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2008年8月16日 (土)

記憶

に書いたときには、ここまで続けているとは思わなかった。
ブログを始めるちょっと前から、いろんな人のブログを拝見していて、ムヅカシイだろうなぁ…と思ってた。
それが、初めてTBを送った先で好意的なコメントを頂いてから調子に乗って書いている。

お気付きの方もいるだろうけど、ここのところ沖縄の話題である。
これは、家にTBを下さっている「そいつは帽子だ」さんや「リーフチェッカー’さめ’の日記」さんの思いに、自分ができる範囲で応えなければならないという衝動によるものである。

「本土」で生まれ育った私でも、意外に沖縄が身近だったりもする。
大和の出撃の際、「お前は若いから下りろ」と命令されたという特年兵を父上にもつ方とお話したこともある。
会社勤めを始めたころの派遣先には沖縄出身者が多く、豪快な呑みっぷりに圧倒された。その中にいたある先輩から「5㎞…この数字わかるか?」と問われた。なんのことだか判らなかった=沖縄島の最大幅(一方の海岸から陸地に向かって歩いていって対岸までの距離)だそうである。その先輩曰く、「その狭く細長い島で、沖縄戦が行われたのだよ…」。いつもニコニコと笑顔を絶やさない人だったけど、そのときの目は笑っていなかった。

さて…昨日は8月15日=敗戦記念日である(正式な降伏文書の取り交わし日がどうだこうだという話は混乱を招くだけであり、無視する)。

母たちの戦争体験は、どうもここから本格的に始まっているらしい。
戦争中はB29が遥か上空を飛んでゆくのを見て、「あ、今日もまた関東のどこかが爆撃される」というのはあったらしいが、なにしろ田舎である。上陸作戦ともなれば「どうにでもなれ」という心境だったのかもしれない。それが敗戦で交通の自由が確保されたとたん、都市部の混乱が田舎にまで押し寄せてきたそうだ。

むしろ、東京に嫁いでいた大叔母のところが大変だったという。
当時物理学校の学生だった従叔父から、焼夷弾による空襲てのは…という話を聞いた。
凄絶な話だった。ここではちょっと書けない。

高校を卒業して全国戦災障害者連絡会の杉山さんのお話を聞く機会があった。
この人の話も、従叔父に共通するものがあった。

その8月15日があって、11月3日があって、5月3日があって、今がある。
それは忘れてはいけないことだと思う。

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» 国家としての「敗戦責任」を問うはある。しかし勝手に始めて勝手に負けやがって庶民にとっちゃ終わってホッとだから「終戦記念日」でもいいじゃん。 [雑談日記(徒然なるままに、。)]
 逆に言うと、その時の国民全員が「敗戦」と思っていて、一人も「戦争が終わってホッとした」って言う人がいなかったら、全員洗脳カルト状態ってことでそれはそれで気持ち悪いよなぁ、。国民にとっては終わってホッとで「終戦記念日」でも良いんじゃないの。  なんでこんなことを書いたかと言うと、反戦な家づくりさんが「貴い犠牲なんて無い」で今日は、敗戦を終戦と言い換えたペテン記念日だ。って書いている。反戦な家づくりさん以外でも今まで何回か読んだことのある言葉と、論法である。 しかし勝った米国、8月14日のニューヨーク... [続きを読む]

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