南アフリカでは4月下旬、最低賃金に抗議するデモが起こった(写真=ロイター/アフロ)
南アフリカでは4月下旬、最低賃金に抗議するデモが起こった(写真=ロイター/アフロ)

 地政学リスク分析で知られる畏友イアン・ブレマーが、4月末に米国で新著を出版した。6月中旬には日本でも翻訳版が出版されることとなり、その日本語版解説を頼まれたので、一生懸命原著を読んでいる。

 タイトルは、“US vs THEM“。日本語にすると「私たち 対 彼ら」あるいは「俺たち 対 あいつら」という感じだろうか。自分の属するグループとそれ以外を峻別し、対立構造を作り上げることを言う。

 イアンは、『自由市場の終焉:国家資本主義とどう闘うか』(2011年、日本経済新聞出版社)で、中国・ロシアを中心とする国家資本主義の台頭を指摘。続けて、『「Gゼロ」後の世界:主導国なき時代の勝者はだれか』(2012年、日本経済新聞出版社)では、経済的には米中二極体制となる世界で、どちらも世界秩序の維持に汗をかかなくなるという「G2」ならぬ「Gゼロ」という不安定な時代の到来を予測していた。どちらのテーマについても、その後、彼の分析の通りの展開を示しているが、これらは世界のマクロな構造についての分析であり、著書であった。

 今回の“US vs THEM“では、各国国民の心の中にある「自分たちの生活が向上しない」という心理的不満と、それを巧みに「彼ら、あいつらがその原因だ」と煽り、みずからの権力獲得に利用しようとするポピュリスト政治家の心理戦術、についてが主題である。ある意味、ミクロな心理の動きの集合、がテーマと言ってもよいだろう。もちろん、これらが世界の構造的リスク要因になるというマクロ視点につながることは言うまでもない。

中間層に広がる「俺たち 対 あいつら」

 詳細は、日本語版発売後ぜひお読みいただきたいと思うが、今回のマクロ、ミクロのつながりを述べた内容の中で、大変興味深いのは、これから不安定さを増す可能性が高い12カ国を明示的に述べ、それぞれの国について、国民(特に中間層)の心の中で、“US VS THEM“という訴えが力を持ち得る要因について述べている部分だ。

 先進国、中進国、開発途上国の違いはあれど、数多くの国が、「格差や不平等の拡大」に対する不満の相当な高まりに直面している。さらに、今後、AI(人工知能)活用やロボット化を含むオートメーションがもう一段進展する中で、中間層のうち、雇用・賃金面でのダメージを受ける人々が相当数出てくる。

 10年近い世界的金融緩和に支えられてきた資産バブルはどこかではじけるだろうし、中国をはじめとする新興経済の拡大に合わせて上昇を続けた資源価格は調整に入っており、それに頼ってきた資源型経済の国々は、大幅な国家的収入減に見舞われている。そもそも、税を通じた分配システム、あるいは教育による格差固定防止策がうまく機能しなくなっている国も数多い。

 要は、経済的不安、社会的不安をもたらす要因が積み重なり、各国国民の不満が増大。これを梃子に対立構造を作るポピュリスト政治家が力を得る、という流れは、まったく終わっておらず、今後さらに強まる傾向を見せるだろう。それが、世界全体を不安定にする要因となる。これが、イアンの議論の前提だ。

 その中でも工業社会を先に作り上げ、そこから生まれた富を活用して、失業対策や医療保険など、まがりなりにも社会保障制度を用意できている先進国は、まだ良い。グローバル化の波に乗ってようやく中進国になりつつある国々や資源に頼る開発途上国は、たいていの場合、大きなショックを乗り切るレジリエンス(復帰力)を備えていない。

 また政策ミスが続き、そもそも経済成長が早くも鈍化したり、長期の不況と失業増に苦しめられている国も枚挙にいとまがない。加えて言えば、移民や難民の流入、国内での宗教的、民族的対立の存在。国内地域間での激甚な格差。あるいは、若年人口がまだまだ多く、この層に十分な雇用を提供できない、などなど。“US vs THEM“の流れが奔流となる要因はまだまだあり、そのインパクトの程度はさまざまだ。

 国ごとに、その国の持つリスクの源泉が異なるわけだが、このあたりを、シンプルだがきちんと整理して提示したのが、12カ国についての部分だ。

インドに潜む宗教と貧富の対立

 具体的に挙げられた国は、中国、インド、インドネシア、ロシア、トルコ、ブラジル、メキシコ、ベネズエラ、ナイジェリア、サウジアラビア、エジプト、南アフリカの12カ国。これらの国々の人口を合計すると、世界の人口の半分以上となる。この12カ国の大多数で、大きなリスクが顕在化すれば、世界全体の問題となることは必至だということでもある。

 このうち、中国だけは、リスクをなんとかマネージできるかもしれないというニュアンスで描写されているが、それ以外の国々については、かなり厳しい見方がなされている。

 将来、世界経済の雄のひとつとなると考えられているインドについて、少しご紹介してみよう。

 まず、いわゆるアイデンティティ・ポリティクス。モディ政権の母体たるインド人民党はヒンズー至上主義が優勢だ。彼らと、「少数派」と言われながら1億人以上いるイスラム教徒との間で“US vs THEM“という流れが強まる可能性は無視できない。

 さらに、極端な貧富の差。バンガロールでIT(情報技術)産業に従事する人たちが豊かな生活を享受できるようになる一方、7000万人以上が安全な水にすらアクセスできず、2014年段階では6億人がトイレのない家に住み、2015年でもまだ2億4000万人がまったく電気のない生活を送っている。この巨大な格差は、簡単に“US vs THEM“型の政治運動に火をつけてしまいかねない。

 そして、中間層を多数生みだす前に、AI・ロボット化などで工業化による中間層の急拡大が難しくなり、かつ若年人口が巨大であるにも関わらず、(生産性を非常に低いレベルに据え置いたままの公務員以外に)良質な雇用を十分に提供することが簡単ではない、というこれから顕在化するリスク。これらのインパクトはかなりのものだろう。

 あるいは、アパルトヘイトから抜け出し、経済成長の優等生だったはずの南アフリカ。ここでの対立構造を生む源泉は「政府が自分たちのことを相手にしてくれない。考えてくれない」という大衆心理だという。

 2000万人近くいる15歳から35歳までの国民のうち、職についているのは620万人に過ぎない。黒人若年層の失業率は40%で、白人若年層の約4倍。「政府のエリート」や「白人」に加えて、近隣諸国から流入している出稼ぎ労働者や難民も「あいつら」とみなされる。

 移民・難民問題と中間層の没落から、欧州でポピュリスト政党が勢力を伸ばしていることを我々は知っている(フランスでのマクロン大統領誕生は、その流れを止める大きなイベントとして取り扱われているが、その実、左派・右派どちらも既存の政治家がまったく評価されなくなったということでもある)。ブレグジットやトランプ大統領の誕生も、たまたまではなく、政治不信の中で、“US vs THEM“の潮流が強まった結果があることも、知っている。

世界中で噴出する工業化社会の矛盾

 しかし、欧米先進国だけでなく、世界人口の過半数を占める中進国、開発途上国の中の人口大国で、これから出てくる可能性の高い“US vs THEM“。これに目をこらしていかないと、グローバルにビジネスを行っていく上で、大きく足をすくわれかねない。

 私自身の整理で言えば、工業化社会を作ることで人類全体が豊かになってきた時代。これがいよいよ最終局面に入り、さまざまな矛盾が生じているのだと思う。特に、工業化社会の中で、最適化されてきた社会・経済の諸制度がうまく回らなくなり、かつそれを上手に運営できなかった国々では、社会全体の矛盾が噴出している状態なのだろう。

 そこへやってきたデジタル化の流れ。これが、まだポジティブなメリットを各国民に与えていない段階で、雇用への不安が高まるようなAI/ロボット化が喧伝され、さらにSNS(交流サイト)を通じて、不満を持つ層同士がつながり、聞きたい話だけを選択的に聞く、ということにもなっている。

 本書だけで、「ではどうするのか」ということに答えを出すことは到底できないが、イアンの警告をスタートポイントとして、解決策を考え、実行していくプロセスを始めざるを得ないと考えている。まずは、読後に感じ、考えたことを、お伝えさせていただいたが、今後もこの話題には触れていきたいと思うので、どうかよろしくお願い申し上げます。

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。