リンカンシャーの花束 (1937)
Lincolnshire Posy for Wind Band
作曲:パーシー・A・グレインジャー (1882-1961)
Percy Aldridge Grainger
演奏時間:約16分
グレインジャーは1882年オーストラリアのブライトンでイギリスからの移民の家系に生まれた。ドイツのフランクフルトでピアノと作曲を学び、まずピアニストとして活躍を始めた。ヨーロッパでの演奏旅行でのグリーグと出会い影響を受け、イギリス民謡の収集を始めるようになる。1914年渡米し一時期軍楽隊にも所属。ピアニスト、作曲家、自作の指揮などに活躍し1961年に亡くなった。従来の技法にとらわれない自由な作風が特徴で、主な作品には『組曲「早わかり」』『戦士たち~想像上のバレエ音楽』などがある。
この作品は1936年、アメリカのプロフェッショナル・バンド“ゴールドマン・バンド”の主宰エドウィン・フランコ・ゴールドマンによってアメリカ吹奏楽指導者協会第8回総会で演奏するために委嘱され、1937年作曲者の指揮によるミルウォーキー・シンフォニック・バンドの演奏で初演された。
曲は6つの楽章からなり、いずれもイギリスのリンカンシャー(イングランド東部の州)で採取された民謡を用いて作曲されている。親しみやすい旋律を持ちながらも、変拍子や複雑な和声が使われている。タイトルの意味は作曲者によれば「(リンカンシャーの)音楽の野生の花束」とのことである。
1.リスボン(水夫の歌)
リンカンシャー、ブリッグに住むディーン氏の歌っていた民謡に基づく。ミュートのトランペット、ホルン、バスーンによって軽快にスキップするような旋律が楽器を変えて繰り返される。途中ホルンによって力強く奏される旋律はイギリスの民俗学者ルーシー・ブロードウッドによって採取された「マールボロー伯爵」という民謡。 約1分30秒
2.ホークストウの農場(けちん坊と召使い - 地方の悲劇)
リンカンシャー、コックスヒルに住むジョージ・グールドソープ氏の歌った民謡に基づく。どことなく悲しげな旋律がホルンやサクソフォンらによって静かに歌われる。トランペットのソロの後全合奏となり、潮を引くように終わる。 約2分45秒
3.ラフォード公園の密猟者(密漁の歌)
リンカンシャーのジョゼフ・テイラー氏の歌った民謡に基づく。最も高度な技術を必要とし、A(ソロがフリューゲルホルン)とB(調が4度低く始まり、ソロがソプラノ・サクソフォン)の2ヴァージョンがある。冒頭、ピッコロとクラリネットが歌う旋律をE♭クラリネットとバス・クラリネットが追いかける。フリューゲルホルン(ソプラノ・サクソフォン)ソロ、低音部、ホルンと伴奏やダイナミクスを変化させて歌い継がれていき、楽器を変えて冒頭部が再現して静かに終わる。 約4分15秒
4.元気な若い水夫(恋人と結婚するための帰還)
リンカンシャー、バートンに住むトンプソン夫人が歌っていた民謡に基づく。クラリネットで奏される愛らしい旋律が伴奏を変えて色々な楽器に受け継がれていく。 約1分30秒
5.メルボルン卿(戦争の歌)
リンカンシャー、バートンに住むジョージ・レイ氏の歌った民謡に基づく。冒頭の金管による旋律は楽譜に小節線がなく、指揮者が指揮棒を振り下ろして節回しを指示する。トランペット・ソロを経て冒頭が戻り、リズミカルに変形された民謡が奏される。一旦静まり冒頭部がまた奏され劇的に終わる。 約3分15秒
6.行方不明の婦人が見つかった(踊りの歌)
リンカンシャーのヒル夫人という看護婦が歌っていたものをルーシー・ブロードウッドが採取したものに基づく。木管楽器で演奏される舞曲風の旋律が伴奏や楽器を変えて繰り返されていくパッサカリアの形式を用いている。最後は全合奏になりバスドラムの一打で幕を閉じる。 約2分30秒
グレインジャーは以前からオーボエやバスーンといった楽器の音色を好んでおり、テュッティばかりで各楽器の音色が生かされない当時の軍楽隊的演奏が主流の中で、ウインド・バンドという言葉を用いてもっと各楽器の音色や能力が発揮できるような曲を書いた。コンサートでの吹奏楽のための良質なオリジナル曲が少ないことに悩んでいたエドウィン・フランコ・ゴールドマンと親交があり、同じ問題意識を持っていたグレインジャーがこの曲を書くのは必然であったともいえる。
初演のプログラムによると初演時は現在の第四楽章がなく全五楽章で、第一楽章のタイトルが「ダブリン湾」、第二楽章のサブタイトルが(けちん坊と殺人者)になっている。また初演では第三楽章でミスがあったらしくゴールドマン博士がグレインジャーに謝罪の手紙を送ったらしい。
この曲に使用された民謡は第六楽章以外はグレインジャー自身が採取したものであり(第一楽章の対旋律はルーシー・ブロードウッド採取によるもの)この作品以前に合唱用に編曲した曲もある。
ホルストの『第ニ組曲』やヴォーン=ウィリアムスの『イギリス民謡組曲』など民謡を用いた吹奏楽曲はあるがこれらの曲が民謡を近代的西洋音楽に取り入れたものであるのに対し、『リンカンシャーの花束』は近代的西洋音楽の技法を用いて民謡を再現しようとするものである、と思える。民謡を(その歌手の節回しも含め)再現するために多用される変拍子。本来モノフォニーな民謡に対位法や和声を用いていることも民謡の持つ雰囲気の再現のためのように聴こえてしまう。
ソプラノからバスまでのサクソフォンやコントラバスーンの使用、バリトンとユーフォニアムの書き分け、多彩な音色を引き出すオーケストレーションなどこの後に体系化するウインド・アンサンブルの考え方に与えた影響は計り知れない。最近のグレインジャー再評価の動きとも相まって演奏機会も増えているようだ。
第三楽章の2つのヴァージョン
第三楽章「ラフォード公園の密猟者」には2つのヴァージョンがある。ヴァージョンAは中間のソロがフリューゲルホルンで演奏され、ヴァージョンBはソロがソプラノ・サクソフォンで冒頭の調が4度低い。グレインジャー自身はヴァージョンBを推奨しているようだが、ヴァージョンBでは冒頭の調が4度低いことで曲の最後の再現と調が合わなくなっている。楽曲の構成によるものなら調の変更は必要ないのでフリューゲルホルンとソプラノ・サックスの楽器の特性を考えた変更とも考えられる。ラヴェルが『ボレロ』のソプラノ・サックスのソロ部分をソプラニーノ・サックスと分担して書いているのはサックスの音域について誤解があったからとか、当時は楽器の性能が低く高音部の音質が悪かったからとか言われている(現在はソプラノのみで演奏するのが一般的)。クレインジャーは自身がサックスを吹けたのでこのようなことが原因とは思えない。
生前グレインジャーと親交があり楽譜の校訂者でもある指揮者フレデリック・フェネルは、3度のレコーディングすべてでヴァージョンAを採用している。ただし3回目の東京佼成ウインドオーケストラとの録音ではヴァージョンAの調でソプラノ・サックスのソロという裏技である。フェネル自身はここまでヴァージョンAにこだわって演奏することに関しては具体的には何も語っていないようだ。
(以下の試聴はヴァージョンA→ヴァージョンB→ヴァージョンA(S・Sax Solo)の順でソロ部分を3パターンを連続で再生)
※初版の楽譜は間違いが多く、フェネルがイーストマン・ウインド・アンサンブルで1958年に録音の際校訂しグレインジャーも目を通した。その後1985年日本での予定が急にキャンセルになったフェネルはこの間にさらなる校訂を行った。それぞれの成果は録音で聞く事ができる。
演奏紹介 (現在入手困難なものもあり)
フレデリック・フェネル 指揮 イーストマン・ウインド・アンサンブル
フェネル最初のレコーディングにして歴史的録音。1958年とは思えない鮮度の録音で、熱気伝わる演奏。第三楽章ソロはコルネットを使っているが、フリューゲルホルンが当時珍しかったためらしい。ヴァージョンA使用(コルネット)
Amazonで見る→グレインジャー:リンカンシャーの花束
HMVで見る→リンカンシャーの花束/フレデリック・フェネル
別カップリング(HMV)→Fennell / Eastman Wind Ensemble
フレデリック・フェネル 指揮 クリーヴ゙ランド・シンフォニック・ウインズ
CD「スターズ&ストライプス」収録。クリーヴランド管の名手による演奏。フェネルの解釈には違いはほとんどないが学生のイーストマンよりも余裕ある演奏。ヴァージョンA(フリューゲルホルン)
HMVで見る→Stars & Stripes: Fennell / Cleveland Symphonic Winds
iTuneで試聴→
フレデリック・フェネル 指揮 東京佼成ウインドオーケストラ
最終校訂版による演奏。三度目の録音だが部分的な溜めや微妙のテンポ以外は一貫した解釈。佼成ウインドも誠実に応えた名演。ヴァージョンA(ソプラノ・サックス)
HMVで見る→リンカーンシャーの花束/フェネルズ・ウィンド・アンサンブル・シリーズ
サー・サイモン・ラトル 指揮 バーミンガム市交響楽団
現ベルリン・フィル常任指揮者ラトルがバーミンガム市響常任だった時に残した録音。他の収録曲は管弦楽だが「リンカンシャー」は吹奏楽編成である。テンポ設定を始めフェネルとは違う解釈が興味深い。クリーヴランド管に並ぶ名演。ヴァージョンB
ダグラス・ボストック 指揮 東京佼成ウインドオーケストラ
CD「威風堂々」収録。2006年まで佼成ウインドの常任指揮者だったボストックによる演奏。全般的にたっぷりした演奏でラトルに近いイメージ。ヴァージョンB
HMVで見る→威風堂々/ザ・ベスト・オブ・ブリティッシュ
ドナルド・ハンスバーガー 指揮 イーストマン・ウインド・アンサンブル
1990年大阪でのライヴ。フェネルに近いアプローチだが音を短めに処理する部分があるなど独特な部分もある。ヴァージョンA
HMVで見る→→Eastman Wind Ensemble Live In Osaka
デニス・ウイック 指揮 ロンドン・ウインド・オーケストラ
1979年ロンドンの管楽器の名手が集まって編成されたオケの演奏。デニス・ウイックのテンポ設定はラトルに似ている。ボストックも同傾向なのでイギリス人指揮者の共通点があって興味深い。個人技はやはり高レベル。ヴァージョンA
HMVで見る→Wind Music: Wick / London Wind.o
ローウェル・グレイアム 指揮 アメリカ空軍軍楽隊
CD「Song of the Earth」収録。フェネル校訂版使用だがテンポはラトルに近いのは意外。シャープで爽快感のあるサウンドは相変わらずでやはり上手い。第一楽章に登場する「マールボロー伯爵」を用いたファンファーレも聴ける。ヴァージョンB
iTuneで試聴→Song of the Earth/The U.S.Airforce Band
ティモシー・フォーリー 指揮 アメリカ海兵隊軍楽隊
「Live in Concert Ⅱ」収録。1999年のライヴ。フェネル校訂版使用。ライヴの不利もあり空軍バンドより明快さに欠けるが流石の演奏を聴かせる。1997年のライヴもCDが出ていたがそちらは入手困難。ヴァージョンB
HMVで見る→The United States Marine Band
ユージン・コーポロン 指揮 北テキサスウインド・シンフォニー
この2枚組CDでグレインジャーの主要曲はほとんど聴ける。演奏も定評あるコンビで堅実。ヴァージョンB
iTuneで試聴→Percy Aldridge Grainger
フレデリック・フェネル 指揮 東京佼成ウインドオーケストラ
常任指揮者就任10周年とテオドール・トーマス賞受賞記念で制作されたCDで定期演奏会でのライヴが収録されている。1991年なのでフェネルのこの曲の演奏録音としては最後期のもの。ライヴだからかテンポの揺れが大きく積極的。
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