私が生まれた頃、日本は三流国だった。皆がそう思い、そう言いもした。道路はあちこち未舗装で穴があき、貿易収支はひどい赤字だった。『加工貿易』という言葉も小学校で習った。「日本は資源がないから、外国から原料を輸入して、加工し、それを輸出することで国を成り立たせ」ようとしている、と。だがそのための生産機械は、欧米からの輸入か技術導入だった。1970年までに貿易赤字をなくしたい、と'60年代半ばに政府が発表したとき、欧米諸国はあざ笑ったものだ。あまりに野心的、と。
その同じ国が、'90年代のはじめ頃は『超先進国』を自認するようになった。「もう欧米に学ぶものはない」とも言われ、じじつ欧米から日本の製造業に調査団が来た。『電子立国・日本』の都会の地価は摩天楼のようにのび上がり、企業は“含み益経済”を謳歌した。海外で片端からいろいろなものを買収しまくった。 繁栄は短かったのに、その後の不況は長かった。多くの企業が競争力を失い、国民は公的資金の形で金融貸倒れの穴埋めをした。それでも日本の技術は一流だ、と多くの技術者は信じていた。出来がわるいのは政治と金融業だ、と。 風向きが変わりはじめたのを私が感じたのは、4、5年前に米国のカンファレンスに出席していたときのことだ。キーノート・スピーカーはIT産業の未来について語り、米国のみならず世界でもどうのこうのという話になった。「アジアでは、たとえばシンガポールではこうであり、中国ではああだ」と講演者は語る。私は、あれっ、と思った。こうした場合、真っ先に例に挙がるのは日本ではなかったか。いつのまに、話題が東京の上空を素通りするようになったのか? こうしたことは、日本の外にいないと、なかなか肌身に感じない。最近、中東に駐在する営業部長からきたメールの中には、成長著しい中東の国際金融の現場で感じるのは今や「ジャパン・バッシング(日本叩き)ではなく、ジャパン・パッシング(Passing=素通り)」です、と書いてあった。残念ながら、そうだろうな、と私は思う。海外ジャーナリズムの発信する記事を読んでいても、同様のことを感じるからだ。 それは日本外交や経済政策がだらしないせいなのか? 科学技術では、日本はまだ最高なのか? そう信じている人たちに、見せたいものがある。きわめて不思議な、3冊の白書である。「科学技術白書」平成17年版と19年版、そして「財務白書」である。 まず、このグラフを見ていただきたい。科学技術白書(平成17年版)の「特許」の章の引用である。国の研究開発力の水準を計るのはなかなか難しい問題だが、その一つの手がかりは特許出願数であろう。グラフから一目瞭然なのは、米国が'90年代から群を抜いて世界のトップになっていることだ。「1989 年までは日本が出願件数で世界第1 位であったが、1992 年に米国に逆転されて以来、米国を筆頭に、日本、ドイツ、英国、フランスの順位で変化していない。」と文章にも説明がある。つまり、あきらかに研究開発の知的生産性の面では、日本は米国に後れをとっているわけだ。また統合EUに対しても、あきらかに負けている。 ところが。平成19年版の科学技術白書における国別特許出願数のグラフ(P.147)は全然違った形をしている。ファイルが重くて開けにくいので、ここにスキャン画像をお見せしよう。 どうだろう。日本がダントツで一番ではないか! 説明文にも、「主要国の特許出願件数(中略)の比較では、日本の出願件数は世界第1位で推移してきており、続いて米国、韓国、中国の順となっている。」と、晴れがましく述べている。何もこの2年間に逆転したというのではないよ。10年以上も前から、ずっと世界一だったと主張しているのだ。わずか2年前の白書では、トップの米国に差をつけられるばかりだ、と嘆いていたのに! この差はどこから来ているのか。表を子細に見ていくと、どうも19年版の白書では、どうも日・米・欧の主要国以外の「その他の国」への出願数を意図的に集計から除外したらしいことがわかる。米国はその他の国への出願数が非常に多い。これは北米・南米・アジアも含めた世界戦略にたって動いている以上、当然のことだろう。 こうした白書の制作業務は、実際には○○総合研究所といった大手シンクタンクに委託されるのがふつうだ。しかし、このような編集意図の変更は、発注者側の意向にもとづくものと想像したくなる。どういう意向か? それは、「日本の科学技術政策はうまくいっており、研究開発の知的生産性は高い」と強調したい、という意図にちがいない。 日本の技術は素晴らしい、と人々が言う場合、それはトヨタ生産方式をはじめとする生産技術のことを指すことが多い。たしかに、高い生産性を示す会社も少なくない。しかし、工場の生産性が、その国の経済成長を左右すると信じるのは、単純すぎる。ノーベル賞経済学者ロバート・ソローは「成長理論」の中で、経済成長の80%以上は技術進歩によるもので、資本と労働による付加価値増大をはるかにしのぐことを証明した。つまり、一国の経済成長率は、研究開発における知的生産性によってかなり決まってくるのだ。 それでは、日本の知的生産性のランキングは、どれほどのものなのか。創造性豊かなのか、「質より量」の低次元のものなのか。平成14年版『年次経済財政報告』のこの図3-2-16を見てほしい。OECDの調査では、“我が国の研究開発投資は生産性の上昇に有効に結びついていない”(キャプション)のは明らかではないか。OECDの中では、下から3番目だ。 私たちの経済が成長するためには、明らかに技術革新によるイノベーションが必要とされている。しかし、研究開発投資を増やしても、それに結びつかないのだ。その事実を直視せずに、特許の統計データを小手先で変えて自己満足していて、いいのだろうか。「日本の技術は一流」という、政府による自己催眠から、もう目を覚ますべき時ではないのか。事実を直視すること、それを多角的に見て検討することこそ、ジャパン・パッシングの時代を避ける、唯一の方法なのである。
by Tomoichi_Sato
| 2008-02-02 18:11
| ビジネス
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