今回のテーマは「生産性」──。
先にテーマを書いたのには理由があるのだが(あとで説明します)、妙な方向に議論が進んでいる「裁量労働制拡大」と対で使われる「生産性」である。
1月23日付で「年収制限のない“定額働かせ放題”ってマジ?」で書いた通り、高度プロフェッショナル制度の陰でスポットを浴びてこなかった問題アリアリ法案が、安倍首相の答弁により注目を浴びることになったのは実に喜ばしい事件である。ひょうたんから駒? 自爆? 天のいたずら? はたまた「不正は必ずボロが出る」ということなのか。
ところが残念なことに、国会では「誰それの責任」だの、「安倍首相がホニャララと言ったとか言わないとか」本質的な議論とは程遠いやり取りが繰り返されている。挙げ句の果てには一年延期だのなんだのと、“違う名前で出ています”トリックが使われそうな空気が漂ってきた。
たとえ野党が求めるとおり今回での法案成立を政府が諦めたとしても、もっと狡猾な手段で、10年がかりの宿願であった「ホワイトカラーエグゼンプション」を意地でも通す。おそらく。多分。9割以上の確率で。それくらいどうしたって成立させたい法案なのだ。
無論、不適切なデータを用いたこと自体問題なので、この件に関する私なりの見解をコメントしておきます。
ご存知のとおり、比較データは平成27年(2015年)3月の厚生労働部門会議で、民主党(当時)の山井和則議員に対して提示されたもので、その後も塩崎恭久前厚生労働相や今年1月の安倍首相の国会答弁で使われてきた。
厚労省は「異なる条件で比較し不適切なデータを作成していた」と公表しているけど、
- 「1カ月で最も長く働いた日の残業時間」(一般労働者)
- 「1日の平均的な労働時間」(裁量制の労働者)
という、(ぶっちゃけ)全く異なる質問のデータである。
普通に考えれば、よほどの“おバカちゃん”でない限り、このような「混同」はしない。
裁量労働制で働く人の1日の労働時間が「2時間以下になっている」ケースなど、厚労省は不適切データが117件あるとしてきた。さらに2月26日の衆院予算委員会で加藤勝信厚労相は、新たに233件の不適切データを確認したことを明らかにした。これって、基本中の基本であるデータのクリーニングさえ行なわないまま使ったということになる。「入力ミス」との報道もあるが、入力したデータを分析をする前に“普通”はやるものだ。
要するに、
「どうする? なんかデータ出せってさ。なんかない?」
「オッ。これどうだ?」
「でも、質問違うし……」
「いいよ、これで。だいたい裁量制なんだから、労働時間とか関係ないだろ」
「だね。飲み放題で飲むのと、普通で飲むのとどっちが酒の量が多いか?って聞いてるみたいなもんだしね」
「ん? ま、いいよ。平均、平均。平均でGO!!」
と、その場しのぎの“ノリ”で作ったしか思えないほど稚拙なのだ。
そもそも「長時間労働になるんじゃないのか?」という質問の答えを「平均値」で示すなどもっての外。
例えば10人の一般労働者と10人の裁量労働制の人を比較する場合、
- 超「長」時間労働者がひとりでもいれば平均値は上がる。
- 超「短」時間労働者がひとりでもいれば平均値は下がる。
対象者の職種は? 男か女か? 年代別には? いつ(繁忙期か閑散期か)の労働時間?によっても数値は大きく変わる。そんなことくらい、“労働問題”を少しでもかじっていれば、当然分かるお話である。
それに先のコラムのデータソースは、厚労省の要請で労働政策研究・研修機構(JILPT)が実施した調査結果だ。つまり、「もう一度、実態調査をやれ!」「いや、やらない!」とか意味不明。厚労省が要請したのに、知らない、わけがないのである。
ご覧の通り、1カ月の実労働時間が「200時間以上の割合」は、一般の労働者が32.6%に対し、企画業務型裁量制は44.9%と長い(先のコラムより再掲)。
で、2月22日になって、なぜかやっと、ホントにやっと、安倍首相はこの調査結果を用いた答弁をした。
「裁量労働制で働く人のおよそ3分の2は満足していると回答したが、それ以外の方々もいて、不満の理由の多くは労働時間が長いことを挙げている。労働時間が長くなった場合には健康確保措置を取っていく。みなし労働時間と実労働時間にかい離がある場合に適切な指導を行うことも新しい法案に入れ込んでおり、そうした対応を取ることで柔軟な働き方を可能としたい」と。
ふむ。これは私がコラムで指摘した一部に、極めて近い答弁である。だが、これはあくまでも枝葉末節でしかない。
安倍首相の答弁に使った「不満」の元データは上記の通りで、どの不満も「裁量制の根幹に関わる不満」である。
さらに、先の調査では……、
- 「一律の出退勤時刻がある」49.0%
- 「出勤の時刻は自由だが出勤の必要はある」34.9%
遅刻した場合、
- 「上司に注意される」43.3%
- 「勤務評定に反映される」22.7%
- 「賃金カット」10.8%
- 「場合によっては懲戒処分」6.5%
という結果も示されているのだ。
いったい、これのどこか「裁量制」なのか。
これだけのデータが揃っていて、「裁量労働制の拡大」という一般の人たちも興味ある問題がクローズアップされているのだから、国会では、
- いったい何のための裁量制拡大なのか?
- 現行の制度(フレックスタイム、テレワーク)で対応は不可能なのか?
- 働き方改革の一丁目一番地は「過労死・過労自殺」をなくすということではないのか?
といった本質的な議論をしてもらいたかった。
残念……。本当に残念で仕方がない。
で、ここからが本題である。
今回のデータ問題が明らかになった時、テレビやラジオのコメンテーターやいわゆる識者の人たちがSNSなどで、連発したのが“生産性”というマジックワードである。
コラム冒頭で「先にテーマを書いた」のは、「生産性」という言葉を伝家の宝刀のごとく使う人たちは、不適切データへの興味が一切ない。いや、興味がないばかりか不適切データに言及する人を見下しているように見える(あくまでも個人的意見です)。
「本来議論するのは“生産性”についてでしょ?」と。
「裁量制を拡大するのは悪いことじゃないでしょ? それで“生産性”が上がるんだから」
「そうだよ。時間でしばるより、好きな時間に自由にできる裁量制を持たせた方が“生産性”は向上する」
「いつまで時間で評価するんだよ。だから長時間労働が無くならないだよ」
「生産性で比較しないとな」
「自分のライフスタイルに合わせられるんだから、生産性は上がる」
etc etc……。
生産性を上げる──。
働き方改革という言葉が市民権を得るかなり前から、働く人たちは耳にタコができるくらい「生産性を上げろ!」と、“上”からプレッシャーをかけられてきた。
働き方改革という言葉ができてからは「生産性の向上」という言葉がありとあらゆる問題の魔法の杖のごとく使われている。
でもね、ここで思うわけです。
生産性を上げるっていったい何? と。
生産性で評価するって言うけど、何をもって「生産性を向上させる」と濫用する人たちは考えているのだろう?
まさか「生産性を上げる=コストを削減する」と勘違いしている?
そんなことを未だに考えているとはさすがに思いたくないけど、今回の裁量制拡大法案でいえば、企業にとって「コスト削減」になることは明白である。
安倍首相が答弁しているとおり、
- 過労死基準を超えるくらいの長時間労働になっても、「健康確保措置を取っていく」だけなわけだし、
- みなし残業時間と実労働時間が乖離していても「適切な指導を行なう」だけなわけだし、
罰則規定への言及は一切なし。
実労働時間の把握は義務化されるのか?
それをしていなかったときの罰則はあるのか?
といったことへの議論も行われていない。
要するにこの法案で可能になるのは、「柔軟な働き方」じゃなく、「柔軟な働かせ方」。企業側に極めて有利な内容なのだ。
こういった懸念には必ずといっていいほど、「このご時世、下手なことしたらブラック企業呼ばわりされるから、変なことはしないでしょ?」との意見が出る。
なるほど。だったらなおさらのこと、罰則規定を盛り込めばいい。
会社が潰れても仕方がないくらいの罰則を科す。「労働者を使い捨てにするようなことはしない」のなら、何ら問題はないはずだ。
でも、そういった企業の“コスト負担”になる罰則は絶対につけない。罰則の“ば”の字も出ない。「残業上限100時間未満」という過労死を合法化するような罰則基準で「画期的!」と賞賛しているのだから、端っからコスト負担など頭にないのである。
日本企業はこれまでもコストを削減することで、生産性を上げてきた。サラリーマンの代名詞となった“残業”も、1970年代に「メイド・イン・ジャパン」が世界で評価され需要が急激に拡大し、追いつかない供給を労働時間を増やしてカバーしようという発想に基づいている。
その結果、心臓や脳が悲鳴をあげ、過労死する人が量産された。その後、デフレで供給過多になり、生産設備とともに人も減らしたのに、「残業文化」だけは残った。
「人を雇い入れるより便利だ! 頑張って働いてもらうよ!」──。
経営者が安易にそう判断したのだ。悲しいことだけど。
残業文化の変遷は、一日の残業時間の変化を見れば分かる。
平日1日当たりの労働時間(フルタイム勤務の男性)は、1976年「8.01時間」、1991年「8.70時間」、2001年「8.79時間」、2011年「9.21時間」と、確実に増加。週休二日制が一般的になった2000年代以降も増えているのだ。
1日10時間労働している労働者の割合も、1976年には17.1%だったが、1991年35.3%、2011年には4割強の43.7%とこの35年間で増え続けている(「日本人の働き方と労働時間に関する現状」内閣府規制改革会議 雇用ワーキンググループ資料より)。
つまり、「生産性を上げる=コストを削減する」ではないのに、「生産性を上げなきゃ!そのためにはコスト削減だ!」という誤った認識が共有されているといっても過言ではないのである。
では、生産性を向上させるのに必要なモノとは何か?
実にシンプル。人を「資本」と考え「投資」することだ。
社員の賃金を上げるのも投資だし、十分な休養や余暇を与えることも投資だし、福利厚生を充実させることも投資だし、スキルや知識を習得するための研修を強化することも投資だ。
とりわけ、“オーケストラの指揮者”でもある管理職のマネジメント能力を高める、徹底的な研修への投資は不可欠である。
まさしく「人」。働いているのは人。
その当たり前を忘れ、「人」の持つ可能性を信じず、数字しか見ない(見えない)経営者が、「コスト削減=生産性向上」などと勘違いするのだ。
もちろんコスト削減は必要である。
だが、リーマンショック以降、日本企業は「これ以上削るところはない」というくらいコスト削減に務めてきたはずだ。人を減らし、賃金を押さえ、ボールペン一本まで削ってきた。
一方、投資はどうか?
- 内閣府が発表した2017年12月の景気動向指数は、それまで最高だったバブル経済期の1990年10月(120.6)を上回り、1985年以降で最高を記録したのに、「実質賃金指数が前年を0.2%下回り、2年ぶりに低下」(参考:「働かなくてもカネがもらえる」から働くんです)
- 企業が毎月支出する「従業員1人当たりの教育訓練費」は1112円(2016年)で、ピークの1991年(1670円)と比較すると500円も少ない。また、従業員の雇用で生じる現金給与以外の費用(労働費用)に占める割合は1.4%と、最低だった2011年と同水準だった(参考:人材を「人財」と豪語するドヤ顔トップの嘘)
悲しすぎる。“投資”の陰すら見当たらないのだ。
人に投資すれば人は成長する。そういった職場は、人生の質を高め、人生に意味を与える。人にしかできない想像力を駆使し、「買いたい!お金を払いたい!」と人々が思う商品を生み出す。いわば、付加価値の向上。
「労働者の健康と満足感と、職場の生産性や業績には相互作用があり、互いに強化できる」とした米労働安全衛生研究所(NIOSH)の「健康職場(healthy work organization)」が実現するのだ。
1980年代後半に、健康職場モデルが提唱されるに至った背景には、「生産性を上げるには労働者を酷使するしかない」という考えが主流で、多くの労働者がメンタルヘルスを損なっていた社会状況があった。
「会社が生き残るには、従業員はがむしゃらに仕事してもらわないとね」と宣う経営者の考えを改めてもらうために、NIOSHが提唱したのが健康職場モデルだったのである。
「健康職場」とは、逆説的に言えば、職場に過度のストレッサーがなく、あるいは本質的に安全化が図られているために、ストレス解消に熱心に取り組んだり、細心の注意を払ったりする必要のない職場のこと。つまり「長時間労働になるのでは?」などと懸念が生まれる時点で、その前提から外れていることになる。
同時に、生産性を上げるために人員削減(リストラ)を断行することも、健康職場の理念とは異なる。
米国で1980年代に人員を3%以上カットした大企業311社(平均は10%カット)について調査を行った結果、経営指標の改善した企業は皆無。逆に経営が悪化している企業が多かった(NIOSH調べ)。米経営者協会が行った調査でも、1989~94年の6年間にリストラを実施した企業のうち、3分の2は実施期間中に生産性の向上は見られなかった。
リストラをすると人件費が下がるため、数字の上では生産性が向上したように見える。だが、実際の生産性はアップするどころかダウンする。
一方、人的投資を継続的に行っている企業では生産性が上がる調査結果は国内外でいくつも存在する。人が成長するということは生産性をあげること。実にシンプルな法則が明らかになっているのだ。
人的資源への投資を行なっている企業のトップに聞いてほしい。
「裁量労働制の拡大は必要ですか?」と。
「現行の制度(フレックスタイム、テレワーク)で対応できませんか?」と。
そして、おそらく裁量を持ち、自らの「生産性は高い」と信じてやまない人たちが、法案さえ通れば「生産性は上がる」と信じているのかもしれない。
記事掲載当初、本文中の2ページ目で『1カ月の実労働時間が「250時間以上の割合」』としていましたが、「200時間以上」の間違いでした。また、本文最後の「生産」は「生産性」です。お詫びして訂正いたします。本文は修正済みです [2018/02/27 07:30]
発売から半年経っても、まだまだ売れ続けています! しぶとい人気の「ジジイの壁」
『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアシリーズ)
《今週のイチ推し(アサヒ芸能)》江上剛氏
本書は日本の希望となる「ジジイ」になるにはどうすればよいか、を多くの事例を交えながら指南してくれる。組織の「ジジイ」化に悩む人は本書を読めば、目からうろこが落ちること請け合いだ。
特に〈女をバカにする男たち〉の章は本書の白眉ではないか。「組織内で女性が活躍できないのは、男性がエンビー型嫉妬に囚われているから」と説く。これは男対女に限ったことではない。社内いじめ、ヘイトスピーチ、格差社会や貧困問題なども、多くの人がエンビー型嫉妬のワナに落ちてるからではないかと考え込んでしまった。
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