chocoxinaのover140

ハンドルは「ちょこざいな」と読ませている

「診療時間表」に見る医者の人間らしさ

医者はこわい。

ちょっと血かなんかを見ただけでこちらが日々酒浸りであることを見抜いてくるし、針や冷たい板や苦い粉で攻撃してくるし、さらに相手によっては、こちらが「風邪ひいたみたいで」とつぶやくだけで機嫌を損ねさえする(なぜなら風邪かどうか判断するのは医者にのみ許された高度な仕事なので)。

そんな「無機質な白衣で屹立(きつりつ)する高学歴」こと医者であるが、彼らの存外に人間らしい一面を、いわゆる町医者の軒先で見ることができる。

診療時間を見やすく記した表。

これというのが、一つひとつ見比べてみると単にバリエーションに富んでいるだけでなく、デザインから何から、今この姿に至るまでに介在したであろう人間のさまざまな思いが感じ取れるのだ。

一つ見ただけではピンと来ないだろうから、これからいくつか紹介しよう。

(以後、歯医者や動物病院などなどの診療時間表についても、特に区別なく紹介していく)

「修正」に見る価値観

まずわかりやすいのは、完成した診療時間表に、後から「修正」がほどこされているパターンだ。

表面の印刷を剥がし、さらに裏面から新しい数字を貼り付けたもの

なるべく自然に見えるような工夫がほどこされたもの(診療時間だけでなく、火曜日の診療可否が修正されている)

バックライトの影響で見えにくくなっているもの

もはや画面左上にある診療時間表の更新は諦め、別途カレンダーを掲示しているもの

せっかくそれなりのお金をかけて印刷したであろう診療時間表を修正する、というイレギュラーに相対したとき、見た目にこだわるのか頓着しないのか、そもそも失敗と断じざるを得ない状況になってしまうのか。こうした対応の違いには、院長の個性や診療に対する態度さえ垣間見えるようだ。

個人的には一番最後、カレンダーを掲示するタイプの病院に温かみを感じるし、ぜひ診療してほしい、と思うのだが、あいにくここは動物病院。

どうにか筆者のような資本主義の犬も診てくれないだろうか。

透明なガラスへの非合理的なこだわり

そもそも、だ。

開業医として一生を過ごすつもりであれば、そのキャリアの中で働ける曜日や時間はいかようにでも変化しそうなもの。

それならば、診療時間表は始めからもっと「後から修正が利くつくり」にしておけばいいのに、と思わないこともない。

コピー用紙しか張り出していない、というハードコアなパターン。後から修正しやすい、という意味では極めて合理的だ

ただどうやら、あの修正しにくそうな構造の背景には、つまらない合理性などではない「何か」が優先された、人間らしい選択があるようなのだ。

ここまでにもいくつか見たような、透明なガラスに描かれた診療時間表。

だがよく見ると、

句点のあたりが若干わかりやすいかな

表面はなんと不透明。そこに文字だけでなく影まで印刷することにより、ガラスが透明であるかのように見せかけているのだ。

わざわざこのような表現を選択しているのはおそらく、開業医の間で「診療時間表といえば、透明なガラスに白か黒の文字で描かれているもの」というコモンセンス、あるいは流行が共有されているためだろう。

この仮説を補強する例が他にもある。

これもよく見ないと詳細がわからないかと思うのだが、採光性の高そうな透明なドアに白文字で診療時間表が描かれており、しかしそれでは見にくかったためか、後ろにグレーの布が後付けされているのだ。

一つのガラスに「光を通す」ことと「光を反射させ、描いてあることを目に届ける」ことを両立させようとしたらこうなることは予測できたはず――とまでは言わないが、もしここの院長に、診療時間表はガラスに描くもの、というこだわりが備わってさえいなければ、この不幸は免れたのではないか、と考えさせられる。

先の例を踏まえて見ると、「診療日に後ろのブラインドが開くことはないんだろうな」と余計なことを考えてしまう

ガラスの採光性と視認性を両立するなら、このように擦りガラスを採用することがベストプラクティスだと思われるが、これ以外に採用例を発見できていない

例外処理に見る、個性と機転

これまで多く見てきた「縦軸に診療時間、横軸に曜日」のフォーマットは、その時間・その曜日に診療をしているか・していないかを一目で判別することができる。

ただ一方で、それ以上の込み入った情報をこの体裁で示すためには、ちょっとした工夫が必要になる。

○と●の区別がある

◎の日は○の日より診療時間が長いのかと思いきや、その逆。子供が学校で混乱するぞ

半円を用いることで「通常の○と違うことを示す」「詳細を書き込むスペースを確保する」という2つの問題を解決する、非常に優れたアイデア

診療の内容と時間、そして土曜日の例外処理でかなり難解になっている

最後のやつなどは、二軸の表に納めるよりももっと適切な方法があるのではないか、と思うのだが、これももしかすると「診療時間表とはこういうもの」という固定観念によってイノベーションが阻害された結果なのかもしれない。

シンプルに文字のみで構成された案内。先の例と比べるとむしろ洗練されているようにさえ見え、なんならイノベーティブな印象まで受ける。医者の腕も良さそうだ。

医者、こわくないかもしれん

診療時間表を詳しく見ていくことで、泥臭い手作業や、常識・流行にとらわれた非合理など、図らずも「医者のカワイイところ」を見出すことができた。

多少健康に気を使っていても運が悪ければ容赦なく医者にかからされかねない昨今、これを機になるべく偏見を持たずに接していきたい。

偏見を持たないどころかむしろ感謝すべきである、という意見についてはまったくその通りだと思います。

chocoxinaが2022年にハマったコンテンツ

エルデンリング

フロム・ソフトウェアのアクションRPG。ソウルシリーズにオープンワールドを導入した大作である。

とにかく圧倒的な物量によって「大冒険」を演出してくるゲームで、新しいところに行けば新しいものがある、という原初の喜びが100時間絶えることなく続く。各ボスやダンジョンの攻略難易度がやたら高い点も「ここは一旦置いて他のところを見よう」という動きを誘発しやすく、冒険と戦闘のループがプレイヤーをつかんで離さない。

そもそも戦闘も「まったく何をどうしたらいいのかわからない」という状態には陥りにくく、繰り返し負け続けるなかで成長を感じやすいデザインになっているので挫折はしにくいだろう。聞くところによれば、これまで同社が手掛けてきたゲームよりもバトルに勝ちやすい仕組みが充実しているようだ。

キャラクターが世界観重視の迂遠な言い回しをするせいで進行に迷いやすい、などの問題もあるが、そうしてまで守られているハードファンタジー的な雰囲気は大いに体験する価値ありだ。

筆者は購入してからしばらく、生活に影響が及ぶレベルでのめり込んでしまったので、可能なら冬休み中に済ませてしまうべきだろう。

プロジェクト・ヘイル・メアリー

SF小説。「#火星ひとりぼっち 」のバイラルマーケティングが記憶に新しい映画「オデッセイ」の原作者が送る最新作だ。

太陽からエネルギーを吸い取る謎の微生物「アストロファージ」による地球の寒冷化に対処すべく、宇宙船で一人奮闘する男の物語である。

さて、映画オデッセイの原作「火星の人」といえば、執筆時点でギリギリ実現可能だった技術、あるいは少なくとも可能に見える技術だけを使って「男が一人火星に取り残され、しかも最終的に帰ってくる」という壮大な物語を成立させた傑作だ。

プロットは基本的に「火星に取り残された男が直面する問題と解決策」の繰り返しなのだが、「なぜかNASAのすべてを知っているオタク」こと作者のアンディー・ウィアーが持てる知識を総動員することで、圧倒的なリアリティと予想もつかない展開を実現している。

それを成し遂げた作者が、「アストロファージ」というひとさじのフィクションを手に入れたらどうなるか。それはもう物語が加速度的に壮大になるのである。

太陽系を超えた銀河規模の危機に、銀河規模の解決策。問題そのものであったはずのアストロファージが問題解決の重要なファクターになり、地に足のついた展開の積み重ねが、読者を半ばファンタジーのような結末に導く。

主人公があらゆる科学的・数学的知識を総動員して問題に対処する様子は知的好奇心を刺激して心地よく、主要キャラも魅力的だ。

Splatoon3

人に変身できるイカがインクをかけ合って戦うNintendo製TPSの最新作。

ドパドパと音を立てながらインクをぶちまける快感はシリーズ通して健在。3になって特別大きな新要素が追加されたわけではないのだが、発売時期が仕事の暇なタイミングと被ってしまったためそれはもう狂ったようにプレイした。

チームの人数差が見やすくなるなど細かな改善が効いており、シューターゲームの楽しさを味わい安くなっている点も、のめり込みぶりに拍車を掛けたかもしれない。

最初のシーズンにS+50までランクを上げて以降、今月はややモチベーションが落ち着いたからかパッとしないXパワーのままあまりプレイしていないのだが、ここからもう再開すべきではない気がする。

プレイヤー間で広く言われていることなのだが、このゲームをプレイしているとどうにも味方の問題が目につきやすく、読者の皆様には到底聞かせられないような暴言を吐きながらコントローラーを振ることになるのだ。

RRR

rrr-movie.jp

インド発のアクション映画。バーフバリでおなじみのS・S・ラージャマウリ監督が、1920年代、大英帝国支配下のインドを舞台に男二人の使命と友情を描く。

ほぼ3時間にわたる上映時間の間ひとときもダレることなく刺激的で、筆者は人生で初めて同じ映画を劇場で2回見ることになった。

他に類例のないド派手なアクションシーケンスが連発されるこの作品。ネット上では、普段あまり見ない種類の映画から自分の価値観を守るためか、しばしば「ツッコミ所も多いけど勢いがあって面白いから好し」などと評されることも多いのだが、丹念に見てみると、各シーンにはしっかりと「振り」が効いていて「かっこよさ優先で捨て置かれた不整合」みたいなものが見当たらないことに気づく。

インド映画っていえばアレでしょ、という形で言及されがちなダンスシーンも、本作では「絶対に踊らなければいけない」状況を積み上げた上で見せられるし、最終盤のバトルシーンで矢が尽きないことにすらきちんと理由付けがなされている。そこらの洋画で「弾の尽きない銃弾」が当たり前に使われていることを鑑みれば、RRRを「ツッコミを入れながらワイワイ見るもの」として消費する姿勢はフェアなものとは言えないだろう。

もっともRRRは、そういった小難しいことを考えなくとも楽しめる作品ではある。王道ながら目の話せないストーリーに、屈強な主人公二人のブロマンス、コンセプトアートみたいな絵面がそのまま顕現するバトルシーンの数々が、三時間の間休むことなく浴びせられる。

映画館各所が軒並み戸締まりされてしまった影響か上映の機会が少ないが、まだまだ見られるので冬休み中に時間を見つけて鑑賞してほしい。

TUNIC

store-jp.nintendo.com

かわいい小狐が小さなマップを駆け回るクオータービュー型のアクションRPG。「ソウルライクゼルダ」と評される、謎解きと高難易度アクションを特徴とするゲームだ。

大きな特徴は「ゲームプレイを通じて、そのゲーム自身の説明書を集める」という要素。プレイヤーはかろうじて「スティックを倒すとキャラが動く」ということだけがわかる状態から、ゲーム自体の目的や思いもよらない操作を見出していくことになる。

TUNICは普通のゲームと同様、新しいアイテムを入手すればできることが増えるし、ちょっと探せばすぐに見つかる塩梅の隠し要素も備えている。そこに「説明書を見て新たな操作を知る」というこのゲームならではの要素が組み合わさることで、TUNICをプレイすると「進行度に応じて、マップの同じ場所が全く違うものに見える」という体験を繰り返し味わうことができる。

アクションの難易度については、ゲーム全体の体験に対してややちぐはぐな印象を受けないこともないが、プレイしていて楽しいものではあるし、オプションから無敵モードを使って省略することも可能だ。なるべく気負わず、思わずペンとメモを取りにいくことになるトゥルーエンドまで突き進んでほしい。

キングスジレンマ

レガシー型(ゲームの結果が次回以降に引き継がれるタイプ)のボードゲーム。各プレイヤーはそれぞれ異なる貴族の代表として、数世代に渡り国政に関するさまざまなことを投票によって決定する。

例えば、国民が飢えに苦しんでいるとき、他国から売り込まれた奇妙な色の小麦を輸入すべきだろうか。提案を可決した結果王国に奇妙な疫病がはびこったとしても、逆に否決して国民が飢えに倒れたとしても、議決にあたってイニシアチブを握っていた貴族は歴史に名を残す(残してしまう)ことになる。

各プレイヤーはこのような厳しい決断を繰り返しながら、十数回に及ぶプレイの果てにたどり着く何か(説明書によって軽く示唆されるのみで、詳細は最終盤まで明かされない)に備えて、議会での影響力を拡大していくことになる。時には国の情勢や短期的な権力ばかりでなく、自らが属する家系の思想信条を優先すべき時もあるだろう。

ゲームの基本となる投票のシステムにしっかり小技が効いていて、すべてを投げ打ってでもこの議題は可決したいだとか、否決はしたいが責任は別の家系に負わせたいだとか、そういった高度な目標を実現するために各プレイでしっかりと考えどころが発生して飽きが来ない。倫理観や正義感を問われるハードな議題に対処する面白さや、おぼろげに見える最終目標に備えて中長期的な立ち回りを検討する戦略性など、このゲームならではの魅力が多い作品だ。

プレイのハードルが高い(4人前後のメンバーを合計15時間程度拘束する)ためか国内では値崩れ傾向だが、逆に言えば始めるならば今がチャンスである。

「落書き集めて20年」のベテランに学ぶグラフィティの楽しみ方

繁華街を歩いていると、そこかしこで見かける落書き(グラフィティ)。

普段目にしても、治安の悪化を憂いながら通り過ぎることの多い存在だが、

「あのバンクシーもグラフィティ文化に連なる存在」「グラフィティはHIPHOP文化を形作る要素の一つ」

と聞けば、ただ見過ごしたままでいるのはもったいないような気もしてくる。

またこの手の落書きは複数の街で同じ意匠のものを見かけることも多いため、何度も見かけるうちに興味を持った、という人もいることだろう。

今回そんな、我々を奇妙に惹きつけるグラフィティについて、有識者に話を聞いた。

なぜ路上に絵をかくのか、どんな人がかいているのか、「鑑賞」する際の見どころはなにか――そのあたりを知ることができれば、路上の落書きをより深く見られるようになるはずだ。

※落書きは器物破損や建造物損壊などの罪に問われる可能性があります。本稿はそれらの行為を推奨するものではありません。

この記事に出てくるひと

chocoxina(ちょこざいな): この記事を書いているライター。品行方正で遵法意識も高いものの、グラフィティは街歩きの一環でよく見る。

K氏: 20年近くグラフィティを観察・収集している。本人が落書きを行っているわけではないが、今回は氏の交友関係に影響が出ないよう、完全匿名でインタビューに応じていただいた――そういうわけなので本稿におけるK氏の描写はいかなる実在の人物とも関連付けられるべきではなく、つまり彼はまったく完全に架空の人物だと考えられるべきだ。いいね?

落書きってやっぱりナワバリのためにやるの?

chocoxina:
そもそもグラフィティをやる人たちって、いったいどういう目的なんでしょう。世間ではなんとなく「ナワバリを誇示したいのかな」という印象を抱いている人が多いかと思います。

K氏:
そういう人ももちろんいますが、目的はライター※1によって様々ですね。 芸術性を重んじた活動を行って"グラフィティは破壊行為ではなく美しい犯罪だ(graffiti is not vandalism, but it is a beautiful crime)"というカッコいい言葉を残したライターがいる一方で、対象的にvandalism(ヴァンダリズム:破壊行為のこと)自体を目的としたライターもいます。

※1: グラフィティを"かく"人のこと。原則として絵を描く者ではなく字(署名)を書く者なので、ペインターではなくライターと呼ぶのがメジャー。

chocoxina:
表現活動のためにグラフィティを書く人というと、メジャーなところではバンクシーなどですね。

K氏:
はい。とくにアメリカでは彼に限らず、芸術性を評価されたライターがアーティストやデザイナーとして出世する例が少なくないんです。治安の悪い地域の若者が、その道を目指してグラフィティを始めるケースもあるかもしれません。

chocoxina:
川崎の高校生がラップを始めるみたいに、生きるためにグラフィティをするってことか……(参考: https://youtu.be/I4t8Fuk-SCQ?t=240)

K氏:
そういった例とは対象的に、ヴァンダリズム(破壊行為)を重視したアーティストも多いですけどね。例えば今持っているものの中だと……

おもむろにめちゃくちゃでかいファイルを取り出すK氏。

chocoxina:
ちょっとすみません、そのファイルは?

K氏:
僕が集めたラベル(ここでは、路上に貼るステッカーの意)のコレクションです。ウチには同じファイルがもう30冊と、未整理のダンボールが数十箱あります。

chocoxina:
……ひょっとして「全て」を持ってるんですか?

K氏:
「全て」ではないです。

この手のラベルは、ライターが自分のサイトで販売していたり、あるいは直接会った際にくれたりするらしい。「路上のものを剥がして集めることはないんですか?」と聞いてみたところ、「やる人もいるし、実際ライターの来日スケジュールを知っていれば貼られていそうな場所を探すのも容易だが、"業界"的にはあまり褒められたものではない」とのこと。

K氏:
ともかく、ヴァンダリズム(破壊行為)を重視したライターというと、例えばこのタグで知られるクルー(徒党)ですね。

K氏:
彼らはドイツのベルリンを中心に活動しているんですが、線路で非常ベルを押して電車を止め、その車両を取り囲んで巨大なグラフィティを書いたりします。

chocoxina:
それはもうテロでは???

K氏:
ライターの間では、電車に自分のグラフィティを書いて走らせるのが最高の名誉、なんて考えもあるんです。日本の電車が同じことになったらすぐ車両が交換されてしまいますけど、海外だとそのまま使われるケースも多いですからね。

chocoxina:
確かに、ニューヨークの地下鉄の画像を見ると、しばしばグラフィティが書いてある気がします。

K氏:
あとはやはり、縄張りを誇示するような目的で活動する人もいますよ。「グラフィティ文化の起源」には諸説あるんですが、そのうちの一つに「好きな女の子に自分のことを知ってもらうために、街中に名前と番地を書いた」というのもあるんです。

chocoxina:
へー。金を譲ってほしいから口座番号を歌にした人みたい。

K氏:
何ですかそれ。

K氏:
ちなみに街中には、「縄張り」をもっとシリアスに主張しているグラフィティもあります。

場所は伏す。

K氏:
例えばこれは、いわゆる半グレにあたる〇〇〇〇系の××××氏が書いたタグ(※詳細後述)です。万一この上から何か書いたりしたら△されるかもしれませんし、記事にも出さないほうがいいですよ。

chocoxina:
大丈夫です。今言ったこと一個も載せられないので。

※落書きで目立ってアーティストになろう、などと一瞬でも考えた読者諸氏はどうか考え直してほしい。運良く命が助かっても、日本では器物損壊等の罪に問われる可能性がある。

タグ < スローアップ < ピース

渋谷にあるグラフィティについてもお話を伺いました。

chocoxina:
ところで「タグ」というのは……?

K氏:
グラフィティの手法の一つですね。一色でササッと書かれたものを「タグ」、2色使って縁取りがほどこされたものを「スローアップ」、もっと大掛かりなものを「ピース」と言います。特別手のかかったものを、ピースと区別して「マスターピース」と呼ぶこともありますね。

「ピース」の例。
「スローアップ」の例。
「タグ」の例。

K氏:
ライターの間にもルールがあって、人のグラフィティの上に何か書くなら、より手間をかけたものでないといけません。タグの上に書くならスローアップかピース、スローアップの上に書くならピース、といった感じです。

chocoxina:
それって例えば、おでんをリメイクするなら、もっと味の濃いカレーとかにしないといけない、みたいな感じですか?

K氏:
違います。

chocoxina:
ところで、ライター間における決まりごとというと、グラフィティを書く場所にはルールがある、なんて話を聞いたことがあります。たとえば商店や公共物には落書きするけど住居はダメ、みたいな。

K氏:
そのあたりは土地によるかもしれません。なんだかんだ言って結局みんなアウトローですし。

chocoxina:
なるほど。おでんをカレーにするかどうかも土地によりますもんね。

K氏:
それ多分chocoxinaさんの実家だけですよ。

chocoxina:
これ、スローアップの上にタグが書かれてるようにも見えますね。マナー的に大丈夫なんでしょうか。
いやあの、世間のマナーでいえば落書きはみんなアウトなわけですけど。

K氏:
こういう場合、考えられるケースがいくつかあります。まずはそれぞれのライターの間に「ビーフ」が発生しているケースです。

chocoxina:
ビーフというと、抗争のことですね。ラッパーがよく言ってるやつ。

画像出典:https://www.flickr.com/photos/urbanscrawl/420153465/。

※NYの著名な複数クルー間でビーフが発生している例(大きな画像はぜひ撮影者のflickrで)。90年代には、ライター同士の抗争で人が死ぬことも珍しくなかったという。

chocoxina:
――ということは、これ書いた人たちは今めちゃめちゃ喧嘩してるってことですよね? 本人が戻ってくる前に離れたほうがいいのでは……。

K氏:
いえ、おそらくこれは別のケースで、ライター本人が作品に改めて「署名」をしているパターンだと思います。ある程度手がかかった作品の場合、本人はもちろん、手伝ってくれたクルーメイトや他のライターがタグを書くこともあるんです。

先程の画像の「タグ」っぽい部分を拡大したもの。

chocoxina:
なるほど。たしかにさっきのグラフィティはよく見てみると、本体の縁取りとタグ(署名)が同じスプレーで書かれているように見えますね。

こちらは「ビーフ(抗争)」が発生していると思われる例。見方がわからなければただの無秩序な落書きだが、ここまでの知識を踏まえると「スローアップ(2色)」の上に「タグ(単色)」、さらに上に「ラベル」があり、当事者間における相当な緊張状態を感じ取ることができる。次見るときはこれら全てが「生首をこすりつけた血糊のタグ」で上書きされているかもしれない。

ライターの「横のつながり」

chocoxina:
そういえば、ライター同士がクルー(徒党)を組んでいるケースがあるんですね。

K氏:
はい。グラフィティをよく見ると、ライターの名前に加えてクルーの名前が書かれているパターンも多いですよ。たとえばこのラベルに書かれているクルーは世界最大と言われていて、日本人も何人か参加してます。

今回は様々なコンフリクトを避けるため、日本人のライターに関連する固有名詞は文中に明記しないこととします。

chocoxina:
日本人も! それってやっぱり、路上で活動しているうちに海外のメンバーから声がかかる感じですか?

K氏:
そうですね。もともとライターって、国をまたいでも横のつながりが非常に強いんです。日本のライターが海外に行くときは、現地のライターが食事からスプレー缶まで工面してくれますよ。

chocoxina:
おお……無法者とは思えないあたたかみ……。chocoxinaの中の少女がギャップに悶えてます。

K氏:
しまっといてください。

K氏:
ともかく、そういうライター同士のつながりに注目してグラフィティを見るのも面白いかも知れません。例えばこれはもう亡くなったライターのタグなんですが、恐らく本人が書いたものではないですね。

chocoxina:
それって、パクリってことですか???

K氏:
違います。これは恐らくトリビュート(表敬の証)でしょう。こうやってクルーメイトのタグを書く行為は、ライターの間でも容認されています。

chocoxina:
読者の皆様に言っておきますが、ここでいう容認っていうのは文化の話であって法的な話ではないですからね。

グラフィティ出身のアーティストについて

chocoxina:
冒頭で仰っていたように、ライターがデザイナーやアーティストとして有名になるケースもあるんですよね。

K氏:
はい。例えばこの人は日本のライターなんですが、Adidasと世界レベルのコラボを実現した実績がありますし、今は油彩画で個展を開いたりしていますね。

これも一応名前は伏せておきます。ちなみにグラフィティというと大抵こういった感じの「読みにくい」文字で書かれているが、K氏曰く「慣れれば読めるようになる」とのこと。そもそも彼らの作品は「署名」なので、(我々が普段する署名と同じように)可読性は二の次なのだ。

K氏:
彼はもう結構なお歳のはずなんですが、デザイナー・アーティストとして名を立てた後も現場に出てグラフィティを書いてるんですよ。

chocoxina:
ひっ……!これまでの功績なり家庭なりがチャラになるリスクを負ってでも、ライター精神みたいなものを大事にしてるってことなんでしょうね……。

K氏:
あとは、いま現代美術家として知られている「KAWS」もグラフィティから名を挙げた一人です。手塚治虫とコラボしたこともありますよ。

chocoxina:
この目がバツの感じ、見たことあります!

K氏:
KAWSのステッカーは僕もいろいろ集めてるんです。例えばこれ。

警視庁の人へ。怒らないでください。

chocoxina:
ピーポくんじゃん!!!

K氏:
ピーポくん、KAWS以外のグラフィティライターにもかなりウケてるんですよ。別のライターが発行したZINE(同人誌みたいなもの)にもこうやってまとめられてますし。

chocoxina:
ほんとだ……animeっぽい感じとか、イジることで反体制になる感じがソソるんですかね。

「認められた」ライターたち

chocoxina:
技術やセンスがあるとはいえ、仮にも違法行為で名を馳せた人が名声を集めるというのは、日本の感覚からするとちょっと奇妙な感じがします。

K氏:
グラフィティの本場とも言えるアメリカだと、「過去と能力は別」という意識が強いのかもしれませんね。 たとえば、ニューヨークの有名なクルーで、店から棚ごと盗んだスプレーでタグを書きまくっていた「IRAK(アイラック)」という悪名高い集団がいるんですが、そこのライターがハイブランドのagnès b.とコラボした例なんかもあります。

※参考:https://web.archive.org/web/20150822002642/http://www.agnesb.co.jp/graff/

chocoxina:
あああの、アグネス……

K氏:
アニエスベーです。

chocoxina:
ところで、スプレーを盗む上にそれで落書きまでする、っていうのは相当なアウトローですね。

K氏:
昔のライターの間では、盗んだスプレーを使うのがカッコいい、という文化があったんですよ。さすがにラックごと万引するとなると、Rackingという名前がつくくらい珍しかったですけど。

chocoxina:
それが名前の由来になってるんですね。

K氏:
他にも面白い例として、世界中に「BNE WAS HERE」というタグを貼りまくっていたライターがいます。BNEはサンフランシスコでお尋ね者になるくらい精力的に活動していたライターなんですけど、あるとき彼が、世界中の「水」に関する問題を解決するために財団を設立したんです。アメリカでは法律上、そういった慈善団体に寄付をすると税額控除の対象になるので、つまりBNEの活動に税金が使われるようになったんですよ。

chocoxina:
めちゃめちゃアメリカって感じだ……。

ちなみに、BNEのラベルは日本にもめちゃくちゃ貼られており、23区の主要な駅なら1時間も探せば見つけられるはずだ。恐らく東京以外でも同様だろう。

ラベルの材質もさまざま

chocoxina:
タグといえば、chocoxinaは以前その「素材」に注目していくつか収集していたことがあるんです。日本だと、テプラを使った例や、宅急便のステッカー類を使った例がありました。

K氏:
テプラはともかく、宅急便の荷札はアメリカでもよく使われてます。USPS(アメリカ郵便公社)のラベルがメジャーで、特定の時期に発行されたレアなものはとくに「Blue top」という名前がついていたりしますね。

chocoxina:
名前のとおり上のところが青くて、ちょっとオシャレですね。

K氏:
荷札に限らず、ライターの間では入手しやすいものがグラフィティに使われる傾向があって、例えばこの「ハロータグ」なんかは日本でも見かけるかと思います。もともとはアメリカで、パーティーの際の名札代わりに使われるシールですね。

chocoxina:
確かにこのデザイン、路上でめちゃめちゃ見るな……。

K氏:
あとはこの、郵便局で貰える関税告知書(CN22)なんかも、まとまった量が入手できるからか世界中で人気が高いです。

chocoxina:
それはいいけどなんで持ってるんですか。

K氏:
ライターに会ったとき、これにタグを書いてもらうんです。たくさん持ってるんで差し上げますね。

chocoxina:
え、あ、うす。ありがとうございます。

多く貼り、消されないための工夫

chocoxina:
もう一枚頂いたこれは……?

K氏:
eggshellというブランドのものですね。

K氏:
さきほど紹介したBNEというライターが使い始めた特殊な材質のステッカーで、一度貼ると、端をめくろうとしても細かくボロボロと砕けてしまうので剥がしにくいんです。

chocoxina:
おお……貼られた場所の権利者からしたらたまったものじゃないですが、その分自分の作品が永く残るんですね。

ちなみに、どうしてもeggshellのステッカーを剥がしたい場合、貼られた直後であれば上からダクトテープなどを貼ってまとめて剥がせばうまくとれる場合があった。そうでない場合はヘラなどで削り取るようにするのが最も効率がいいと思われる。自宅などに望まないタグを貼られた方はぜひ参考にしてほしい。chocoxinaが自分のラップトップを犠牲にして得た知見だ。

K氏:
ライターは、自分の作品を長く残すためにいろんな工夫をしてるんです。グラフィティが消されることをライターの間で「buffされる」って言うんですけど、クルーによってはbuff対策として、上からペンキを塗られても時間が立つと表面に滲み出てきて再び見えるようになる、という謎のインクを使っていたりします。

chocoxina:
その技術、どこかしらの企業が金を出して買うべきでは???

buffされたグラフィティの例。これは「にじみ出てきた」わけではなく単に消しきれずに残っただけと思われるが、それにしてもこの絵はもう少し気合を入れて消すべきだったのでは。

K氏:
他にも、人の手が届かないように天井などの高所に書く「ルーフトップ」なんかもbuff対策の一例ですね。

chocoxina:
たっっっっっっけ!これってハシゴとかに登って書くんですかね。

K氏:
はい。ルーフトップは足場が不安定な分いろんなリスクがあって。例えば海外だと、地権者に現場を押さえられて「Hold up!(手を挙げろ)」と銃を向けられたものの、梯子から手を離せなくてそのまま射殺されてしまったライターなんかもいます。

chocoxina:
危険すぎる。ただでさえ落下したり捕まったりするリスクもあるのに……。

※繰り返すが、読者の皆様は絶対に真似しないでほしい。最近は大きなビルに梯子をかけるとその場で警報が鳴るケースもあるようだ。

K氏:
別のbuff対策としては、電話ボックスなどのガラス面にエッチング液でタグを書く手法もあります。文字のところだけが擦りガラス状になるので、ほぼ永久に消えません。

chocoxina:
これ、消えかかった落書きかと思って見てたけど、むしろ逆なのか……。もし「書きたて」を見つけても触らない方がいいですね。

K氏:
たぶん指が溶けますよ。

K氏:
あとは珍しい例として、そもそもインクで書く以外の表現をするライターもいます。このInvaderがそうですね。

宮下公園の高架にある。見たことのある人も多いかもしれないが、実はこれ、公式のものではないのだ。

chocoxina:
インベーダーではなくアトムでは???

K氏:
Invaderというのはライターの名前です。

chocoxina:
ややこしいな。

K氏:
とにかく、彼はこうやってインクの代わりにタイルでグラフィティを描いているんです。ただでさえ剥がしにくい上に、それでも剥ぎ取って転売されるくらい有名になってからは、作品の縁にセメントを盛り付けて、ヘラなどを差し込みにくくしています。

chocoxina:
これを剥がそうと思ったら、ちょっとした工事ですね。

「工事」が試みられた後のグラフィティ。先に紹介した某日本人ライターとのコラボとのこと。

K氏:
ちなみにこのライターは、自分の作品を撮影してコレクションするための専用アプリも公開しています。知り合いのマダムがそのフルコンプをライフワークにしてますよ。

chocoxina:
アナーキーな老後だ。

※そのアプリがこちら。https://space-invaders.com/flashinvaders/

東京湾以外にもバンクシーがあった

chocoxina:
Invaderのタイルみたいに、有名になって価値が認められるようになると、コレクションとして剥がされたり、転売されたりといった例があるんですね。東京湾の「バンクシー作品らしきネズミの絵」も、今は大事に展示されてますし……。

参考: 防潮扉の一部に描かれた「バンクシー作品らしきネズミの絵」の展示について

K氏:
バンクシーといえば、かつて日本に、「バンクシー作品らしきネズミの絵」以外にも彼のグラフィティがあったんですよ。

chocoxina:
「バンクシー作品らしきネズミの絵」以外にも!?

当時の写真を見せてもらった。撮影時すでに消されてしまっていたものの、一部隠れていた部分だけが残っている。

K氏:
彼が今ほど有名ではなかった頃の話で、今はもう、そのグラフィティのある施設が取り壊されてしまったんですけどね。当時「どうせ壊されてしまうなら欲しい!」と思って、工事現場のおじさんに「10万渡すからあの絵を取ってきてくれ」って名刺を渡したんですが、連絡来なかったな……。

chocoxina:
(工事のおじさん、いきなりスパイ映画みたいな依頼されてビビったんだろうな)

次に来るライターは?

chocoxina:
Kさんくらいグラフィティに詳しいと、「KAWSやバンクシーの次に来るライター」が分かったりするんじゃないですか? 次のブランドコラボや個展の物販を押さえて、金持ちに売りさばきましょうよ!

K氏:
次に来るライターの話は実際よく聞かれるんですが……グラフィティに興味を持ったなら、単純に自分が「いい」と思ったものにお金を落とせばいいと思うんですよ。今は多くのライターが自身のサイトを持っていますし、直接ラベルやZINE(冊子)なんかを買うこともできます。

一例。氏のステッカーは日本を含むアジアの繁華街で相当な数見ることができる。

chocoxina:
まあ……そりゃそうなんですが……。

K氏:
そもそも「だれそれの作品に数百万の値段がついた」というのも、大抵の場合売り手と買い手の二人がその値段で合意した、という話でしかないじゃないですか。我々も、数千円、数万円から同じことをやればいいんです。

chocoxina:
たしかに……そう考えると、高値のつきそうなアーティストを探すのって、間接的に金持ちの好みを伺ってるみたいでダサく思えてきたな。

K氏:
また個人的には、世の中の人達がもっと気軽にアーティストにお金を落とす世の中になってくれるといいな、という願いもあります。

chocoxina:
なるほど。たとえば将来、多くのグラフィティライターが作品で生計を立てられるようになって、さらにそのお金を都市に還元するような仕組みができれば、都市景観とグラフィティが「共存」する道も開けるかもしれませんね。

落書きは器物破損や建造物損壊などの罪に問われる可能性があります

世の中の「体制」が強固になればなるほど、「反体制」の文化は活況になるもの。

そしてそんな「反体制」の文化が、そのあり方ゆえに人の心を動かすのもまた、否定しがたい事実だ。

グラフィティについても、無批判に受け入れることは断固として避けつつ、また都市景観にも思いを馳せながら、バランス良く楽しんでいきたい。

ここからは、記事中に収めきれなかった画像などを紹介しよう。

アラフォー世代であれば町中で見たことがあるかもしれない「力士シール」の原本も持っているK氏。

かなりウィットに富んだ、というか挑発的なグラフィティライターの名刺。

K氏は本人曰く「知識が古いので最近のライター事情についてはあんまり」とのことだったが、その分多少古びたものも見逃さない。これも世界的に活動するライターのタグとのこと。

あなたの街にもあるかもシリーズその1。

あなたの街にもあるかもシリーズその2。