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見えないパワーシフト - 生産から販売へ

'90年代のはじめ頃、私たちの社会に目に見えない地殻変動があった。それは、人口階層ならびに学歴階層の変化である。それらはもはや、底辺の層が厚く頂点に近づくほど数の減るピラミッド型の構造から外れてしまっていた。ところで戦後から高度成長期にかけての日本企業を支えた組織体制は、じつは組織階層のピラミッドと人口・学歴のピラミッドの“三角形の相似則”を基本に成り立つ、「終身雇用制・学歴制」だった。しかし、この相似則は'90年頃を境に成立しなくなったことを統計が示している。

にもかかわらず、企業社会は成果主義年俸制や派遣労働依存といった小手先の人件費対策で問題を繕おうとし、環境変化に応じて自らを変革することに失敗した。--これが、私たちの経済を長く覆う不調と不協和音の根源についての、わたしの推論の一つである。

関連エントリ:「組織のピラミッドはなぜ崩壊したか
       「組織のピラミッドはなぜ崩壊したか(2)  学歴社会の矛盾

さて、'90年代前半に進行した、もう一つの「見えない革命」とでもいうべき事象があった。それは、企業内ならびにサプライチェーン全体における、生産側から販売側へのパワーシフトである。

'90年代前半といえば、ちょうど『サプライチェーン・マネジメント』(SCM)という新しい概念が米国で生まれ育つ時期に当たる。SCMは、「需要と供給を同期化する」ことを中心コンセプトとする経営概念だ。このような思想が生まれたことは、米国は'80年代後半には、生産と営業のパワー・バランスの問題に直面していたのだろう。ちなみに、SCMが日本に本格的に紹介されたのは'90年代の後半になる。手前味噌だが、わたしも著者の一人として参加した「サプライチェーン・マネジメントがわかる本」('98年刊行)あたりが、その嚆矢だったように思う。

ではその、パワーシフトとはどのような現象か。それを説明するために、きわめて単純化したモデルを考えてみたい。これは以前「プロジェクト貢献価値の理論」(2006/12/12)に挙げた例だが、一部重複になる点をお許しいただいて、再び使うことにしよう。

いま、発明家(技術者)と実際家(セールスマン)が二人でガレージ・カンパニーをはじめようとしている。発明家は、わずか20万円ほどの部品を組み合わせて、100万円相当の価値を持つ新装置を作る画期的アイデアを考案した。セールスマンの方は、もしうまく製品ができたら、自分が売り込み先を捜してやろう、ともちかける。つまり、この二人の事業は、「製造」と「販売」の2アクティビティからなる、きわめてシンプルな製品開発プロジェクトである。
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ただし発明家は、実際にその装置を組み上げられるかどうかは、初めての試みだけに五分五分の見込みだと思っている。一方、セールスマンは、もしうまく製品ができれば、9割方は買い手を見つける自信がある。製造のコストは20万円。販売のコストは、まあ電話代や交通費が多少かかるだろうが、ほぼゼロとしよう。

さて、ここで問題である。うまく新製品が出来上がり100万円で顧客に売れたとしたとき、この二人の貢献は、どちらがどれだけ多いだろうか? いいかえるならば、両者のフェアな取り分は、いくらずつであるべきか? ちょっと、考えてみていただきたい。

このままでは難しいと感じるなら、ためしに、この問題をもっと単純化してみよう。アクティビティを「製造販売」たった一つにまとめてしまおう。かかる費用は20万円。失敗するリスク確率は、100%-50%×90% =100%-45% =55%となる。もし、このプロジェクトがうまくいけば、収益は100万-20万=80万円の価値を生み出す。

ところで、このプロジェクトがはじまる時点では、まだ100万円の売上は確実ではない。売上の期待値は、100万×45%=45万円にすぎない。一方、失敗しても部品代20万円は確実にかかる。したがって、プロジェクトの期待価値は、45万-20万=25万円だったのである。言いかえると、「製造販売」アクティビティの成功は、25万円のプロジェクト価値を、80万円の価値に増大させたわけだ。差し引き、80万-25万=55万円の価値増大に貢献したことになる。

これを別の言い方で表現すると、「アクティビティの貢献価値」とは、そのアクティビティの開始時点で期待されるプロジェクトの収益(=価値の期待値)と、その完了時点での価値の期待値の差分で表現される。そして、プロジェクト価値の期待値とは、各アクティビティのもつ失敗のリスク確率 rと、アクティビティ遂行に伴うキャッシュフロー(費用Cならびに収入S)で決まるのだ。

では、最初のように「製造」「販売」の2アクティビティからなるプロジェクトではどうなるか、順に計算してみよう。プロジェクトの期待価値は次のようになる。
「販売」完了時点:100万-20万=80万円
「製造」完了時点:100万×90%-20万円=90万-20万=70万円
「製造」着手時点:100万×90%×50%-20万円=45万-20万=25万円
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したがって、
「販売」アクティビティの貢献価値=80万-70万=10万円
「製造」アクティビティの貢献価値=70万-25万=45万円
つまり45:10が、発明家とセールスマンの貢献の比率なのである。

(注:両方のアクティビティの貢献価値を合計すると、55万円となって、さきほど計算した1アクティビティのプロジェクトの貢献価値と同じになる。つまり貢献価値は、合成しても加法性が成り立つ)

それにしても、よく考えてみてほしい。通常の経営論では、製造は「コストセンター」で、販売が「プロフィットセンター」と考えられている。しかし、上記の例で貢献価値を比較したら、コストセンターであるはずの製造部門の方が、より大きな価値を生み出しているのだ。これはなぜか?

答えは、「製造」の方がリスク確率が大きく、作業の難易度が高いからだ。そう。サプライチェーンにおける貢献価値は、各作業のリスク確率(難易度)に依存する。数式の証明は省くが、他の条件が同じであれば、アクティビティの貢献価値は、そのリスク確率rに比例することが示せる。つまり、難しい仕事ほど、価値が高いのだ。そして当然、その担当部署の発言力も強くなる。

ちなみに、上の例で「販売」のリスク確率を失敗ゼロ、としたらどうなるか。「販売」の貢献価値もゼロになることは、すぐ分かると思う。失敗するリスクの全くないアクティビティは、必要かもしれないが、貢献はゼロなのである。発言力も、まったく無いだろう。企業内における発言力や意思決定への影響力といったパワーは、基本的にその部門が担当する仕事の難易度、リスクの大きさによって支配される。むろん貢献価値の数値どおりに人が感じたり動いたりするわけではないにしても、組織の中の心理的パワーを、この理論はある程度説明してくれる。

(実際のプロジェクトでは、アクティビティ数は2よりもずっと多いし、並行する作業も存在するが、こうした複雑な系でも、貢献価値を計算する手法は構成可能だ。興味のある方は日本経営工学論文集 Vol.60 No.3Eに発表した拙論文をご参照ただきたい)

さて。戦後の高度成長期、日本企業のサプライチェーンでは、どこが一番難易度が高かったか。いうまでもなく、設計・製造である。溶鉱炉や製油所を例に挙げるまでもなく、重化学工業における製品を大量連続に供給するのは、技術者達の努力の賜物だった。製品は、つくる端から売れた。“水道の蛇口をひねるように”物品が消費者の元に供給される--これが大手電機メーカーの理想だった。

しかし、2度の石油ショックを経て'80年代後半にさしかかる頃、日本国内の市場はすでに変わっていた。『モノ余り現象』という言葉が現れ、プラザ合意で欧米諸国に内需拡大を約束したものの“もう買いたい物がない”と大人たちがささやきはじめた。人々の購買意欲は'88-91年頃のバブル経済でいったんは高まったが、バブル崩壊とともに吹き飛んだ。販売は、消費財であれ生産財であれ、どこも競争が厳しく、手こずるようになった。前回「営業活動という名前のプロジェクト - そのリスクとリターンを考える」にも書いた通り、三社合い見積が常態化すれば、受注のリスク確率は2/3にもなってしまう。一方、生産側は技術の成熟とともに、安定して製品を作れるようになった。生産側のリスクは格段に下がったのである。

これが、設計・製造部門から販売部門への企業内パワーシフトの背後にあった事情である。昔、'80年代頃までは、「販社」というのは製造業の子会社であった。「キヤノン販売」「エプソン販売」といった会社名は、その頃の事情を示していた。ところが今や、工場が製造子会社となる時代である。統計があるかどうかは知らないけれど、'90年代以降、製造業のトップには営業畑出身者が目立つようになった。

サプライチェーン全体では、それはもっと大規模に行われた。その昔、松下電器の製品は近隣のナショナル販売店(電気屋さん)から買うのが当たり前だった。今、Panasonicの製品はみな、大規模小売店とか通販から買うではないか。もはや製造業には、販売チャネルを御するパワーは残されていないのだった。

では、「技術の日本」で起きた生産から営業への見えないパワーシフトは、何をもたらしたのか。それについては、長くなったので、また稿をあらためて書こう。
by Tomoichi_Sato | 2010-11-14 17:56 | サプライチェーン | Comments(1)
Commented by Tomoichi_Sato at 2013-03-11 23:12
末尾が何故か切れて表示されていないようです。下にcopyしておきます:

これが、<u>設計・製造部門から販売部門への企業内パワーシフト</u>の背後にあった事情である。昔、'80年代頃までは、「販社」というのは製造業の子会社であった。「キヤノン販売」「エプソン販売」といった会社名は、その頃の事情を示していた。ところが今や、工場が製造子会社となる時代である。統計があるかどうかは知らないけれど、'90年代以降、製造業のトップには営業畑出身者が目立つようになった。

サプライチェーン全体では、それはもっと大規模に行われた。その昔、松下電器の製品は近隣のナショナル販売店(電気屋さん)から買うのが当たり前だった。今、Panasonicの製品はみな、大規模小売店とか通販から買うではないか。もはや製造業には、販売チャネルを御するパワーは残されていないのだった。

では、「<b>技術の日本</b>」で起きた生産から営業への見えないパワーシフトは、何をもたらしたのか。それについては、長くなったので、また稿をあらためて書こう。

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