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不満とストレスしかなかった最初の三年間

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イギリスに越してきたばかりのころ、私はいつもイライラしていた。

私が越してきたのは、10月。日本ではまだ夏の暑さが残り、やっと涼しくなってきたばかり。イギリスではこのころにサマータイムが終わり、冬時間が始まる。毎日3分ずつ日が短くなり、みるみる暗く寒くなっていく。

日本では冬も青空が見えることは普通だが、ヨーロッパの冬はとにかく暗い。出社してデスクから外を眺めてもまだ外灯がついており、数時間ほど灰色の空が見えたと思ったら、退社前にはまた真っ暗になる。気持ちが沈む。

暗い中を、電車で通勤する。運賃は日本の2〜3倍で、時間通りに来ないのは当たり前。理由もなく一本キャンセルになったり、ひどいときは「駅員不足」で駅が一日閉まったりもする。地下鉄は「(違法行為で)首になった同僚を救うため」という驚愕の理由でストを起こし、定期保有者でも自費で代替手段を使わされる。

自動改札はきちんと作動しないので、駅員の常駐が必要となる。通常なら人員削減のために自動改札を設置するはずなのに、自動改札を入れたばかりに新たな人材が必要となってしまう。駅のエスカレーターが壊れると、修理に何か月もかかる。その間は歩いて昇り降りする。これでも先進国かと思う。

イギリス人は当てにならず、仕事でメールをしても一発できちんとした回答が返ってくることはない。いかに仕事をせずに給料をもらうかに注力していて、口ばかりで仕事がきちんと片付くことがない。「今日忙しいから」と人に仕事をお願いしておいて、コソコソ早退して遊びに行ってしまったりもする。

英語も今よりできずイギリスで職歴もなかったため、日本で経歴があっても新卒のような仕事から始めるしかない。いい加減なイギリス人が責任のある仕事をしているのを横目に、自分は文房具の発注をしたり郵便物を仕分けたりしなければならない。

食べ物も高くてまずい。お昼はパサパサしたサンドイッチか、なにが入っているのかわからないような中華のテイクアウト。どちらもだいたいドリンクつきで5ポンド前後、千円ほどもする。

カフェに入っても店員はなかなかこちらを見ないし、すぐメニューも持ってこなければオーダーも取りにこない。それでもお勘定には勝手にチップが含まれていたりするし、消費税に当たるVATは現在のところ20%だ。

ボイラーの修理や荷物の宅配も、予定通りに来ないことがざらにある。有給を取って家で待っていてもやって来ず、「また別の日に」などと言われる。配送の人が 勝手に不在票を入れて帰って行ってしまうこともあり、家にいるのに小包を受け取れなかったりする。

具合が悪くなってもすぐ耳鼻科や皮膚科などの専門医にかかることはできず、まずは近所で登録してある一般医に行く。それにも予約が必要で、二週間先になることもざらにある。一般医が認めた場合のみ、レントゲンなどの検査や専門医に回してもらえる。それもまた順番待ちで、予約を取って行かなければならない。

お店は夕方5時6時で閉まってしまい、仕事の後に買い物もできない。スーパーは7時8時まで開いているところもあるけれど、日曜日は4時で閉まる。日曜日は線路を閉鎖してメンテナンス工事をやったりするので、電車で出かけられないことも多い。

夏はまだ明るくて過ごしやすいけれど、冬になると暗くて寒くて外出する気にもならない。スキー・スノボができる山もないし、温泉もない。イギリス中どこに行っても食べ物は同じで、 旅行の楽しみも半減する。

日本からやってきた私は、こんな国で生活を始めて、日々ストレスをためていくばかりだった。この国のすべてを見下し、いつも文句を言っていた。

つらかった。でもどうしたらいいかとも考えられなかった。ただただ毎日「日本へ帰りたい」と泣いていた。

イギリスでの生活が三年目を越えた頃

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それが変わってきたのは、イギリスに来てから三年後。

イギリスのすべてに文句を言い、その憤りをイギリス人である夫にぶつけていた私に、夫が爆発した。

なにをするにも節約を考えない夫、非効率的なことばかりする夫、肉ばかり食べている健康を考えない夫、言うことが当てにならない夫、常識的なことをなにも知らない夫、日本語ができず日本で仕事を見つけられない夫。

駄目なのは夫だった。どう考えても正しいのは私、つらく大変な思いをしているのは私だった。

「理解のない夫」として離婚すれば簡単だった。でも離婚は嫌だった。実家にだけは戻りたくなかった。だから、悪いとまったく思っていなかったのに夫に謝った。でもそれが自分を見つめるきっかけになった。

そして気づいた。

なぜ常に節約しなければならないのだろう。
なぜそんなにも効率的でなければならないのだろう。
なぜきちんとしていなければならないのだろう。
なぜそんなに一生懸命働かなければならないのだろう。

イギリスでは、観光地や駅の公衆トイレに入るのにお金がかかることがある。20〜30ペンスなので、50円程度だ。日本人が運営するバスツアーなどに参加すると、「どこどこのトイレは無料です」などの案内がある。お金がかかるトイレには入りたくないという人がいるからだ。

お金がかかるといっても、たかだか50円だ。50円玉をなくして大騒ぎする人はいないだろう。別のトイレを探す手間と、どちらがもったいないのか。トイレは行きたいときにあったところに行けばいいのではないか。

ここで50円を「もったいない」と思う心理はなんなのか。日本ではトイレが無料だからだ。トイレというのもにお金を払うという概念がないから、それをすることに抵抗がある。でもその概念さえなければ、50円など大した額ではない。

すべては、日本で生きていた中で作り上げられていた「先入観」だった。

日本の考えかた、自分の考えかたが正しいとは限らない。たとえそれがきちんとしていて一見正しそうであっても、世界中に何億とある考えかたのうちのたったひとつに過ぎない。やっとそれに気づいた。

日本は便利だ。電車はイギリスの半額以下で、1分でも遅れると「遅れて申し訳ございません」というアナウンスが入る。24時間開いているコンビニやスーパー、レストランがあり、店員は呼べばすぐ来て、きちんとしたサービスが受けられる。食べ物は安くておいしいし、常に改良されて新商品が立ち並ぶ。予約がなくても専門医にすぐかかれ、その日のうちにレントゲンを撮って結果までもらえたりする。

日本に行くたびに「日本は素晴らしい」と思う。でも、どうして日本はそんなに素晴らしいのだろう。

便利なサービスを安価で享受できるのは素晴らしい。でもそこには安価で便利な働き手がいるということだ。安い給料で一生懸命働かなければ、安価で便利なサービスは供給できない。 一年中開いているコンビニには、それだけ休みなく働いている人がいる。

なぜそんなにも安くて便利でいなければならないのだろう。他社との競合に勝つためだ。でもそこまでしないと勝てない競合とは、なんだろう。夜に店を開けてまで、顧客を獲得しなければならない理由とは。

日本は効率と利便性を追求して経済成長を遂げてきた。他の国で作られた製品を改良して安価で売り、競争に勝ってきた。どこよりもいいものを安く出すことで、顧客を得てきた。

その成功体験に囚われすぎているのではないか。 より便利に、より安価で。サービス残業をさせて人を倍の時間使い、派遣や契約社員にして人件費を削る。24時間365日店を開ける。産地や商品を偽る。もはや商売が成り立っていないところまで来てしまっている。

イギリスはどうだろう。労働時間はきちんと守られていて、終業時間と同時にみんな会社を出る。お店は閉店の15分前に入り口を閉め、閉店時間に終わる。24時間開いている大型スーパーやガソリンスタンドでも、日曜日は早く閉まる。

あと一本メールを打てば終わる仕事でも、時間が来たら明日に回す。年に二回は二週間の休暇を取って休む。日本の年末年始に相当するクリスマスには、電車も動かない。華僑や異教徒が経営するお店だけがぽつぽつと開いているのみで、町はゴーストタウンと化す。

お店には20年前と同じ商品がまだ並んでいるし、目新しさもバラエティの欠片もない。クリスマスのセール時期には、車、ソファ、チョコレートと毎年同じ商品のコマーシャルが流れる。サービスはいい加減だし、いかにも人間的だ。

それでも文句を言う人もいないし、商売ができなくなるわけでもない。受けられるサービスはいい加減だけど、自分も安く便利に使われることはない。雇用は基本的に正社員採用ばかりで、労働者の権利が守られている。

無駄を受け入れ現実に生きる

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どちらがいいのか、という問題ではない気がする。どちらにも問題はある。

でもひとつ言えるのは、日本のやりかたにはもう限界が来ているということだ。効率化にしてもコストカットにしても、永遠に削っていくことはできない。もうできることはやり尽くされている。他のやりかたを見つけていかなければならない。

他のやりかたとは、なんだろう。

ひとつには、現存する商品やサービスの効率化とコストカットではなく、新しい商品やサービスを創造して供給することだ。テレビがなかった時代にテレビを作れば売れたように、今までになかった新しいものには需要があるだろう。

でも、みんながテレビを持ってしまったらどうなるだろうか。人間が生きていく上で必要とするものに、これからそれほど変化が出てくるとは思えない。もちろん新しい技術の誕生による新しい需要はぽつぽつ出てくるだろう。でも今後はそれほど頻度が高くなるとは思えない。

上のやりかたに加えて、目に見える「もの」以外の価値を見つめる生きかたはどうだろうか。

トイレを使ってもなにも手に入らないから、お金は払いたくない。でもトイレを使わせてもらうというのは、立派な「サービスの享受」になる。忙しい観光の中で他のトイレを探す「手間」も見えていれば、お金を払いたくないとは思わないだろう。

改良する「手間」が見えてくれば、常に効率化をし続ける必要もなくなってくる。無駄な改良はあえてせず、それに使われるはずだった労力を、新しい商品やサービスを生み出すためにも向けられる。

そうすると、できることがあったとしても、必要のないことはわざわざやらないようになってくる。目の前にあるものをこなしていくだけではなく、ものごとを大枠で見られるようになっていく。

出勤時間に3分遅れても、その日必要な仕事が終わればいい。明日できることは明日やればいい。目の前のお金を稼ぐことばかりではなく、全体を見据えて日々仕事をすればいい。常に少しも取りこぼさないよう完璧でい続けなければならないことはない。

人間は機械ではなく、生物だ。いいときもあれば、悪いときもある。バリバリ働けるときもあれば、すぐ疲れてしまうときもある。病気になったり歳をとったりする。決められた休みを取ることは必要だし、勤務時間も守るべきだ。いいときばかりでなく悪いときもひっくるめて考える必要がある。

それが「現実に生きる」ということだ。病気にならない人はいない。歳をとらない人もいない。ミスをしない人もいないし、毎日同じことを完璧に繰り返せる人はいない。晴れる日もあれば、台風の日もある。どれだけ備えていても、思いもよらぬアクシデントが起こることもある。

人生はギリギリでは生きられない。常に無駄が必要だ。「無駄」とはなるべく排除しなければならないと教わって生きてきた。でも現実では無駄がなければ生きていけない。世の中は有用なものだけで構成されていない。洋服も体にぴったりで無駄がないものは着られない。

もっともそのことを学んだのが、旅行だった。こちらに来た当初は日本にいたときと同じように、毎日あれを見てここに行ってという詰め込み式の旅程を立てていた。もったいないからだ。でも日本と違って二週間三週間の休みが取れるので、旅先で毎日そんなことをしていたらあるとき体調を崩して倒れてしまった。

ガイドブックに載っている名所に行って「行った」「見た」で終わるのは、単にリストにチェックを入れるだけで、旅行を楽しんではいない。興味のある国に行ってただ一日ぼーっと過ごしてみるのでも、十分旅を楽しむことになる。 見るべきものを見たり、行くべきところに行ったりと、目に見える行動をするばかりではなく、そのときその場で自分がしたいことをするべきだ。

わざわざ外国まで行って無駄な時間を過ごすのは、もったいないと思うかもしれない。でも道や時間を間違えてなにもできなかったり、天気がいいから日の当たるところで昼寝をしたりして無駄に過ごすこと、そしてそうしなければ体験できなかったことのすべてが、自分の生活の中ではできない旅行の醍醐味だった。

人の人生を尊重し自分の人生を生きる

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無駄の価値が見えてくると、お金以外の価値が見えてくる。とにかくなんでも安いものにではなく、価値のあるものに自分が思うだけのお金を払うようになってくる。価値は人によって違ってくるから、みんながみんな一斉に同じものにお金を使うこともなくなってくる。人と自分の違いが見えてくれば、自分のやりかたや価値を押し付け合うことがなくなってくる。

人と自分が違うことがわかってくると、自分がわかってくるようになる。自分はどうなのか、なにをしたいのか、なにがほしいのか。自分を尊重することができるようになって、人も尊重することができるようになってくる。

自分がどうであろうと、人の生きかたを尊重できるようになる。人がどうであろうと、自分の生きかたができるようになってくる。

それまでの私は空っぽだった。だから仕事や遊びなどの対外的なもので自分を満たさないと生きていけなかった。自分が効率的でしっかりしていることや、日本が便利で優秀なことで自分を満たさないと生きていけなかった。そうすることでギリギリ自分を保っていた。

自分を知って、自分の人生ができてくれば、そんなことをしなくても済むようになる。仕事ができなくても、遊べなくても、しっかりしなくてもよくなる。人と比較しなくてもよくなるし、人からどう見られているかを軸に自分の行動を決めずに済むようになる。

そうすると生きることがらくになってくる。

冬が暗いのはしかたがない。その中で自分の好きなことを見つければいい。なにも日本と同じことをする必要はない。ロンドンでは日本のように日本人化されてない世界中の料理が食べられたり、様々な文化の生のコミュニティが楽しめたりする。博物館や美術館に無料で入れて、アダルトスクールで質の高いコースが無料で受けられたりする。

冬は寒くて暗いけれど、夏は過ごしやすくて夜の9時10時まで明るい。仕事のあとにでもウォーキングに出たりジョギングができたりするし、日当たりのいいカフェやパブで友人とお茶したり飲んだりすることもできる。

電車やフェリーですぐフランスに行けるし、1〜2時間のフライトで南欧や北欧へ遊びに行ける。3〜4時間ならモロッコやエジプト、トルコにも行けて、日本とはまったく違う文化を楽しむことができる。

電車が遅れても遅刻にうるさくないからなんの問題もない。エスカレーターが壊れても、重い荷物を持っていたら「手伝いましょうか」と言ってくれる人がいるからいい。なにもかもがスムーズに運ぶことはないけれど、自分も気を張ってなにもかもをスムーズに運ばせる必要はない。

仕事は給料がもらえることが重要であって、必ずしも自己実現をしたり自分の能力を高めたりするところではない。人には向き不向き、好き嫌いがあり、管理職がそれをうまく采配する。誰もがなんでもできるようになる必要はないし、そもそもそんなことは不可能だ。

日本ではあり得ない不条理な理由でお金を払うこともあるけれど、なにせイギリスは医療費が無料だ。どれだけ無一文になっても医療の保障がある。一生を「万が一」のために働きつぶす必要がない。

人がしていることでもなく、自分を埋めるためでもない、自分の好きなことをして、自分の人生を生きる。

イギリスに来てもうすぐ10年。この国にもいろいろ問題はあるけれど、ここに来たことで、私は自分の人生を生きられるようになった。

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