋れない少女はその犯人にされ処刑されることになってしまう
ED1(変更前).処刑され、首をはねられてしまう少女。しかし、その首から彼女の中に貯めこまれていた思い、王子への愛の言葉が溢れだす
↓
ED2(変更後).誤解が解け、少女はそれまでの罪も含めて皆に許される。その優しさに感謝した少女には、言葉が戻ってきた
当初は少女が死亡するED1だったわけですが、途中で順がED2に変更するわけですね。これを作中と重ねてみるとこんな感じではないか……というのが以下となります。
<少女の犯した「罪」>
順は父の浮気をそうと知らず喋ってしまい、そのせいで両親が離婚してしまったという罪の意識に苛まれているわけですが、劇中でもう1つ「罪」を犯しています。それはもちろん、ミュージカル当日になっての逃亡。本気でやりたいんだ、という「言葉」でクラスの皆を「燃え上がらせて」おきながら、「王子様」だと感じていた拓実の心が自分にないと知ると心くじけて投げ出してしまう。拓実自身が言っているようにひどい裏切りです。クラスの皆が不信感を抱くのも当然でしょう。「処刑」されそうになるのもむべなるかな。
<迎える最初の結末>
順が最初に考えた結末は、処刑台で断ち切られた少女の首から言葉が溢れだす……というものでした。この結末では少女は、その思いこそ王子に伝わったものの、皆に許されることも言葉を取り戻すこともありません。これ、ミュージカルが最初に迎えそうになった結末、そして順の拓実への思いが迎えた結末と似ているのですよね。順が「王子様」である拓実に思いを寄せているのは明らかになっても、拓実の心が自分に向いてないことを知っての逃亡で彼女はクラスという世界から消えてしまう。そして最終的に、告白しても順の思いが拓実に届くことはやはり、ない。順が考えた最初の結末は、舞台裏というもう1つの劇場でも果たされたと言えるでしょう。
<迎える真の結末>
でも、脚本が書き換えられたように順の結末はそれだけでは終わりません。自分の思いを受け入れてはくれないけど、自分の言葉を受け止めてくれる拓実とのやりとりを通して順は舞台に舞い戻る。そこに待っていたのはクラスの皆からの指弾ではなく、「罪」に対する許しと励ましの言葉。その優しさに彼女は涙し、改めてミュージカルで自分の言葉を取り戻す。順の描いた「2つの結末」は、舞台で菜月と2人で同時に少女を演じるという形に、そして再び舞台裏で「もう1人の王子が出現する」という形に姿を変えて1つに――即ち、順の心に帰着するのです。
……と書き連ねてみましたがこの解釈、順達の物語がミュージカルをなぞったものではないこともあり、かなり想像と現実が混濁してますね。正直、自分でも書いていて混乱しないでもない。この辺り、初見終了後の現時点では本作がすっと僕の胸には入ってこない理由でもあるかな。こうした「脚本」からの逸脱、ズレは「玉子の呪いで喋れない」という「順が自分の書いた筋書き」からの脱却という意味合いもあるのかなとは思うのですが。拓実と菜月の思いも、大樹の告白の結果も筋書きの外。この先何が起きるかは分からないけれど、そこには心の叫びを押し殺してきた束縛から抜け出なければ見られなかったものが待っている。
このミュージカルと作中の現実の繋がり、一筋縄ではいかないだけに見る人毎に解釈が分かれるのではないかと思います。話そのものが分からないというような難解な作りではないながら噛みごたえがあり、「あの花」とはまた違った面白さのある作品でした。
しかしパンフで脚本担当の岡田麿里が語っているように王子≒玉子ではあるのですが、そのまあるい玉子を演じるのが坊主頭の田崎って随分シャレが効いているなwww
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【言及】
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