2014年12月、別件の取材でシンガポールを訪れていた記者は、ふとしたきっかけで彼女と中華のディナーをともにすることとなった。

世界中から富が集まるシンガポール。村田マリ氏はここでiemoを創業し、DeNAに売却した
世界中から富が集まるシンガポール。村田マリ氏はここでiemoを創業し、DeNAに売却した

 彼女の名は村田マリ氏。その2カ月前の10月、村田氏は自身が創業した住まい・インテリア関連のキュレーションサイト「iemo」を、サービス開始からわずか9カ月でディー・エヌ・エー(DeNA)にスピード売却したことで、ちょっとした時の人となっていた。

 村田氏がシンガポールに移住したのは最初に起業したソーシャルゲームの事業をgumiに売却した後のこと。2013年にシンガポールにいながらiemoを創業し、翌年、盟友である中川綾太郎氏が経営する女性ファッション関連のキュレーションサイト「MERY」と一緒にDeNAへ売却した。その額は計50億円。内訳は非公表だが、村田氏のiemoが約15億円、中川氏のMERYが約35億円と見られる。

 2015年4月、DeNAはキュレーションメディアのプラットフォーム「DeNAパレット」構想を発表。会見には村田マリ執行役員(左)や、MERYを運営する子会社、ペロリの中川綾太郎社長(右)らも参加した
2015年4月、DeNAはキュレーションメディアのプラットフォーム「DeNAパレット」構想を発表。会見には村田マリ執行役員(左)や、MERYを運営する子会社、ペロリの中川綾太郎社長(右)らも参加した

 記者がシンガポールで飛び入り参加させてもらった会食は、さながら成功者の夕べ。日本からシンガポールに移住した経営者や起業家が揃っていた。村田氏を含む列席者の多くが中心部にある屈指の高級マンションに住んでおり、村田氏はシンガポールに住む日本人の富豪コミュニティーにすっかり溶け込んでいる様子だった。

 「知ってる? 最近、うちらのレジデンスに与沢翼が引っ越してきたって」「え、マジ!?」。そんなホットトピックスから「○△銀行はいいよ。送金手数料タダにしてくれるから」といった資産関連のネタまで、インナーサークルの話題は尽きない。記者はあまりに場違いで、ばつが悪い思いをしたことを覚えている。

 同時に、嫌な予感というか、違和感も抱いていた。

「表と裏」のギャップ

 成功者はなぜシンガポールを目指すのか、理由は言わずもがなである。条件にもよるが、例えばシンガポールは株式売却益に対する課税、いわゆるキャピタルゲイン課税がないことで有名だ。含み益がある株式を保有したまま富裕層が出国し、国内課税を回避することを防止する「出国時課税制度」の適用が始まったのは翌2015年7月のことで、そこにいた列席者は“セーフ”だった。

 そのこと自体、適法であれば問題はない。しかし村田氏はiemoの売却後、ネットメディアなどのインタビューで移住の理由を「子どもを中国語・英語ネイティブにしたいからですよ」(2014年10月のNewsPicks記事から引用)と語っている。それも事実なのだろうが、会食での様子を見る限り「表と裏」のギャップを感じざるを得なかった。

 さらに、村田氏はiemoを売却してリタイアしたわけではなく、DeNAの執行役員となり、iemoを含むキュレーション事業の責任を負う立場にいた。果たしてシンガポールにいたままで舵取りができるのだろうか。50億円という大金を投じたDeNAの新規事業は大丈夫なのだろうか――。

 成功者たちとの夕べを終え、漠然と感じた嫌な予感は2年後、現実のものとなる。

 経緯や詳細は別掲記事(「DeNA守安社長、独自インタビューで胸中明かす」)などに譲るが、村田氏がシンガポールから指揮を執っていたキュレーション事業は結果として、DeNAに深刻なダメージを負わせた。

 ヘルスケア・医療関連のキュレーションサイト「WELQ」に端を発する一連の問題は、DeNAが運営する10サイトすべてを休止するという事態に発展。同社の社会的な信用は地に落ちた。

12月7日、DeNAの守安功社長(左)が南場智子取締役会長とともに臨んだ会見は3時間超に及んだ(撮影:的野弘路)
12月7日、DeNAの守安功社長(左)が南場智子取締役会長とともに臨んだ会見は3時間超に及んだ(撮影:的野弘路)

 炎上の直接的な原因は、WELQをはじめとする急成長していたキュレーションサイトに、根拠が不明確で、外部の記事・画像の無断利用やコピー、リライトが疑われる記事が多数あったこと。そして、クラウドソーシングを通じて低単価で確保した外部ライターへのマニュアルに、リライトを助長するような文言があった事実が暴かれたことである。

 そうした問題行為が組織的なものなのか、誰の指示なのか、いまだにあらゆることが分かっていない。3時間超に及んだ謝罪会見でも、守安社長は「第三者委員会」の調査に委ねるという回答に終始した。だが、「いい加減かつ検索エンジンに最適化された記事を安価に大量生産する手法」に問題の根があることは間違いない。そして、iemoとMERYを買収するまで、そうした手法や発想はDeNAになかった。

 断っておくが、本稿の目的は個人や人格を攻撃することではない。何がDeNA転落の起点となったのかを検証することにある。買収当時をよく知る関係者へ取材すると、2つの過ちが炙り出されてきた。

「伸びてます。ヤバいです。買ってください」

「iemo」をDeNAに売却した村田マリ氏はその後、「連続起業家」として各種メディアでもてはやされた(写真:東洋経済/アフロ 撮影2014年12月)
「iemo」をDeNAに売却した村田マリ氏はその後、「連続起業家」として各種メディアでもてはやされた(写真:東洋経済/アフロ 撮影2014年12月)

 2014年7月下旬、福岡ヤフオク!ドームの隣にある高級ホテルで、ベンチャーの起業家や投資家が集うイベント「B Dash Camp」が開かれていた。守安社長は、ここで村田氏と出会った。

 このイベントがiemo・MERY買収のきっかけとなったという事実は広く知られている。翌年の同イベントで村田氏とともにパネルディスカッションに参加した守安社長は、「(村田氏から)パーティー会場で『iemoが伸びてます。ヤバいです。是非、買ってください』と率直なオファーを頂き、その場で(買収の)検討を始めた」と壇上で話している。

 問題は、この買収にDeNAや守安社長の「焦り」が絡んでしまった可能性があることだ。

 関係者によると、パーティー会場で守安社長を見つけた村田氏は、矢継ぎ早にプレゼンテーションを始めた。「インテリアでキュレーションをやっています」と事業を紹介した村田氏は、「iemoのMAU(月間利用者数)はこう伸びています」「米国には似たようなインテリアに特化した『ハウズ』というのがあって、2000億円の時価総額があります」「今、資金調達するか、バイアウト(売却)するか悩んでいます。守安さん、買収はあり得ますか?」などと畳み掛けたという。

 村田氏は、中川氏率いる女性ファッション関連のMERYも紹介した。抱き合わせでの買収を検討した守安社長は、村田氏のプレゼンテーションからわずか2カ月後の9月末、2社、50億円の買収を決断。10月1日に発表された。

守安社長は謝罪会見前の12月5日深夜、本誌のインタビューに応じた(撮影:的野弘路)
守安社長は謝罪会見前の12月5日深夜、本誌のインタビューに応じた(撮影:的野弘路)

 守安社長は本誌のインタビュー(「DeNA守安社長、独自インタビューで胸中明かす」)で、買収時の判断についてこう語っている。

 「買収額については精査をした結果です。iemoはインテリア、ファッションはMERYということで、この手法はほかのジャンルにも広がるよねと。食や旅行が空いているよねと。まさに今(複数のキュレーションサイトのプラットフォームである)『DeNAパレット』としてやっているような大きなビジネス戦略を描いた上での買収ですし、金額も妥当だと判断しました。今でもそう思っています」

 しかし、本当にそうなのだろうか。

 関係者によると、村田氏はパーティー会場で守安社長に、「ほかの幾つかの会社とも(事業売却の)話をしています。だいたい10億円のレンジで話をしています」「ただ、話は上(各社のトップ)には、いっていない。判断が遅いんですよ」とも伝えたという。買収の競合相手をちらつかされた守安社長は、競合から5億円増しの15億円を村田氏に提示することで、2カ月を期限とした独占交渉権を得たようだ。

潰れた硬派な医療メディア「Medエッジ」

 当時のDeNAが置かれた状況は厳しかった。高収益を叩き出していたソーシャルゲーム事業「モバゲー」は、2012年に社会的な批判を浴びた「コンプガチャ問題」や、スマートフォン向けゲームアプリの台頭を契機に急降下していた。無料通話アプリの「Comm」や、音楽配信アプリの「Groovy」など新規事業を打ち出していたが、これらも、ことごとく失敗していた。

 一方で、「スマートニュース」や「グノシー」といった新手のニュースアプリが台頭。これも、新聞社や出版社など旧来メディアが発信するニュースを寄せ集めた「キュレーションメディア」の一種であり、ソーシャルゲームバブルの崩壊で行き場を失った投資マネーがそうした新手のメディアに一気に流入した時期と重なる。

 そして、iemoのようなジャンル特化型のキュレーションも数多く勃興した。水面下ではあらゆる買収話が進行しており、実際に2014年10月、KDDIはハウツー系のキュレーション「nanapi」を77億円で買収するなど、ベンチャー界隈はキュレーションバブルの様相を呈していた。

 そうした状況下で守安社長に「先手を打ちたい」という焦りがあったとしても不思議ではない。「早くしないと他社に売りますよ」と競合の存在を匂わされれば、なおのこと。その焦りが、iemoがはらむ危うさやリスクをおざなりに買収を拙速に進める、という過ちにつながったのではないか。その後の焦りについて守安社長は、以下のように本誌のインタビューで語っている。

 「(買収後に、iemoなどの著作権の問題を)グレーから白にしていかなければいけないと思う一方で、成長も維持しなければならないという思いがありました」「これだけゲーム事業が下がっている中で焦りやプレッシャーがないと言えば嘘になります。その中でバランスを失い、やり方が間違っていたことがあったのかもしれません」

 もう1つ、守安社長は医療情報の扱いも見誤った。ある「譲渡」がなければ、ここまで問題は大きくなっていなかっただろう。

 炎上の契機となったWELQは当初、ダイエットなどカジュアルなヘルスケア情報を扱うサイトとして企画された。医療情報も扱うようになったのは、DeNAの子会社が運営していた「Medエッジ(メドエッジ)」というニュースサイトの記事を大量にコピーしたためだ。

 メドエッジは、DeNA本体のキュレーション事業とは全く異なる文脈で生まれた。主役は夫の看病で社長を退任したDeNA創業者の南場智子取締役会長。職場復帰した2014年に自身の経験からヘルスケア分野への参入を決意。DeNAライフサイエンスという子会社を設立し、2014年7月から遺伝子検査サービス「MYCODE(マイコード)」を開始した。

 次いで8月にはニュースサイトのメドエッジも立ち上げた。難解な医学論文を中心に最先端の医療情報を消費者にわかりやすく届けることをコンセプトとし、医学博士の西川伸一・京都大学名誉教授を監修に迎えるなど、医療の本格メディアとして船出した。

Medエッジが2015年6月に開始した有料版はわずか1カ月でとん挫した
Medエッジが2015年6月に開始した有料版はわずか1カ月でとん挫した

 ところが、月間利用者数は100万人前後で伸び悩み、広告収入が思うように入らない。翌2015年6月には糖尿病と大腸がんに関する最先端の情報を編集部が厳選して届ける有料版を開始するも、計画は1カ月でとん挫。子会社の資金は底をつき、閉鎖に追い込まれた。

 時を同じくして、村田氏の指揮下でWELQが立ち上がろうとしていた。守安社長は「閉鎖するならメドエッジの記事をWELQに収容すればいい。ただし、検索された実績が高い記事だけを移せ」と指示。この時のことを守安社長は「検索実績が低い記事が多いと、グーグルからのWELQ全体の評価が下がってしまう。それを避けたかった」と説明する。

 当時をよく知る関係者によると、メドエッジにあった全記事約5000本中、約3000本が子会社からDeNA本体のキュレーション事業に譲渡されたという。同時に、数万のファンがついたフェイスブックや、数千のフォロワーがいたツイッターのアカウントもWELQへと引き継がれ、WELQの離陸に大きく貢献した。

ライターやブロガーの鬱屈していた憤り

 だが、その貢献は「後に仇となった」と関係者は言う。

 「DeNA本体のキュレーション事業が適当な記事を量産しているのは明らかだった。メドエッジの記事コストは1本あたり約5000円だったが、WELQはその10分の1から5分の1程度。記事をチェックする編集部は事実上、存在せず、監修もなく、メドエッジとは考え方も運用も全く違う。ところがWELQは最初に医療記事を収容してしまったために、その後も医療関連の記事を作らざるを得なくなった。安易にメドエッジの記事を移管すべきではなかった」

 結果、「人の健康にかかわる記事がいい加減なのは許せない」というWELQへの指摘から火が燃え広がり、今回の10サイト休止という最悪の事態を招くこととなった。ちなみに、WELQは患者を病院に送客する病院検索サービスへの参入を画策していたが、それも今回の騒動で潰えた。

 ただし、WELQが医療記事を扱っていなかったにせよ、メドエッジの記事を収容していなかったにせよ、いずれDeNAのキュレーション事業は破綻しただろう。

 そもそも、ウェブは「コピペ」や「パクリ」で汚れていた。

 ライターやブロガーが汗水を垂らして記事を書き、ネットに公開しても、そこから得られる収入は薄利。無報酬のブロガーも多い。キュレーション勢は、そうした記事を寄せ集め、検索エンジン最適化(SEO)という技法を用いて巨大なアクセスを生み、一次情報の発信者を尻目に収益化していった。ライターやブロガーが権利を訴えたところで、著作権法が定める「引用」の印籠をかざされるだけだ。

 引用の範疇を超えた明らかな著作権法違反だとしても、キュレーション勢には「プロバイダ責任制限法」という第2の印籠がある。責任は記事の投稿者にあり、掲載したサイトは指摘があってから削除すれば責任を免れるといった法律だ。だが実際には削除申請の手続きが煩雑で、泣き寝入りする既存メディアやライター、ブロガーは多い。キュレーション勢への鬱屈した憤りは臨界点に達しつつあった。

 DeNAの騒動後、彼らの怒りの矛先がキュレーションサイトの先駆けである「NAVERまとめ」に向かっているのはそのためだ。運営しているLINEは、投稿された記事の約3分の1を削除するなど健全化に努めているが、それでも「画像を盗用された」などライターやブロガーからの告発が後を絶たず、DeNAの炎上は同じ東京・渋谷の複合ビル「ヒカリエ」に入居するLINEへと延焼している。

 だからこそ、WELQやiemoなどDeNAのキュレーション事業がやったことは許されるはずがなかった。

 DeNAのキュレーションサイトは、一般ユーザーが投稿できるキュレーションの「プラットフォーム」を標榜しておきながら、実態は粗雑な記事を大量に内製する「メディア」だったからだ。

テレビ会議には参加している村田氏

 MERY以外の9サイトは、クラウドソーシングを通じて外注された記事が6~9割もあった。MERYは同1割で、DeNAも当初は「問題がない」としていたが、記事投稿のほとんどが大学生のアルバイトによるもの。運営するペロリのウェブサイトに「MERYは、トレンドに敏感な女の子のためのキュレーションプラットフォーム」とあるが、その実は単なる内製メディアという点で、他9サイトと大差はない。

 つまり、新聞社や雑誌社がアルバイトにネット上から情報をかき集めさせ、コピペまがいの手法で大量に記事を作成するのと同じこと。引用は厳格にすべきであり、プロバイダ責任制限法で逃れることもできない。にもかかわらずキュレーションという言葉を隠れ蓑に、問題のある記事を粗製乱造していたことの罪は大きい。

 そうした手法をDeNAに持ち込み、事業全体を統括していた村田氏の責任は免れないだろう。彼女は今もシンガポールにおり、黙して語らず。謝罪会見で守安社長は、村田氏が東京で事態の対処や収拾に当たらない理由を「健康的な問題も絡んでいる」と答えたが、12月2日に開催したキュレーション事業の管理委員会の会議には、いつものようにテレビ会議で参加したという。

 同時に、それを看過した守安社長の責任もさらに追及されるに違いない。12月15日、DeNAは日本アイ・ビーエムの取締役などを歴任した名取勝也弁護士を委員長とする第三者委員会の設置を発表。向こう3カ月を目処に詳細な事実関係の調査や原因究明にあたるという。ここで膿を出しきらずしてDeNAの未来はない。

 「いや、みんなやっていたじゃないか。なんでうちだけ……」。守安社長や村田氏の脳裏にそんな思いがかすめた瞬間があったかもしれない。そうかもしれないが、DeNAがやってはいけなかった。言い換えれば、社会の公器としての自覚があまりに足りなかった。

 なお、本誌は村田氏へのインタビュー取材を申し込んでいるが、実現の目処は立っていない。

守安社長はインタビューで「責任の所在は誰にあるのか、しいて一人挙げろと言われたら、それは社長である私です」と答えた(撮影:的野弘路)
守安社長はインタビューで「責任の所在は誰にあるのか、しいて一人挙げろと言われたら、それは社長である私です」と答えた(撮影:的野弘路)
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