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チーフデザイナーとプロジェクトマネージャ、どちらが上に立つべきか

宮崎駿の映画「風立ちぬ」は、ゼロ戦の設計者・堀越二郎を題材にした物語だ。堀越は実在の人物だが、映画全体は評伝ではなく、フィクションの色彩が強い。とはいえ、物語は主人公・二郎による新型飛行機の設計を軸として展開していき、その部分は比較的史実に近い。だから、一種の製品開発プロジェクトのストーリーとしても、見ることができる。その中における主人公の職務上のポジションは、「設計主任」だ。設計主任とは何か、その役割は開発プロジェクトのプロジェクト・マネージャーとは何が違うのか。そんなことを、今回は考えてみたい。

設計主任に対応する英語はいくつかありうるが、チーフ・デザイナーあたりが最も一般的だろう。ところで、チーフ・デザイナーというと、もう一つ思い出すストーリーがある。ハインラインの「月を売った男」だ。これは月世界旅行の夢にとりつかれた主人公ハリマンが、月ロケットを完成させるまでの物語である。小説が書かれたのは1950年で、まだアポロ計画など影も形もない。だから国の予算ではなく、個人でなんとかして資金をかき集めて実現するしかない。この物語は、儲からぬモノにはびた一文払いたがらぬ米国ビジネス界を相手に、雲をつかむような夢のための金をどうやって引き出すかがポイントになっている。その奇抜なアイデアの数々については、ぜひ小説を読んでもらいたいが、設計とビジネス・マネジメントの兼ね合いについても、一つ忘れがたいエピソードを書いている。

ようやく資金にめどがつき、まさに月ロケットの設計が佳境にさしかかろうとしている時のことだ。チーフ・デザイナーがこぼすのである。「たとえばエンジンの性能について真剣に考えたい時に限って、資材業者がやってきて『トラックはどこにつけたらいいのか』と質問をしてくる。雑用や割込で細切れにされて、肝心の設計に集中できない。」--これを助けるため、ある有能なパートナーが彼にこう言う。「その種の、交渉だとか契約だとか支払いだとかいった仕事は、今後は全部ぼくに投げてください。ぼくが全力でサポートするから、あなたは技術的なことだけに集中してほしい。」(以上、じつは本が手元にないので記憶で書いているが、だいたいこういったやりとりだったと思う)--そして事実、有能な彼が右腕として面倒なビジネス面での仕事を引き受けてくれたため、設計は急速に前進していくのである。

このエピソードは、たしかFrederick Brooks Jr.が、彼のソフトウェア開発論の古典的名著「Mythical Man-Month, The: Essays on Software Engineering」(邦訳『人月の神話』)の中でも引用していた。そして、この二人の関係を理想的だと賞賛している。すなわち、デザイナーが主で、ビジネス・マネジメント役が従、という風な関係である。

Brooks Jr.は元々、IBMでSystem 360とOS/360開発のプロジェクト・マネージャーだった人だ。後にNorth Carolina大学に移り、この本を書いた。System 360はIBMの社運を賭けた画期的計算機だったが、そのOSであるOS/360の開発は予定の2年近く遅れ、「ソフトウェア危機」という言葉が生まれるに至った。「The Mythical Man-manth」は、その彼の思索と反省をまとめた本である。その論点の一つに、開発のための組織論がある。巨大な開発プロジェクトにおいては、技術的仕事のみならず、人事・資材・調達・販売・契約・資金・オフィス環境その他諸々を含めた、非・技術的な仕事がかなり発生する。そうしたビジネス面については、分業して設計から切り離すのが、米国的な発想だ。専門家による分業によって、それぞれの効率を達成する。これが彼らの定石である。

その際、問題になるのが、技術面のチーフと、ビジネス面のチーフの、どちらが組織で上に立つかだ。ピラミッド型組織では、位階の上下ははっきりさせる必要がある。上にいる方が、最終的判断を下す。その場合、技術面と、ビジネス面のどちらが主導権を握るべきなのか。

どちらのパターンもあり得るが、設計が主で、ビジネスが従の形の方が良い、というのがBrooks Jr.の意見である。その傍証として、上記「月を売る男」のエピソードを引用する。実際のところ、System 360の開発では、アーキテクト(設計主任)としての彼がプロジェクト全体を引っ張った訳だ。片腕としてのビジネス・マネージャーがいたかどうかは不明だが。

ところで、このような関係は一般的なのだろうか? つまり、設計が上でビジネスが下の関係だが。たとえば映画の世界ではどうか? 宮崎駿の映画の場合、設計(技術面)の責任者は無論、宮崎駿である、他方、いわゆるビジネス面の責任者はプロデューサーと呼ばれるが、それは鈴木敏夫だ。ジブリの中では、たしかに宮崎が上で鈴木は下に見える。

ただし、他の映画では必ずしもそうではない。というか、むしろ逆のパターンの方が一般的だ。プロデューサーが上にいて全体を統括し、監督が製作(技術面)の責任を持つ。プロデューサーは、いざとなれば監督の首を切れる。たとえ相手が「世界のクロサワ」でも、切ってしまうのがハリウッドのやり方だ。Brooks Jr.の思想から言えば、この関係は間違っているのだろうか?

あるいは、わたしの働くエンジニアリング業界ではどうか。プラント系プロジェクトでは、一番上の責任者はプロジェクト・マネージャーである。そして設計(技術面)の責任者はエンジニアリング・マネージャーと呼ばれ、プロマネの右腕になる。契約だの発注だののビジネス的な仕事は主にプロマネの仕事である。しかし、重工業界や産業機械などの業界では、設計主任がプロジェクト・マネージャーであったりする例もある。

ここで、混乱を避けるため、ちょっと用語を整理しておきたい。チーフ・エンジニア(設計主任)という言葉は、まさに設計の責任者を表す。他方、プロジェクト・マネージャーは、プロジェクト全体の責任者だ。ただ、大きなプロジェクトの場合、自然に技術面と非・技術面の分業が生まれてくる(前者の方が作業量は多い)。そのとき、プラント業界などではプロマネが非・技術面を主に分担する。ただし、設計主任がプロジェクトの一番上に立ち、その従として非・技術面の専門家が動く場合は、「ビジネス・マネージャー」という用語で呼ぶ場合が多い。

では、両者はどちらが上に立つべきか? それは、プロジェクトの性格による、というのがわたしの答えである。もう少し具体的に言うと、

設計(技術面)の方が難易度が高い場合は、チーフ・エンジニアが上に立つべし。設計面ではそれほど難易度は高くないが、非・技術面(予算や配員や納期等)の制約がきつい場合は、プロジェクト・マネージャーが上に立つべし

ということになる。言いかえれば、より困難な方(=リスクの大きな方)が、全体の判断を下すべきだということだ。

これから考えると、System 360で技術者Brooks Jr.が上だった理由は明らかだろう。技術開発要素が、プロジェクトの成否を決したからだ。彼が「月を売った男」で同じパターンを考えたのも当然だ。これも難易度の高い技術開発だからだ(しかし、小説全体では、資金集めの方がずっと難しく、だからそっちが話のメインになる)。映画の場合も、シナリオライターがおり、俳優達がいて、監督やキャメラなどのスタッフを常時かかえているハリウッド・システムでは、やはり資金面をおさえるプロデューサーが上になる。だが、作家性の高い宮崎映画などの場合は、監督よりも偉い人はいないし、いらない。プラント・エンジニアリング業界では、技術はある程度成熟しており、しかし予算や納期などの制約が厳しいから、プロマネが一番上に立つことになる。

念のためにいうが、技術面とビジネス面を、「理系」対「文系」という枠組みでとらえないでほしい。理系文系という意識は、欧米にはほとんど無い。わたしの勤務先だって、プロマネはほとんど工学部の出身だ。だが、契約やマネジメントの方に専門特化していったのだ。

残念ながら、多くの企業や組織では、設計や財務などの部門の力関係が固定化されてしまっており、上に述べた「プロジェクトの性格」に応じた役割分担ができないことが、ままある。これが、わたし達の社会でのプロジェクトの成功率を下げる一因なのではないかと、わたしは疑っている。どうも、「上下関係」ばかりに敏感になりすぎるタテ社会文化に、その遠因がありそうである。技術もビジネスも、役割にすぎないことを、わたし達はあらためて再認識すべきではないだろうか?


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by Tomoichi_Sato | 2013-09-23 23:20 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)
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