わたしの同僚に、兵法書や戦争論を読むのが好きな男がいる。別に兵器オタクではない。本人はいたって知的で温厚な紳士である。ただ、プロジェクト・マネジメントをどう理解すべきか、その源流をたどっているうちに、そちらの世界に近づいてしまった、ということらしい。
事実、彼から聞いた、将軍達や参謀達の名言録のいくつかは、なかなか面白い。たとえばパットン将軍と言えば、戦車隊を率いてドイツと闘った、第二次大戦の米国の英雄だが、こんなことを言ったらしい: ・部隊はスパゲッティのようなものだ。押し出すことはできない。前線に立って引っ張る方が動く。 ・指揮責任の95%は命令の遂行を確認することだ。正しく遂行されることに、粘り強くこだわらねばならない。 ・やりかたまで指示するな! 目標だけを伝えよ! そうすれば相手は、きっと驚くべき方法を考え出すだろう! ・一段下の階級に指示し、二段下の階級の状態を把握しろ。 ・指揮官の第一の使命は自分の目で見ること。そして実地見聞に出かけている姿を兵隊たちにさらすことだ。将軍も危険に身をさらして戦っているのだと態度で示すのは、他ならぬ将軍の仕事だ。 ・判断は早すぎても遅すぎてもいけない。しかし最大の過ちはなんの判断も下さないことだ! オールドミスならだれでも知っている! ・成功の欠点は、その先に失敗がまっていることだ。成功とは失意の後でどこまで立ち直れるかの問題なのだ! などなど。どれもなかなかいい。とくに最後のフレーズなど、先日亡くなったスティーブ・ジョブズの非凡な生涯を思い起こさせる(本当に惜しい人を亡くしたと思う)。 もう一つ、その同僚に教えてもらった話に、モルトケの戦略論がある。モルトケはプロイセンの参謀総長だった人である。その中で面白いと思ったのは、「戦略は個別だが、戦術は普遍的である」という言葉だった。戦略は、個々の戦争において大局的状況を判断しながら決めるものだ。しかし戦術というのは、もう少し小さな戦闘局面においてくり出す、一種の定石のようなものだという。 なるほどな、という感じである。前にも書いたが、わたし自身はあまり「戦略」という言葉を使わず、『シナリオ』という言い方をするようにしている(「戦略シンドロームと改善病」参照)。あの、ちょっと大げさな、しかもかすかに硝煙の匂いが漂う軍事用語を、自分がちょっと頭をひねって作った程度のプランに使うのは気が引けるからだ。 それでも、ときにやむを得ず使うこともある。たとえば、今日はPMI日本支部主催のPMI JAPAN Festa 2011という催しに呼ばれて、講演をしてきたところだ。テーマは海外プロジェクトとプログラム・マネジメントの勘所だが、サブタイトルが「リスク戦略を考える」だった。 もちろん、自分なりの言い訳はある。というのも、PMBOK Guideにはリスク対応の指針として、「回避」「転嫁」「軽減」「容認」の四つをあげ、これを『リスク対応戦略』と呼んでいるのだ。ちなみに回避とは、リスクの影響をさけるため、計画変更やスコープ縮小を行うこと。転嫁とは、リスクの影響を、責任とともに第三者へ移転すること。保険が、その典型だ。軽減は、リスク事象の発生確率や影響度を、受容可能な限界値まで低減すること。そして受容が、有効な対応戦略を見つけられない際に、プロジェクト計画を変更しないと決めることである。 ところで、別の場所であるとき、この内容を説明したら、大学院生の一人から「保険かけるだけのことを、戦略なんていうのですか?」と聞かれてしまった。その通りで、たしかに大げさなのである。その場は、教科書に書いてあるから、と言って押し通してしまったが、今ひとつ自分でも引っかかる。モルトケの定義をかりれば、この4種類の方策は汎用性があるのだから、『戦術』とよぶべきではなかったか。 それにしても、その後、いろいろな局面で「戦略」の議論にぶつかるたび、わたしの耳にはあの、“そんなものを戦略というのですか?”という若い声が甦ってくるのである。このプロジェクトの受注戦略をどうするのか。あの外注先とのネゴシエーション戦略は。そして、国の官庁の作る新○○戦略やら、企業がIR資料に書く××発展戦略やらを読むたびに、疑問の声が渦巻いてくる。それって、単なる数字を並べただけじゃないか。それって総花的な施策の列挙では。それって当たり前の手法です。それって頑張ろうの精神論だ。それって--それって戦略というのですか? わたしが考えるに、何かの指針や方策が『戦略』と呼ばれるに値するとしたら、そこには三つの条件があるはずだ。 (1)全方位的ではなく、ある方向に集中していること。そのために、逆にある部分は手薄になることを覚悟の上で、戦いの場所を選ぶこと。これだったらたしかに、戦略的といえる。自分の資源は有限なのだから、どこかに集中して使う必要がある。方向性を選ぶ際には、なにかの見通し・仮説にもとづいて決める。 (2)短期的には損になるように見えても、長期的には益を生むような仕掛けであること。つまり、ある見通し・仮説にもとづいた、一種の投資である。これは(1)の条件を、時間軸上に展開したものであるとも言える。戦略的といえる物事は、どこかで「あえて弱点や損を承知の上で、強い部分をつくる」ことなのだろう。 (3)それを遂行するためには、自分の組織を変える必要があること。つまり、現有の陣容で、片手間でできるようなことは『戦略的』とよぶに値しないのだ。それをやるためには、自分の側でも変わる覚悟がいること。それが戦略的な行動のだ。 結局、これらをまとめると、「戦略とは、仮説にもとづく『賭け』である」とも言えるだろう。賭けだから、必ず勝つとは分からない。だから、自分の側にも覚悟を要求する。 もともと戦略というのは、計画と遂行がワンセット、車の両輪である。計画だけの戦略など、絵に描いた餅だ。また計画のない遂行は戦略ではなく、「出たとこ勝負」にすぎない。継続して、ある方向性を持って遂行していくためには、信じるべき仮説がなければならない。そして覚悟と。つまり、「覚悟してやらないものは戦略ではない」のである。これからもし、またあの“そんなものを戦略というのですか?”という声が聞こえたら、ぜひ自問することにしよう。自分は覚悟を決めて、これをやっているのかと。
by Tomoichi_Sato
| 2011-10-10 23:05
| ビジネス
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