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今じゃ考えられない昭和の生活◆50
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77 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2014/12/12(金) 03:05:48.97 ID:88gJmucn.net
わずか5ヶ月で打ち切られたフジテレビのビッグベストテン。

往復はがきで応募して
たまに当選して公開中継を何回か観に行った。
紅白歌のベストテン>渋谷公会堂
8時だよ、全員集合>文京公会堂など
当選さえすればタダで芸能人をナマで観られる
お手軽レジャーだった。



80 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2014/12/12(金) 08:30:11.67 ID:vZXhcoKE.net
>>77
その番組知らなかったわ。フジは夜のヒットスタジオのイメージしかない。
オープニングで出演者が一人一人、別の歌手の持ち歌の出だしをちょっと歌ってから
その歌手を紹介するというリレー形式で、柏原芳恵が細川たかしを紹介するのに
「わたし馬鹿よね♪お馬鹿さんよね♪」と歌ったときは家族で笑ってた。



82 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2014/12/12(金) 09:50:01.81 ID:6qPvxD/a.net
ビッグベストテン(昭和55年頃の下半期の金曜八時)の裏番組は、たしか、金八先生(エピソード1)、太陽にほえろ、
ワールドプロレスリングというそうそうたるものだった。

ザベストテンのフラップボード(空港)式のランキングボードに対抗したんだろうが、
昭和末期~平成初頭の博覧会で見られたモザイク状のマグサインというボードで曲紹介。
無地一面のボードの上からガチャgチャ、一つの曲の順位、曲名、歌手名が現れるだけだから、
同じじらされるのでも、何の曲で止まるかわからないという、ワクワク感がない。

1回でで3~4人(組)と、不自然な数のスケジュールの都合で出演できない歌手が続出し
ピンチヒッターと言ってヒットスタジオのようにまったく別の歌手が歌う場面がよくあった。
アリスの「秋止符」を新沼謙治と細川たかしがこぶりをつけて歌ったり。
歌手たちや所属事務所が、ベストテンに気を使って亜流を拒絶し、
あぁ、業界でもハブられているんだなぁ、と見て取った。

こんな塩梅だから、末期が近くなると、他のスペシャル番組でつぶしたりしなから打ち切られたと思った。

俺的にはニッポン放送で人気だった司会の高嶋秀武の姿が見れたのが印象に残っている。



84 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/:2014/12/12(金) 10:23:21.13 ID:48KHO++V.net
>>82
その裏番組に二番煎じで挑もうとする方が無茶だな



00zd5.jpgビッグベストテン Wikipedia

1979年11月2日から1980年3月21日までフジテレビ系列局で放送されたフジテレビ製作の音楽番組。放送時間は毎週金曜 20:00 - 20:54。フジテレビがTBSの『ザ・ベストテン』に対抗してゴールデン枠に投入した歌謡番組で、「黒柳さん、久米さん、見てますか~!」をキャッチフレーズにしていた。司会は、当時ニッポン放送のアナウンサーだった高嶋秀武と女優の丘みつ子が務めた。番組開始当初は、オープニングで「アチラのベストテン」として『ザ・ベストテン』の10位以内のランキングをフリップで紹介していた。第1回目の1位は、桑名正博の「セクシャルバイオレットNo.1」であった(しかし桑名は道路渋滞に巻き込まれ、到着したのは本番終了数分前で、この回では結局唄うことができなかった)。1980年2月上旬に丘みつ子が司会を降板。そして末期には、アーティストが欠席のときにはピンチヒッターが登場するようになった。たとえば沢田研二が歌う「TOKIO」のときにはタモリが登場。「TOKIO〜」の節しか歌わなかった。「セクシー・ユー」で第4位に入った郷ひろみが風邪のために生放送を欠席し、代わって当時郷のものまねで有名だった若人あきら(現・我修院達也)が登場し、そのまま本人になりきって歌ったことがある。この事は、後に同局の『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』で紹介された。アリスが歌う「秋止符」の時には、細川たかしと新沼謙治が登場。新沼は持ち歌にフォーク調のものもあったため特に問題なくこなしていたが、細川はこぶしを回して歌っていた。番組は5か月で打ち切られた。最終回のエンディングでは、その回の出演者全員に金のマイマイクを高嶋が手渡していくシーンが放送された。



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コメント
  1. とりまる名無し 2014/12/17(水) 09:51
    見た記憶ねぇなぁ。

  2. 名無しビジネス #- 2014/12/17(水) 11:40
    この番組かなぁ?
    松坂慶子の「愛の水中花」やたら見た記憶があるんだが?w

  3. 名も無き修羅 2014/12/17(水) 14:29
    >そして末期には、アーティストが欠席のときにはピンチヒッターが登場するようになった。
    >たとえば沢田研二が歌う「TOKIO」のときにはタモリが登場。「TOKIO〜」の節しか歌わなかった。
    >「セクシー・ユー」で第4位に入った郷ひろみが風邪のために生放送を欠席し、代わって当時郷のものまねで有名だった若人あきら(現・我修院達也)が登場し、そのまま本人になりきって歌ったことがある。

    酷すぎるだろw

  4. 名も無き修羅 2014/12/17(水) 19:03
    タダで見に行ったのは「レッツゴーヤング」だなあ

  5. 名も無き修羅 2024/12/01(日) 08:57
    この高嶋秀武って男がどうにも好きになれなかった

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